CULTURE | 2022/01/27

人気絶頂時にぼくりりを辞職。たなかは「20歳からのセカンドキャリア」をこう生き延びた【連載】Z世代の挑戦者たち(5)

社会にインパクトを与える活動をしている若者たちをフィーチャーする連載「Z世代の挑戦者たち」。第5回には、ミュージシャンの...

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自由を得たたなかが、Diosでアミューズに所属し再デビューした理由

—— ぼくりり当時と違い、たなかとして所属事務所を離れて活動するようになって、いろんな仕事依頼が直接入ってくるようになったわけですよね。

たなか:そうですね。いろんな人につないでいただいたことが多かったですけれど、窓口みたいに誰かが間に入ってくれているということはなかったです。

—— そのことによって、自分の考え方はどう変わりましたか?

たなか:規模はさておき、0が1になって、それが10になっていくのを自分でやってみるということが大事だなと思いました。ぼくりりの当時はライブのやり方もわからなかったんです。ハコを抑えて、リハーサルをして、当日に会場リハをして本番をやって、帰る。そうすればライブが成立するというのは頭ではわかるんですけど、自分で実際にやってみないと「ここは自分の手でできます」とか「ここはプロの方にお願いする方がいいよね」とか、そういうことが何もわからない。それをフラットに見られるようになったから、自分でやってみるのは大事でした。やきいも屋をやってみたのもそれと同じですね。

—— やきいも屋はどういう始まりだったんですか?

たなか:単純にトラックでやきいもを売りたかったんです。「たなかがトラックでやきいもを売ってたらウケるな」っていう、それだけですね。たまたまその時期に会った人が要らないフードトラックを持っていたんで、それを貰ったんです。ただ、コロナ禍になってしまったので、冷凍のアイスやきいもにしてオンラインで売った。だから、貰ったフードトラックはキービジュアルを撮るためだけに使われた豪華な小道具みたいになってしまったんですけど。

で、友達が一緒にやってくれたんですけど、いろんなことをやってみたことで、自分にとってブラックボックスだったものが明確になったんです。たとえば農家さんにどう発注するかとか、デザインはどういうものが必要かとか、飲食物を売る時にどんな資格がいるのかとか、そういういろんなことがわかった。飲食業がやれたら他のこともできるだろうなと思って、そういう意味の実績解除みたいなことを沢山してきた感じでした。

—— なるほど。半分は思いつきとノリだった。

たなか:まあ、ギャグですね。

—— でも、もう半分は、いろんなことに携わって、そこにどうやって価値が生まれているのかの手触りを得るためだった。

たなか:自分の手で触るということが大事でしたね。人をやってるのを見たりとか、本を読むだけではわからないことを、自分の手で行ってみるというのが面白いなと。

—— そうやっていろんなことをやりながら、いつかは音楽に戻ってくるという考えもあったんでしょうか。

たなか:そうですね。向いてるので、きっとやるだろうな、と。それで偶然ギターのIchika Nitoと会って、「やりましょう」みたいな感じだったので、そこにぼくりりの時からトラックを作ってもらっていたササノマリイを入れて、3人でDiosを結成しました。

—— Ichikaさんとの出会いはどんな感じだったんでしょう?

たなか:たなかを始めて3カ月ぐらいの時にIchikaに最初に出会ったんですね。元SuGの武瑠さんがやってるsleepyheadが共通の知人で、紹介してくれて。Twitterでやり取りしてたらアニソンのカバーライブを一緒にやることになって、そこから気付いたらバンドをやることになってた感じです。その時に石が転がり始めた直感みたいなものがあったので、「ぼくりりの次はこれなんだろうな」と思いました。その時はDiosという名前はなかったですけど。

—— その時はDiosという名前もなかったし、バンドかどうかも決まっていなかった?

たなか:バンドというのも自分で言い聞かせてるだけなので、別にこだわりもないんです。ただ、トラックメイカーを呼んで曲を作って歌ってるだけだと、ぼくりりと見た目が変わらないなと思って。1人が3人になったというのだけでもいいなと思っていたというのもあります。で、そこから1年くらいは温めてましたね。その間はたなかでうろちょろしてました。

—— Diosだけでなく、音楽プロデュースや楽曲提供のお仕事もされていましたよね。

たなか:そうですね。今も楽曲制作やプロデュース業の依頼を受け付けてます。Diosが全てになると仕事リソースが余っちゃうので。

—— プロデュース業は自らの音楽制作事務所cockpitを立ち上げて行っている一方で、Diosはアミューズという大きなマネジメント事務所に所属してのアーティスト活動になるわけですよね。そのあたりの考えと指針はどうでしょう?

たなか:大きいところでやる意味はあると思います。もちろんDiosも自分たちで小さく始めてもよかったんですけど「せっかくだし大きいタイアップほしいな」みたいな気持ちです。

―― アミューズさんからお話があったんですか?

たなか:それも共通の知人が繋いでくれて、話してたら「入りましょう」みたいな感じになりました。

―― そうやって大きな事務所に所属することと個人でやることの違い、メリットやデメリットはどんなところにありますか?

たなか:これも契約形態によるんですけど、単純に発生する対価の分配がまず違いますよね。一方で、大きい窓口があることによって仕事しやすいというのもあるかもしれないし、あとは不祥事を起こした時に守ってくれる後ろ盾になるみたいな話もあります(笑)。マネジメントをつけるという意味では、個人でマネージャーを雇うのと変わらないかもしれないですけれど、やっぱり論理の違いはあるのかなと思います。

—— 論理の違いというのは?

たなか:単純に周りの人が何のために動くのかみたいなところです。Diosはバンド単位で動くけど、会社に所属してる人は最終的にはその会社のために動かないといけない。予算も出してもらってるし、良くしてもらってるけれども、最終的には会社としての売上確保が大事になる。その違いはありますよね。ただ、そういう意味で、大きなところに所属してる安心感みたいなものは逆にあると思います。

—— Diosはバンドという集合体ですよね。なのでメンバーの間でも「Diosはこういうことを追求していくんだ」という、何かしらの音楽的な指針を共有していると思うんですが、それはどうでしょうか?

たなか:今はそれをみんなで探してるという感じがあるかもしれないです。三者三様に音楽を作れる人がわざわざ集まって作る以上、3人が個別でやることとは違う全く新しいものを作りたいという気持ちがある。もちろん出してる曲に自信はあるし面白いと思うんですけど、今はDiosのシグネチャーというか、「Diosとはなにか」というものを頑張って作ろうと模索している状態です。みんなが「何これ?」と思うくらい明らかに新しい何かを作りたいし、それができると思っているので。既存のマナーをぶち壊すようなことをやろうと頑張っている感じです。

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