神保慶政
映画監督
東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』を監督。国内外で好評を博し、日本映画監督協会新人賞にノミネート。第一子の誕生を機に、福岡に拠点を移してアジア各国へネットワークを広げる。2021年にはベルリン国際映画祭主催の人材育成事業ベルリナーレ・タレンツに参加。企業と連携して子ども映画ワークショップを開催するなど、分野を横断して活動中。最新作はイラン・シンガポールとの合作、5カ国ロケの長編『On the Zero Line』(公開準備中)。
https://y-jimbo.com/
誰かが神アイデアをもたらしてくれるという「幻想」
「コロナ禍もあいまって東京の一極集中が終わった」という話題を耳にしたことがないだろうか。「うん、本当に最近そうなっているよね」と感じる方も、「いや、全然そうはなっていないと思うけど」と感じる方もいるだろう。
木下斉『まちづくり幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか』(SB新書)は後者の認識で、東京一極集中の時代は依然として続いていると断言している。つまり「地方の時代が訪れた」というような論調は疑ってかかる必要があるということだが、実際2020年の統計データを見るとどうなのろうか。
・東京都全域では約3万人転入超過
・東京圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)では約10万人の転入超過
・転出者の行き先は近隣県が最も多い
以上の事実をもとに著者は、「地方の時代が訪れた」というニュースは、「東京の郊外化がすこし進んだ」と解釈するのが妥当だと主張する。
著者は高校在学時からまちづくり事業に取り組み、2009年に地域の自立経営モデルの構築を支援する一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンスを設立後、都市経営スクール事業、公民連携事業、政府アドバイザーなど活躍の幅を広げ、上記のような「事実に基づいた分析」を積み重ねてきた人物だ(FINDERSではトークセッションやインタビューも行ってきた)。
批判殺到「GoToキャンペーン」はどうすれば良かったのか。制度の改善策と「観光産業の生き残り戦略」を木下斉さんに聞く
木下斉さんと語る「地方最強都市・福岡に学ぶ、逆境を跳ね返すビジネス戦略」 「FINDERS SESSION VOL.2」動画・レポート
本書のタイトルには「幻想」という言葉が使われている。「戦争のない未来を幻想する」というように、より良い未来を夢見るような意味合いで使われることもあるが、本書で「幻想」が具体的に意味するところは「誤った認識、およびその共有と浸透」といったところだ。当然、このような「幻想」は、明るい未来や地域の再生・活性化ではなく、衰退・悪化を招く。そうして著者が何年も前から声高に批判し続ける「地方創生関連の補助金目当てのコンサルが、持続可能性を無視した見栄えだけは良い事業プランを提出し、案の定失敗、自分たちで計画を立案しない自治体職員には何のノウハウも残らず、東京の企業ばかりが潤い、ムダ金が垂れ流される」という“爆死”事例が今も積み重なり続けている。
「幻想」は、◯✕社会とでもいうべき、「どこかに答えがある」という発想が元凶となっているという。私たちの前に立ちはだかる課題というのは、マークシート方式では答えられず、実社会では完全な◯も✕もないことも多い。
undefined
undefined
地域プロジェクトにおいてよくある質問は、「何をやったらいいでしょうか」というものです。この質問は、どこかに「答え」が存在し、優れた人だけがそれを知っていて、だから間違わずに成功できるのだ、という「思考の土台」がある人の発想です。この質問そのものが間違いであり、失敗の始まりなのです。これこそが、幻想に囚われた人の思考の土台です。(P5)
たとえば、「スマートシティ」という単語があるが、これは国土交通省によると「都市が抱える諸問題に対して、ICT等の新技術を活用しつつ、マネジメント(計画・整備・管理・運営)が行われ、全体最適化が図られる持続可能な都市または地区」という意味で、「困難で複雑な問題に対処する面倒さに、共に立ち向かっていける都市」と言い換えられるはずだ。しかし、一般的には「優秀な新システムを導入するだけで面倒なことを減らしてくれる都市」というように認識されてはいないだろうか。そうした誤認識のもと積み上げられていった「幻想」は、人々の想像力を夢喰いのように奪い去るバケモノに変身してしまうのだ。
「生き残り」のカギは幻想や思い込みから解き放たれること
本書では様々な「幻想」が暴かれていく。たとえば、「インバウンド消失で観光業は崩壊寸前である」という言説においては、コロナ禍直前、インバウンド絶頂期の令和元年(2019年)の統計をみると国内の総旅行消費額に占める外国人観光客の割合が17.3%だったことから、「本当にインバウンドがないと観光業は成立しないのだろうか」と著者は疑ってかかる。「インバウンドがなくなって閑散としている」のではなく「インバウンドに頼りっきりだった」という事実を、観光従事当事者たちは受け入れなければならないというのが著者の見解だ。
「安くしなければ売れない」というプライシングの偏見も大きな「幻想」のひとつで、そうした単純な価格競争ではなく、ある程度単価が高くてもその土地ごとのストーリーを体験できることが価値を生み出す時代であることに気づくべきだと著者は主張する。
地域おこしの文脈で語られる「関係人口」という言葉がある。これは単に文字通り人数を増やすという意味ではなく、そのつながりを持った人とのあいだに相互作用を生み出すという意味だが、この言葉が世間では正しく解釈されていないと著者は危惧している。
undefined
undefined
もちろん、ファンが増加することはとても大切です。ただそれは、単に「ファンです」という人が増加するのではなく、より具体的なアクションがセットである必要があります。(P161)
つまり、「関係する人々(ファン)を増やそう」というところまでは良いのだが、「ファンを増やして何らかの消費をしてもらう」という行動を最終目的にしないまま「関係人口」という言葉が日本中を駆け巡ってしまうことによって、「幻想」を熟成させてしまっているということだ。
FINDERSで過去行った著者へのインタビューでは「老舗旅館は、景気変動があることを前提とした経営をしている」という事例が紹介されているが、それはつまり「旅館は人を泊めるためだけの場所だ」という思い込みにとらわれず、柔軟に考えを熟成させていくことが、結果的に「生き残り」につながる歩みとなるということだ。本書に挙げられている例では、宮崎を拠点に台湾やシンガポールにまで事業展開している「九州パンケーキ」を有する一平グループが、シェアオフィス事業まで手掛けていることが紹介されている。
undefined
undefined
九州テーブルなどを擁する一平グループは飲食店部門もあれば、食品製造販売部門もあり、さらに九州各地にオフィススペースを作りネットワークする九州アイランドワークという会社も持っています。これらの多角化が今回のコロナ禍でも経営基盤の安定化に寄与しているわけです。(P58)
飲食店を経営する会社がシェアオフィスまで展開しているのは、一体どういうことなのか? その「わからなさ」が、人・モノ・コトを寄り集める求心力にもなりえる。はじめから結果を目指すのと、試行錯誤して結果に繋がるのとでは大きな違いがあるということだ。
次ページ:「自分が世界をどう見ているか」よりも「自分が世界をどう見たいか」
「自分が世界をどう見ているか」よりも「自分が世界をどう見たいか」
著者は地方創生事業の策定に関わる自治体職員に対して「何をつくるか」ではなく「何をつくっていくら黒字を出すか(損を出さないようにするか)」という、民間企業では当たり前の経済感覚とプランニング能力を鍛えることを強く提唱している。そのための「これをするべきだ」「これは絶対してはいけない」という行動指針も明確に記されている。
議論が「何をつくるか?」に偏重すると、聞こえは良く反対されにくいが採算が見込めるかは不明瞭な「立派なもの」「美しいもの」をつくろうという意見が尊重され、そうしたものこそが地域は活性化するのだという認識が形成されていく。そして、細かな発見の積み重ねや、内から湧き出る靭(しなや)やかさのようなものは置き去りにされていってしまう。
本書出版後のニュースではあるが、イギリスBBCにまで取り上げられ物議を醸した「石川県能登町の巨大イカモニュメント」が新型コロナ対策や企業支援のために配られる「地方創生臨時交付金」を使って設置される件も、まさにそうした「立派なもの」「美しいもの」の事例と言えるだろう。
こうしたプランが持ち上がる際、「費用対効果がありきちんと地元にお金が落ちるのか」「そもそもコロナ関連予算で今やるべき事業なのか」という当前の疑問が、「他の予算ではきちんとコロナ対策に使っている」「世界的に話題になったんだから結果オーライじゃないか」という声にかき消され、“無粋な反対者”として脇に追いやられてしまう。
では持続可能で、地元企業にお金が落ちる、真の意味での地方創生事業を展開するためにはどうすれば良いのか。著者は地道ながらもバイローカル・インベストローカル(全国チェーンではなく地元企業のモノやサービスを買い、投資する)を誘発する仕組みの重要性を説いている。
undefined
undefined
何もしないくせに、潰れた後に「私は応援してたんだけどね……」なんて言うのはなんの救いにもなりません。そして「あのまちは挑戦には向いていない、潰される」という話が伝わり、次に出てくる人はますます出てこなくなっていき、衰退は極まっていくのです。つまり、地元で新たな店が潰れたなど失敗の実績が重なれば重なるほど、結局は地元の人にもマイナスが降りかかることになることを、もっと深刻に受け止めなくてはなりません。(P142)
このように、まちづくりは「これさえやっておけば大丈夫」という、学力テストのようなものではなく、人の行動や印象までをデザインする気概が必要だと著者は主張する。加えて「今後こんなお店(商品)を出しますのでぜひ来て下さい」と事前営業を進めてある程度の売上予測を立てておくこと、初期投資は最小限に留めて小さく始めることを推奨し、完成した後の方が重要(あるいはずっと完成しない)ということを何度も訴えている。
undefined
undefined
考えない人が悪いとか、バカだという意味ではなく、「そもそも考える範疇に設定されていない」ということが問題なのです。だからこそ、「そこまで考える」ことが大切だとわかれば、物事は好転するのです。(P241)
「自分が世界をどう見ているか」よりも切実なのは、「自分が世界をどう見たいか」ということなのだろう。「自分が世界をどう見ているか」の答え合わせではなく、「自分が世界をどう見たいか」の絶え間ない進化こそが変化を生み出していき、「身の回りに起こっている物事がそのまま続いていく」という感覚は、いつしか無関心に化けて大きな足かせとなる。
「身の回りに起こっている物事はいつまでも続かない」という、変化を基調にしたポジティブな危機意識を携えていれば、「幻想」というバケモノは知らぬ間に吹き飛ばされ、振り払おうとヤキモキする必要すらなくなるはずだ。そして、地域再生の現場ではよそ者頼りの政策に陥ること無く、答えをすぐ提示してくるコンサルタントにも騙されることなく、「予算を取ってきた」ということで驕り高ぶる自治体職員も自ずといなくなるという、幻想的な未来が訪れるはずだ。