CULTURE | 2020/04/21

大混乱を招いた「一斉休校」から1カ月半、現役中高教員はどう対応しているか|矢野利裕


矢野利裕
批評家/ライター/DJ
1983年、東京都生まれ。批評家、DJ。著書に『SMAPは終わらない』(垣内出...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

「要請」と「命令」のはざまで

だとすれば、現場レベルで起こうることは、まずは保護者からの問い合わせですが、この「休校」の根拠を「政府要請を受けて」という以外に説明できないのは厳しいところです。もちろん、非常時というのは、通常の手続きが取れないからこその「非常時」であって、あの時点で政府から厳密な説明ができなかった可能性もあるでしょう。しかし、「全国一斉休校の要請」に限らず、政府の説明責任はいまだ果たされたとは言えないし、その手前の基本的なコミュニケーションすら図られていません。対応の妥当性とは別に、こういう態度は、端的に不誠実でしょう。

このような話になると、今度は「要請」という呼びかけの問題性も浮上します。あの「全校一斉休校」が必要だったのならば、論理的にはむしろ、「命令」のかたちが取られるべきでしょう。「要請」はむしろ、最終的な判断を各校・各自治体の自己責任に押しつけるようにしか機能しません。つまり、「権力の行使はするが責任は取らない」という政府のダブルスタンダード。このダブスタの姿勢が、現在まで議論になっている「自粛/休業要請をするが補償はしない」という不誠実な対応にまでつながっている印象です。

もっとも、市民たる私たちが考えなくてはいけないのは、このとき、「命令」「補償」という国家の強い権力を求めている、ということです。リベラルな立場からすると、ここには葛藤があるでしょう。したがって、現在の政府の対応を批判するのなら、「国家批判をするなら非常時についてどのように社会を維持するのか」「国家権力を求めるならそれはどのように運用すべきか」といったことも併せて考える必要があります。批判(critic)とは、自分の足もとを問う行為でもあります。