CULTURE | 2022/09/30

エリート会社員も気に病む「無限スキルアップ地獄」、それを煽る「ファスト教養」の圧力…時短とクオリティを両立する情報摂取は本当にできないのか?(前編)

一般企業に務めながらライター活動を続けるレジー氏の新著『ファスト教養』(集英社)が出版され、注目を集めている。9月16日...

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一般企業に務めながらライター活動を続けるレジー氏の新著『ファスト教養』(集英社)が出版され、注目を集めている。9月16日の発売から2週間で重版も決定した。

ファスト教養とはレジー氏による造語で、簡単に言えば自分の人生や他者との交流をより豊かにするものだったはずの「教養」が、いつしかビジネスパーソンがスキマ時間でできるスキルアップの材料として扱われ、「カネ儲けの能力」という意味合いに変換されてしまった状況のことを指す。

そうした状況の問題点や、ビジネスパーソンがファスト教養を必要とするようになった経緯を指摘する本書だが、単に「だから時間をかけて古典に触れろ」というお説教に終始するわけではない。そもそもレジー氏は会社員や子育てをしつつ残りの時間をやりくりしてカルチャーに接し、ライター活動もしていることから多忙の辛さを実感する立場であり、ファスト教養の旗手の一人として言及される堀江貴文氏に対して、ライブドア社長時代には素直に共感していた一面も告白する。

そんな「ファスト教養」だが、実はこの用語が最初に使われたのはこのFINDERSでの寄稿で、今回インタビューを担当する筆者(神保)が編集を担当した。レジー氏が抱える問題意識も共有してきたつもりだ。

そのため今回は、新書『ファスト教養』にまつわるロングインタビューを通じて、ファスト教養の何を問題視しているのか、それがダメだと言うなら何をどうすればいいのかを語り合った。上記の経緯から聞き手である筆者の発言量もかなり多くなってしまったこともあり、顕名での対談形式としている。「本が自分にとって有用かどうかわからないと億劫で手に取れない」という方も、まずはこの記事を読んでみていただきたい。

聞き手・構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

レジー

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1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題になり、2013年春から外部媒体への寄稿を開始。著書に『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)がある。
Twitter https://twitter.com/regista13
レジーのブログ(note)https://note.com/regista13

神保勇揮(FINDERS編集部)

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1986年生まれ。大学卒業後、出版社で不動産業界向け経営誌の記者・編集者として勤務、ウェブメディア運営企業での編集職を経て、2017年からFINDERSの創刊メンバーとして立ち上げに参画。

教養が「カネ儲けに結びつく知識やスキル」だけを指すものに変わってしまった

レジー:僕がファスト教養について書くことになった最初のきっかけは〈「教養としての〇〇」みたいなものが軽薄だけど刺さるっていうことであれば「ビジネスパーソン向けの教養としてのJポップ講座」みたいなのやりたいですね〉というツイートをしてすぐ、神保さんが反応してくれたことなんですよね。それでFINDERSでNiziU論を書かせてもらってから本格的にタッグを組むことになった。

そうした中でちょうど「ドラマやアニメの倍速視聴スタイルに賛否両論」「ファスト映画動画の制作者が逮捕」という話題が出てきたこともあり、〈手軽に映画のストーリーと結末に触れられるコンテンツを「ファスト映画」と称するのであれば、その本質は「ファスト教養」とでも言うべき「ビジネスパーソンの武器として使える知識を手軽に知る」という概念の出現にあるのではないだろうか〉と書いた記事をFINDERSに寄稿したことで集英社さんから本書執筆のお声がけをいただきました。

神保:そうですね。ファスト教養は「古典に触れろとか言うけど、もうそんなことしてるお金も時間もないんだよ」みたいな諦念があったうえで、「知識欲はあるけどもう少し噛み砕いてほしい」「そういう情報を発信してマネタイズしたい」という需要と供給が噛み合った、「教養ある知識人」へのある種のカウンター的に登場してきたんだと思うんですが、一方で何でもかんでも「成功」とか「稼ぐ」みたいな自己啓発の文脈に乗せてカルチャーヒーロー化する勢力が強すぎるきらいがあるのを見るにつけ、もう少し揺り戻しをかけるような価値観の記事も出さなくちゃいけないよなという問題意識はずっと持っていて。

ただ、この本でもこれまでFINDERSで出した記事でも、レジーさんは「ファスト教養なんか摂取するな、本物の教養だけを味わえ」とも「カネ儲けは悪だ」とも一切書いていない。それでもしばしば「結局あいつが言っているのはそういうことだ」と誤解されることが多いじゃないですか。

そういった誤解を払拭するためにも、改めて「ファスト教養とは何か」という話からスタートしたいと思います。

レジー:わかりました。ファスト教養には2つのレイヤーがあると捉えています。

ひとつは本のサブタイトルにも「10分で答えが欲しい人たち」とつけている通り、短時間でいろんなことが分かるよというYouTube動画や、「ビジネスシーンで役立つ教養としての✕✕」といった書籍など、概要のみに手っ取り早く当たることで知識習得の時短化を図ろうとする(けれど逆に正確な理解≒教養からは遠のきがちな)コンテンツのことです

もうひとつの大きい概念として「これからのビジネスパーソンは英語やプログラミングだけでなくアートの知識も必要だ」といった、教養が他の人と差別化するための材料である、みたいな宣伝文句を各所で見かけますよね。そこには「自己責任論がはびこる社会の中で、何とか他人と差別化できる教養を身に付け、年収をアップさせて生き残らなくてはいけない(負け組に転落しても誰も助けてくれない)」という空気が前提としてあり、その脅し文句として「ビジネスパーソンが知らないと困る教養」が使われているのだという状況認識を指しています。

ただ強調したいのは、クイックに情報を得ること自体が悪だとは全く思っていなくて、むしろ効率良くいろんなことを知るというのはいいことだと思うんです。でも、その役割を担っているのは適切な人なのか、そもそも何のためにそれをやっているのかという目的設定の仕方に、良いファスト教養、悪いファスト教養みたいなものの違いがあると感じています。

例えば今年の9月末に出る書籍で『齋藤孝の名著50』という本があります。「1日5分、読むだけで世界の知性が身につく/あなたの知の財産に!/忙しい人たちに贈るファスト教養書」というキャッチコピーがつけられています。

神保:ファスト教養というできたばかりの造語がもう他の本の宣伝に使われていることに驚きましたが、表紙には「物語の世界に浸ろう!生きることの価値を知ろう!文明とは、宇宙とは、人類とは何か!」と書かれていますね。

レジー:齋藤孝さんをどう評価するかは各人の判断があると思いますが、この企画自体は悪いものじゃないというか、学者が古今東西の名著のエッセンスを紹介することで新たな気付きを得る人もいると思います。

そうした中で問題点があるとすれば、紹介されている本を1冊も手に取らず「これで50冊の名著のことはわかったな」と進んでいくのがコスパの良い知識獲得方法で最適だと推奨する態度です。これを読んで「古典の知識も有する教養あるビジネスパーソンです」と言えるようになるのかという。普通に考えてそんなはずないじゃないですか。

それが求められる背景は何なのか。映画にしろ音楽にしろ「興味の有無にかかわらず幅広い知識を効率的におさえてコミュニケーションに活用できることが教養あるビジネスパーソンの条件だ(そしてそうじゃないビジネスパーソンは成功が遠のく)」とされるような磁場ができてしまっているんじゃないか、というのが『ファスト教養』という本の中で問題提起したい部分です。

「リアリスト」が称賛される社会で誰が綺麗事を言うのか

神保:本の中でも池上彰さんや出口治明さんが、教養とは「人生を豊かにするもの」であり「すぐに役立つ性質のものではない」と何度も言っているにも関わらず、両者の本が「ビジネスの役に立つ=カネ儲けの役に立つ教養」というラベルを貼られてしまいがちな難しさがある状況について言及されていました。

それも重要な話であるものの、それだけ聞くと「本物の教養が大事だ」みたいな理解になりがちで、でもこの本はそんな単純な話じゃないんだぞという。ファスト教養の世界では「教養とはカネ儲けに結びつく知識やスキルのことだけを指す」というイメージがあまりに強くなりすぎているということを大きく問題視していますよね。

レジー:そうですね。例えば第1章では「ハイスクールショーバイ!」という、高校生のビジネスリテラシーを養う趣旨のイベントが炎上した事例を紹介しています。高校生がビジネスリテラシーを身につけること自体には何も問題はないものの、じゃあ実際にどんなビジネスを行うのかというアイデアのひとつが「コミケで買った同人誌を転売する」であり、講師陣がそれを咎めるどころか称賛したことで炎上し、しかもそのイベントレポート記事には「教養」のタグがついていました。

ビジネスであれば時に相手を出し抜くことが必要なタイミングもあり、それがリアルだと言いたいのかもしれませんが、「転売」という方法論はサスティナブルではないし、皆が転売のための買い占めを行うようになると回り回って自分も損をする。さすがにそれを「教養」と呼んで称賛するのはどうなのか、しかも高校生向けの教育コンテンツで。という当たり前と言えば当たり前の話なんですが、今はそうではなくなっている面もある。

優等生みたいなことばかり言いたくもないんですが、それはちゃんと言っておきたいんですよね。

神保:「教養=うまくお金を稼ぐスキル」として紹介されがちな現状があり、そこに「ビジネスなんだから時にはルールをハックして相手を出し抜く」というニュアンスが加わることで、教養という言葉の意味からかけ離れているはずの「何でもアリ性」が付与される。さらにそうしたファスト教養論者たちは「努力できない人」「税金を払っていない人」に対して、社会で苦しい思いをしても当然だと言わんばかりの厳しい言及をすることがままある

第5章で書かれた、本田圭佑さんがファスト教養勢力に利用されてしまう話(ちなみにこのパートの初期バージョンがFINDERSで読めます)なんかもそうですが。

ただ、この辺りはさすがにちょっとついていけないと思う人も少なからずいるのか、ある種この風潮のカウンターとして人気になったのがひろゆき(西村博之)さんなんじゃないかという話が出てきますよね。レジーさんはこんな風に言及しています。

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彼の書籍に目を向けてみると、メッセージ自体は実は思った以上に「まとも」な部分もある。「貯金は無駄」「学歴は不要」といた偏った発信に流されないようにという警告はバランスが取れたものであり(『がんばらない勇気』)、「凡人が堀江さんの言うことを真に受けて、表面的な真似だけをしても、堀江さんと同じ能力がないと同じところには行けません」という指摘も至極真っ当である(『無敵の独学術』)。
ただ、優しさと切れ味が両立する魅力的なパーソナリティという印象をそのまま受け取ってよいのだろうか。たとえば彼の話の中にたびたび登場する「バカ」という言葉は、他人を見下すことを是認するだけでなく、「そういう人は置いていけばいい」「自分さえ良ければいい」というスタンスと一直線でつながっているとも言えるはずである。
(『ファスト教養』P120〜121)

レジー:そうですね。第3章の「自己責任論の台頭が教養を変えた」で言及した勝間和代さんも、香山リカさんとの対談本『勝間さん、努力で幸せになれますか』の中で「社会的弱者に配慮した方がお金持ちの人にとっても安心・安全です」みたいな感じのロジックで話すわけです。

それはそうだとは思うんですけど、そのロジックじゃないと話が通じない世の中は、何か嫌じゃない?というシンプルな感情はあって。功利主義的な説明じゃないと通じない状況自体に対して、本質的な問題の解決にはなっていないよねと感じてしまいます。

この本を書いているときに、中学生ぐらいの頃に読んだ『君たちはどう生きるか』を再読したんですが、いたく感動してしまったんですよね。あれは基本ノブレス・オブリージュの話だと思うんです。

「持てる者はいろんな人たちのことを考えねばならぬ」という価値観は今はあまり流行らないのかもしれないですけど、そういう風に皆が考えていくことで、儲かったり成功したりする人もネガティブな感情を必要以上にぶつけられることなくちゃんと尊敬されるというか、そういう構造になっていくんじゃないかなと。そこに到達するのはすごく遠いですけど、この本を通じてその理想を共有したいなという気持ちはあります。

神保:そこは編集者としても耳が痛いところです。特にウェブメディアは記事の企画段階からSEO的な工夫をしておかなければ、公開後数日から1週間程度で全く読まれなくなる傾向にあり、紙媒体よりも「とにかく記事アップした瞬間に、目の前の人に読ませる」という意識が強いです。なので自分としても読んでくれた人が少しでも興味を持ってタップしてくれて、見方を変えてくれるなら功利主義でも何でも使ってやれと思っているところもあります。

そして主語が大きすぎるかもしれない言い方ですが、言ってしまえば自分含め多くの編集者は「これからのビジネスパーソンには◯◯力が必要だ」的なキャッチコピーをつけてしまう欲求や要請に抗うのは非常に困難だとも思っています。教養と言っても単にスルーされるか、従来からのジャンルのファンしか手に取らず広がらないと悩んだ末の苦肉の策として「ビジネスパーソンための◯◯」とつける流れは目に浮かびます。実際に売れるからこそ乱発されている面もあるでしょうし。

レジー:なるほど。先日『ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律』という、世の中の自己啓発ビジネス書を皮肉りまくる本を執筆した堀元見さんと対談したんですが、そこでは僕の「世の中がもっと良くなった方がいいと思っているんですよね」といった趣旨の発言に対して、堀元さんからは「立派な考えだとは思うんですけど、そこに到達するのは大変ですよね」という返答がありました。この本も、見る人が見れば優等生が書いた綺麗事に映るかもしれません。

この本のメッセージが理解されて社会が変わるのは僕が死んだ後、100年後かもしれない。でもそうやって漸進的にしか社会は良くならないのだとしたら、それこそ大上段の話を今きちんと書いておきたいとも思うんですよね。

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