CULTURE | 2021/03/11

「見える復興」は進んだけれど、「見えない復興」はまだまだ進んでいないー福島在住の臨床心理士に訊く「心の復興」【特集】3.11 あれから10年

2011年4月、福島を訪れた僕は、県内各地を巡り、ざまざまな人に話を聞きました。その中の1人が現地で避難所などを回ってい...

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職場を固定することで安心感を得た

後藤:「二次被害者」みたいな言い方をするのですが、あの当時、警察官、自衛隊の方、海上保安官の方、公務員の方って本当に休みなく駆り出されてっていう感じでしたし、消防や救急隊員も、医師、看護師、医療従事者、精神保健福祉関係者もそうです。あとはジャーナリストや報道関係者も実はそうで、教育関係者、教員、保育士さんとか幼稚園教諭もそうだし、宗教職者やカウンセラーもそうですし。表立って言わせてもらえなかったですが、立場上無傷ではいられなかった人がたくさんいて、本当は心底怖くてどうしようもなくて叫びだしたいのに、その使命や責任から逃げるという選択肢がはじめっから無かった人たちがいて、自分もその中の一人なんだなって今さらながら思います。

ーー 10年というのは単に数字なので、区切りは付けられないとは思うんですが、後藤さんの場合、短期大学に腰を据える、籍を置くことで、少し安堵したんじゃないですか?

後藤:本当にそうかもしれません。たまたまそういうオファーをいただいて、本能的にそっちに行きました。今までフリーランサーで、朝起きたら「今日どこ行くんだっけ?」って一瞬思うみたいな毎日を過ごしていました。職場が毎日違うみたいなことをやっていたけど、去年と変わらない今年、今年と代わり映えしない来年をまずは10周してみようってその時は思ったんです。10年間一つのところで積み重ねるような仕事をしようって思い立ってやってみたけど、やはり安心感とかあったのかな、と感じますね。それは、突然失ってしまったいわゆる日常の暮らしへの渇望とかもあっただろうし、軸足が定まらないまま、フラフラと中途半端で役立たずだった当時の自分なりの、精一杯の再起表明であったのかもしれません。

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