CULTURE | 2021/03/11

「見える復興」は進んだけれど、「見えない復興」はまだまだ進んでいないー福島在住の臨床心理士に訊く「心の復興」【特集】3.11 あれから10年

2011年4月、福島を訪れた僕は、県内各地を巡り、ざまざまな人に話を聞きました。その中の1人が現地で避難所などを回ってい...

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数値化できない何万人分のそれぞれのストーリーがある

後藤:2021年の今でも避難していて、仮設住宅に住まわざるを得ない方がいるわけです。

震災の時のエピソードは一人ひとりまったく違うものをそれぞれ持っています。あの日こうだったとか、あんな揺れ方したとか。震度6強を体験した人もいるし、そこまで揺れはひどくなかったけど津波を体験した人もいるし。被害がそれほど無かった人も、数年間で日常を取り戻せた人も、今なお困難に直面している人もそれぞれいて、それぞれの思いにムラがあるのでひと括りで語れないのです。

ーー ビートたけしさんが「震災と津波で何万人が死んだって言うけど、2万人亡くなったら2万通りのストーリーがあるんだ」ということを言っていましたね。

後藤:そうだったんですか。「東日本大震災の被害」と言っても、津波の被害と原発事故に基づく被害というのは性質が全然違うんですよね。福島って元々県の面積が広くて、北海道、岩手、次に福島なのかな。福島の中でも、新潟や山形に隣接する会津地方はそんな揺れなかった一方、でも太平洋側にあるいわき・相双地方は軒並み津波だし、原発の被害もあったし、同じ県内でも全然違うんです。

ーー 後藤さんが各地を回る中で、人々が立ち直っていく瞬間みたいなものにも触れただろうし、そういう表現がいいのかどうか分からないですけど、癒やされないままの人もいたと思います。それは本人の性格とか努力みたいなものが大きいのか、それとも家族やカウンセラーといった第三者の力が必要だったりするのでしょうか?

後藤:実際、避難所を巡っている時は本当に何もできなかったと思っていました。大学院で習ったことがこれほど役に立たないんだこの現場は、っていう。

ーー 僕も避難所には行きましたが、言葉が出なかったです…。

後藤:声をかけることすら躊躇するような状況で、二言三言話すけれども、その後2回3回と同じ人に声をかける「フォローアップ」ができないから、その場限り。プライバシーが確保できる臨床心理士のカウンセリングルームで向き合う、心理療法っていう枠組み自体が成立しなかった。あくまでもアウトリーチ支援であることはもちろん理解していたし、とてもカウンセリングができるような状況じゃ無いってのは頭ではわかってた。でも、自ら志願していざあの現場に立ってみたら…、他の人はきっとこんなこと思わないんだろうけど自分個人のもともとの自己肯定感の低さゆえなのか、自分はまったくの役立たずだと思い知らされた。誰の役にも立ててないって。だからあの時は無力感しかなかったです。

今だから言っていいのかもしれないけれども、支援者の人、避難所を運営している人たちが泣きながら、「私たちもガソリンないんですよね」と言っていたことを強く覚えています。被災されて避難されている方は、ある程度優先的に食料やガソリンみたいなものにアクセスできた面もある一方、実はそれをサポートしている人たちの方は……。

ーー 困ってたという。

後藤:買い物に行く時間もないし、仕事がようやく終わってから行っても何も残ってないしって感じで、支援する側もいっぱいいっぱいみたいな感じ。災害時にものすごく重要なアウトリーチ支援に直接関わらせてもらっているのにもかかわらず、そんな勇敢で誇り高い現場に携わりながら、自分の中では自責の念しかなくて…。むしろ「あの訪問で誰かが改善したとか、元気になったっていうのはないんじゃないのかな?」という無力感が募る一方でした。

それから、元々精神疾患がありましたとか、社会的に貧困層になってとか、いろんな震災の前からあった人は特に大変だったと思います。その間、必要なサポートを受けられなくなったりしたから、震災関連死みたいなものもありましたし。

「助けて」と言葉に出せた人はまだサポートにアクセスしやすかったのでしょうが、言えなかった人はサポートが届かないままだったりということもありましたし、さっきお話ししたように「自分が辛いなんて言っちゃいけないんじゃないか」と抱え込んでいる人も多かったんだと思います。

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