“アフリ観LIFE”を送る人を紹介する連載企画《「奥 祐斉と考える - “アフリ観LIFE“ -」 僕たちは、きっとアフリカに救われる」》第3回目のゲストは、タンザニアで起業し、タンザニアの子供たちを応援するべく“生理用ナプキン工場長”となった菊池モアナさんです。Borderless Tanzania Limitedを設立し、その後、LUNA sanitary productsを立ち上げるなどパワフルに活躍の場を広げられています。
菊池 モアナ(Moana Kikuchi)
Borderless Tanzania Limited 代表取締役社長
タンザニアMIXの6歳の男の子と0歳の女の子を育てる二児の母。日本大学国際関係学部在籍中、トビタテ留学JAPANを活用し、イギリスとタンザニアに渡航。大学3年時に妊娠・出産、その後3年間シングルマザーを経験する。2020年に株式会社ボーダレス・ジャパンに新卒起業家入社し、再エネ供給事業、技能実習生向け日本語教育事業の立ち上げを経験。2021年にBorderless Tanzania Limitedを設立し、現事業LUNA sanitary productsを立ち上げ。生理用ナプキンの製造・販売および寄付と性教育の無償提供を行う。
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https://www.instagram.com/moana_kikuchi/?locale=ja_JP
奥 祐斉(Yusai Oku)
株式会社bona 代表取締役
108の国と地域を回った旅人。イベントやツアー企画、プロダクト開発、場づくりなどを通じて、人と人を繋ぐことを積極的に行う。東アフリカや西アフリカを中心に企画型の旅を提案する。日本国内においては、京都を中心に企画・募集型の旅を主宰。また、スパイスの輸入を行い、全てアフリカ産のスパイスにこだわった「アフリカコーラ」などのプロダクト開発も行う。かつて暮らしたアフリカで心が救われた経験から、日本にアフリカの多様で大らかな価値観を輸入すべく活動を続けている。趣味は、アフリカで坊主にすること。「坊主とアフロと」と題して、Pod castを展開していく予定。
株式会社bona
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奥 祐斉 Instagram
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国際協力の道へと繋がる、偉大なるゆとり教育
奥 祐斉:モアナさんとの最初の出会いは、ライブ配信でご一緒した時ですよね? 僕の中でのモアナさんの印象はとにかくしっかり者。年下なのに敬語で話したくなってしまう方でした。今は、いつの間にか普通に話せるようになりましたね(笑)
菊池モアナ:そうですね。それが1番最初でしたね。共通の知人を通じて知り合い、祐斉さんがスタートした企画のゲストに呼んでいただきましたね。
奥 祐斉:はい、トップバッターのゲストとして呼ばせていただきました。そこからずっと関係性が続いて、昨年6月にタンザニアを訪問した際に初めてリアルでお会いしましたよね。しっかりした人だなという印象は変わらないままですが、実際にお会いすると親近感があって、喋りやすい方だなと思いました。そして、FINDERSでもイベント告知をさせていただきましたが、その後もアフリカイベントでお世話になりました。130人を超えるアフリカ好きの人が集まってすごい熱気の渦でしたね!

奥 祐斉:タンザニアを拠点に活躍されているモアナさんですが、最初はイギリスに留学されていましたよね?そこからアフリカに行き着いた背景などを伺えますか?
菊池モアナ:はい。私は、いわゆるゆとり世代なんですが、ゆとり教育がいい影響を与えてくれたなと思っていて、中学の時の先生方が、平和学習にとても力を入れてくれていたんです。
例えば、まず地域を知って、日本を知って、世界にはどういう国があるのか、などを3年間を通して学んでいくというもので、生徒主体で授業を企画、運営するといった授業スタイルでした。「日本は平和なのか?」という問いに対して、平和だと思う側と平和ではないと思う側に別れてディベートをすることもありました。その他にも、困っていると思う国をピックアップして、それについて調べてプレゼンをしたり、本当に色々な授業を行っていました。最終的に、「今、自分たちに何ができるのかを考えてアクションしてみよう!」ということになったんですね。
奥 祐斉:後々まで記憶に残る、とても価値のありそうな内容の授業ですね。実際に、どのようなアクションをされたんですか?
菊池モアナ:中学3年生の時に、みんなでペットボトルのエコキャップを集めることに挑戦しました。800個集めると1人分のワクチンがアフリカの子どもたちに寄付できることを知り、100人分のワクチンを寄付する目標を立てました。ひたすら毎日集め続けて、結果的に154人分のワクチンに繋がるエコキャップを集めることができて、それが最初の成功体験となり、国際協力はこういう形でも参加できるんだと学ばせていただきました。
そこから、国際協力に興味を持つようになり、高校も国際教育に理解のある学校に通ったんですが、結局、ハンドボールが大好きになってしまい(笑)。ただ、ずっと海外に行きたい気持ちは持ち続けていました。
トビタテ!私。アフリカの光と陰を見てみたい

奥 祐斉:そこからどのようなきっかけがあり、どんな風に海外に関わって行くことになるんですか?
菊池モアナ:大学生になってから、留学について真剣に考えるようになりました。でも、お金もかかるし、奨学金を取るのもハードルが高いし、どうすれば行けるのかを考えていた時に、「トビタテ!留学JAPAN」という文部科学省と民間企業が連携して行う奨学金プログラムのことを知ったんです。情熱と実現可能性を証明できれば誰でも行けるというキャッチフレーズも魅力でした。
開発教育学という授業を受けた時に、子供が退学をしてしまう現状を知りました。でも、その教育こそが戦争や紛争などの争いを解決していくきっかけになるはずなのに、どうして子ども達は学校に行けないんだろうと疑問に思ったんですよね。その現状を自分の目で見てみたいと思いケニアに行くことを目標にしました。ケニアには東アフリカ最大のスラム街があるのに、ナイロビはとても栄えているし、その光と陰みたいなものを実際に見てみたいという興味がありました。ただ、当時の私は英語が全く喋れなかったんですよ。本当に中学卒業レベルもないぐらいの英語力でした。なので、英語を学ぶことを前提にイギリス留学を決めました。さらに、教育開発学がとても進んでいたり、開発系のことが学べるということも理由でした。マスタークラスの授業聴講をする感じでしたが、その時は国際協力についての知識も乏しかったので、とにかく難しかったです。そして、そこから、タンザニアに向かうことになりました。
奥 祐斉:ケニアではなく、なぜ、タンザニアに向かわれたのでしょう?
菊池モアナ:留学のタイミングがケニアの大統領選挙と重なってしまったんです。なので、何よりも1番命が大事という思いからケニア行きは諦めて、同じようなことが学べる似たような場所で検討しようと思ったんです。タンザニアは同じ言語を話す国ですし、大都市も貧困地域もあるのでケニアに似ていることが大きな理由でした。タンザニアの研究者の教授がたまたま同じ大学にいたので、その先生の元で学べたらというのもありましたね。
柔軟な私を育てた、あぁ、青春の幼稚園時代
奥 祐斉:なるほど。イギリスからタンザニアに向かうまでの経緯が理解できました。ちなみに、少し話は戻るんですが、ゆとり教育って小学校の時からでしたか?
菊池モアナ:そうですね。小学1年生の頃からです。
奥 祐斉:僕は、小学5年生の頃でした。急に土曜日が休みになって、ゆとり世代って言われるようになるんですけど、“ゆとり世代に無理やりなった世代”ですよね。でも、僕らの世代には、ゴルフで活躍する石川遼さんがいたり、誰もが知る大谷翔平さんがいたりするじゃないですか。石川遼さんを見ていても、“ファッション×ゴルフ”という印象で格好いいと思うんですよね。ゴルフファンが広がるきっかけを作ったとも思いますし。大谷翔平さんは、二刀流という新たなジャンルを生み出して、これまで無かったことに挑戦されていたり。何となく余白が生まれたのは、ゆとり教育のお陰なのかなと感じることがあります。あの時期に、日本も少しアフリカに歩み寄った感じもします。 より自由度が高い方へ、クリエイティブ系へ関心が寄っていく時代を僕たちは生きている感じがします。周りを見ていて、そう感じることはないですか?
菊池モアナ:私の中学校が特殊だったのかもしれないんですけど、当時からスポーツでプロっぽい立場で活躍しているような子が沢山いたり、面白いことをやっている子が多かったなと思います。確かに、なんかそういう人が増えた時代なのかもしれないですね。
奥 祐斉:僕の周りには、若い世代の子が多いんですけど、モアナさんもそうじゃないですか?インターンとして活躍している方たちもいますよね?アフリカに関わる人たちとか、アフリカの若い世代の人たちの感度ってどう感じていますか。
菊池モアナ:話が少しそれるんですけど、私が育った環境って本当に自由だったんですよね。不思議な幼稚園を出ているんですけど、自然教育をする、なんと言うか野生児を育てようみたいな感じの幼稚園で(笑)、週に3日は森に行っていました。本当に、幼稚園が青春時代だって思えるぐらい楽しくて、全部覚えているんですけど、何もないところから何かを作り出して遊びを作ったりするじゃないですか、おもちゃがないんで。それが今の柔軟性、考え方に直結してる気がします。アフリカの子供たちも同じだな思うんです。

奥 祐斉:自由な環境で、色んなことが身についたんですね。どうやったらモアナさんみたいな子が育つんだろうと思っているお母さん方も多い気がします。
菊池モアナ:そういえば、私が通っていた幼稚園のママさんたちに講演会をやってほしいと言っていただいてお邪魔したことがあるんですが、それを聞かれたりしました(笑)。
ポジティブな退学を自ら選ぶ子ども達!?

奥 祐斉:ちなみに、昔は、アジア、カンボジア、タイなどの地域で活動する人たちが多かったように思います。今でこそ「アフリカ」を向いている人たちが増えている印象があります。でも当時はきっと、まだまだ未開の地と思われているアフリカに行く勇気は、どのように養ったんですか?
菊池モアナ:そうですね。知らないことを知りたい気持ちは小さい時から強くて、好奇心からですね。でも、正直怖かったですよ。アフリカに行くとき、多分今のZ世代と言われる子たちよりは不安が大きかったと思います。今は、みんなあまり考えないで動いていて、危ないなと感じることもありますよ。私は、かなり石橋を叩く系女子なので(笑)。
奥 祐斉:そんなモアナさんですが、最終的にタンザニアにそのまま住むことになるじゃないですか。その辺の背景を教えていただけますか?
菊池モアナ:タンザニアでは、国際協力について学びたいというよりも、そこの文化を知りたいという気持ちの方が大きかったので、文化人類学的な視点で色々なことを教えていただくべく調査を行っていました。退学をしてしまった子どものお家に住みながら、子ども達が退学してしまう理由を調査したり。色んな子に出会いましたが、中には退学を自ら選んでいる子もいました。教育そのものに疑問を感じていて、自分でビジネスを勉強する方が最終的に生きていけるんじゃないかと考えている子もいました。なので、ポジティブに退学を選択している感じです。中には、体が不自由なために常に排泄物を垂れ流してしまう状態のため、学校に通いたくても行けない子もいました。
石橋を叩く系女子、大学生で愛する赤ちゃんを授かる
奥 祐斉:たくさんの子ども達に出会う中で、特に印象に残っている子はいますか?
菊池モアナ:そうですね、私がタンザニアで事業をするきっかけになった子ですかね。16歳の時に妊娠をしてしまい、とても優秀だったのに退学をせざるを得ない女の子がいました。話を聞いて衝撃ではあったんですが、その時には自分ごととして考えることはまだできなくて、お話を聞いた子たちの一人という感じでした。
ところが、日本に帰るタイミングで、私自身も妊娠していることがわかりました。アフリカの子供たちのことを考えている場合ではなく、自分自身がどうすればいいんだろうという状態になりました。
奥 祐斉:日本に帰国された後は、どうされていたんですか?
菊池モアナ:大学には通い続けたかったので、臨月までアルバイトをして、お金を貯めて、出産をして、卒論もやってとなかなかハードな日々を過ごしていましたね。


奥 祐斉:妊娠をした時って、周りから色々言われたりもしましたか?
菊池モアナ:もちろん、ありました。1番仲良しの子たちは、「応援する」と見守ってくれたんですけど、かなり仲のいい友達にも、「せっかく頑張って大学に行ったのに何してるの?もったいない」と言われたり、「生んだらもうお先真っ暗じゃん。大学はやめるの?」と言われたりもしましたね。もちろん、心配をした上で色々言ってくれていたとは思うんですけど。母は、私の意見を尊重してくれるタイプなんですけど、父は「崖っぷちに向かっていく娘を止めない親はいない」と愛のある猛反対でした。
奥 祐斉:そうなんですね。でも、ご家族やご友人も今は応援してくれているんじゃないですか?タンザニアに戻られてからのお話は、後編で伺っていきたいと思います。
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連載:「奥 祐斉と考える - “アフリ観LIFE“ -」 僕たちは、きっとアフリカに救われる
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