CULTURE | 2023/07/28

情熱大陸にも出演 世界的に注目される「ゲームクリエイター 吉田直樹」とは何者か

今、日本で特に注目されるゲームクリエイターが存在する。その名前は吉田直樹。スクウェア・エニックス所属のゲームクリエイター...

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今、日本で特に注目されるゲームクリエイターが存在する。その名前は吉田直樹。スクウェア・エニックス所属のゲームクリエイターにして、正式には取締役兼開発担当執行役員兼第三開発事業本部事業本部長である。

吉田は『ファイナルファンタジーXIV』(以下、FF14)のプロデューサー兼ディレクターであり、6月22日に発売されたばかりの『ファイナルファンタジーXVI』(以下、FF16)のプロデューサーも務めるなど、人気RPG「ファイナルファンタジー」シリーズの開発の陣頭指揮に立ちながら、7月23日に放送された「情熱大陸」に出演したほか、昨年は「しくじり先生 俺みたいになるな!!」にも出演。雑誌やラジオなど、日本のゲーム開発者として異例というほど露出が多い(なお、情熱大陸はTVerにて7月30日23時12分まで見逃し放送を配信中)。

ゲームを日常的にプレイするゲーマーであれば、もはや吉田の名前を知らない者はあまりいないだろう。一方でゲームに興味がない人にとっては名前だけ知っているが実際にどんな人なのかはわからない、という人もいるだろう。そこで今回、一体吉田直樹とはどんなゲームクリエイターなのか、彼の様々な実績や発言を辿りながら、「情熱大陸」では映らなかった彼の本当の表情に迫りたい。

【連載】ゲームジャーナル・クロッシング(26)

Jini

ゲームジャーナリスト

note「ゲームゼミ」を中心に、カルチャー視点からビデオゲームを読み解く批評を展開。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」準レギュラー、2020年5月に著書『好きなものを「推す」だけ。』(KADOKAWA)を上梓。
ゲームゼミ

北海道から始まった「リベンジ」の機会

吉田直樹氏「 『FINAL FANTASY XVI』- State of Play 4K │PS5 Games」より

吉田は1973年、北海道の札幌に生まれた。今年で50歳になる。なお1歳年下の開発者に、TIME 100にも選ばれたフロムソフトウェアの宮崎英高が存在する。

吉田は幼い頃からゲームや遊びを愛好し、地元北海道ではスノーボードなどウィンタースポーツを愛好する傍ら、小学校の卒業論文には自分がゲーム開発者になると書くほどビデオゲームにものめり込んだ。1993年には札幌に拠点を構えていたハドソンに入社。同社の看板タイトル『天外魔境』『ボンバーマン』などのタイトルに関わったという。

やがて吉田はスクウェア・エニックスに転職し、『ファイナルファンタジー』シリーズを手掛ける……のは既に説明した通りだが、その経緯が少し面白い。

ハドソンを退職した吉田は、同じく札幌に拠点を置くロケットスタジオへと在籍することに。そこで吉田はエニックスと共同でオンラインゲームを開発していたという。もっとも、開発途中の2003年にエニックスはスクウェアと合併し、スクウェア・エニックスとなったため、開発中のタイトルも「PC向けだったものをPS2向けに作り直せ」「一人でも遊べるモードが欲しい」などの二転三転する要望によって炎上。その結果、プロジェクトは保留となってしまう。

一方、吉田の能力と企画に目をつけたのが、後にスクウェア・エニックスでヨコオタロウと『NieR』シリーズを成功させ、『ドラゴンクエストⅩ』などをてがけた齊藤陽介だ。齊藤は「どうせだったら、ウチの会社に来てリベンジしないか?」と吉田を誘い、吉田は契約社員という立場でスクウェア・エニックスに入社する。

さて、スクウェア・エニックスに入社した吉田は、アーケードゲーム『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』のディレクター、そして自身を誘った斎藤が担当する『ドラゴンクエストX』のチーフプランナーを担当。『ドラゴンクエストX』のアルファ版が完成した頃に、新しい企画に着手し始めるのだが、その時急遽吉田が呼び出されたのが『FF14』の案件だった。

吉田は既にハドソン時代からオンラインゲームの開発経験、そして(本人にはどうすることもできない)挫折を味わっており、その経験は“失敗したプロジェクト“とみなされていた『FF14』を復活させる大きな糧となったという。

“失敗”となったFF14を「新生」した手腕と熱量

『FF14』はそのタイトルの通り、スクウェア・エニックスの代表的シリーズ「ファイナルファンタジー」の当時の最新作にして、『FF11』に連なる2番目のオンラインゲーム(MMORPG)として、2010年に正式にサービスを開始した作品だ。『FF11』は「ファイナルファンタジー」のシステムや世界観を継承しながらも、MMORPGとしてのコミュニケーション要素も充実しており、日本をはじめ世界に数多くのユーザーがいたことで、その続編となる『FF14』にも世界的な注目が集まっていた。

しかし『FF14』は、明らかに失敗していた。出来が悪いという以前に、そもそも商品未満という水準だった。吉田は当時を以下のように振り返っている。

「とりあえず状況を見て、話を聞いてくるわ」と『旧 FFXIV』へ向かった(部下の)髙井と皆川ですが、その日の夜に「シャレにならん」と戻ってきます。(中略)彼らの話を聞くと、「とにかく、どこから手を付けるべきかわからないほどの問題が多いということがわかったので(わからないことがわかった、というのは、じつはとても重要)、まずは問題を定義してもらうために、”MMORPGとして何が問題かを調べてもらう”ことから始めることにしました

吉田直樹『吉田の日々赤裸々。 『ファイナルファンタジーXIV』はなぜ新生できたのか』

満を持してリリースした『FF14』、それも日本を代表するスクウェア・エニックスの看板タイトルの最新作は、作っている当人ですら「どこから手を付けるべきかわからないほどの問題が多い」と結論づけるほどだった。その上、『FF14』は既に全世界に向けてリリースされ、実際にユーザーたちが月額料金を支払ってプレイしていた。つまり、これほど問題だらけでも誰も指摘できないまま、見切り発車してしまっていたのだ。当時、ゲームコミュニティは無論のことネット全体でも『FF14』の問題点の多さは話題となり、完全な炎上状態だったことも付け加えておこう。

問題を把握した吉田は、当時の代表取締役社長だった和田洋一に「全社でエマージェンシーで対応しないと、取り返しがつかなくなる」と直談判。まだ役員でもなかった吉田が社長に具申することは一般的な企業では異例とも言えるが、吉田は物怖じしなかった。結果、吉田は火中の栗を拾うかのごとく『FF14』の担当となり、完全に失墜した同作をいかに再建するか考えることとなる。

吉田が最初に取り掛かったのは、まず『FF14』の何が問題なのかを徹底的に洗い出すことだった。具体的には「クリティカルな問題」「挙動がおかしい理由」「不足している仕様」などをチームにピックアップさせ、それらを踏まえてどう改善していくかを「ワールド」「バトル」「マッチング」「コンテンツ」「ギルドシステム」などに分割して吉田が列挙した。その結果、浮かび上がった問題は10000個にのぼり、それを見た吉田は、あまりに絶望的な状況から40度の熱を出したという。

あまりの問題の多さから、吉田はほぼゼロから『FF14』を作り出す(新生する)ことに決める。自らプロデューサーとディレクターを兼任しながら、メンバーを再統合して開発にあたった。しかし(旧)『FF14』は既にローンチ済み。よって『旧FF14』の修正を行いつつ、『新生FF14』を開発するダブルワークを2年にわたり続ける。

その多忙極まる開発の中でも、吉田が継続したのが一度信頼を失ったユーザーとの関係改善だ。具体的には、「プロデューサーレターLIVE」(PLL)と称して、吉田が自ら生放送に出演し、今後の改善案やユーザーの質疑応答に答えるというもの。無論、当初の「FF14プロデューサー」など針のむしろもいいところで、吉田自身も「緊張のあまり手が震えていた」と述懐するほど。しかし、腹を割った対話を続けていくうちに、ユーザーの期待を徐々に取り戻していく。

そして2013年、ついに「新生FF14」こと『ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア』がリリース。あの『旧FF14』とくらべものにならない完成度と遊びやすさから瞬く間に話題となり、同年の8~9月の間には早くも最大同時接続数が34万人を記録する。

更に2015年に「蒼天のイシュガルド」、2017年に「紅蓮のリベレーター」、2019年に「漆黒のヴィランズ」、2021年に「暁月のフィナーレ」と、次々に大型アップデートを行い、その度に壮大な物語の転換と膨大なコンテンツによって人気を伸ばし、「新生」から10年経過する現在も世界で最も人気のあるMMORPGの一つとなっている。

筋金入りの現役ゲーマーだからこその視点

一般的に、サービス型のゲーム(Game as a Service、GaaS)は一度でも失敗すると、そこから再評価されることは非常に難しい。失望したユーザーは大抵二度と戻ってこない上に、競合他社のゲーム──韓国、アメリカのMMORPGといった──に移られてしまう可能性が高く、まだゲームに触れていないユーザーでさえ、コミュニティから発信される悪評を憂慮し遠ざかってしまう可能性が高い。

だからこそ、吉田の「新生」は極めて希少な例であり、事実スクウェア・エニックスという企業、ファイナルファンタジーというブランドまでも、この「新生」がなければ今も同じ形で続いていたか、非常に怪しい。その実績を考えれば、吉田が今、これほど世界的に注目されていることは、何ら不思議ではないだろう。スクウェア・エニックスも最初は契約社員だった吉田を、14年というスピードで取締役に任命している。

しかし、なぜ吉田は「新生」できたのか。筆者個人として、吉田の才能は卓越した企画能力や分析能力、人当たりの良さ、圧倒的なメンタルもさることながら、吉田自身がゲームを作る「クリエイター」だけではなく、ゲームを遊ぶ「ゲーマー」だったことが大きいのではないか、と考えている。

吉田は元来、生粋のゲーマーだ。とりわけアメリカのゲームスタジオBlizzard Entertainmentの大ファンで、1997年に発売したPCオンラインゲーム『Diablo』は発売後、ハドソン社内で「仕事そっちのけ」でプレイするほど熱中。ハドソン社員時代にも『Diablo』に影響を受けたゲームの企画を考えており、この国内のコンソールゲームだけでなく海外のPCゲームまで通ずるゲームの経験と知識を、スクウェア・エニックスは買ったのだろう(そしてその目論みは大成功だった)。

吉田が『FF14』を「新生」するにあたり参考にしたのも、同Blizzard Entertainment開発のMMORPG『World of Warcraft』(以下、WoW)だ。吉田は「『FF14』の立て直しの参考にさせていただいたのが、前述した『WoW』と、それを開発したブリザードです」と公言するほど強い影響を受けており、現に『FF14』の開発スタッフには3か月『WoW』をプレイさせ、「『WoW』は偉大な先輩で、ブリザードに対してはリスペクトしかありません」とすら語っている。

特に『WoW』で吉田が驚いたのは、その手軽さだ。当時は「ネトゲ廃人」という言葉が一般的に用いられるほどMMORPGには莫大な時間を費やすのが当然という風潮があった中、『WoW』はコアゲーマーには相応のコンテンツを用意しながらも、カジュアルユーザーが気軽に楽しめる工夫も徹底することで、「誰もが自分の時間に応じた遊び方ができるMMORPG」の方向性を作り出した。この方向性は『FF14』も踏襲しており、わかりやすい導線、世界観を深掘りできるジャーナル、コンテンツの幅広さなど、どんな人にも楽しめるよう調整されているのだ。

『World of Warcraft』のプレイ動画

他にも吉田が影響を受けた作品は多い。アメリカのMythic Entertainmentが開発するMMORPG『Dark Age of Camelot』は、吉田自身、日本のトップランカーを目指すほどやり込み、時にチーターの嫌疑(※)をかけられたというほどだが、吉田が評価しているのがゲームを運営するMysthicのコミュニケーションだ。MysthicにはSenyaというPR担当者による、ジョークを交えたフランクなコミュニケーションをプレイヤーと行っていた。吉田もまた『FF14』のイベントに自ら出演し、ファンとコミュニケーションを取ることで信頼を勝ち取ったのは、彼自身がユーザーとしてMysthicのコミュニケーションを間近にしたからだった。

(※)内なる“怒り”が新生FFXIVを作った――不定期連載「原田が斬る!」,第6回は「ファイナルファンタジーXIV」吉田直樹氏に聞く,MMORPGの過去と未来

再び挑む「ファイナルファンタジー」

『新生FF14』のローンチからしばらく経過した後、吉田は当時の社長、松田洋祐から思いもよらぬ依頼を受ける。それは「ファイナルファンタジー」最新作である『FF16』の開発だった。

当時、吉田は依頼を引き受けるべきか大いに迷ったという。そもそも『FF14』はMMORPGだ。一度リリースしても、それから定期的なアップデートを挟む必要があり、実際『FF14』はアップデートの度に評価を更新して現在に至っている。いかに『FF14』が軌道に乗ったとはいえ、早々に手放すことはできなかった。当時、吉田は松田社長に対して「『FF14』と『FF16』の両方のディレクターを担当するのは無理です。どちらのお客様にも失礼ですし、作品として中途半端になってしまいます」と返答したと、電ファミニコゲーマーへの取材で答えている。

そこで白羽の矢が立ったのが、『新生FF14』にもかかわっていた髙井浩だ。髙井は一人用RPGの『ラスト レムナント』のディレクターを務めており、実績は申し分ない。『FF16』においても、ディレクターを任されることとなった。そこにシナリオライターとして前廣和豊、アートディレクターとして皆川裕史、コンポーザーとして祖堅正慶など、吉田とともに『FF14』を立て直したメンバーを再結集し、『FF14』と並行して『FF16』の開発に移る。

しかし問題はゲームジャンルだった。「ファイナルファンタジー」といえば伝統的にコマンド式の戦闘だったが、世界的な市場を見据え、なおかつ次世代機ならではのゲーム体験を作り出すうえでは、前作『ファイナルファンタジーXV』と同じく「アクション」を取り入れる必要があると吉田は考えた。ところが、実際に作り始めると、「アクションゲーム」に慣れた人材が今のチームには不足していることが発覚する。

そこで吉田が誘ったのが、当時カプコンに所属していた鈴木良太だ。鈴木は1999年にカプコンに入社し、3Dアクションゲームの『デビル メイ クライ5』や『Dragon's Dogma』の開発に関わった。吉田は既に取締役の立場だったが、直接大阪へ向かい鈴木に直談判したという。実際、鈴木が担当したアクション要素は『FF16』の重要なエッセンスとなり、発売後にも高く評価されている。

かくして『FF14』のベテランメンバーに、鈴木ら新しいメンバーが加わったチームで開発した『FF16』は、発売から約1週間で全世界累計販売本数300万本を記録し、国内外のメディアからもストーリーの展開など一部批判がありながら全体的には好評を受けるなど、上々の成果を納めた。

今後も注目を浴びる、日本を代表するクリエイター

ハドソン時代に様々な苦労を重ねながら、スクウェア・エニックスに入社してからは『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』の二大看板タイトルを、自身の卓越した分析能力と組織能力、そしてゲーマーとしての経験や視点を最大限活かして再構築し、瞬く間に世界的なゲームクリエイターとなった吉田直樹。

疑う余地なく日本のゲーム業界を代表するクリエイターの一人であり、今後も『FF14』をはじめ更に活躍の幅が拡がることが期待される。ゲーマーでありながらクリエイター、そんな吉田が次に何を仕掛けるのか注視したい……ところだが、傍から見ていくらなんでも働きすぎのため、どこかで長期休養を取っていただけないだろうかとも思う。


過去の連載記事一覧

【参考記事】

『ファイナルファンタジーXIV』新プロデューサー兼ディレクターに直撃インタビュー(ファミ通.com)

プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL- 第10回 吉田直樹 パート1(ファイナル・ファンタジーXI 記念サイト WE ARE VANA'DIEL)

[TGS 2013]「新生FFXIV」の「パッチ2.1」は年内に登場。エオルゼア領勢調査も公開された「出張プロデューサーレターLIVE in 幕張」をレポート(4Gamer.net)

「ゲーム愛が尋常じゃない集団。リスペクトしかない」 スクウェア・エニックス吉田直樹さんが背中を追いかける業界の巨人(朝日新聞デジタルマガジン&[and])

内なる“怒り”が新生FFXIVを作った――不定期連載「原田が斬る!」,第6回は「ファイナルファンタジーXIV」吉田直樹氏に聞く,MMORPGの過去と未来(4Gamer.net)

正直、『ファイナルファンタジー』というのは、100%自由には作れないものでもある ─ 『FF16』企画の始まりからアクションになった理由までを吉田Pら開発陣に訊いた(電ファミニコゲーマー)