CULTURE | 2022/08/05

富野由悠季が問いかける「未来の問題」 非ガンダムファンこそ『G-レコ』を観るべき理由

聞き手・構成・文:神保勇揮(FINDERS編集部) 写真:小田駿一

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聞き手・構成・文:神保勇揮(FINDERS編集部) 写真:小田駿一

「ガンダムの生みの親」こと富野由悠季監督の最新作として、構想段階から数えると約10年制作が続けられたアニメ『Gのレコンギスタ』。同作はTV放送版を全面リメイクした劇場版五部作の完成をもって、遂に完結した。

そのため今回は劇場版完成記念インタビューではあるのだが、実は「ガンダムの話」はほとんどなされていない。聞きたいことはただ1つ。「富野監督は何を考え、何のために『G-レコ』を創ったのか」である。

それはなぜか。近年、マーベル作品などの主に海外エンタメを題材に「この作品は現実のこうした社会問題の提起としても描かれている」と語る切り口はどんどん増えているにも関わらず、何十年もそれをやってきた富野監督の仕事の意義が、(同様に語られてきたジブリ作品と比べても)まだまだ知られていなさすぎると感じるからだ。

「地球環境が悪化しすぎたから人類は宇宙に進出しなければいけなくなった」という筋書きは1979年にスタートした『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)から続く設定であるし、そういった世界観の中において『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のシャア・アズナブルや『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』のハサウェイ・ノアといった主要キャラクターたちは、ある種の環境テロリストとして描かれている。

また他にも人類と異星人同士(異民族同士)の凄惨な争いを描いた『伝説巨神イデオン』、ユーゴスラビア紛争をモチーフに取り入れた『機動戦士Vガンダム』、地下鉄サリン事件を受けてカルト集団と家族の問題を扱った『ブレンパワード』などなど、富野作品の多くは各時代の社会情勢や問題がビビットに反映されてきた。

そして、これまでの「ストーリーや設定に社会問題を取り込んだ富野作品群」と『G-レコ』が異なるのは、本作が最初から「社会問題を考えてもらうためのエンタメ」として企画された点である。具体的には地球環境の問題、際限なく膨張を続ける資本主義の問題、技術革新が戦争の悲惨さを増幅するばかりになっている問題などが多面的に織り込まれており、監督は2019年・劇場版第一部の公開時に「未来的な問題がどこにあるのかに考えを巡らして、その解決策を考えてくださる子供たちを待ちたいのです」というコメントも寄せている。

その「未来的な問題」とは一体何なのか。話をうかがった。

『G-レコ』は「宇宙開発絶対反対アニメ」だから反ガンダムになる

―― 今回のインタビューでは、これまでガンダムファン、あるいは富野ファンでなかった層に対しても、『G-レコ』に込められたメッセージを伝えていく中で、現実世界で起こっている「こんなこと」を踏まえて作られた作品で、すごく面白いから、ぜひ観るべきなんだ、ということを訴えられる内容にできないかと思っています。

富野:『G-レコ』に関しては、最初からアニメファン、ガンダムファンを相手にしていませんから、同じことしか言っていません。巨大ロボットも出てくるし、宇宙を舞台にしているんだけれども、「宇宙開発絶対反対アニメ」なんですよ。

そして、特に工学に関して、学者たちがあまりにも不定見である、技術過信をしている。「21世紀になってだいぶ経つんだから、19世紀から20世紀にかけての科学技術一辺倒の思考から、そろそろ脱却するというムーブメントに行かなくちゃいけないのに、なんでまだ宇宙開発なの?」とか、「火星に移民しなくちゃいけないかもしれない、みたいなことを政治家や実業家が言うようになってきた、というのはちょっとおかしくないか」ということを言いやすいようにするために作ったのが、『Gのレコンギスタ』という作品なんです。

だから、ガンダムファンは『G-レコ』に見向きもしませんでした。実際ファンに付いてくれたのは、二十歳前後ぐらいまでの人だったんです。本当に最近になって少しはガンダムファンの人も、ガンダム系の作品だからというので振り向いてくれるようになったらしいということを多少は理解していますけれども、基本的に今言ったようなテーマで作りましたから、ガンダムに取り憑かれた世代には理解できない作品になっています。

「宇宙エレベーター維持に必要な物流システム」は構築できるのか

富野:その一番分かりやすい例として、冒頭で宇宙エレベーター(作中では「キャピタル・タワー」と呼称)というものを登場させ、連結式の車両にしているわけです。現在も宇宙エレベーターありきでものを考えている学生がいたり、大学の授業みたいなものがあったりもしている。リニアモーターカーを使って静止衛星軌道まで上昇するというアイデアに関してだけは、僕も基本的にいい発想だというふうに認めます。

『G-レコ』に登場するキャピタル・タワー。中央の球状の物体は「クラウン」と呼ばれる車両で、全長約60mで客室を有したものや、無蓋クラウンと呼ばれるモビルスーツやコンテナを積むものなどもある
(C)創通・サンライズ

ですが、実際にこの現実で利用しようとなったときに、それはインフラとしてのバックアップがなければ運用できないものである。つまり、鉄道というのは運搬するモノ=物流のシステムが存在して、そこから収入がコンスタントに手に入って、やっと継続的に運用できる。ケーブルを地上8万km(頂点となるカウンターウェイトの『G-レコ』世界での設置位置)まで張らなくちゃいけない中で、そのメンテナンス費用はどこから出るのか。だから交通機関にしない限り、絶対に宇宙エレベーターは運用できないんだよ、という話です。

さらに交通機関としての運用を考えなきゃいけない。つまり宇宙に出て何を運ぶのかを考えると、例えば地球と月の往復を考えてみた際に、片道約38万kmもあるわけね。そうすると現段階だけでなくて、おそらくこれから1000年ぐらい経ったとしても、月から運んでくるような商品なんてあるわけないだろうと考えています。

だけど『G-レコ』では、宇宙エレベーターを「キャピタル・タワー」という言い方にしています。キャピタル、つまり資本を発生させるためのものになっている、そういう物流を発生させるという設定になっています。

どういうことかというと、『G-レコ』の世界では地球で天然ガスや石油も何もかも一切採れなくなってしまっているので、エネルギーを別のところから手に入れる必要がある。劇中ではそのエネルギー源をフォトン・バッテリー(『G-レコ』世界のありとあらゆる電力需要をまかなう超高性能バッテリー)と呼んでいて、この物質を生産するにはきっといろいろな問題があるだろうから、やっぱり宇宙で作るほうがいいんじゃないかというふうにして「地球では採掘・製造できず宇宙に工場があり、そこからキャピタル・タワーを通じて運び込む」という流れにしたんです。

そういうことをひっくるめて、今の資本主義社会で実業家、あるいは技術者に対して「あなた達にはこんなことできるわけないよね」という言い方をしているわけです。

―― 『G-レコ』は、長い年月をかけた監督の膨大なリサーチに基づいて構想されていますが、こうした物語や設定は「宇宙エレベーターなどの技術が現実世界でどうすれば成り立つのかを考えたい」なのか、資本家や技術者に対して「あなた達はここまで考えているのか」と突きつけたい動機から考え始めたのか、どちらだったのでしょうか?

2021年に出版された『アニメを作ることを舐めてはいけない ―「G-レコ」で考えた事―』は、単なる『G-レコ』の設定資料集というよりも、監督が考えた=勉強した事柄をいかに設定に落とし込んだかという“勉強ノート”でもあり“富野由悠季の思想書”とも言える内容になっている。『G-レコ』の「物語の深さ」を感じたい人はぜひ手に取ってほしい

富野:それは両方。どちらかに偏っちゃうと、今みたいな言い方ができなくなるんです。ものの発想において入口は必要だから、アイデアというのはおそらくピンポイントで発想するでしょう。けれどもそれだけで済むかどうかと言えば、おそらく済まないと思う。そうしたときに、やはり多面的に考えなくちゃいけないことがあるんです。

どういうことかというと、今のコンピュータやインターネットが始まったときに、物流のための通信になるなんて思っていなかったでしょう、誰も。

―― いずれも最初は軍事技術として開発されていますね。

富野:そう。だから、科学技術的なことだけで進めていくと、応用するという知恵が意外と思い浮かばないんですよ、という話。その技術の他の有用性を想像できなくちゃいけない、ということも一生懸命考えてほしいんです。

起業をするときも「マーケット」という言い方をするじゃない。それは顧客数とかの数字だけでものを見るんじゃなくて、そういうものを必要としているという社会性みたいなものを、見抜くということまで含めてのマーケットだから、商売人は、本能的に「これでいけるよ」と思ったとき、今言ったようなことを全部タタタタッと想像していくわけじゃない?

そしてそれを毎日毎日繰り返してビジネスにしていく。人を雇って、お前ら働け、ということを、億劫がらずに言える胆力がなければ、成立しないわけでしょう。

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現実にも宇宙世紀にも絶望してなお「未来の子どもに向けた希望ある物語」を作る理由

富野:それと同じように、『G-レコ』では宇宙エレベーターひとつ取っても、劇中世界の政治経済の問題について、フィクションとしての解決案まで考えざるを得ないということを同時的にやっていったうえで、作品を作っていますという言い方ができますね。

同時に、なんでそんなことを思いついたんですか? と聞かれれば「子どもに向けて未来に希望のある物語を作りたいから始めたことなんです」と答えるけど、「え、そのことと今の話は全然つながりがあるように思えませんけれども」という反応をされるわけです。

はい、つながりはありません。つながりはないけれども、現在の地球とか現在の我々の生活を見て、50年後に希望を持つことができますか? という話なの。

そうしたときに、僕は今のままの経済論と政治情勢の中で、人口増殖も進んでいて、地球はあと150年ぐらいしかもたないと思っている。今の時代を舞台にして孫たち、ひ孫たちに、「明るい未来があるから、お前たちも頑張れよ」という言葉を、僕は見つけることができなくなっちゃったんです、もう20年以上前に。

一つにはそれもあったので、ガンダムを作ることをやめたという言い方があります。そして、20年後に『Gのレコンギスタ』を何とか思いついたのは、既存のガンダム世界、宇宙世紀の延長線上で考えると絶望しかない。つまり、宇宙戦争が終わった後に、地球はどうなっているかといえば、めちゃめちゃになっている。だから、それを考えるのをやめた。

それでも、子どもたちに明るい未来がある物語をウソでも作ろう、アニメだからウソでいいだろうと思ったわけです。そのときに作る世界設定というのは、一度人類が絶滅寸前までいった。それこそ宇宙戦争をやり尽くしたから、ガンダムの延長線上なんだという逃げ口上があるわけです。

そうしないと今の地球がとか、戦争が起こっているとか、ポピュリズムの扇動者が大統領になったり、なるかもしれない国はおかしいでしょう、とかいう話をやると、トゲが立つじゃない。

―― はい。

富野:だから、それを言わないでやるためにはどうするかというと、宇宙世紀から1000年後、2000年後で、人類がまたもう一度、文化を取り戻してやっていこうとする世界だったら、これから明るい未来をつくっていこうという物語をウソでも作れるかもしれないなと思って、『Gのレコンギスタ』という物語を作りました。

だから、時代を新しい世紀(リギルド・センチュリー)の物語ということにした。宇宙エレベーターはもともと宇宙世紀時代にあったかもしれないから、ということでそれを利用して、フォトン・バッテリーを発明したヤツがいてくれたおかげで、地球がもう一度再生することができたので、さあ、どうなるかといったときに困ったことが起こった。宇宙戦争の歴史があったおかげで、モビルスーツ(MS)というロボット兵器の設計データが残っていたのよね。で、それを作るバカがいた。というのが『G-レコ』の物語の始まりです。

一体どういうことなんですか? というときに、我々がとてもよく知っている事実があります。核物理学者というのが150年ぐらい前に出てきて、原子力というものを想像できるとんでもない人たちが出てきてしまった。その技術を利用して作れるものがある、ということまで想像できるようになってきた。

そうしたときに革新的な研究者たちが初めに何をやったかというと、原子力発電を作るんじゃなくて原爆を作っちゃった。これは、すごくおかしくないか? という話。でも我々は原爆というものがありきだと思っているから、おかしいなんて思わないわけ。

技術というのは本来、人のために役立つものなのに、なぜか原子力爆弾が先にできて、その次に水素爆弾まで作っちゃった。そして実際に広島と長崎で使ってみたら、あまりにも破壊力が高すぎるからヤバくて使えないよねというので、それが冷戦以後のところでのミサイルに搭載して、大陸間弾道弾にするぐらいのことまではやってやめたんだけど、使えたかというと使えない。

一方で「原子力の平和利用があるんですよ」と言う人もいる。はいはい、どこにあるんですかと聞けば「原子力発電がありました」とか、「放射線を使う医療で新しい切り口もあるんだから、これはこれで平和利用でしょう」なんて言う。確かに平和利用です。だけど、核物理学者が一番初めにやったのは原爆を作っちゃったことだよね。

技術というのは、そういうふうにしてすごくシャープに発展していく。今我々がすごく便利に使っているインターネットがあるよね。これ、異常な使い方だと思わない?

―― 頼りすぎているということですか?

富野:ネットを使った連中が、みんな賢くなっているか。

―― なっていないですね。

富野:デジタルのマークを見ているだけでしょう、言いたくないけど。こういうふうにしちゃったからしょうがない。そこで、人口の問題にポンと戻るんだよ。地球の総人口が100億になるには2050年ぐらいかもしれない、ちょっと待てよと。

ということは、人口爆発問題とか環境汚染の問題がこれだけ言われているのに、それが善だと思っているんですか、と言ったときに、命は大事なものだからという動物愛護協会とか人権主義者が出てきて、反論できないじゃない。我々は今。そうすると、これは異常でないのか。

―― できれば保護したいですけど、実際に食べさせられるのか、環境を守ることと両立させる、それこそ技術があるのかを考える必要はありますね。

富野:そういうこと。解決するための科学技術もこれからも進んでいくんだから、今はやりましょう、と言う研究者がいるわけよ。そうしたときに彼らは、ビッグデータを使っていろんな調査をしていますと言う。

じゃあビッグデータを使って10年後の人口はどのぐらいと予測され、どれだけの食料が必要になって、どうすれば用意できるようになるのか。やれるものならやってみろよとなる。

―― 結局、多くの企業はお金儲けのためだけにビッグデータを使っているばかりですね。

富野:使ってばかりで、その限界値の計算をしている人はどこにもいない。というのはおかしな話なの。そろそろ、そういう問題をきちんと言葉にしていきましょうよ、認識論として高めていきましょうよ、という話をしたいために『Gのレコンギスタ』を作りました。

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『G-レコ』で描いてみせた「ポスト資本主義」の世界

『G-レコ』の主人公ベルリ・ゼナム(画像右)と彼に好意を寄せ共に行動するノレド・ナグ(画像左)

―― 関連して『G-レコ』が非常に興味深いと思ったのは、世界宗教(劇中で登場するスコード教)の教義で技術発展を禁止してブラックボックス化させ、エネルギー源は宇宙からやってくるので心配ありません、と多くの「戦争が起こる理由」を潰しても、なお人類は争いを始めてしまうという「戦争はなぜ、いかにして始まるのか」を丹念に描いていたことでした。

富野:世界人口を30億に落とさなくちゃいけないということを、そろそろきちんと容認していくロジックや認識論を育てていかなくちゃいけないのに、なんで開発とか発展とか進化するという言葉遣いでものを考えようとしているんだ、と異議申し立てをしているんです。つまり、「これからあなた達が起業して儲けようとしているよね。これ以上儲けてどうするの? そういうことも一切やめよう」という話をしたいわけ。

―― 『G-レコ』は科学技術の発展をやめた後の世界、ポスト資本主義的な世界を描いているということですよね。

富野:だから「ビジネスパーソン向け」と言っているメディアには、似合わない話なんだよ。もう、この取材はやめなさい。

―― もう少し続けさせてください(笑)。技術発展とその先にある戦争の話に関連して気になったのですが、劇場版『G-レコ Ⅳ』「激闘に叫ぶ愛」では、主人公ベルリが大量破壊兵器の「フォトン・トルピード」を使うシーン以降の描写が、TV版のそれとは全く違う、兵器の凶悪性を、より強調するものに変わっていることに衝撃を受けました。なぜあのシーンを変更したのでしょうか? 

フォトン・トルピードは触れたものを対消滅させてしまう、富野作品の中でも屈指の凶悪兵器。劇場版Ⅳの本予告映像の33秒あたりから、使用するシーンを垣間見ることができる

富野:その理由はさっきの原爆のくだりで話した通りです。技術というのは進化すればするほど、そういうところに踏み込んでいっちゃうから、それをそろそろやめる時代が来ているんじゃないのと言っているんです。国力差があって多くの兵器を持って、それを実際に使ってみせたとしても、今は帝国主義の時代と違ってそう簡単には他国を占領できない。かと言ってこれからどうしたらいいのか、という行き先も分からなくなっているのにまだ戦争をやっている。

人類の本来的な意味での進化があるはずなのに、それに逆行しようとしている人がいる。世界がそれを否定もできないで、今も元気にやっていたりする。まさに知恵の持っている保守性、呪縛性というものがあって、人を絞め殺しているんですよ。今、人類全体がそういう方向に行っているんじゃないかと僕は思っています。

だから、だからなんです。起業するにしてもそうなんだけど、人口縮小が脅威なのではなくて、その方が永続性のある社会をつくることができるとか、地球を保全することになるかもしれないという、つまり“縮小していくためのビジネスをやっていく”というところに行かなくちゃいけないんじゃないの? という考えがあるんです。

海洋のプラスチックを回収していく必要がある一方で、これをビジネスとして金銭化するのは事実上できない。できないんだけれども、海洋を守らなくちゃいけないことがはっきり分かるようになってきたんだから、これは国家予算でやってもいいようなことで、軍隊に使う予算を、そういうものに振り分けていくという精神構造を持つ必要が我々にはあるんじゃないかという話で、そういうところに論点を持っていきたい。

こういう回路の話がようやくできるようになったのも、『G-レコ』を作ったから。今後、我々が地球で永続していくためにはどうしていかなくちゃいけないか、という視点を持ったときの新しい切り口が出てくるんじゃないのかなと思っている部分がありますね。

日本という国は本当に不幸なところで、例えば風力発電でも「海岸線にきちんと並べて造ればいいじゃない、なんでわざわざ千葉や福島で地元住民と揉める状況を作っちゃうんだ」と考えていくと、問題なのは、従来の延長線上でものを考え過ぎていることで、いっそ太平洋に浮島を造ってでもいいから(編集注:風車を海に浮かべる「浮体式洋上風力発電」は日米欧で開発や実験が進んではいる)、風力発電をもっと増やすための資金と技術力をポンと踏み込んで出すぐらいの英断、勇気を持たなくちゃいけないのに、まだそれがやりきれていない。

宇宙エレベーターだってそうで、『G-レコ』でああいうふうに描いて分かることなんだけど、1基、2基のエレベーターを動かしたからといって、物流のための交通手段になんかならないんだよね。そういうことではなくて、もっと社会性と実用性を兼ね備えつつ、ペイできるシステムを考えていくところに、そろそろ技術者も行かなくちゃいけないんじゃないの? という話をするためにも、『Gのレコンギスタ』みたいなものを作っておけば話をしやすいでしょうと、それだけのことなんだ。

『G-レコ』は「解決策の提示」ではなく「問題を列挙」したアニメ

―― ここまでのお話でやっと自分も「富野監督は『G-レコ』を通じて何をしたかったのか」が腑に落ちた気がします。多くのフィクション作品は「視聴者が感じてほしい、監督なりの答えやヒント」が散りばめられているわけですが、『G-レコ』の場合はそうではなく、現実世界がどのような過程で移り変わってきたかに関して、監督がこれまで勉強し、お考えになってきたこと「そのもの」が世界設定やキャラクターの身体の動かし方、背景美術の隅々に至るまで表現されていて、「この先に発生する問題の解決策を考えてくれよ」という課題・問いを示す教材として制作されたということですね。

富野:全くそういうことです。孫やひ孫たちに、「一応問題は全部列挙したから、『G-レコ』を見たうえで解決策を見つけてくれない?」とお願いしているのがこの作品なんです。

だから、偉ぶっているつもりは全くないし、偉ぶりが見えていないだろうなというのは、今回の『Ⅴ』で最終的に作り上げた部分で、そういうところに落とし込めたような終わり方にもなっているかもしれないと思っています。つまり戦争賛歌にもなっていないし、悲惨な物語にもなっていないということ。

結局、劇中で一番カメラが追いかけたベルリと(幼馴染的立場の)ノレドについて、こういうかたちで一応落とし前を付けちゃいましたけれども、「こんなものなんでしょう、人というのは」という、まさに「こんなもんだ」というのが一番重要なこと。で、「こんなもんだ」をもう一度環境論とか職業論に戻していったときに、人類にとって一番大事なことはどういうことかと言えば……。

だから、人類の総数をとにかくこれ以後は徐々に減らしていって、人口減というものは地球にとって、世界にとって脅威ではないんだということを認識していく。人口減をしていく過程の中で、もう一つ我々がやらなくちゃいけないのは、水産と農業を永続的に維持していくための環境保全をどうするかを考えなくちゃいけない。つまり、そういうふうに言った瞬間に、例えば日本人として僕が一番簡単に言えるのは、休耕田を何とかしてくれよという話なのね。

田地・田畑をこれだけ休みにさせているというのは、税制や所有権の問題などがあるんだから、その辺をもう少し有効に使っていって欲しいんですよ。今回の戦争で分かったことがあるでしょう。お米や小麦が輸入されなくなったらこうなんだから、自給自足というのをもう少しきちんとやろうぜというところに、観念論ではなくて行かなくちゃいけないところに来ているわけです。

やっぱり今回の参議院選挙もそうだけど、投票率が低いということは、死ぬほどヤバい問題になってきている。軍部OBすら反対しているのに、まさにその軍隊が戦争をやっている絶対不幸みたいなことを、この21世紀にやっていると我々は思わなかったよね。

それを考えていったときに、理想論を言っている暇はなくて、我々は本当に愚明な人類なんだから、知恵というものを変な使い方しかできなかったわけ。スペースXを作ったイーロン・マスクは天才かと思ったんだけど、「人口減がこれだけ進んだら、日本なんていう国はなくなる」と平気で言う。まともじゃないと思いません?

そういうことを再考させるような、言葉遣いや思考回路を我々は持つ必要があるんじゃないですかというのが、『G-レコ』の中で言っている一番のこと。それを現実のビジネスとして考えると、ユニクロみたいに大ヒットはしないかもしれないけどもね。

そのへんのことを本当に維持していくためにはどうしていくかというと、今日本中でやっている、高層ビルがガンガンガンガン建っていくみたいな、あの政策はそろそろおかしいと本当は今から声を大にして言わなくちゃいけないことなんじゃないの、と。それはどうしてかと聞けば、「上海やシンガポールに負けたら困るんです」と言われる。はいはいはいはい、そうだよねとは言えるけれど……。

だけど今、中国では銀行の取り付け騒ぎみたいな大問題が起こっているわけ。ということになると、投資家を保護することがどこまで善なのか、つまり金融資本の問題になってくるということを、そろそろきちんと我々が言葉にして、それはおかしいと言わなくちゃいけない時代が来ているんじゃないですか? というのが、『Gのレコンギスタ』が一番言いたいことです、って全部言っちゃった……。

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富野監督が構想する新作『ヒミコヤマト』の話

―― 最後の質問ですが、ようやく『G-レコ』も完結したということで、以降の新作の構想や予定があれば教えていただきたいです。

富野:僕の年齢を知っている?

―― 80歳です。

富野:80のジジイにさ、あと3年も生きないかもしれないような人にさ、新作の構想があるわけないじゃねえか(笑)。

―― すみません(笑)。

富野:本当にそうなのよ。それを聞こうとしているのは、メディアの在り方のクセで、機械的に聞きたがっているだけ。本気で「富野さんという人の才能はとても偉大だから、やっぱりあの人のやっていることは死ぬまで目が離せないから、いろんなことを全部聞いておこう」というふうに思えるようなキャラクターに見えないんだから、聞くな!。

―― でも、少なくとも僕は本気で次回作も観たいんです。そして既に数年前から『ヒミコヤマト』という作品の構想があるという話を読んだことがあります。

富野:構想はあるの。でも妄想みたいなものなので企画にはなっていないから話せないし、話す気もない。だけど『ヒミコヤマト』というタイトルを商標として特許庁に申請してみたら通っちゃったのよ。

―― ほう!

富野:つまり、タイトルは生きているし、更新もした。だから、他のヤツに使わせない。

そういう事実があるから何とか作品化したいと思ってはいるんだけれども、今の段階では無理だね。どうして無理かというと、ヒミコと、ヤマトというのは戦艦大和なんだよ。これをドッキングさせたいの。で、『宇宙戦艦ヤマト』をつぶしたいという話をしているわけね。でも、あんまりできそうもないんだよね、という話を別のインタビューでもした。

だから、まだ企画にもなっていないけど、タイトルとしては面白いでしょう。それだけのこと。だけどこの1年、『ヒミコヤマト』を作るために少し卑弥呼を調べた。そうしたら、かなり知恵がつきましたよ。まず卑弥呼という、今で言えば県知事レベルの女王がいて、邪馬台国という国を治めていたらしい。しかも卑弥呼というのは本名ではなく役職名で、複数人いたらしい。そして邪馬台国は北九州にあるのか、畿内、つまり関西地方にあるのかということで、論争しているような日本の歴史学があるというぐらいのことが分かるようになってきた。

それで、北九州方面というのは女の知事があっちこっちを治めていた。どうしてそうなったか。男が治めているときは戦争ばかりやっていたけど、女が治め始めたら穏やかになった。「ふうん、いいんじゃないの。海の向こうの要するに蛮族の国で」というぐらいの認識しかあるわけがないのよね、当時の中国なんて。

―― 『魏志倭人伝』を書いた当時の人からすれば、そんな認識だったのだろうなと思います。

富野:中国は中国で、自分たちが他の国から攻められるのを守ったり、何かしているわけだから、そんなことにかまっちゃいられないで、個人名なんていうのは必要ないでしょ?

もう一つ重要な話があって、かつて、日本には「諱(いみな)」という考え方があったし、いわゆる言霊信仰という、言葉というものに霊が付いている、力があると思っていたので、親や主君以外が本名を呼ぶのがタブーだった。よほど親しい人以外には実名を絶対に教えないから役職名で呼び合ってたし、『源氏物語』を書いた紫式部なんかも、父親の役職名(式部大丞)と源氏物語に出てくる紫の上から取った通称なので、彼女の本名はわからないわけ。

―― なるほど。

富野:実名を教えるということは、自分の魂を売ることかもしれない。言霊、言葉には力があるから。だから、「藤原の何とか子」は藤原一族だとは分かるけど、真ん中の字だけは抜いて、みたいなことがある。

そういう中で、日本は5〜6世紀ぐらいに漢字が入ってくるまで広く使われる文字がなかったから、文書があるわけがない。だから、中国にある文書を証拠物件として並べていったときに、歴史学者はそれ以上の想像はしちゃいけないと言っている。

でも、伝承話とか宗教論から出てくるような伝説、つまり神話みたいなものはみんなの持っている記憶なんだから、それを証拠にしたっていいんじゃないですかという考え方もある。

だからこれはガンダムの話ではありません(笑)

―― それは安彦良和さんが「日本神話の登場人物たちを実在する人間として捉えて、フィクションで描いてみる」と『ナムジ』『神武』『ヤマトタケル』などの古代史シリーズで試みてきたことでもありますね。

富野:全くそうだ、というふうに考えていったときに、「自分が神話をどう解釈しているか」というものすごくざっくりとした言い方をすると、卑弥呼は『古事記』に出てくる天照大御神(アマテラスオオミカミ)のことなんじゃないかという話があり、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が卑弥呼の弟に当たるというような説も出てくるわけね。

で、『古事記』の国譲りのエピソードは、建御雷神(タケミカヅチ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を征服して出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)から国を譲ってもらったという書き方をしているわけだけど、「どこかの弟さんが葦原中国=出雲にまで行って統治者を討伐した話」として書いてある(編集注:『古事記』においてタケミカヅチは天照大御神の弟ではないが、ここでは「卑弥呼の弟として実在していたかもしれない人物」と捉えていただきたい)。

で、大国主と名乗っていたのはおそらく朝鮮半島がルーツの人なんじゃないかと思ってるの。そいつを袋だたきにして、その国をもらってきちゃった。そして、葦原中国というのは「出雲の方はまだ稲作が十分にできていないから、葦の野っ原を全部征服してきた」と考える。

それで天照大御神が、「今度はそこをあなたに与えるから、稲作を始めて自分の国として統治していきなさい」という話になってくる。それで稲作が定着してくる。「その辺のことは中国の文献にないから、そういう時代はなかったんじゃないですか」と言われたら「ふざけるな」と答えておきます。

だって、稲作を広めていって、出雲をちゃんと人が住めるようにした人たちがいるわけよ。それが、『古事記』を書くときにしょうがなく出雲という都市をつくり、『日本書紀』でも同じようなことが書いてある。

大和の国にしてみると、出雲は邪魔していた存在なので、「お前らは今まで邪魔していたんだから、これからはおとなしくしてこちらの言うことを聞きなさい、そのかわり出雲神社や春日大社を造ってお前たちの祟り、つまり大国主命の祟りがないようにするために祭ってあげるから」というふうにした。

大和の方に祟りが来ないようにするために、あの大きなしめ縄ができる神社ができたというのが出雲の国の発生なの。僕は出雲という語感がとても好きだったから、すごくプラスに考えていたら、ああ、そういうことなのねというのが分かってガッカリもしています。

けれど、それで『ヒミコヤマト』をどう構成するかというと、うーん、よく分からないとなるから、こういう話だけはできるようになったけれども、これ以上の話はできない。

となってくると、今の話だけでも分かることがあるわけ。古代史みたいなことも今みたいな理解をしていくと、意外にスルスルッと分かってくるものがあって、弥生時代から古墳時代ぐらいになるまでよく分かっていない「空白の1世紀(※3世紀の邪馬台国の時代から、5世紀のヤマト王権による支配地域拡大までの100年近くで、何が起こっていたのかという資料が乏しい)」みたいなことも、実を言うと全部分かっちゃうのかもしれない。

だけど、そのためには神話として語られていることをはぎ取っていって、わからせることをしていかなくちゃいけない、もうちょっと一般的な常識として理解していかなくちゃいけなくなってくる。

そのためにはアニメの力が意外と大きいから、やってもいいかもしれないと思うんだけど、今までの話で分かるとおりで、卑弥呼のことひとつ分からせるにしても、かなり学識がないときちんと書けないのね。ただ逆に言えば「神話で言われているようなことは、かなり正しいことなのかもしれない」ということを飲み込めばいいだけの話でもある。

それを全部説明している日本の文章があったら見せてほしいけど、そんなものはあるわけないだろうという話。そういうことが分かってくると、とても面白いよねという話をアニメで描きたいなと思っているから、新作はガンダムの話ではありません(笑)。


劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」
8月5日(金)より全国ロードショー
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