NFTとの接近がゲームにもたらす問題点
このように『Diablo 3』にせよ、『Counter Strike: Global Offensive』にせよ、ユーザー間でゲーム上のデータをリアルマネーで取引してきた歴史は(NFTそのものではないが)「NFT x ゲーム」の可能性を改めて確信する一つの根拠となりえるだろう。
しかしこれらは厳密にはNFTではない。これまで存在したゲームアイテムを売買する文化と、NFT文化はどう異なるのだろうか。
まず、『Diablo 3』の市場を作るのは、そのゲームを開発・運営するBlizzardだ。「オークションハウス」内で取引されるアイテムは全て運営するBlizzardが作り、調整を行う。従って、Blizzardは故意に強いアイテムを弱くしたり、アイテムの価値を操作することができるし、Blizzard次第では市場が、ひいてはユーザーの持つ財産の価値が一瞬で喪失することもありうる。
そしてこの懸念は現実のものとなった。『Diablo 3』の「オークションハウス」はサービス開始から2年と経たずユーザーからの批判により閉鎖されたのだ。当初、本作のディレクターだったJay Wilsonは「オークションハウスがゲームに深刻な被害を与えた」と認め、渋々ながらオークションハウスが失敗であり、今のユーザーへの経済的なダメージを考慮しても閉鎖せざるをえなかったことを明らかにしている。
すでにゲーマーの方は察しているかと思うが、事実、このオークションハウスはゲームバランスに致命的な悪影響を及ぼしていた。他の多くのオンラインゲームと同じく、『Diablo 3』は敵を倒し、成長し、装備を集め、より強い敵に挑み続ける「ハック&スラッシュ」という形式に基づく作品だ。しかしオークションハウスを使えば、「装備を集め」る、段階まで一気にスキップできてしまい、シリーズを通じた「ハック&スラッシュ」の本質を否定することになる。
だが、何よりユーザーの怒りを買ったのは、「現金でゲームデータを買う行為」が、ゲームの純真さを穢していたからではないだろうか。本稿の冒頭にあるように、わたしが「ロビン」と名付けたキラーマシンと出会う過程を鮮明に覚えているのは、まさにそれがゲームの中だけで完結する価値だったからこそだ。仮に1000円払ってキラーマシンを手に入れても、あの感動は絶対に手に入れられないだろう。ゲームデータは「売れない」からこそ、同時に、どんな値段でも計れない価値、使い古された表現で「プライスレス」と認めずにいられない価値がそこにあるのだ。
この「怒り」の正体をより学術的に検討すると、ビデオゲームの根幹にある「遊び」はそれ自体が目的であるとする考え、ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』でいう「(遊び)はどんな物質的利害関係とも結び. つかず,それから何の利得も齎されることはない」のような「遊び」が持つ「自己目的的な性質」にそぐわないからと説明できる。
(もっともこの「遊び」の定義は様々あり、さらには「遊び」「ゲーム」「ビデオゲーム」はそれぞれ異なる概念のため、一概に論じられない)
一方、もう一つ紹介した『Counter Strike: Global Offensive』の「Steam Community Market」については今もユーザーに親しまれている。これは販売されるSkinがゲーム上の競技に一切関与しないためだろう。逆に言えば、ゲームの根幹にリアルマネーが関わることの懸念を、予め踏まえて一歩引いた判断がうかがえる。
これに対し、NFTゲームアイテムは運営企業によって価値を失ったり、変えられることは原則ない。何故なら、NFTの価値を担保するのは無数のブロックチェーンであり、その偽造や複製は不可能だからだ。また嬉しいことに、多くのオンラインゲームを悩ませるチート(データの不正改竄)も難しくなる。
しかし、肝心の「ゲームにおける価値体系の純真さが侵される」という点は、NFTでも変わらないどころか、むしろ不特定多数がその値札からアイテムの価値を察する上で、最悪の形で露呈する。単純に考えれば、クリエイターたちが作るゲームの世界観が定義する「価値」は、全世界で共有する経済が生み出す「価値」の前ではあまりに心許ない。つまり、キラーマシンは1000円だか、10000円だかの値札によって価値が認識され、モノアイがかっこいいだとか、2連撃が強いだとか、そういうゲームをプレイした人間で共有する価値は失われるのではないかと危惧される。
もちろん、これは一面的な懸念だ。自動車、服、時計、アートなどの趣味においては、既に市場に基づいた客観的価値から投機的な側面も見いだされており、趣味を「財産」と見るか「遊具」と見るか、あるいは両方の価値を見出すかは人それぞれだ。
もう一つ懸念すべき点として、NFTが用いるブロックチェーンが、その高い匿名性ゆえにマネーロンダリングなど犯罪の温床になりやすく、ひいてはゲームが犯罪に利用される可能性もある。金融庁によれば2013年から2016年まで、ミキシングサービス(複数の取引データを混ぜ合わせることで、取り引きにおける匿名性を守るサービス)に入金されるビットコインの約1/4~1/3が犯罪に紐づくものであったと報告されている。香川県のネット・ゲーム依存症対策条例のように、未だゲームの危険性が世間的に懸念される中、ゲームを通じて犯罪組織に資金提供があったなどと報道されれば、その責任はゲーム業界全体に問われかねない。
どうあれ、経済的な展望から、NFTとゲームは今後ますます接近していくものと考えられる。そもそも、既存のNFTゲームはどれもスタートアップで規模も小さく、ゲームそれ自体としては精彩に欠ける。そのためか、日本語圏ではゲームコミュニティやゲームメディアではNFTゲームの話題はあまり取り扱われないようで、今NFTゲームに注目する人の多くは、ゲーマーより投資家だ。
つまりこれは、既存のゲーム企業が参入する大きなチャンスであり、実際に「ゲームのNFT化」に向け、大手ゲーム企業が動き始めている。
『アサシンクリード』や『レインボーシックス』で有名なフランスのUbisoftは、「Ubisoft Startup Program」を通じて6社以上のNFTに関連するスタートアップの支援をしているし、2021年6月には日本からもスクウェア・エニックスがLINE社の「LINE Blockchain」を用いた『資産性ミリオンアーサー』を発表している。小規模で作るインディーゲーム文化においても、ScopeNextの『Dimension Reign』がラフ画をNFTとして販売する事例があった。
NFTとゲーム、今後両者が接近していくのは、これまで述べてきた数々の先行事例、今発展中のスタートアップ、そして共通するデジタル的な特徴からも明らかだろう。一方、NFTを導入することでゲームの文化が変化・消失したり、犯罪など新たな脅威に晒される懸念も考慮したい。