CULTURE | 2022/01/27

人気絶頂時にぼくりりを辞職。たなかは「20歳からのセカンドキャリア」をこう生き延びた【連載】Z世代の挑戦者たち(5)

社会にインパクトを与える活動をしている若者たちをフィーチャーする連載「Z世代の挑戦者たち」。第5回には、ミュージシャンの...

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生き延びるために「複数の自分」を持ち「終わらせる練習」が必要な時代

—— ぼくりり辞職以降の約3年を振り返って、やりたいと思ったことのどれくらいを達成できたと思いますか?

たなか:やりたいと思ったことは、だいたいやってるはずです。やらなかったことは、そんなにやりたくなかったことなんだろうなという感じですね。というか、今の質問って、理想の自分がいて、そこにどれだけ近づけたかみたいな発想の質問ですよね。僕としては、そういう考え方というよりも自分が世界を味わう側であるという感覚が強いなと思います。理想をどれだけ実現できたかというのではなく、「今日も楽しかったな」みたいなことを繰り返すみたいな感じですね。

—— なるほど。それはコロンブスの卵的な発想ですね。そもそもこのサイトの「Z世代の挑戦者たち」という連載に登場する人は、基本的には理想の自分があって、目指すべきビジョンがあって、そこに向かって進んでいる人たちである。だから“挑戦者”なわけですけれど、たなかさんはそういう考え方ではないということですね。

たなか:そうですね。そのロジックで言うと別に挑戦者ではないです(笑)。

—— そういうことを言えるのが「たなか」と名乗ってきた活動の実績だと思うんですよね。ただそれを言ってるだけだと「この人は何を言ってるの?」みたいなことになるけど、この不思議な経歴があることによって説得力が生まれている。

たなか:そうですね。そういう転倒は最初から意識していたことではあります。

—— 今後もそういう価値観でいろんなことをやっていく感じなんでしょうか?

たなか:そうですね。最初はバンドに集中する気持ちでいたんですけど、時間が余るので、いろんなことやろうかなという気持ちではいます。

—— 何をやるかというのは決まってないわけですよね。やきいも屋をやった時と同じように、巡り合わせとタイミングで決まる。

たなか:あとはバイブスで(笑)。あまりに世界が開かれてますね。

—— そういう考え方になったことで、ぼくりりをやっていた頃よりも、楽になった感じはありますか?

たなか:そうですね。何事も練習が大事なので、自由に振る舞う練習をしてきたんだと思います。一本道のRPGみたいな世界観から、『Minecraft』とか『どうぶつの森』みたいな自由度の高い世界観にシフトした。そういうことを身体に馴染ませる必要があって、それがやっと終わった感じですね。

—— 同世代や下の世代も含めて、今言った「一本道のRPGみたいな世界観」を持っている人は沢山いると思うんです。でも途中で挫折する人も出てしまうし、成功したらしたで新しい悩みも出てくる。そんな人に、今のたなかさんの視点からはどういうアドバイスをしますか?

たなか:物差しが一本だとキツいと思うので、定期的にゼロから自分を始めるのが大事だと思います。そのためには誰も自分を知らない場所に行く。それは今のトレンドにも合ってると思うんです。

最近よく話題になるメタバースって、要するに複数の自分を持とうという話じゃないですか。「自分1」「自分2」みたいに、それぞれ複数の自分の時間を持つことによって、既存の自分から解放される。そういう意味で、今の時代はすごくやりやすいんじゃないかなと思います。

—— 自分をリセットして、新しいアカウントでゲームを始めるみたいなことがやりやすくなった。

たなか:そうですね。昔は物理的にそういうことができなかったけれど、今はSNSでアカウントを何個も作ることができる。例えば小説家の平野啓一郎さんが提唱している「分人主義」みたいなもので、Twitterを見てる時の自分とInstagramを見てる時とTikTokを見ている時の自分も違う。そういう風に複数の人格を沢山持つことが楽になったので、そういうことをする人が多いのは納得だし、そっちの方が健康だなと思います。一つの自分への依存性を高めない方がいいと思うので。

―― そっちの方が健康だというのは?

たなか:僕、エゴサーチって脳にとって危険な行為だと思うんです。他人が自分のことについてたくさんしゃべっている。しかも肉声は消えるけれど、ネット上の文言は名前と共に固定化されてアーカイブされていく。それって異常だなということを最近考えているんです。

前はどこかの誰かが言ってる悪口なんて可視化されなかったはずなんですけど、それが目に見える。それは人間にとっては自然に反する状態だと思うんですけど、もう生じてしまった変化であって、評価の可視化のない時代には戻れないじゃないですか。それに対抗する手段としての複数の自分が出てきているような流れがあるのかなと思います。

—— すごく興味深い話だと思うんですが、その上で、たなかさんはぼくりりということを黒歴史化してないですよね。ちゃんとプロフィールには“前職・ぼくりり”ということを公表している。ぼくりりも最後の方は炎上したり、いろいろなことがありましたが、それも踏まえて今の活動をしているわけですよね。

たなか:そうですね。むしろそれがやりたかったことなので。

—— 自分の活動を自分の意志で終えたということが、今おっしゃったような複数の人格をメタバース的に操れる時代においての自信になっている感覚があるんじゃないかと思います。

たなか:まさにそれですね。それはあります。終わらせることって難しいので。でも、複数の自分が存在すると、必然的にそのどれかを終わらせる必要が出てくる。ただ、それが終わっても依然として自分はいる。そういうことに慣れ親しんでおくことが今後大事になってくるんじゃないかなと思います。それは売れることと同じくらい大事な気がします。

—— どうしてそう思うのかを詳しく聞かせてもらえますか?

たなか:ずっと売れ続ける人っていないじゃないですか。好調不調の波が存在することを理解して受け入れるというのと、そもそも自分自身も変わっていく存在であるというのを理解して受け入れるという話ですね。何事においてもオプションがあった方がいい。「これを辞めたら死ぬ」という状況に追い込まれると本当に死んじゃうので、複数ある自分の人格の一つが沈んでいった時に、そこで自分自身のコントローラーも捨てちゃわないようにする練習が必要だという。生き延びることが大事な時代だと思うので、そのために終わらせる練習をした方がいい、という感じですかね。

—— ラストライブの「葬式」をしてぼくりりを辞めたというのも、そういうことだった。

たなか:そうです。でも、別にそれって、スタバでバイトしている人が辞めるのと、本質的にはあんまり変わらないんですよ。その人が“スタバの店員としての自分”を手放すということは、僕が“ぼくりりとしての自分”を手放すことは、本質としては変わらない。でも、あまりに自分の人生がぼくりりと融合してたので、ダイナミックな切り離しが必要だったという感じですね。バイトだったら普通に「辞めます」って言ったら辞められるけど、僕の場合はそうじゃなかったという感じでした。

—— なるほど。とても面白かったです。最後に、ぼくりりとして脚光を浴びていた頃の自分、もしくはそれに似た境遇にいる人に向けて、今のたなかさんがアドバイスするならどんな言葉をかけますか?

たなか:「平等である」と心の底から思える地平の方が面白い、ということですね。そういう視点を獲得できた、綺麗事を本当にそうだと思い込めた後の世界の方が楽しいと思います。

例えば、自分が今渋谷駅にいるとして、本当はそこからどの電車に乗ってもいいわけじゃないですか。でも前は「なんか山手線しか乗れない気がする」という感じがあった。でも、今は世界が開けている。どの電車に乗ってもいいし、なんなら電車に乗らなくてもいい。そういうことが心底わかった。そのほうが当然暮らしやすいし、今は楽しく暮らしています。そういう感じですね。


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