富野監督が構想する新作『ヒミコヤマト』の話
―― 最後の質問ですが、ようやく『G-レコ』も完結したということで、以降の新作の構想や予定があれば教えていただきたいです。
富野:僕の年齢を知っている?
―― 80歳です。
富野:80のジジイにさ、あと3年も生きないかもしれないような人にさ、新作の構想があるわけないじゃねえか(笑)。
―― すみません(笑)。
富野:本当にそうなのよ。それを聞こうとしているのは、メディアの在り方のクセで、機械的に聞きたがっているだけ。本気で「富野さんという人の才能はとても偉大だから、やっぱりあの人のやっていることは死ぬまで目が離せないから、いろんなことを全部聞いておこう」というふうに思えるようなキャラクターに見えないんだから、聞くな!。
―― でも、少なくとも僕は本気で次回作も観たいんです。そして既に数年前から『ヒミコヤマト』という作品の構想があるという話を読んだことがあります。
富野:構想はあるの。でも妄想みたいなものなので企画にはなっていないから話せないし、話す気もない。だけど『ヒミコヤマト』というタイトルを商標として特許庁に申請してみたら通っちゃったのよ。
―― ほう!
富野:つまり、タイトルは生きているし、更新もした。だから、他のヤツに使わせない。
そういう事実があるから何とか作品化したいと思ってはいるんだけれども、今の段階では無理だね。どうして無理かというと、ヒミコと、ヤマトというのは戦艦大和なんだよ。これをドッキングさせたいの。で、『宇宙戦艦ヤマト』をつぶしたいという話をしているわけね。でも、あんまりできそうもないんだよね、という話を別のインタビューでもした。
だから、まだ企画にもなっていないけど、タイトルとしては面白いでしょう。それだけのこと。だけどこの1年、『ヒミコヤマト』を作るために少し卑弥呼を調べた。そうしたら、かなり知恵がつきましたよ。まず卑弥呼という、今で言えば県知事レベルの女王がいて、邪馬台国という国を治めていたらしい。しかも卑弥呼というのは本名ではなく役職名で、複数人いたらしい。そして邪馬台国は北九州にあるのか、畿内、つまり関西地方にあるのかということで、論争しているような日本の歴史学があるというぐらいのことが分かるようになってきた。
それで、北九州方面というのは女の知事があっちこっちを治めていた。どうしてそうなったか。男が治めているときは戦争ばかりやっていたけど、女が治め始めたら穏やかになった。「ふうん、いいんじゃないの。海の向こうの要するに蛮族の国で」というぐらいの認識しかあるわけがないのよね、当時の中国なんて。
―― 『魏志倭人伝』を書いた当時の人からすれば、そんな認識だったのだろうなと思います。
富野:中国は中国で、自分たちが他の国から攻められるのを守ったり、何かしているわけだから、そんなことにかまっちゃいられないで、個人名なんていうのは必要ないでしょ?
もう一つ重要な話があって、かつて、日本には「諱(いみな)」という考え方があったし、いわゆる言霊信仰という、言葉というものに霊が付いている、力があると思っていたので、親や主君以外が本名を呼ぶのがタブーだった。よほど親しい人以外には実名を絶対に教えないから役職名で呼び合ってたし、『源氏物語』を書いた紫式部なんかも、父親の役職名(式部大丞)と源氏物語に出てくる紫の上から取った通称なので、彼女の本名はわからないわけ。
―― なるほど。
富野:実名を教えるということは、自分の魂を売ることかもしれない。言霊、言葉には力があるから。だから、「藤原の何とか子」は藤原一族だとは分かるけど、真ん中の字だけは抜いて、みたいなことがある。
そういう中で、日本は5〜6世紀ぐらいに漢字が入ってくるまで広く使われる文字がなかったから、文書があるわけがない。だから、中国にある文書を証拠物件として並べていったときに、歴史学者はそれ以上の想像はしちゃいけないと言っている。
でも、伝承話とか宗教論から出てくるような伝説、つまり神話みたいなものはみんなの持っている記憶なんだから、それを証拠にしたっていいんじゃないですかという考え方もある。
だからこれはガンダムの話ではありません(笑)
―― それは安彦良和さんが「日本神話の登場人物たちを実在する人間として捉えて、フィクションで描いてみる」と『ナムジ』『神武』『ヤマトタケル』などの古代史シリーズで試みてきたことでもありますね。
富野:全くそうだ、というふうに考えていったときに、「自分が神話をどう解釈しているか」というものすごくざっくりとした言い方をすると、卑弥呼は『古事記』に出てくる天照大御神(アマテラスオオミカミ)のことなんじゃないかという話があり、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が卑弥呼の弟に当たるというような説も出てくるわけね。
で、『古事記』の国譲りのエピソードは、建御雷神(タケミカヅチ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を征服して出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)から国を譲ってもらったという書き方をしているわけだけど、「どこかの弟さんが葦原中国=出雲にまで行って統治者を討伐した話」として書いてある(編集注:『古事記』においてタケミカヅチは天照大御神の弟ではないが、ここでは「卑弥呼の弟として実在していたかもしれない人物」と捉えていただきたい)。
で、大国主と名乗っていたのはおそらく朝鮮半島がルーツの人なんじゃないかと思ってるの。そいつを袋だたきにして、その国をもらってきちゃった。そして、葦原中国というのは「出雲の方はまだ稲作が十分にできていないから、葦の野っ原を全部征服してきた」と考える。
それで天照大御神が、「今度はそこをあなたに与えるから、稲作を始めて自分の国として統治していきなさい」という話になってくる。それで稲作が定着してくる。「その辺のことは中国の文献にないから、そういう時代はなかったんじゃないですか」と言われたら「ふざけるな」と答えておきます。
だって、稲作を広めていって、出雲をちゃんと人が住めるようにした人たちがいるわけよ。それが、『古事記』を書くときにしょうがなく出雲という都市をつくり、『日本書紀』でも同じようなことが書いてある。
大和の国にしてみると、出雲は邪魔していた存在なので、「お前らは今まで邪魔していたんだから、これからはおとなしくしてこちらの言うことを聞きなさい、そのかわり出雲神社や春日大社を造ってお前たちの祟り、つまり大国主命の祟りがないようにするために祭ってあげるから」というふうにした。
大和の方に祟りが来ないようにするために、あの大きなしめ縄ができる神社ができたというのが出雲の国の発生なの。僕は出雲という語感がとても好きだったから、すごくプラスに考えていたら、ああ、そういうことなのねというのが分かってガッカリもしています。
けれど、それで『ヒミコヤマト』をどう構成するかというと、うーん、よく分からないとなるから、こういう話だけはできるようになったけれども、これ以上の話はできない。
となってくると、今の話だけでも分かることがあるわけ。古代史みたいなことも今みたいな理解をしていくと、意外にスルスルッと分かってくるものがあって、弥生時代から古墳時代ぐらいになるまでよく分かっていない「空白の1世紀(※3世紀の邪馬台国の時代から、5世紀のヤマト王権による支配地域拡大までの100年近くで、何が起こっていたのかという資料が乏しい)」みたいなことも、実を言うと全部分かっちゃうのかもしれない。
だけど、そのためには神話として語られていることをはぎ取っていって、わからせることをしていかなくちゃいけない、もうちょっと一般的な常識として理解していかなくちゃいけなくなってくる。
そのためにはアニメの力が意外と大きいから、やってもいいかもしれないと思うんだけど、今までの話で分かるとおりで、卑弥呼のことひとつ分からせるにしても、かなり学識がないときちんと書けないのね。ただ逆に言えば「神話で言われているようなことは、かなり正しいことなのかもしれない」ということを飲み込めばいいだけの話でもある。
それを全部説明している日本の文章があったら見せてほしいけど、そんなものはあるわけないだろうという話。そういうことが分かってくると、とても面白いよねという話をアニメで描きたいなと思っているから、新作はガンダムの話ではありません(笑)。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」
8月5日(金)より全国ロードショー
各種情報はこちら