CULTURE | 2021/12/01

バズワードとなるメタバースに生じた「3つの誤解」。時制と媒体、そして正統性への課題点【連載】ゲームジャーナル・クロッシング(10)

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いま、メタバースが熱い。しかし同時に、あまりにも抽象的かつ過激に報道されすぎている...

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いま、メタバースが熱い。しかし同時に、あまりにも抽象的かつ過激に報道されすぎている気がする。

特にメディアの報道を見れば、何となく「アニメや小説で描かれたように、仮想現実が住処となるシンギュラリティだが、近いうちに到来する未来で、大企業がすでに動き始めている……」など、果たして実現可能性はどれほどあるのか、その未来は本当に明るいものなのかなど、具体的かつ客観的な視点が欠けていると言わざるを得ない。

ビデオゲーム業界で各社に取材する筆者にとって、メタバースは現実的なコンセプトであり、すでに実現さえしているものである。しかしその道は細く、また険しいものだと考えている。よってここで論じたいのは、メタバースの(不透明な)未来より、メタバースの現在から地続きの未来、冷静かつ現実的な目線でメタバースがどう育ち、成功していくのか、そしてそれらは人類を幸福にしうるのかという議論である。

まずメタバースとは何なのか。ありふれた疑問だが整理しておこう。

メタバースとは複合現実(MR)を前提に、アバター、オンラインコミュニティ、インタラクティビティがグローバルに混ざる宇宙である。メタバースの名前は、小説家ニール・スティーヴンスンが1992年に発表した『スノウ・クラッシュ』が初出だ。この空想の産物が、近年ではVRデバイスや5Gなどテクノロジーの進歩、またコロナ禍で加速したオンラインコミュニティへの依存、不可避のグローバル化によって実現可能な概念となり、特に今年11月FacebookがMetaに社名を変更したことで「来たるべき未来」として注目され始めた。

世界トップクラスの時価総額を誇るFacebookの参入、ブロックチェーンやビッグデータなどテクノロジーの著しい進歩、さらにここ数年で公開された映画『レディ・プレイヤー1』や『竜とそばかすの姫』などフィクション作品から想像しやすいこともあり、メタバースは確かに「すぐにでも実現する未来」かのように捉えやすい。

しかし、そもそもこの「近い未来に実現するだろう」という距離感こそメタバースに対する最初の誤解だ。

Jini

ゲームジャーナリスト

はてなブログ「ゲーマー日日新聞」やnote「ゲームゼミ」を中心に、カルチャー視点からビデオゲームを読み解く批評を展開。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」準レギュラー、2020年5月に著書『好きなものを「推す」だけ。』(KADOKAWA)を上梓。

メタバースの誤解①:メタバースは「現在」と「はるか未来」に断絶している

まず、メタバースはコンテンツとして既に実現している。

「Unreal Engine」などゲームエンジンで有名なEpic Gamesは2017年に『フォートナイト』を展開し、バトルロワイヤルゲームでありながらユーザー同士のクリエイティブな交流、またマシュメロやトラヴィス・スコットの公演をゲーム上で行うなど、ゲームの定義を超えたオンラインコミュニティの構築に取り組んできた。Epic GamesのCEO、ティム・スウィニーは長年、現実的なサービスでもってメタバースの成立に努力した。

それより以前、直接「メタバース」と言語化されたわけではないが、アバターを介してオンラインコミュニティを築き、経済活動をリアルタイムに行う……実はこうしたメタバース的なコンセプトは1997年『Ultima Online』が実現していた。

その後に登場した『ファイナルファンタジーXI』『Worlds of Warcraft』『EVE Online』などのMMORPGは、意図的にゲーム側でユーザーの行動に制約や指針を与える点で完全なメタバースとみなすか意見が分かれるものの、少なからずユーザーが仮想空間上で「生活する」という体験は実現されていた。つまりメタバースは、ほぼ「未来」どころか「現在」で実現できていたのである。

では、これらMMORPG等オンラインゲームで実現できず、また「はるか未来」のメタバースに期待されている機能とは何だろうか?元スクウェア・エニックス代表取締役の和田洋一氏は、自身のnote『メタバース: As content, as a platform, as media』にて興味深い言及をしている。

「現在は、ネットPCという旧メディアが着地し、次のメディアである環境コンピュータを模索し始めたタイミングにある。まだ試行錯誤の初期段階であり、当分の間、振動が激しい。(中略)

メタバースは、コンテンツとしてどれかが成功し、プラットフォームに発展していく中で、新メディアとの折り合いをつけ始める or 共振してメディアの形成に寄与していくかもしれない。」

ここで注目すべき点は、メタバースをコンテンツの変化ではなく、メディアの変化から理解しようという試みだ。重要なのは次世代のメディア、つまりXR、AI、IoT、5G、クラウド、ブロックチェーンなどで構成される「環境コンピュータ」が新たに登場し、これらメディアの変化に伴って登場する新たなコンテンツ(ゲーム)、いわばポスト・テレビゲームの一部をメタバースが担うという順序なのである(かなり省略したものであり、詳細は和田氏の認識からズレたものかもしれない)。

※編註:和田洋一氏が提唱する「環境コンピュータ」とは、現在パーソナルコンピュータに搭載されたさまざまな機能がIoTなどを通じアンバンドルされ、総体としてインターネットに接続することで、社会、生活の中に偏在する状態を指している。"定義を試みても、冗長になる割には確かな中身は示せない"としながらも、「Society 5.0」やメディアアーティストの落合陽一氏が提唱する「デジタルネイチャー」といった概念と同じようなものと理解して問題ないとしている。詳しくは和田氏のnoteを参照してほしい。

この和田氏のメタバース論においては、むしろメタバースは「近未来」ではなく「はるか未来」の技術だと感じる。既存のテクノロジーの延長ではなく、Unityの中嶋氏も指摘したように、自動車産業における「100年に1度の革命」が今、私たちを取り巻くメディア全てで起こるという前提で論じられているからだ。

そしてこの点において、確かに『Ultima Online』も『フォートナイト』もメタバースの全てだとは言い切れない。そのメディアはゲームハードやPC、つまり既存のメタバースに変わりはなく、これからのコンテンツに直接触れるメディアはXR、そしてXRに繋がれた無数の環境コンピュータによって実現しうると想定されるからだ。

旧Facebookが先んじてVRヘッドマウントディスプレイを製造するOculusを買収した理由も、コンテンツだけではなくメディアから押さえる必要性を考えていたためだろう。

メタバースに対する誤解②:コンテンツは畑から生えてくるわけではない

メタバースは主に「現在」と「はるか未来」に分けられるとここまで述べた。もっとも「はるか未来」のメタバースはメディア全体での変化を待つ必要があるため、まだ時間がかかるものと想定しよう。では「現在」のメタバースは「はるか未来」までに何を用意し、何を注視するべきなのだろうか。

メタバースをコンテンツで見た時、真っ先に検討すべき課題がコストである。

何故なら、メタバースは仮想空間上にて人間がただ「遊ぶ」とか「働く」だけではなくこれらを含めて「生活する」ことも想定した上で、そのインタラクティブに耐えうるだけの解像度を維持する必要がある。つまり、狭い空間、粗いテクスチャのままではユーザーはその仮想空間に人生を委ねるはずもなく、ユーザーの夢を覚まさないだけの説得力がコンテンツに問われる。当然、それだけのコンテンツを作るには、膨大なコストがかかるわけだ。

メタバースの実現が難しいと(主にゲーム関係者やゲームファンが)考える理由もここにある。特に現代は可処分時間の争奪戦と呼ばれるほどのコンテンツ飽和時代にあり、どのコンテンツも質・量ともに過剰なまでに供給がなければすぐトレンドから外れる。ビデオゲーム産業はこの時代において数々のエンタメを抑え、2020年には1749億ドル規模まで成長したが、その一方で元PlayStation会長のショーン・レイデンが「PS5時代のゲーム開発には2億ドル以上かかる」と論じるなど、ゲーム開発費の高騰もまた問題になっている。

では「現在」のメタバース的なコンテンツは、いかにしてこのコスト問題と向き合っているのだろうか。これには大きく分けて3パターン存在すると考えている。

・熟練のディベロッパーによる限定的なハイクオリティコンテンツ(PGC = Professionally Generated Contents中心)
例:GTA Online、ファイナルファンタジーXIV、あつまれ どうぶつの森、他

最初に紹介したい作品群は、従来のゲーム産業の延長線上で、プロのディベロッパーが上質なコンテンツを作っていく手法で成立した作品だ。任天堂『あつまれ どうぶつの森』は売上3000万本を記録した上、パンデミック下でのコミュニケーションツールとしても注目されたし、『GTA Online』や『ファイナルファンタジーXIV』は一貫して10年近く運営されるなど、広義のメタバース文化の根幹を担っている。

これらをメタバースに加えることに怪訝な顔をする識者もいるかもしれないが、そもそもゲームとメタバースの差異自体が曖昧なもので、事実、和田氏も“本質に迫るためには、ゲーム論を拡張するのが最も効率的”と論じている。よって、これらは既存のコンテンツ(ビデオゲーム)の延長線上で巨大化・普遍化したもの(PGC)にすぎないが、メタバースとして数えることにした

では、これらが既存のゲームと異なる点、メタバース的な点はどこにあるかといえば、コンテンツとして用意された仮想空間が、2チームに分かれて勝敗を競うとか、あるドラゴンを無事に討伐するなどの「明確な目的」に限らず、普遍的なコミュニケーションやコミュニティのためにも設計されている点が挙げられる。

例えば『ファイナルファンタジーXIV』は、世界の存亡をかけたメインストーリーが大筋に用意されているものの、プレイヤー同士で麻雀(ドマ式)を楽しんだり、土地を所有して自分だけの居住空間を設けたり、他プレイヤーと婚姻関係を結ぶ(エターナルバンド)など、従来的なビデオゲームと普遍的なコミュニケーションそれぞれを両立している。

また『GTA Online』でも極めて高度に築かれたアメリカ西海岸風のオープンワールド内に、強盗や縄張り争い、レース、酒場でダーツからストリップクラブまで多様なコンテンツが用意されている。したがってユーザーが何百、何千時間と仮想空間の中で、特に目的を持たずブラブラと過ごすメタバースの原風景的な状況は珍しくない。

ただし、複数の目的を前提とした巨大な同時接続型コンテンツを、ほとんど公式ディベロッパーのみで開発する以上、当然開発規模は極めて大きくなる。さらに長期間にわたってアップデートをかけるため、最も高コストなものであるのは違いない。同時に、これらの作品は高い品質を維持し、この流行り廃りの激しい業界において長く愛され続けている。

・ユーザーの自主的な創作に委ねたコンテンツ(UGC = User Generated Contents中心)
例:Roblox、VRChat、Cluster、他

一方、昨今のメタバースの主流はユーザーによる自主的なコンテンツ創作、いわゆるUGCに移りつつある。

特にゲームの中でユーザーが好きにゲームを作り、公開し、遊べる『Roblox』はパンデミック下で大きく成長し、今年8月には時価総額が500億ドルを超えるなど大きな成長を見せている。またVRChatやClusterはユーザーがそれぞれ自分のワールドやアバターを自主的に制作し実装できる。VRデバイスの相性の良さからも将来的な注目が集まる。

こちらは上記のPGC系メタバースと比べて圧倒的に初期投資が少なくて済み、維持費も比較的安いため、意欲的なスタートアップでも参入できる点も大きい。上記のUGC系メタバースが注目を浴びたのも数年内のことであり、今後特にブロックチェーンを介した経済機能を拡張した新作の登場なども期待される(一方この経済機能は議論の的であり、Robloxが収益化を可能にしたところ、約75%という手数料が「児童搾取」と問題視された)。

・PGCとUGCの折衷
例:Minecraft(Java版)、フォートナイト他

もう一つ注目したいのが、プロのディベロッパーによるコンテンツ供給とユーザーの自主的なコンテンツ創作を両立した作品だ。厳密にはどのメタバースもPGCとUGCどちらの機能を少なからず持っているが、その「塩梅」が特に半々に近いものをここに置く。

2011年に正式版がリリースされたMinecraftは「ブロックで出来た世界の中で好きなように冒険し、創造する」という作品であり、ゲーム内に用意されたコンテンツをどう工夫し、自分だけのコンテンツに変えていくのかという過程を楽しむ。UGCとPGCの境界が最もフレックスな作品であり、そこから派生し、サーバーごとにまったく違うルールが採用されるなど、ほとんど開発陣も予期できない形で無数に進化を遂げた。

また特にこれらのコンテンツはYouTubeの動画やTwitchの配信など、ユーザーによる二次的なコンテンツ創作と非常に相性が良く、事実これら二次コンテンツによって作品が広まっていった背景がある。それらメディアとの複合的な相性も考慮すれば、メタバースの主流はやはりプロとアマチュアの両輪によるコンテンツ製造にあるのかもしれない。

次ページ:メタバースへの誤解③:メタバースが善意と慈愛によって運営されるとは限らない

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