「自分が世界をどう見ているか」よりも「自分が世界をどう見たいか」
著者は地方創生事業の策定に関わる自治体職員に対して「何をつくるか」ではなく「何をつくっていくら黒字を出すか(損を出さないようにするか)」という、民間企業では当たり前の経済感覚とプランニング能力を鍛えることを強く提唱している。そのための「これをするべきだ」「これは絶対してはいけない」という行動指針も明確に記されている。
議論が「何をつくるか?」に偏重すると、聞こえは良く反対されにくいが採算が見込めるかは不明瞭な「立派なもの」「美しいもの」をつくろうという意見が尊重され、そうしたものこそが地域は活性化するのだという認識が形成されていく。そして、細かな発見の積み重ねや、内から湧き出る靭(しなや)やかさのようなものは置き去りにされていってしまう。
本書出版後のニュースではあるが、イギリスBBCにまで取り上げられ物議を醸した「石川県能登町の巨大イカモニュメント」が新型コロナ対策や企業支援のために配られる「地方創生臨時交付金」を使って設置される件も、まさにそうした「立派なもの」「美しいもの」の事例と言えるだろう。
こうしたプランが持ち上がる際、「費用対効果がありきちんと地元にお金が落ちるのか」「そもそもコロナ関連予算で今やるべき事業なのか」という当前の疑問が、「他の予算ではきちんとコロナ対策に使っている」「世界的に話題になったんだから結果オーライじゃないか」という声にかき消され、“無粋な反対者”として脇に追いやられてしまう。
では持続可能で、地元企業にお金が落ちる、真の意味での地方創生事業を展開するためにはどうすれば良いのか。著者は地道ながらもバイローカル・インベストローカル(全国チェーンではなく地元企業のモノやサービスを買い、投資する)を誘発する仕組みの重要性を説いている。
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何もしないくせに、潰れた後に「私は応援してたんだけどね……」なんて言うのはなんの救いにもなりません。そして「あのまちは挑戦には向いていない、潰される」という話が伝わり、次に出てくる人はますます出てこなくなっていき、衰退は極まっていくのです。つまり、地元で新たな店が潰れたなど失敗の実績が重なれば重なるほど、結局は地元の人にもマイナスが降りかかることになることを、もっと深刻に受け止めなくてはなりません。(P142)
このように、まちづくりは「これさえやっておけば大丈夫」という、学力テストのようなものではなく、人の行動や印象までをデザインする気概が必要だと著者は主張する。加えて「今後こんなお店(商品)を出しますのでぜひ来て下さい」と事前営業を進めてある程度の売上予測を立てておくこと、初期投資は最小限に留めて小さく始めることを推奨し、完成した後の方が重要(あるいはずっと完成しない)ということを何度も訴えている。
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考えない人が悪いとか、バカだという意味ではなく、「そもそも考える範疇に設定されていない」ということが問題なのです。だからこそ、「そこまで考える」ことが大切だとわかれば、物事は好転するのです。(P241)
「自分が世界をどう見ているか」よりも切実なのは、「自分が世界をどう見たいか」ということなのだろう。「自分が世界をどう見ているか」の答え合わせではなく、「自分が世界をどう見たいか」の絶え間ない進化こそが変化を生み出していき、「身の回りに起こっている物事がそのまま続いていく」という感覚は、いつしか無関心に化けて大きな足かせとなる。
「身の回りに起こっている物事はいつまでも続かない」という、変化を基調にしたポジティブな危機意識を携えていれば、「幻想」というバケモノは知らぬ間に吹き飛ばされ、振り払おうとヤキモキする必要すらなくなるはずだ。そして、地域再生の現場ではよそ者頼りの政策に陥ること無く、答えをすぐ提示してくるコンサルタントにも騙されることなく、「予算を取ってきた」ということで驕り高ぶる自治体職員も自ずといなくなるという、幻想的な未来が訪れるはずだ。