CULTURE | 2021/03/11

「見える復興」は進んだけれど、「見えない復興」はまだまだ進んでいないー福島在住の臨床心理士に訊く「心の復興」【特集】3.11 あれから10年

2011年4月、福島を訪れた僕は、県内各地を巡り、ざまざまな人に話を聞きました。その中の1人が現地で避難所などを回ってい...

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カウンセラーとはどんなふうに語ってもらうかにかかっている

後藤:ところで「奇跡の一本松」って聞いたことありますか?

ーー はい、もちろん。

後藤:何千本ってあった、防風林なのかな、岩手県の陸前高田っていうところなんですけど、一本だけ残って復興シンボルになって、写真で撮られたり報道が入ったりしているんですけど。

「サバイバーズ・ギルト」の話の続きをすると、あれがもし人間だったら心折れちゃったりしないかなって思っていて。これまでさえない木だったのに、あっちのほうが太かったし仕事してたのに、自分だけ残っちゃったな。なんで自分なんかが?誰もいないな、話し相手もいないなっていう状態で、みんなから希望だ希望だと言われてたら、折れるわけにも枯れるわけにもいかないでしょ。

ーー 神風特攻隊で生き残っちゃった人みたいな、そういう感じですよね。

後藤:だから木でよかった。もしあれが人だったら耐えきれないくらいの精神的負荷になっちゃうと思う。

ーー 僕らのおばあさんおじいさん世代だと、太平洋戦争で負けた時は国民全員がPTSDだったと思うんですよね。今もコロナ対策や手当ての仕事があって、震災の時と同じように本当にゴールが見えないような戦いをみんなしているわけで。特に医療従事者とかは。

後藤:本当にその通りですね。昔から未来ってよく分からない、見通しがつかないものだったけど、ここまで見通しつかないかねとか、10年にいっぺんぐらいの頻度で、当たり前の生活がチャラになる、生命の危機を感じる体験とかさせられるというか。

ーー それから僕ら団塊ジュニアの世代って阪神淡路大震災があり、9.11があり、リーマンショックがあって、東日本大震災があって、去年コロナが来てと、10年とか15年に一回ぐらい国中がヤバイ時期があってっていうのを経験している。

後藤:ちょっと多すぎる気もしますね。

ーー 細かく言うと九州や広島の大雨とか、洪水とか台風とかもたくさんあって、そこで亡くなった人もいるし、中越地震もあったしっていう。

後藤:学生とその話をして、「次は何? イナゴの大群?」みたいな話をしていて。「戦争じゃないといいね」って言ってたんだけど。聖書の黙示録に出てくるみたいな世紀末な世界に生きているから。

ーー だから、僕らが少年だった頃の夢が溢れたハイテクな21世紀とはちょっと違いますよね。テクノロジーは発達したけど、当たり前ながら自然には勝てないなということを毎年経験させられている。

後藤:その渦中に生きて、急に当事者になっちゃったりとかするしね。自分も太平洋戦争を語るおじいちゃんみたいになるのかな。

カウンセラーって本当に語りをすごく大切にしていて。どんなふうに語っていただくのか、どんなふうに聴けるのか、どんなふうに傾聴するのかっていうことを常に考えています。

今では各地に震災や原発事故の伝承館ができてきて、今後プロの語り部みたいな人も出てくると思うんですが、「語ってくれる人」のスキルだけじゃなくて「聴く・受け止める人」のスキルも高め続ける必要があると思っています。被災地に住んでいる私のような当事者たちが、孤立せずに、ピア(仲間)として、そういう問い合いと尋ね合いのコミュニケーションを10年でも20年でもかけてやっていかないと、いつまで経っても「語れない人」の思いを受け止められずに、悶々とした感情エネルギーが無意識の中で抑圧され、いつか爆発してしまうかもしれない。だから今、最低限の傾聴スキルとカウンセリングマインドを学生たちに体得してもらいたくて、自分が留学時代に散々鍛えられた合理的でやたらと実践的なアメリカンスタイルの授業を、地元・福島の女子短大でコツコツと続けています。

今から10年前、BRAHMANが言ってた未来って、若者とか子どもたちとか、これから生まれてくる生命が生きていく世界のことだと思うんです。ウチの学生たち、震災当時まだ小学生だったんですよ。あの時に一度失ってしまった言葉とか、「さよなら」も言えないまま突然旅立っていった死者たちの俤(おもかげ)とか、たどたどしくていいから、時々つまりながらでもいいから、いつか、その思いを声に出して伝え合うことができたら、その言葉の先にある未来こそがこの国の未来だし、世界の未来になるんだろうなぁって思ってます。

多分、今この瞬間がもしかしたら自分にとってはそうなのかもしれないですが、ちょっと立ち止まって、じっくりとたたずみながら語れる場、お互いに聴き合っていいんだっていうコミュニケーションが保証されないと無意識化しますよね。その瞬間が「本当に風化してしまった」という状態なのかもしれません。


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