CULTURE | 2021/03/11

「見える復興」は進んだけれど、「見えない復興」はまだまだ進んでいないー福島在住の臨床心理士に訊く「心の復興」【特集】3.11 あれから10年

2011年4月、福島を訪れた僕は、県内各地を巡り、ざまざまな人に話を聞きました。その中の1人が現地で避難所などを回ってい...

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見える復興と心の復興

後藤:ただ、私よりももっとすごいカウンセラーや、カウンセラーを指導しているスーパーバイザーみたいな教授のような方は山ほどいるのに、っていう引け目はあるんです。こんな取材を受けていいのかという。

ーー でも、そういう声を拾っていくのも僕らの仕事だと思うんです。FINDERSは「見つける人」っていう意味があります。僕が思うのは、さっきの話に戻りますが、「見える復興」と「見えない復興」みたいなものがあって、見えない復興というのは、つまりは「心の復興」ですね。それが自助、公助、共助の中でどう変化したのか、その辺りの肌感はどうですかね?

後藤:よく授業で学生に言っているのは、「平気そうに見える人が平気とは限らないからね」みたいなことなんです。ニコニコしながら内面ですごく苦しんでたり、モヤモヤしてたり、悩んでたり、迷ってたり、傷ついてたりっていう人がたくさんいます。もしかしたら自分も含めて、平気そうに見えるけど10年経ってもやっぱり、平気なんかじゃいられないよねっていう人がいる。

あとメディアや世間は「3.11」って言い方をしますよね。3月11日のことを点で言うのかと……そういうのは覚えやすいから使っているのだろうけど、私の世代でいったらプロレスの試合で「9.11蔵前決戦」みたいな言い方だなって(苦笑)。

ーー そうですね、プロレスファンは必ず「・」と試合のことを日付で覚えていますね。僕らも3.11というワードを使って特集名にしてしまったんですが…。

後藤:そんな感じで、「あの日」っていうのを境にされてしまうというか、あの日の前と後みたいになってしまうことには違和感があります。ビフォー・アフターじゃなくて、時の流れはつながっていて、螺旋みたいにずっとぐるぐるとしている。あの日の前にも人生があって、あの日の前にも福島はあって、そことはつながってるはずなんです。

心の底に眠る傷が「命日反応」で記憶が呼び起こされる

後藤さんが10年前に行っていたワークショップの一コマ

ーー ところで、東京のメディア報道に対する違和感みたいなものはありましたか?

後藤:取り上げてくれるのはすごくありがたいし、忘れずにいてくれるのもすごく感謝しています。でも「そんなひどくないのにひどいってことにしないで」って言っちゃいけないんですけど、実はそういう面もあるんです。

ーー ひどい状況に追い込まれた人を取材すると、それだけを観た視聴者は「全部そうなんだ」と思ってしまうということですよね。でも、本当は多層なレイヤーがあって、そうじゃないところもあるんですね。

後藤:それを受け取る私たちとしては「今でも苦しんでないといけないのかな」とか、実際そういう人たちが存在しているのでフィーチャーされるべきなんだろうとも思いますが、やはりちょっと違和感があります。

心理学の話をすると、「アニバーサリー・リアクション(命日反応)」というのですが、元々は何か悲しいこと、ショッキングな出来事があった日が近づくと、何年か経っても胸がざわつくとか、涙が止まらなくなるとか、急に不安になって眠れなくなるみたいなことが起こります。自分も覚えてないけれども、例えば家族に聞くと、「あんた、小さい頃におじいちゃんが大好きだったもんね」みたいなことを言われて、「何その話?」って聞くと、おじいちゃんが正にその日に亡くなってギャンギャン泣いていた、といった話があります。

ーー 記憶にはないんですね。

後藤:そうそう。でも、記憶フォルダのどこかにはちゃんとデータが残っていて。大好きだったおじいちゃんと過ごした日々と、それが失われた痛みとか悲しみとか喪失感みたいなのがあって、その日が近づくと急に精神的に不安定になる人がいる。

湿度なのか、陽の光の角度なのか、風の温度なのか、そのとき街に流れている音楽なのか、自分が着ている服の肌触りなのか、これが明確な要因だと特定はできませんが、複合的な何かがトリガーになって急に自分のコントロール外のところで再生されるみたいなのが、「アニバーサリー・リアクション」なんです。

おそらく、震災に関してもそろそろいろんなところでそういうのが起きたとしても不思議じゃないと考えています。「それだけ大切なものとか人を忘れずにいるって証だよね」とも捉えられるのかもしれないですが、出どころが分からないと怖くてしょうがないとも思いますよね。何がトリガーになるか分からないから、あっちこっちで気分が上がり下がりする人が出てきてしまうのではとすごく心配です。

ーー 今、後藤さんと話していて、まさに僕もトリガーが引かれたって感じています。10年前のなんとも言えない恐怖感、不安感が蘇ってきて泣きそうです。

後藤:今ですか? もし差支えなければ、で全然いいんですけど、どんな記憶ですか?

ーー 例えば、田んぼの中に漁船があったりとか、10年前に福島に行った感覚がインタビューしながらだんだんと思い出されてきちゃって。たった2日しか滞在しなかったですが、悲しみや恐怖心が今、去来していますね。

後藤:そうなんですね…。話してくれてありがとうございます。もしかしたら、お互いにそうかもしれないですね。私は今回望んでインタビューを受けさせてもらっているからいいのですが、多分それが不意に来ると、自分で手に負えなくなっちゃう。日常生活に戻れなくなっちゃうぐらい、涙が止まらなくなるかもみたいなのがあると、記憶のフォルダからデータがとめどなくあふれ出してしまうような感じでしょうか。

ーー でも、人はなんとかそれを押し込めようとしますよね。

後藤:ええ。とりあえずその場は、無意識的に抑圧することぐらいしかできないかも。でも「ナイトメア」や「フラッシュバック」がポコって出てきちゃう。言葉にならなかった思いって消えてなくなるのかなと思った時に、なくならないらしくて。もしかしたら無意識の行動になって出たりとか、身体の反応やいろんな症状として形を変えて出てくる。

ーー 亡くなった人がいることも非常に悲しいことなんだけれども、生き残った人がどうやって10年生きてきたか、そしてまたこれからどうやって生きていくかということも同じぐらい大変で、本当に残された者は辛いですよね。

後藤:この間、市政だよりを見たら、福島だけで4000人以上が亡くなったと書いてありました。でも、その死には4000通り以上のストーリーがあるわけです。地震で建物が倒壊しただけじゃなくて、その後、火事が起きたりとか、浜通りで勤務してた家族が津波で行方不明になったりとか、震災関連死でみたいな孤立して選択肢がなくなってっていう人もいたり、いろんな方が急に強制的に離別、死別に遭遇したりもしました。そして残された人から産まれた子どもは、もう震災を知りませんってジェネレーションです。

そうするとどう語り継ごうみたいな責任感があったりもするし、忘れちゃいけないんだけれど思い出すのはまだちょっと…みたいな。風化というけど、10年かけてやっと出来たかさぶたの一枚下はジュクジュクとまだ膿んでますみたいなことがありますね。

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