社会にインパクトを与える活動をしている若者たちをフィーチャーする連載「Z世代の挑戦者たち」。第5回には、ミュージシャンのたなかさんに登場いただいた。
2015年、17歳で高校3年生の時に「ぼくのりりっくのぼうよみ(以下、ぼくりり)」としてデビュー。4枚のアルバムを発表し大きな注目を集めるも、2019年1月をもってそのアーティスト活動を“辞職”。その後は「たなか」と改名し、香取慎吾や水溜りボンド、ヒプノシスマイクに楽曲提供するなど音楽プロデューサーとして実績を積み重ねる一方で、2020年にやきいも屋「たなかいも。」を始めるなど、常識にとらわれない幅広い活動を繰り広げてきた。
現在はバンド、Diosのフロントマンとして再び真っ向から音楽に取り組んでいる彼に、ぼくりりを辞めてから「たなか」としての約3年間で得たものについて、そして今どんな考えを持って音楽活動を行っているかについて、話を聞いた。
たなか (Vo.)
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98年生まれ。前職はぼくのりりっくのぼうよみ。
ぼくりりを辞職した現在はたなかとして、歌手活動のほか、楽曲制作・提供や feat.としての他アーティストの楽曲参加を行なっている。
音楽以外にも、文筆業やボルダリングにも取り組んでいる。また、やきいも屋を営み、わずか2ヶ月でやきいもを 1.5 トン売るなどの成果を残し、やきいも界でも注目を集める。
聞き手・構成・文:柴那典 写真:小田駿一
みんな平等だと心の底から実感するために「何者でもない自分」になった

—— まずお聞きしたいんですが、今のご自分の肩書きはどう設定してらっしゃいますか?
たなか:僕がこう言うと違和感がすごいですけど、今は一応、バンドマンですね。今はDiosというバンドをメインにやっているので。2019年まで「ぼくりり」をやっていて、そこから「たなか」になって、その後2年半くらいはふらふらしてたんですけれど、今はDiosを頑張ろうと思っています。
—— たしかに、仰るとおりたなかさんは一般的なイメージのバンドマンとは違いますよね。ぼくりりを辞めてから俳優をやったり、やきいも屋をやったり、趣味のボルダリングを活かしてウェブ広告に出演したり、いろんなことをやってきたわけで。
たなか:ホストもやったりしましたね。
—— その期間を総括すると、どういう時期だったんでしょうか?
たなか:世の中に慣れる時期みたいな感じですかね。ぼくりりを辞めることで、自分の中のマイナスをゼロにするという作業をやったので。ゼロになった世界を楽しむ練習みたいな感じでした。
—— 10代で華々しく世に出た自らの音楽活動を辞める、しかもラストライブを「葬式」と銘打ってその終わりをやり切るということは、他の人はあまりやってないことだと思うんです。終えた後はどういう気持ちでしたか?
たなか:長い映画を観終わって映画館を出る時の感じの延長線にある何かだったと思います。自分はもうぼくりりではないし、その時はたなかという次の活動名も決めてないので、本当に何者でもない自分がいた。それを得ようと思ってやったんですけれど、その感覚はやっぱり不思議でした。それまであまりにもぼくりりというのが自分自身とイコールだったので、それがなくなるというのが面白かったです。
—— おそらく20代前半では、ほとんどの人が自分のことを「何者でもない」と感じていると思うんです。一方、当時のたなかさんが感じた「何者でもない」は、それとは違う特殊な感覚だったのではないでしょうか。
たなか:そうですね。あまり一般的ではないですね。
—— その違いについて何か感じることはありますか?
たなか:同年代の他の人達を意識することはあまりないですけど、たとえば一緒にゲームをやってる友達は普通の大学院生として就活をしていて「エントリーシートが〜」とか「今日はソフトバンクの面接が〜」とか言っている。それはそれで楽しそうだなと思いますし、本人からしたら楽しくないかもしれないけど、羨ましい気持ちもあります。でも、本質的には何も違わないと思いますし、自分のことを特別だと思う感覚はないですね。
—— その一方で、落合陽一さんやSKY-HIさんのように、たなかさんの周辺には、行動力も発想も飛び抜けたものを持っている人も多いと思います。
たなか:そうですね。ただ、いろんな人がいるんですけど、やっぱり同じ人間だと思います。たとえば、社会的な、もしくは経済的なパワーがある、たとえば音楽ができるみたいに何らかの特殊技能があるというのも、言ってしまえばゲームの『スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ)』がめちゃめちゃ上手いというのと、本質的にはそんなに変わらない。そういう感覚を心の底から得るというのが、ぼくりりを辞める時の大きな目的のひとつだったので。
—— その「本質的には変わらない」ということの意味をもう少し噛み砕いてもらっていいですか?
たなか:「みんな平等だよ」って、よく言われるじゃないですか。命は等しい、孫正義もホームレスの方も何も違わないって。でも、みんなそれを口だけの綺麗事だと思っているんですよね。「そうだよね」と言いつつも、どこか納得していない。それはなぜかと言うと、そのことが正しいと思えないよう刷り込みをされてきているからだと思うんです。そのせいで、みんなが平等だということを心の底から信じられない。それが広く共有されている価値観だと思います。
自分もそういうところがあったんですけれど、それはダサいし、よくないと思った。だから、自分にとって価値があると刷り込まれてしまっている社会的な地位とか経済力とかを手放すことによって、その評価基準のゲームから降りようと思った。そうしてみたら、そういう基準で優れているというのも、単にスマブラが上手いとか、それと同じだけのことにすぎないと思えるようになった。「僕はマリオカートが上手いけど、彼はお金が稼ぐのが上手い」みたいに並列化できる。だから、僕は「みんな平等だ」というのを単なる綺麗事じゃなく、本当に正しいと思っているんです。そうやって自分の中に刷り込まれたものを心底関係ないと思うことって意外と難しくて。その練習でもあったと思います。
—— それを経て価値観が変わったという実感はありましたか?
たなか:そうですね。ぼくりりをやってた当時と比べると、それは全然違うと思います。
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自由を得たたなかが、Diosでアミューズに所属し再デビューした理由

—— ぼくりり当時と違い、たなかとして所属事務所を離れて活動するようになって、いろんな仕事依頼が直接入ってくるようになったわけですよね。
たなか:そうですね。いろんな人につないでいただいたことが多かったですけれど、窓口みたいに誰かが間に入ってくれているということはなかったです。
—— そのことによって、自分の考え方はどう変わりましたか?
たなか:規模はさておき、0が1になって、それが10になっていくのを自分でやってみるということが大事だなと思いました。ぼくりりの当時はライブのやり方もわからなかったんです。ハコを抑えて、リハーサルをして、当日に会場リハをして本番をやって、帰る。そうすればライブが成立するというのは頭ではわかるんですけど、自分で実際にやってみないと「ここは自分の手でできます」とか「ここはプロの方にお願いする方がいいよね」とか、そういうことが何もわからない。それをフラットに見られるようになったから、自分でやってみるのは大事でした。やきいも屋をやってみたのもそれと同じですね。
—— やきいも屋はどういう始まりだったんですか?
たなか:単純にトラックでやきいもを売りたかったんです。「たなかがトラックでやきいもを売ってたらウケるな」っていう、それだけですね。たまたまその時期に会った人が要らないフードトラックを持っていたんで、それを貰ったんです。ただ、コロナ禍になってしまったので、冷凍のアイスやきいもにしてオンラインで売った。だから、貰ったフードトラックはキービジュアルを撮るためだけに使われた豪華な小道具みたいになってしまったんですけど。
で、友達が一緒にやってくれたんですけど、いろんなことをやってみたことで、自分にとってブラックボックスだったものが明確になったんです。たとえば農家さんにどう発注するかとか、デザインはどういうものが必要かとか、飲食物を売る時にどんな資格がいるのかとか、そういういろんなことがわかった。飲食業がやれたら他のこともできるだろうなと思って、そういう意味の実績解除みたいなことを沢山してきた感じでした。
—— なるほど。半分は思いつきとノリだった。
たなか:まあ、ギャグですね。
—— でも、もう半分は、いろんなことに携わって、そこにどうやって価値が生まれているのかの手触りを得るためだった。
たなか:自分の手で触るということが大事でしたね。人をやってるのを見たりとか、本を読むだけではわからないことを、自分の手で行ってみるというのが面白いなと。
—— そうやっていろんなことをやりながら、いつかは音楽に戻ってくるという考えもあったんでしょうか。
たなか:そうですね。向いてるので、きっとやるだろうな、と。それで偶然ギターのIchika Nitoと会って、「やりましょう」みたいな感じだったので、そこにぼくりりの時からトラックを作ってもらっていたササノマリイを入れて、3人でDiosを結成しました。
—— Ichikaさんとの出会いはどんな感じだったんでしょう?
たなか:たなかを始めて3カ月ぐらいの時にIchikaに最初に出会ったんですね。元SuGの武瑠さんがやってるsleepyheadが共通の知人で、紹介してくれて。Twitterでやり取りしてたらアニソンのカバーライブを一緒にやることになって、そこから気付いたらバンドをやることになってた感じです。その時に石が転がり始めた直感みたいなものがあったので、「ぼくりりの次はこれなんだろうな」と思いました。その時はDiosという名前はなかったですけど。
—— その時はDiosという名前もなかったし、バンドかどうかも決まっていなかった?
たなか:バンドというのも自分で言い聞かせてるだけなので、別にこだわりもないんです。ただ、トラックメイカーを呼んで曲を作って歌ってるだけだと、ぼくりりと見た目が変わらないなと思って。1人が3人になったというのだけでもいいなと思っていたというのもあります。で、そこから1年くらいは温めてましたね。その間はたなかでうろちょろしてました。
—— Diosだけでなく、音楽プロデュースや楽曲提供のお仕事もされていましたよね。
たなか:そうですね。今も楽曲制作やプロデュース業の依頼を受け付けてます。Diosが全てになると仕事リソースが余っちゃうので。
—— プロデュース業は自らの音楽制作事務所cockpitを立ち上げて行っている一方で、Diosはアミューズという大きなマネジメント事務所に所属してのアーティスト活動になるわけですよね。そのあたりの考えと指針はどうでしょう?
たなか:大きいところでやる意味はあると思います。もちろんDiosも自分たちで小さく始めてもよかったんですけど「せっかくだし大きいタイアップほしいな」みたいな気持ちです。
―― アミューズさんからお話があったんですか?
たなか:それも共通の知人が繋いでくれて、話してたら「入りましょう」みたいな感じになりました。
―― そうやって大きな事務所に所属することと個人でやることの違い、メリットやデメリットはどんなところにありますか?
たなか:これも契約形態によるんですけど、単純に発生する対価の分配がまず違いますよね。一方で、大きい窓口があることによって仕事しやすいというのもあるかもしれないし、あとは不祥事を起こした時に守ってくれる後ろ盾になるみたいな話もあります(笑)。マネジメントをつけるという意味では、個人でマネージャーを雇うのと変わらないかもしれないですけれど、やっぱり論理の違いはあるのかなと思います。
—— 論理の違いというのは?
たなか:単純に周りの人が何のために動くのかみたいなところです。Diosはバンド単位で動くけど、会社に所属してる人は最終的にはその会社のために動かないといけない。予算も出してもらってるし、良くしてもらってるけれども、最終的には会社としての売上確保が大事になる。その違いはありますよね。ただ、そういう意味で、大きなところに所属してる安心感みたいなものは逆にあると思います。
—— Diosはバンドという集合体ですよね。なのでメンバーの間でも「Diosはこういうことを追求していくんだ」という、何かしらの音楽的な指針を共有していると思うんですが、それはどうでしょうか?
たなか:今はそれをみんなで探してるという感じがあるかもしれないです。三者三様に音楽を作れる人がわざわざ集まって作る以上、3人が個別でやることとは違う全く新しいものを作りたいという気持ちがある。もちろん出してる曲に自信はあるし面白いと思うんですけど、今はDiosのシグネチャーというか、「Diosとはなにか」というものを頑張って作ろうと模索している状態です。みんなが「何これ?」と思うくらい明らかに新しい何かを作りたいし、それができると思っているので。既存のマナーをぶち壊すようなことをやろうと頑張っている感じです。
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生き延びるために「複数の自分」を持ち「終わらせる練習」が必要な時代

—— ぼくりり辞職以降の約3年を振り返って、やりたいと思ったことのどれくらいを達成できたと思いますか?
たなか:やりたいと思ったことは、だいたいやってるはずです。やらなかったことは、そんなにやりたくなかったことなんだろうなという感じですね。というか、今の質問って、理想の自分がいて、そこにどれだけ近づけたかみたいな発想の質問ですよね。僕としては、そういう考え方というよりも自分が世界を味わう側であるという感覚が強いなと思います。理想をどれだけ実現できたかというのではなく、「今日も楽しかったな」みたいなことを繰り返すみたいな感じですね。
—— なるほど。それはコロンブスの卵的な発想ですね。そもそもこのサイトの「Z世代の挑戦者たち」という連載に登場する人は、基本的には理想の自分があって、目指すべきビジョンがあって、そこに向かって進んでいる人たちである。だから“挑戦者”なわけですけれど、たなかさんはそういう考え方ではないということですね。
たなか:そうですね。そのロジックで言うと別に挑戦者ではないです(笑)。
—— そういうことを言えるのが「たなか」と名乗ってきた活動の実績だと思うんですよね。ただそれを言ってるだけだと「この人は何を言ってるの?」みたいなことになるけど、この不思議な経歴があることによって説得力が生まれている。
たなか:そうですね。そういう転倒は最初から意識していたことではあります。
—— 今後もそういう価値観でいろんなことをやっていく感じなんでしょうか?
たなか:そうですね。最初はバンドに集中する気持ちでいたんですけど、時間が余るので、いろんなことやろうかなという気持ちではいます。
—— 何をやるかというのは決まってないわけですよね。やきいも屋をやった時と同じように、巡り合わせとタイミングで決まる。
たなか:あとはバイブスで(笑)。あまりに世界が開かれてますね。
—— そういう考え方になったことで、ぼくりりをやっていた頃よりも、楽になった感じはありますか?
たなか:そうですね。何事も練習が大事なので、自由に振る舞う練習をしてきたんだと思います。一本道のRPGみたいな世界観から、『Minecraft』とか『どうぶつの森』みたいな自由度の高い世界観にシフトした。そういうことを身体に馴染ませる必要があって、それがやっと終わった感じですね。
—— 同世代や下の世代も含めて、今言った「一本道のRPGみたいな世界観」を持っている人は沢山いると思うんです。でも途中で挫折する人も出てしまうし、成功したらしたで新しい悩みも出てくる。そんな人に、今のたなかさんの視点からはどういうアドバイスをしますか?
たなか:物差しが一本だとキツいと思うので、定期的にゼロから自分を始めるのが大事だと思います。そのためには誰も自分を知らない場所に行く。それは今のトレンドにも合ってると思うんです。
最近よく話題になるメタバースって、要するに複数の自分を持とうという話じゃないですか。「自分1」「自分2」みたいに、それぞれ複数の自分の時間を持つことによって、既存の自分から解放される。そういう意味で、今の時代はすごくやりやすいんじゃないかなと思います。
—— 自分をリセットして、新しいアカウントでゲームを始めるみたいなことがやりやすくなった。
たなか:そうですね。昔は物理的にそういうことができなかったけれど、今はSNSでアカウントを何個も作ることができる。例えば小説家の平野啓一郎さんが提唱している「分人主義」みたいなもので、Twitterを見てる時の自分とInstagramを見てる時とTikTokを見ている時の自分も違う。そういう風に複数の人格を沢山持つことが楽になったので、そういうことをする人が多いのは納得だし、そっちの方が健康だなと思います。一つの自分への依存性を高めない方がいいと思うので。
―― そっちの方が健康だというのは?
たなか:僕、エゴサーチって脳にとって危険な行為だと思うんです。他人が自分のことについてたくさんしゃべっている。しかも肉声は消えるけれど、ネット上の文言は名前と共に固定化されてアーカイブされていく。それって異常だなということを最近考えているんです。
前はどこかの誰かが言ってる悪口なんて可視化されなかったはずなんですけど、それが目に見える。それは人間にとっては自然に反する状態だと思うんですけど、もう生じてしまった変化であって、評価の可視化のない時代には戻れないじゃないですか。それに対抗する手段としての複数の自分が出てきているような流れがあるのかなと思います。
—— すごく興味深い話だと思うんですが、その上で、たなかさんはぼくりりということを黒歴史化してないですよね。ちゃんとプロフィールには“前職・ぼくりり”ということを公表している。ぼくりりも最後の方は炎上したり、いろいろなことがありましたが、それも踏まえて今の活動をしているわけですよね。
たなか:そうですね。むしろそれがやりたかったことなので。
—— 自分の活動を自分の意志で終えたということが、今おっしゃったような複数の人格をメタバース的に操れる時代においての自信になっている感覚があるんじゃないかと思います。
たなか:まさにそれですね。それはあります。終わらせることって難しいので。でも、複数の自分が存在すると、必然的にそのどれかを終わらせる必要が出てくる。ただ、それが終わっても依然として自分はいる。そういうことに慣れ親しんでおくことが今後大事になってくるんじゃないかなと思います。それは売れることと同じくらい大事な気がします。
—— どうしてそう思うのかを詳しく聞かせてもらえますか?
たなか:ずっと売れ続ける人っていないじゃないですか。好調不調の波が存在することを理解して受け入れるというのと、そもそも自分自身も変わっていく存在であるというのを理解して受け入れるという話ですね。何事においてもオプションがあった方がいい。「これを辞めたら死ぬ」という状況に追い込まれると本当に死んじゃうので、複数ある自分の人格の一つが沈んでいった時に、そこで自分自身のコントローラーも捨てちゃわないようにする練習が必要だという。生き延びることが大事な時代だと思うので、そのために終わらせる練習をした方がいい、という感じですかね。
—— ラストライブの「葬式」をしてぼくりりを辞めたというのも、そういうことだった。
たなか:そうです。でも、別にそれって、スタバでバイトしている人が辞めるのと、本質的にはあんまり変わらないんですよ。その人が“スタバの店員としての自分”を手放すということは、僕が“ぼくりりとしての自分”を手放すことは、本質としては変わらない。でも、あまりに自分の人生がぼくりりと融合してたので、ダイナミックな切り離しが必要だったという感じですね。バイトだったら普通に「辞めます」って言ったら辞められるけど、僕の場合はそうじゃなかったという感じでした。
—— なるほど。とても面白かったです。最後に、ぼくりりとして脚光を浴びていた頃の自分、もしくはそれに似た境遇にいる人に向けて、今のたなかさんがアドバイスするならどんな言葉をかけますか?
たなか:「平等である」と心の底から思える地平の方が面白い、ということですね。そういう視点を獲得できた、綺麗事を本当にそうだと思い込めた後の世界の方が楽しいと思います。
例えば、自分が今渋谷駅にいるとして、本当はそこからどの電車に乗ってもいいわけじゃないですか。でも前は「なんか山手線しか乗れない気がする」という感じがあった。でも、今は世界が開けている。どの電車に乗ってもいいし、なんなら電車に乗らなくてもいい。そういうことが心底わかった。そのほうが当然暮らしやすいし、今は楽しく暮らしています。そういう感じですね。