2025年3月1日(土)、慶應義塾大学日吉キャンパス協生館 AICラウンジにて、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)Sports System & Design Management
Laboratory (神武直彦研究室)が主催する 『KKPAシンポジウム2025 「子供のためのスポーツデータ利活用」 〜誰もがスポーツを楽しむ
Well-being な社会の実現を目指して〜』 が開催された。
「慶應キッズパフォーマンスアカデミー」
(KKPA:Keio Kids Performance Academy)
は、慶應義塾の教育研究プログラムとして、慶應義塾大学ラグビー部が練習の拠点としている日吉グラウンドを利用し、周辺地域のみならず都内や横浜市、川崎市在住の小学生を対象としたスポーツクラブ型アカデミー。特定の競技に特化せず、基本的な身体操作の向上を図るため、GPSなどのテクノロジーを活用して、データに基づく成長の把握とコーチングを実施、小学校や自治体と連携したスポーツデータ利活用などの取り組みを行っている。
シンポジウム冒頭での挨拶を行ったKKPAの企画・プロデュースを担う慶應SDMの神武直彦教授は、KKPAの取り組みを始めた動機として、「早生まれの子供はスポーツ嫌いになりがちな傾向がある。その理由のひとつは、成長が早い同世代の子供と比較され、劣等感を感じてしまうから。他者ではなく、過去の自分と比較することで成長を実感できれば、スポーツから離脱する子供が少なくなるのではないか」 と切り出した。

KKPAではさまざまな運動プログラムとそこで取得したデータによって、まさに他者と比較はせず、過去の自分からの成長・変化の度合いを知ることができる。また、多様な競技や体の動かし方を実践することによって、データ面でも、子供の主観でも、得意なことや好きなことを見つけやすい環境づくりを実践している。自己肯定感や成長の実感を得ることを大切にする
「子供たちの心と体の成長をサポートするデータ駆動型マルチスポーツ教室」 だ。
今回行われたシンポジウムでは、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の小塩靖崇氏による10代のスポーツメンタルケアに関する講演や、ソフトバンクが提供するスポーツ練習アプリ 「AIスマートコーチ」 を利用した取り組みなど、子供におけるスポーツデータの活用事例が紹介された。
また、シンポジウム終了後には、会場を慶應義塾大学日吉グラウンドに移し、KKPA見学会を開催した。データの取り扱いやデバイス等の実物を紹介するとともに、プログラムデザインの意図についての解説も行われた。
技術指導以上に重要な 「支え合いの雰囲気づくり」 や 「助けを求めやすい環境」 の整備
シンポジウムでは冒頭の挨拶に続き、ゲストとして招かれた 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の小塩靖崇氏が 「10代を支えるスポーツメンタルケアのはじめ方」 と題し講演を行った。

「思春期は12~25歳まで続き、脳の中では喜怒哀楽を司る部分が先に成熟し、抑制を担う大脳皮質が遅れて育つ。そのため強い衝動性や不安定な感情コントロールが起きやすい」
と解説する小塩氏。過度のストレスや悩みが重なると引きこもりや過食、依存行動などが表面化しやすくなる一方、周囲がこまめに話を聞き、感じていることを言葉にする機会を作るだけでも、子供は自己肯定感を持ちやすくなるという。
またスポーツの場においては、技術指導以上に
「支え合いの雰囲気づくり」 や 「助けを求めやすい環境」 を整えることがメンタルヘルスの土台になると強調。例えば、部活動においても、練習後にコンディションや不安を共有するミーティングを取り入れ、互いを客観視できる時間を作るなど、支え合いの具体策が例示された。またウェアラブル端末を活用し、睡眠や疲労度を可視化して早期ケアにつなげる取り組みなども有効だという。さらに、実技練習前後に一言ずつ気分や目標を言い合う時間を設け、必要に応じてカウンセラーや保護者が早期に声をかけられる場を作るなど、より具体的な事例も紹介された。
また小塩氏は、自身が関わる
「よわいはつよいプロジェクト」 (https://yowatsuyo.com/) を紹介。ラグビー選手をはじめ、一流のアスリートたちが自分の弱さを包み隠さず言語化し、周囲に悩みを共有するプロジェクトだ。一般人がイメージするトップアスリートの持つ“強さ”ではなく、むしろ“弱さ”を開示することが本当の強さにつながっていくことを訴え、孤立しがちな若年層に
「助けを求めていい」 ことを気付かせ、呼びかける取り組みだ。
小塩氏はこのプロジェクトの紹介を通じ、子供たちが自分自身を客観視し、心身の調子を早期に整えられるよう大人側が生活習慣やメンタルの状況に気付き、寄り添っていくことの大切さについて改めて語り、講演を締めくくった。
子供たちの 「身体操作の土台」 を作るプログラム
続いて、KKPAの活動や、児童期におけるスポーツデータを活用した取り組みについて、各発表者より紹介が行われた。
最初に登壇したのは、KKPAでヘッドコーチを務める廣澤崇氏。

廣澤氏によると、昨今運動をする子供と運動をしない子供とが極端に分かれている状況があり、「1週間のうち運動をする時間が60分未満の子供が、男子で6.4%、女子で11.6%」 というデータがある。また本来加齢や生活習慣が影響し、運動機能などの低下を指す 「ロコモティブシンドローム」 のような状態にある子供が増えていると指摘した。
その上で、「我々はアスリートを育てるアカデミーではなく、(運動の) 土台形成を目指している。さらにアスリートを目指す上でも、土台が出来上がっていない状態では怪我の弊害や、技術が伸びづらいといった研究結果もある」 と廣澤氏。運動を楽しむためにも、アスリートを目指すにも 「土台作り」 が重要になってくるという。
そのためKKPAで行われるプログラムでは、身体を思い通りに動かすための身体操作や、力の出し方などを網羅的に学べるようにプログラムを設計している。

慶應SDM神武ラボでも、スポーツ分野や家畜の管理といった農業分野において、早くからGPSを用いたさまざまな研究を行っているが、KKPAにおいても子供たちに専用のポケットがついたビブスを着用させGPSデバイスを装着。種目ごとに走行距離、最高速度、加速度といった高精細なデータを取得している。こうして取得したデータは、「教室の中で何位」 といった順位付けは行わず、前回の自分と比べてどれだけ数値が伸びたか、自分の全力のうちどれだけの力を発揮できたかといった内容を見せ、自身の成長にフォーカスしたフィードバックを行っている。



小学校教育に進出するKKPAの取り組み
続いて、少しずつ学校教育の現場にも広がっているスポーツにおけるデータ活用の実践例について、横浜市立旭小学校の益子照正校長による発表が行われた。益子校長は、KKPAの取り組みを知ったことをきっかけに、自ら積極的に慶應SDMの神武教授へ働きかけ、昨年度より体育の授業にデータの利活用を実験的に取り入れはじめた。

横浜市立旭小学校での取り組みは、昨年3回分けてデータ計測を行う授業を実施。1回目の授業ではGPSを子供たちに装着し、「40メートル走」 と、フィールドの中で腰につけたタグを取り合う
「タグ鬼ごっこ」 の2つのプログラムを実施し、走行フォームの映像を記録した。続いて2回目の授業では実際にアスリートから走行フォームに関する指導を行い、指導後に行った3回目の授業で再度プログラムを実施。児童たちは指導前と指導後のGPSデータや映像で自身の身体の動かし方などを振り返るといった内容だ。
旭小学校での取り組みにデータ収集を担当した、自身も3人の子供を持つ慶應SDM研究員の宮崎莉加氏も登壇し、「大きな発見があった」 と取得したデータについて紹介した。

というのも、事前に行ったアンケートで
「運動が嫌い」 と回答した児童の 「40メートル走」 の平均タイムが、3回の授業を通して大きく縮まり、「運動が好き」
と回答していた児童よりも伸び率が高かったという。
その中でも注目したのが、「私の足が速くなるはずがない」 と、1回目の授業では 「40メートル走」 も 「タグ鬼ごっこ」 でも消極的でモチベーションの低かった児童が、3回目の授業では
「40メートル走」 のタイムが大幅に縮まり、さらに 「タグ鬼ごっこ」 でもスピードの緩急をつけるなど明らかに変化したことが挙げられた。
この児童の結果には、益子校長も
「データに向き合うことで、他者と比較せず、新しい運動への見方や考えが生まれ、子供が変われるきっかけになると感じた」 と大きな手応えがあったことを語った。
ソフトバンク先端技術研究所が描くAI時代のスポーツデータ活用
続いて、KKPAと技術連携を行っているソフトバンク先端技術研究所より、先端技術開発部 CPSネットワーク開発課 課長の小林謙吾氏が登壇。幼少期からのスポーツデータ収集と活用の基盤づくりや、マルチスポーツの観点からの運動能力向上を目指したスマートフォンベースのアプリケーション 「AIスマートコーチ」 を利用した検証結果などが報告された。

この
「AIスマートコーチ」 は、スマートフォンやタブレットから簡単に使えることが特長だ。ゴルフ、バスケットボール、ダンス、陸上など17種目+体育に対応し、1,500本以上のお手本動画を見ることができる。KKPAで使用されるようなGPS機器を必要とせず、手軽に導入できるため小学校など教育現場での実用化が期待されている。
今回の実証では、KKPAの生徒たちに走り幅跳びのお手本フォームを段階に応じて 「AIスマートコーチ」 にて配信を行った。「AIスマートコーチ」 を使うことで自主的にフォーム改善などを行うことができ、子供たちの主体的な学びを養うことが可能だ。半年間の実証の結果、半数以上の生徒が走り幅跳びの距離が向上し、さらには50m走についてもタイムの短縮ができた。本実証により、走り幅跳びのような基本的な動作を反復練習することで、その他の運動能力も向上することがデータで示せたという。
さらに小林氏は、AI時代のスポーツデータ収集に関する神武ラボとの共同研究を通じ、カメラやセンサーによってデータを収集する 「AIスタジアム構想」 についても触れた。すでに慶應義塾大学日吉グラウンドに6台のカメラが設置されていることなどを紹介しつつ、今後も将来に向けたデータ収集や利活用について議論を深め、最新技術の“社会実装”に力を入れていくことを強調した。
また、今後のAI時代においてスポーツのデータ収集方法や、それらの制度作りが重要であり、日本全体で議論すべきであるとともにソフトバンクとしてそれらを支える基盤・インフラの構築を進めていくことを目指していると語った。
スポーツ練習アプリ 「AIスマートコーチ」 を導入し、体育の授業をアップデート
最後に、東京学芸大学附属小金井小学校の武藤凌平教諭が登壇。6年生の体育授業でソフトバンク先端技術研究所の小林氏が紹介した 「AIスマートコーチ」 を取り入れた実践例を紹介した。

武藤教諭は、GIGAスクール構想で配布されたタブレット端末を活用し、跳び箱運動のフォームの動画を撮影。その動画を見て振り返りながら練習する仕組みを取り入れたことで、「子供たちが過去の自分と比べてどこが変わったかを具体的に把握しやすくなった」
と語る。
授業では、撮影係・指導係・待機係と役割を分担。運動時間を削り過ぎないよう配慮しつつ、撮影した動画と
「AIスマートコーチ」 内のお手本動画とを比較させたところ、児童たちが膝の曲げ伸ばしや手の突き放しなど、課題を見つけ合う姿が見られたという。
「子供たちが主体的にデータを記録し、次の練習に役立てるサイクルをどう作るか」。この課題は慶應SDM神武ラボが進めるKKPAや旭小学校の事例と同様、まだまだ試験的な取り組みだが、端末さえあれば誰でも使える仕組みが普及の鍵となる。武藤氏は 「ICT活用はあくまで子供の運動へのモチベーションを高め、楽しさを引き出す補助ツールとして活用している」 としながらも、運動技術の向上だけでなく、自信を高める面でもAIスマートコーチは有用なツールとして注目しているという。

スポーツデータを使ったウェルビーイング社会の実現へ向けて
最後のプログラムでは、登壇者全員が登壇しパネルディスカッションが行われた。

本シンポジウムを通じて、登壇者、聴講者ともに
「他者と比較せず自分自身と向き合うことができる」 など、幼少期の運動にデータを取り入れるメリットについての共通認識を得ることができた。しかしながら、この取り組みを全国的に広めていくためには、デバイスの高価格化による導入コストや、指導者のICTスキル向上、日本の教育制度のあり方にいたるまで課題は多い。
そこで、神武教授をはじめとした登壇者は、今後もスポーツデータに関する活動を続けるとともに、コミュニティの形成を目指し、ひいてはスポーツデータを活用したウェルビーイング社会の実現を目指していくことで一致した。
今後も、AIをはじめとしたスポーツデータの取得や利活用のための技術革新、およびKKPAや各教育機関の取り組みに注目していきたい。
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