2011年4月、福島を訪れた僕は、県内各地を巡り、ざまざまな人に話を聞きました。その中の1人が現地で避難所などを回っていた臨床心理士の後藤真さんでした。
今回、福島に10年ぶりに赴いた僕を、現在は短大で教鞭をとる後藤さんは温かく迎えていただき、当時の話からこの10年の経緯、特に「心の復興」について話してくれました。
もちろん、原発に近い地域の人がいまだに戻れない状態が続いており、復興に関するあらゆる取り組みはまだまだ継続中とのことですが、臨床心理士という立場の後藤さんから出てきた言葉は福島に住むリアルな言葉でした。
聞き手・文・写真:米田智彦
後藤 真
臨床心理士・ファシリテーショングラフィッカー
1972年福島県福島市生まれ。20~30歳まで米国コネチカット州に留学。Fairfield University夫婦家族療法研究科修士課程修了。桜の聖母短期大学准教授。学生支援部長を経て、2020年同短大健康支援総合センター初代センター長に就任。「普段のくらしの中で、当たり前のようにさり気なく傾聴できる人が、もしも各学校の教室に1人いて、どの職場にも、町内にも、そして家庭内にも最低1人くらいずついてくれたら、福島の未来ってもうちょっとマシになるのかも」と思いながら、地元の女子短大でその担い手を地味に地道に育成している。
被災者の支援者が疲弊しまくっていた10年前
ーー 後藤さんに初めてお会いしたのは、震災から1カ月後の4月初旬でした。当時、被災者のメンタルだけでなく自身も被災しながら精力的に事務をこなしている役所の人のメンタルも危ないと言われていましたよね。
後藤:当時、米田さんとお話したのは「支援者への支援が必要だ」というようなことだったと思います。あの頃は福島県の浪江町とか大熊町とか双葉町とかの住民みんなが体育館とか、いわゆる学習センター、公民館みたいなところ、お寺などに避難していました。
その人たちに訪問というか、訪問といってもノックする扉もないようなところで、「大丈夫ですか?」とか、「睡眠はとれていますか?」とか、「もし何かありましたら…」みたいなかたちの「アウトリーチ」という手法で自分を含め緊急応募に応じて手を挙げた地元の臨床心理士たちが声をかけていました。
ただ、集合場所まで車で行くためにガソリンを入れようと思ったら行列がすごくて数時間並ぶような状況でしたし、レギュラーがないので仕方なくプレミアムを入れてました。ある日「県境とかまで車を走らせていくとガソリン給油ができるらしい」という情報が回ってきたので、行って帰ってくると結局元が取れないぐらい減っていて「何しに行ってたんだろう?」みたいな、それぐらい混乱した状況の中で、とりあえず保健福祉センターみたいなところが急ごしらえの本部になって、「君たち2人組はあっちね」と、分担して公用車で回っていました。
そうして避難所を回ってみて感じたのは、運営している人たちも疲弊しまくっているということでした。その人たちも被災者ですから。自分も運営している皆さんもみんな被災者なんだけれども、「この人たちに比べたら自分は被災者と名乗っちゃいけないんじゃないか」みたいな申し訳なさも感じました。本当に悲惨でしたから。
自分だって大変だとは言えない状態で、笑顔で「大丈夫ですか?」ってやっている現地の避難所の人たちを見ていて、これは本当にヤバいと思いました。今は気持ちがピンと張り詰めているからやれるかもしれないけど、ギターの弦を強く張りすぎたような状態で、何かの拍子に倒れてしまうんじゃないかという懸念があちこちであったから、「支援者の支援って大事だよね」っていう話を米田さんにもした記憶があります。
ーー 僕も当時、福島のいろいろなところ回りました。太平洋側の浜通りも。
後藤:浜通りは津波が直撃した地域です。
ーー そこで津波に襲われた幼稚園の園長先生とお話する機会があって、園児はもちろん誰もいなくて、園長先生と若い女性の先生くらいしかいない状況でした。園長先生はめちゃめちゃハイの状態でしゃべってるのが印象的で。もうこっちにしゃべらせないぐらい矢継ぎ早で、瞳孔が本当に開いているぐらいの勢いで話すんですよね。その印象が強烈に残っていて。
後藤:そうした大きな事件・災害の直後は、ショックで「うわっ!」となる。「なんで?」「そんなはずがない」「これは現実じゃなくて夢だ」という反応になってしまうことは珍しくありません。
臨床心理学の言葉で言うと「茫然自失期」が訪れてガーンって下がる。震災の後、みんなそうだったと思うけど、そのまま落ちるかと思ったら、「ハネムーン期」が訪れて急にハイテンションになる。あんだけショックで落ち込んで茫然自失だった反動もあってか、このままじゃいけないってパッと見は元気な、強い興奮状態になるんです。
もちろん、それが悪いという話ではなくて、それがあるから「頑張ろう日本」みたいな感じになれたと思いますし、自分でも「一体何のために臨床心理士になったんだ」「こんな今だからこそやれることをやらなきゃ!」という根源的問いかけからの高揚がありましたし、皆がそういう感じだったと思います。
瞳孔が開いて言葉が止まらないみたいな状況からさらにその後、「幻滅期」が訪れてもう一回ガーンと下がる。そこからがジワジワ長くて、あんまりすぐ上がらない。震災から10年経つ今もその上がり下がりの渦中にあるのかもしれません。
ーー それはいわゆるPTSDに近い状態と言えるのでしょうか?
後藤:PTSDというのは“Post Traumatic Stress Disorder”の頭文字で、「心的外傷後ストレス障害」と言うのですが、人間は身体が傷つけば血が流れるのと同じように、心も怪我するんです。でも、目に見えないので「単に元気がないだけじゃないのか」「甘えてるだけじゃないのか」「逃げてるだけじゃないのか」って言われて、本人もよく分からなくなってくる。
PTSDの特徴として、傷を負うだけじゃなくて、そこに囚われ続ける「ナイトメア(悪夢)」という現象がしばしば起こります。休みたい、忘れたい、休息したい、オフにしたいのに思い出したくもない記憶が蘇る。映像があるし音もあるし、なんだったら匂いとか肌触りみたいなのを含めて、五感で強制的に脳内パソコンの全画面に再生される。何度クリックしても消えないみたいなバグり方というか。そんなのを寝てる時にやられたら休めませんよね。そして起きてる時は起きてる時で「フラッシュバック」があるという。
どんな傷を負ったのか本人も実はよく分かってない。曖昧な喪失(Ambiguous Loss)と言うのですが、何を失ったのかよく分からないけどすごく傷ついている。記憶のデータは残り続けて、ある瞬間にポッと出てきてしまう。とんでもない膨大な容量のフォルダが脳に残っててタイトル付けようがないし処理しきれないみたいな。
ーー 復興のハード面としては巨大な防波堤ができたりとか、高い場所に宅地ができたりとか、そういうことは10年である程度進んだ部分もあるんでしょうが、そういう人間の「心の空間」は治ってないっていうか、故障したままみたいなところはあるような気がします。
後藤:本当にそこは人それぞれですね。何かとさよならをして何かを失うって、痛みそのものなんですよ。問答無用の痛み。それは機械に例えたら故障とか機能不全に相当するのかもしれないけど、じゃあそういった人間の生々しい痛みや疼きがやがていつか「解決」して「完治」できるのかって言えば、それは正直わからない。そして自身でも「今この状態が復興しているか」と判断できるのかということもあると思っています。
例えば、すごくありがたいことに今でも福島にボランティアに来てくださる方がたくさんいるんですが、悪気なしに「(被災地に)現地入りしました」と書いているのを読んだ瞬間「自分はその『現地=被災地』と呼ばれる場所のアパートに住んでいるんだよな…」と複雑な思いをすることもあります。
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