未知への挑戦が生む面白さと難しさ
このトークセッションのテーマは、「研究とは?」。明らかになっていないことを科学的に明らかにする 「研究」 について、その面白さと難しさ、そしてその未来について議論を交わすセッションだ。
セッションの冒頭、自らモデレーターを務めた神武直彦教授は 「大学院、とりわけSDMは “研究できる” 恵まれた環境。では研究の本質や面白さ、難しさはどこにあるのか、皆さんと一緒に考えていきたいと思います」 と切り出した。登壇者は現役の博士学生の駒木亮伯さん、今年3月に博士号を取得した千田健太さん、そして博士取得から3年半、今は特任教員として活動する田中ウルヴェ京さん。偶然にも五輪メダリストが二人並んだステージに、神武教授は 「メダリストの方に研究指導をしていると “もしかしたら自分もメダルを取れるんじゃないか?” と不思議な錯覚を覚えたことを思い出しました」 と会場を笑わせた。

最初の自己紹介は、イギリスからオンラインで参加した駒木さん。専門はシステム思考やシステムダイナミクスと呼ばれる手法で、環境・社会を横断する 「世界モデル」 やサステナビリティといった分野を中心に研究を進めている。「現在はイギリスとドイツを行き来しながら、システム思考を片手に “人々の関心事は何か” を探り、さまざまな人々と交流しています。」 と各地に足を運ぶ。
たとえばコペンハーゲンの巨大ゴミ焼却炉 「コペンヒル」 では、都市のエネルギーインフラの屋上にスキー場を重ねた “遊び×都市機能” の両立を自身の目で確かめた。独・シュトゥットガルト大学の100m級実験水路 「フィジカルツイン」 では、実寸スケールで自然現象を検証する欧州の研究文化に触れた。さらに英国では 「ドーナツエコノミー」 のケイト・ラワース氏が演劇仕立てで自然観を問い直す会議にも参加。「思想と実装が行き来する現場に身を置き、問いの角度を増やしている」 と話す。

続く千田さんは、フェンシング元日本代表。約20年の競技キャリアののち、オリ・パラの強化支援に携わり 「エビデンスに基づく研究の重要性と素晴らしさ」 を痛感して博士課程の道へと飛び込んだ。専門はスポーツ・バイオメカニクスだ。研究の傍ら、車椅子フェンシングの指導にも立ち 「選手の体力や障害は一人ひとり違う。健常のセオリーをそのまま当てはめない “設計のやり直し” が要る」 と語る。自身も現役時代は体格で不利とされる側にいた。「だからこそ、動作技術を客観的に評価する手法を現場に戻したい」 と今日に至った経緯を語った。
三人目は1988年ソウル五輪アーティスティックスイミング (当時はシンクロナイズドスイミング) デュエット銅メダリストの田中ウルヴェ京さん。競技引退後、代表コーチをしていたが、 「シンクロを取ったら私は何者?」 と悩み、米大学院でスポーツ心理学を学び修士、起業、IOC委員とキャリアを重ねた。
そして40代後半で「結局私は誰か」と自問したという。複数の大学から “著名人だから論文も書かずに博士を” といったような甘言もあった中であえて神武研究室を選択したが、「最後の一年は“最悪”と思うほど苦しかった。でも自己決定だから登り切れた」 と当時を振り返る。
博士論文では、オリンピアンの引退直後に “本人が自分で着手できるワーク” を設け、適切な支援につながる心理支援の枠組みを提示した。「終えてみて、あの苦しさが “本当の自信” に変わる感覚を知った」 と穏やかにほほ笑んだ。
SDM流 “研究の作法”とは
続いてセッションは 「研究の原点」 という話題へ。神武教授は、小中学生向けの探究プログラム ジュニアドクター育成塾 「KEIO WIZARD」 を引き合いに出しながら、SDMが大切にするスタンスを共有する。
「KEIO WIZARD」 は、「システム思考」 や 「デザイン思考」 に基づき、小学生や中学生が自らの興味や関心を深めていくためのプログラム。他大学が小中学生のうちから数学を大学レベルに引き上げるといった “早熟型” 教育ではなく、「考え方」 を身につけて貰うことを重視している。
具体的には、「好きなことを調べる」 「考える」 「やってみる」 「失敗する」「そして伝える」 といったプロセスを繰り返すことで学びを深めていく取り組みだ。
また 「KEIO WIZARD」 では、「研究とは『明らかでないことを明らかにする』行為であると伝えているという。そのために、まず “明らかなこと”と“明らかになっていないこと” の境界を引き、『それがなぜ明らかと言えるのか』を調べることの大切さを教えている。神武教授は 「“巨人の肩に乗る” という言葉がありますが、過去の偉人たちが何をどこまでやってきたのかをきちんと知ったうえで、その先に自分の研究を積み重ねていくことが大事」 だと話す。
さらに神武教授は、「研究ができるようになるというのは、問題を見つけて、仮説を立てて、検証できるようになるということです。たとえば、街を良くするための取り組みや、人間関係を改善する方法も研究であり、人文社会科学の分野に含まれる営みです。今回ご登壇いただいているお三方も、“何が明らかになっていて、何が明らかになっていないのか” を整理し、それを明らかにしていく取り組みに挑みました。
そこでここからは、このお三方に 「研究の面白さや難しさ」 についてご紹介いただきたいと思います。
田中さんは 「情熱が強いほど主観に寄る。だからこそ『まず事実に戻る』こと。これが情熱ばかりで研究しようとしていた自分には最も難しかったことです」 と語る。テレビのコメンテーターとして話す場でも、「どこまでがファクトで、どこからが私見か」 を明らかにする癖がついた。「『小学生にも分かる言葉で説明できるか』は自分の理解の深さを試す作法。情熱を抑えて事実を丁寧に示し、最後に “私の私見” を添える。この順番がいちばん伝わる」 とした。研究に取り組んだことで、「そのおかげで、今では人前で話すときにも、以前よりずっと楽に話せるようになったと思います。」 と振り返った。

研究を通じどこまでがファクトで、どこからが私見か」 を明らかにする癖がついたという
千田さんは 「博士課程1年目は、正直ほとんど進まなかった」 と振り返る。SDMの考え方自体が腹落ちせず、神武教授の授業も自ら “取り直し” を願い出た。「愚直さ」 を貫いた先で形にしたのが、実験室の3次元動作解析と競技現場の即応性をつなぐ設計だ。
まず、パフォーマンスを捉える “測るべきポイント” を絞り込み、現場は二次元ビデオ+簡易計算でコーチに素早く返すワークフローに落とし込む。「『精密だが扱いにくい』か『簡便だが粗い』の二択ではない。現場に届く精度と手触りの最適点を探ること自体が、SDM的な研究だった」。研究は “論文のため” ではなく “使われるため” にある、そこに研究の面白さを感じるようになったという。
駒木さんは、「ニーズの発見をいかにシステム化するか」について紹介した。2017年ごろから神武先生や研究室の仲間とともに、社会をシステムとして捉え、その中に潜在するニーズを明らかにするプロセスの構築に取り組みはじめた。その過程で、「定性的に見る視点と定量的に見る視点を両立させること」の重要性に気付き、両者を統合して本質を探るアプローチこそが研究の醍醐味であると語った。
続いて、「定性的な知見」と「定量的なデータ」から導かれる共通の構造や振る舞いを「システム・アーキタイプ」として解説した。こうしたシステム・アーキタイプは、欧州で進められている気候変動予測の大規模プロジェクト「デスティネーションアース」などにも応用されていることを紹介した。
最後に、個々が持つデータや知識を可視化し、共有することの重要性と、その困難さに言及し、そこにこそ研究の面白さがあると強調した。
博士研究で経験できる“本当の自信”と“挑戦の楽しさ”
3人の話を受け神武教授は、「博士号を取得するのは決して簡単なことではありませんが、今日の話から、いろいろな形で博士を取られている方がいる、ということをご理解いただけたのではないかと思います。」 と補足し、会場からの質問を促した。
最初に質問の口火を切ったのは修了生の与那覇竜太さん。「神武先生も含め皆さんの生き方そのものが研究だと感じました」 と切り出し、「皆さんは “自分ごとの範囲を” 広げていくために、世界をどのように捉えていますか?」 と質問を投げかけた。
これに対し田中さんは 「まずは妄想し、その後で “自分でコントロールできるもの” を整理する。なぜなら、自分がコントロールできるものしか変えられない、そして自分がコントロールできるものを変えていったら、先の世代が自然に次を変える」 と応じた。
千田さんは 「もともと視野は広くない方だが、物事を深く掘り下げるのは好きなので、とことん追いかけつつ分からない部分が出てきたら隣の領域に少し踏み込んでみる、無理をせず少しずつ “浸食” するイメージ」 と答えた。

フェンシングにおける動作技術を客観的に評価する研究を進めた
そして駒木さんは 「“自分にしかできない”ことに依存する研究は再現性に欠ける。研究としては、誰が実施しても同様の結果が得られる条件を明らかにすることが求められる」とし、神武教授も 「結局は人に会うこと。本やAIで俯瞰しつつ、当事者の “思い” を掴みに行くことが大切では」 と重ねた。
続いて修了生の高橋真さん。自身が修士で扱ったインクルーシブ教育は正直にいうと “なんちゃって感” が拭えなかったといい、「修士から博士に進むときの研究テーマの絞り込み方や修士研究と博士研究の違いについて」 質問を投げかけた。
この質問に対しては田中さんが反応。米大学院での修士が 「先行研究を広く網羅する」 学びだったと振り返り、「博士は『あなたは何を見つけたいのか』の一点に尽きる」 と断言、さらに 「博士研究では、“今の社会に必要なものはこれです” と言い切らなければならない。しかも、それをファクトで示さなければいけない」 と続け、「“誰でも知っている”ように見える事実を、誰にも反論できない形で積み上げ直す——そこに博士の価値がある」 と解説した。
神武教授も「博士は “脇を締める” とよく言われますが、オンリーワンの成果を出すためにはスコープを明確にしなければならず、どうしても範囲は狭くなりがちです。ただ逆を言えば、世界で自分だけが明らかにしたということを示すわけで、そういうものが博士研究だと思います」 と続けた。
セッションの最後には、登壇者の3人から今後のチャレンジについて語られた。
駒木さんは 「サステナビリティ×システム思考」 を、「欧州に響く視点」 と 「日本らしさ」 の両輪で研究を進めると明かし、「現地で走りながら、面白い着地点を示したい」 とした。千田さんは 「フェンシングの動作研究を論文として外に出し、スポーツ科学と現場をつなぐ橋を太くする」 と、競技者の観察眼と研究者の設計力、その二刀流で挑む姿勢を示した。
また田中さんは 「博士論文は “本当の自信” を教えてくれる」 と力を込める。英語で書いたことで世界とシンプルに議論でき、人との出会いが深く広くなった。「この楽しみのために、ぜひ皆さんも “崖を登る” 体験をしていただきたい」 と呼びかけ、そして最初は腑に落ちなかったが、研究の過程で確かな拠り所に変わったという言葉 「木を見て、森を見て、そして森を見ている自分を見る」 を紹介した。
最後に、神武教授が 「決して楽ではない。でも “明らかでない” を明らかにする営みは、やっぱり楽しい」とセッションを締めくくると、イギリスから参加した駒木さん、会場の千田さん、田中さんへ大きな拍手が送られた。
今後もこの3人のように研究にチャレンジする人が増えていくことを期待したくなるセッションだった。

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 (SDM)
神武直彦研究室「オープンラボ2025:世の中、きっとシステムデザインでなんとかなる!」
https://www.kohtake.sdm.keio.ac.jp/openlab2025/
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 (SDM) 神武直彦研究室https://www.kohtake.sdm.keio.ac.jp/