CULTURE | 2023/04/28

TIME誌「世界で最も影響力のある100人」に岸田首相と並んで選ばれた「フロムの宮崎英高」とは何者か

画像はそれぞれフロム・ソフトウェア より
2023年4月13日、米・『TIME』誌は“世界で最も影響力のあ...

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画像はそれぞれフロム・ソフトウェア より

2023年4月13日、米・『TIME』誌は“世界で最も影響力のある100人”(以下、TIME100)の2023年度版を発表した。日本からは内閣総理大臣である岸田文雄と、フロム・ソフトウェア代表取締役社長にしてゲームデザイナーである宮崎英高の2人が選出された。

宮崎英高氏 『TIME』より

さて率直なところ、日本においてこの事実はあまり十全に受け止められていないように思う。まず、「TIME100」はアメリカのいち雑誌による主観的評価という点を差し引いても、それ自体が世界的に影響を持つリストである。

しかも「影響力がある」という極めて抽象的な水準から、スポーツ選手、アーティスト、活動家、国家指導者など一切合切を世界中から集めたリストだ。その中で、日本人から、首相に並んで選ばれるというのは、極めて「すごいこと」だと思う。だがその割に、(一部ニュース番組などで紹介されたものの)マスコミなどでは大々的に報道されることもなかった。実のところ、多くの日本人が「宮崎英高」という人間を知らないがためではないか。

そこで今回、改めて宮崎英高とは何者なのか、一体なぜ彼が数多くの日本人を差し置いて「TIME100」に「Innovators」として選ばれたのか、彼が持つ「影響力」の正体とは何かを考えたい。

【連載】ゲームジャーナル・クロッシング(23)

Jini

ゲームジャーナリスト

note「ゲームゼミ」を中心に、カルチャー視点からビデオゲームを読み解く批評を展開。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」準レギュラー、2020年5月に著書『好きなものを「推す」だけ。』(KADOKAWA)を上梓。
ゲームゼミ

29歳で業界入り。遅咲きの天才ゲームデザイナー

宮本茂、小島秀夫、桜井政博……。日本が誇るゲームデザイナーは数多くいるが、宮崎英高はその中でも遅咲きという点で既に特徴的だった。

宮崎は1974年、静岡県に生まれる。自然が豊かな地域で、主に読書に打ち込んで幼少期を過ごした。「他の子どもと違って特段夢もなく、野心もなかった」と後に振り返っている。宮崎は、高校卒業後に慶応義塾大学に入学。在学中に様々なゲームに触れ、ゲーム業界への就職も考えたものの、最終的に情報システムを扱うオラクルに入社。29歳まで、理想的なキャリアコースを歩みながらも、ゲーム業界とは無縁の生活を送ってきた。

そんな宮崎に、改めてゲーム作りへの情熱を抱く転機が訪れる。きっかけは気鋭のゲームデザイナー、上田文人がディレクターを務めた作品『ICO』だった。言語的な説明、具体的なUIを極力排除し、ただ少年と少女が手を握って古城から脱出するという、当時のビデオゲームとして異例の作品に触れ、「ビデオゲームという“媒体”の可能性に目覚めさせられた」と語る。

しかし、既に29歳だった宮崎にとって、まったく異業種であるゲーム業界への転職にはそれなりの勇気が必要だった。特にゲーム業界において、ゲームデザインの根幹を担う「プランナー」と呼ばれる職種は、業界内でもとりわけ人気が高く、新卒から挑んでも競争率が高い。よって、29歳で業界未経験のプランナー/ディレクター志望だった宮崎を受け入れられるゲーム企業は少なく、仮に入社できたとしても年収は大幅に下がることは明らかだった。

それでもゲーム作りへ挑む心意気を買ったのがフロム・ソフトウェア(以下、フロム)だった。当時、創業者の神直利によって率いられていた「フロム」は『キングスフィールド』シリーズや『アーマード・コア』シリーズなど、業界の中でも一癖ありながらも独自の美学を貫く点からコアゲーマーに評価されており、宮崎自身、入社の理由として「自分達の作っているものの価値で評価を受けたいという“美学”のようなものがまかり通る、“職人ぽさ”」を挙げている。

かくして2004年、フロムに採用された宮崎は驚異的なスピードで頭角を現す。最初に『アーマード・コア ラストレイヴン』のプランナーを務めると、入社2年目にはフロムの主力タイトル『アーマード・コア4』のディレクターに就任。ディレクターというのはゲーム開発の中心を担う司令塔のような存在で、『4』は開発の途中から就任という経緯があれど、業界経験が3年未満で就けるポジションではまずない。宮崎自身も「今考えてもかなり無茶な話」と振り返るほどだ。さらに続編の『アーマード・コア for Answer』でもディレクターを続け、早くもフロムの中心的人物となる。

そこから続けて着手したのが、後に宮崎とフロムの代名詞的な名作となるアクションRPGゲーム『Demon’s Souls』だ。会社から「好きにやっていい」と言われ、宮崎が初めて「ほぼゼロから」作ったこの作品は、幼少期から愛読していたダークファンタジー小説を基調に、同じく幼い頃から熱心にプレイしていたRPGをアクションゲームに組み込んだ、宮崎の個性が存分に発揮された作品だった。

『Demon's Souls』はPS5ローンチタイトルとしてリメイク版がリリースされた

以降、2011年には『Demon's Souls』からダークファンタジーの世界観、アクションRPGのゲームデザインを踏襲した『DARK SOULS』を発売(同作は2021年に、イギリスの「ゴールデン・ジョイスティック・アワード」にて、マリオやテトリスといった並み居る名作を抑え「史上最高のゲーム」に選ばれた)。

2014年にフロム・ソフトウェアの代表取締役社長に就任した後も、2016年には直接的な続編となる『DARK SOULS III』を手掛け、2022年にはこのゲームデザインを「オープンフィールド」と呼ぶ広大な世界で実現した『ELDEN RING』を発売。世界で2000万本を超える驚異的な売上を達成した。

その他にも、痛烈なアクションを楽しめる『Bloodborne』(2015)、VR上でギムナジウムを描く『Déraciné』(2018)、戦国末期の「忍び」を主人公にした『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』(2019)など、ダークファンタジーに限らない独自の作品も展開し、そのいずれも高い評価を獲得するなど、宮崎英高とフロムは一躍、21世紀を代表するゲームクリエイティブを担うことになった。

ゲーム業界が勢いを失った2000年代

このように、宮崎は30歳を目前に業界未経験ながら転職し、そこから信じがたいスピードで数々のヒット作品を手掛け、自身とフロム・ソフトウェアの名を世界に知らしめた。

このキャリアだけでも十分にその才能と知性を察せられるが、一方ただヒット作を手掛け、経済的な利益をもたらしたというだけでは、宮崎が「TIME 100」に「Innovators」として選ばれた十分な理由とは言えないだろう。

では宮崎がもたらした「イノベーション」とは何か。この点を理解するには、まず宮崎とフロムが台頭した背景として、2000年代後半から2010年代におけるビデオゲーム業界を踏まえておく必要がある。

ビデオゲーム業界……厳密にはコンソールゲーム業界は1980年代におけるファミコンの登場と、続く1990年代からの3Dゲームの革新が続き、日本のコンソールゲーム市場は1995~1997年に、約6000億円ほどの市場規模にまで成長する。さらに2000年発売のPlayStation 2の世界的大ヒットを皮切りに北米、欧州といった市場も伸び始め、コンソールゲームは経済的には最盛を迎えることとなった。

しかし、日本においては2000年代中頃からコンソールゲーム市場は停滞していく。辛うじて2006年に任天堂の「Wii」のヒットによって息を吹き返すものの、2010年には国内コンソールゲームの市場規模は5100億円まで減少している。同年にNHKで「世界ゲーム革命」が放送された際、「かつては『日本のお家芸』とまでいわれたが、いまや国策としてゲーム産業を推し進めるカナダやアメリカに大きく遅れをとっている」として日本ゲーム産業を消極的に報道して業界を驚かせた。その批判がどれほど正しいかはともかく、少なくとも第三者の目から日本のゲーム産業が停滞しているかのように見えたのは事実だろう。

何故、日本のゲームの勢いは失われつつあったのか。1980年代から2000年代にかけて、日本のゲーム企業は続々と新たなゲームデザイン、新たな「おもしろさ」を生み出した。しかし2000年代後半に入り、一通り「新しい」3Dゲームのアイデアが出尽くした上に、ゲーム開発の費用がかさむようになると、(日本に限った話でもないが)各社はより保守的に、一度成功したゲームデザインを漠然と踏襲するようになり、そこに新しい「おもしろさ」を見出すことが難しくなっていた。

もちろん「Wii」のリモコン操作を活用したユニークな作品など、当時の日本においても革新的なゲームがなかったわけではない。ただ総体的に勢いを失っていたのも事実で、『FEZ』などで知られるインディーゲーム開発者のフィル・フィッシュが、当時、日本のゲームについて尋ねられた際に「Your games just suck.(あなたたちのゲームはクソだ)」と答えたのは(放言癖のあるフィルといえど)海外における日本ゲームに対する当時の落胆が垣間見えよう。

常識を疑い「なんとなく」作らないゲームデザイン

このように、宮崎とフロムが台頭したのは、まさに閉塞感が高まるゲーム業界において、革新性が失われつつある時代だった。では宮崎らはこの時代において、実際にどのようなゲームを作ろうと試みたのか。

まず、宮崎作品に共通しているのが、「常識を疑うゲームデザイン」である。例えば、宮崎が初めてゼロから手掛けた『Demon’s Souls』の場合、剣や魔法を使うアクションRPGという点で、少なくとも表面的には「イノベーション」と言えるほど特筆すべき点はない。しかし実際にプレイしてみると、当時ありふれていたアクションゲームやRPGとは様々な点で異なることに気付く。

例えば、同作には「直剣」「短剣」のような小型の剣と、「特大剣」のような巨大な剣が登場する。プロトタイプでは多くのRPGに倣って前者を「片手で使う剣」、後者を「両手で使う剣」として実装する予定だった。しかし、宮崎はこの一見すると当たり前のルールを疑い、最終的には「右手」「左手」のスロットを作り、左右それぞれの手、もしくは両手で自由に武器ないし盾を握れるという仕様にした。これにより、あえて「短剣」を両手で大げさに振ったり、「特大剣」を片手で軽々と振るといった自由度が生まれたのだ。

4Gamer.netに対するインタビューで、宮崎はこの仕様に変更した背景を以下のように答えている。

「常に一般的な概念が悪い、採用すべきでない、ということではないんです。考えた末に、その本質的な意味、狙いを理解した上で採用するのであれば、それでいい。というか、広く採用されているものは、理由があって採用されているので、誰が考えても大抵同じような仕様になります。

だけど、もし「なんとなく採用」を積み重ねてしまうと、結果としてゲーム自体が「なんとなくできたもの」になってしまうし、「なぜその仕様を採用したのか」が分かっていなければ、関連する判断も正しくできません。そして最終的には、ゲームの整合性が取れなくなってしまうのでは、と思うんです」

まさしく彼のいう「本質的な意味、狙いを理解する力」こそ、宮崎作品の最も評価されたポイントだと思う。その代表となるのが「レベル」の上がり方だ。当時のRPGは、敵を倒すと経験値を獲得し、その総量に応じて自動的にレベルが上がり、ついでにプレイヤーが任意に割り振る「スキルポイント」が用意されるというルールが多かった。

一方、『Demon’s Souls』では自動でレベルが上がらない。戦闘などで獲得したポイントを、それぞれ「体力」「知力」「筋力」といった能力値に全て自分で割り振るルールとなっている。このため、レベルを上げるにも「どのようなキャラクターに育てるか」という意思決定が適宜求められるし、また自分が演じたいキャラクターを自由に作り上げていくこともまた可能だ。

宮崎とフロムは既存のゲームデザインを踏襲しつつも、その「本質的な意味、狙い」を独自に解釈して採用することで、一見ありふれたようで独創的なゲームを作り上げた。この点が、現在までゲームファンから同業者にまで評価される「イノベーション」の一つではないだろうか。

この後、宮崎らは『DARK SOULS』シリーズを成功させ、初のオープンフィールドに挑戦した『ELDEN RING』は全世界で2000万本という記録を達成することになるのだが、これらの作品に関しても、宮崎らの「常識を疑う」ゲーム作りの根幹は変わらない。宮崎自身、『ELDEN RING』の開発は「今まで培ってきた技術やノウハウの積み重ね」ありきのものとし、それを実現できたのはフロム・ソフトウェアが一貫して「面白いゲームを真剣に作れる企業」だからだと論じている

また宮崎らのゲーム作りから『DARK SOULS』などがヒットしたことにより、少なからずIPやブランドではなくゲームデザインからゲームを作るという風潮が、大企業にも一般化したのも事実のように思う。奇しくも、2010年を前後に一般化する「インディーゲーム」の潮流と合わせ、技術や表現だけでは再現できない「おもしろさ」を改めて模索する気運が、2010年代後半から本格化する国産ゲームの復活に、間接的にせよ影響を及ぼしていると言えるかもしれない。

もうひとりの“偉人”と「遊び」を解明する力

実は過去に「TIME 100」に選ばれた日本のゲームクリエイターはもう一人いる。現・任天堂株式会社代表取締役フェローの宮本茂だ。いうまでもなく、宮本はアーケードゲーム時代から任天堂の様々なヒットタイトルを手掛け、『マリオ』シリーズや『ゼルダの伝説』シリーズなど任天堂の代表的作品の礎を築き、ひいては現代ゲームの礎を築いた文字通りのパイオニアとして、現在も活躍を続ける偉人だ。

そんな宮本茂は、しばし多くのインタビューで自身のアイデアの源泉に、(他のゲームではなく)実体験としての「遊び」を挙げる。具体的には、『ゼルダの伝説』における「冒険」は宮本自身が故郷・南丹波の山々で遊んだ経験が反映されたものだと話し、『スーパーマリオ64』においてマリオに「泳ぐ」アクションを実装する際にも、自分自身が趣味として始めた水泳の経験が活かされたものと語る。

宮本が現在まで40年以上様々な作品を手掛けてきた裏には、ノン・ゲームネイティブ世代としてのピュアな「遊び」に対する感覚が活かされてきたのだろう。しかし、宮本らパイオニアがゲーム全盛の時代を作ると、世界における「遊び」のスタンダードは徐々に電子の世界へと移行していった。非電子の「遊び」からゲームを作るのではなく、既にある「ゲームからゲームを作る時代」となったのだ。

無論、現在も自然の事象から「遊び」を見出すデザイナーが消えたわけではない。しかしながら、1980年代と2020年代における「遊び」の定義は変わったのは明らかで、そんな現代で「遊び」をデザインするには、宮本茂のようなプリミティブな才覚に加え、電子・非電子問わず既にパッケージングされた「遊び」からその本質を解明し、解釈し、展開しなければならない。

それこそが、現代において宮崎英高の「イノベーション」であり、ビデオゲームという「電子的な遊び」が主流となった時代において、次の「遊び」を担う次世代のゲームデザイナーに求められる素質なのではないだろうか。

(なお、宮崎はビデオゲームだけ遊んでいるわけではなく、TRPGやゲームブックなど非電子ゲームにも精通している)


THE 100 MOST INFLUENTIAL PEOPLE OF 2023 Hidetaka Miyazaki