今回インタビューする岡田侑弥(ゆうや)さんは、2015年に14歳にして史上最年少で「未踏スーパークリエータ(※)」に認定されたITエンジニアで、現在は慶應義塾大学4年生として通いながら、2社のスタートアップで業務委託として勤務している。
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※未踏とは、経済産業省所管の情報処理推進機構(IPA)が2000年度から行っている、ITを駆使しイノベーションを実現する才能の発掘・育成を行うプロジェクト。未踏スーパークリエータは当該年度に未踏クリエータとして選出された人材の中でも、特に優れた成果を上げた者のみが認定される。
今回インタビューで話をうかがっていても、岡田さんは同世代の若者と比べて優秀であることは間違いないと感じるが、一方で「凡人とは違う異能の持ち主」として囃し立てられるのは迷惑だろう。彼の話からは自身の努力によってコツコツとキャリアを積み重ねていることがよくわかる。
わかるようで意外とわからない「才能を持った10代〜20代前半がIT業界で何をどのようにできるのか」の一例として、若い読者にも参考にしてもらえれば幸いだ。
聞き手・文・写真:神保勇揮 構成:赤井大祐・神保勇揮
中学入学直前に通ったプログラミング教室をきっかけにのめり込む
―― まずはエンジニアを志したきっかけを教えてください。
岡田:自分が小学校を卒業して中学に入るまでの春休みの間に、Life Is Tech ! という中高生向けのプログラミングスクールの合宿に、友人に誘われて参加したのがきっかけです。当時は物理とかに興味はあったものの、プログラミングは全然だったんです。でもその友人が一人だと行きづらい、ってことで誘ってくれて。結果的に僕はものすごくハマって、誘ってくれた友人は全然ハマらなかった、というパターンでしたね。
―― 岡田さんはなぜそこまでハマれたんでしょうか?
岡田:なにがすごいって、ちゃんと成功体験を与えるようにデザインされているんです。5日間で電卓みたいなめちゃくちゃ簡単なアプリを作るんですが、そのデータを自分のスマホに入れて持って帰れるんですよ。それを両親に使ってもらうとか、あるいは友人のスマホにインストールすることもできる。自分の中の娯楽としてだけじゃなくて、周りからフィードバックをもらうフローを含めて、体験としてめちゃくちゃ面白かったんです。
―― なるほど。ただその2年後にはもう史上最年少で未踏スーパークリエータに選ばれてるわけですよね。その間に何があったのでしょう?
岡田:本当に、のめり込んでしまったんですよね。両親に自分用のMacBookを買ってもらって、学校から帰ってきて寝るまで、とにかくずっとやってました。他に使う時間は1秒もないぐらい、すべての空き時間を使ってやっていたんです。でも、それは自分の中で遊びだったんです。それがお金になるとか、そういうことを意識していませんでした。
―― となると学校の友達と遊ぶ時間もなく?
岡田:そうですね。自分はウェブの中にコミュニティがあって、エンジニアやデザイナーを志している同年代の人たちとの仲があったので、そのコミュニティにいて自分もそれが全てみたいな感じで。とにかく浸かりっぱなしの毎日でした。
あと自分は慶應の中学だったんですが、一貫校なので慶應大学卒業の先輩の仕事を手伝うということもありました。「リクルートで働きながら起業したけど、ソフトエンジニアが見つからなくて、予算もない」という状況だったらしく、知り合いから話を聞いてその会社でアルバイトとしてスマホアプリのエンジニアをしたこともありました。仕事としてやったのはこれが初めてですね。
そういう経験がちょこちょこありながら、自分の中ではひたすらに仕事というよりは趣味というか、趣味とすら思っていなかったかもしれないです。呼吸というか。それしかないみたいな感じでした。
―― 文字通り没頭していた期間だったんですね。具体的にどんなものを作っていたのでしょう?
岡田:当時、自分の中にはプログラミングという軸と、「教育」という軸があったんです。もともと僕自身は人にものを教えることが好きだったし、自分がプログラミングにハマったきっかけも、Life is Tech !という教育の場だった。その教え方とか仕組みがものすごくうまくてまんまと引きずり込まれ、その力に感動したので、教育業界にものすごく興味があったんです。
―― プログラミングスクールをきっかけに「プログラミング」と「教育」の両方に興味を持ったんですね。
岡田:なので、「なにで作るか」にプログラミングがあり、「なにを作るか」のところに教育があったという感じです。特にプログラミング教育に興味があったので、プログラミング教育に役立つようなソフトウェアとか、あるいはプログラミング初学者向けのツールを自分個人のプロジェクトとしてはずっとやっていて、それが未踏のプロジェクトにもつながっています。
チームラボにアルバイトとして潜り込む
―― 中学生時代にすでに実務を開始していらしたとのことで、それだけでも驚きなのですが、その後どのようにキャリアを積んでいったのでしょう?
岡田:大学1年の時に、学内のエンジニア友達経由で、大学生向けの時間割アプリを開発する学内ベンチャーの株式会社Penmarkの業務に携わりました。仕事をしたい大学生には共通の悩みだと思うんですが、やっぱり大手だと実力と関係なく、会社の制度上採用してもらうことができなかったりするのでどうしてもベンチャーが多くなりますね。
それで大学2年の時に、アルバイトとしてチームラボに入りました。チームラボはもともと好きな会社で、たしか「チームラボボーダレス」に初めて行った日に、これを作る側に回りたいと思って、帰りの電車の中で採用フォームから普通にエントリーしました。
―― その時点ですでにチームラボで求められる技術は持っている自信がありましたか?
岡田:そうですね。自分は最低限どこでもできるぞと思っているんです。なので、何の技術が使われているかも特に見てませんでしたが、何とかなるだろうと。
―― 実際に入ってみてどうでしたか?
岡田:もちろん最初からすべての技術を網羅しているわけではないので、その時々に必要な技術をキャッチアップしていく形でした。チームラボに限った話ではないですが、採用が決まってから入社までに何カ月か期間があったりするので、その間に会社で使っている技術スタックを聞いておいて、それを完璧にしてから入るみたいな感じでしたね。
ただ、自分の場合はあくまでも一貫してプログラミングが中心じゃないというか、プログラミングがあくまで一つのツールだと思っているんですよ。だから仕事を選ぶ際も技術を基準ではなくて、どういうプロジェクトかというところで選んでいて、そこで必要な技術を学ぶという感じです。
――あくまでプロジェクトに対して何ができるかという観点なんですね。大学の授業が終わってから仕事をしていたということですか?
岡田:そうです。当時はコロナ前だったので、普通に大学はオフラインで行ってました。17時半ぐらいに終わったらそのまま会社に移動して、18時〜22時半ぐらいまで働いて帰るという生活です。行きがけに夕飯を買っていって、オフィスで食べてました。会社に着いても社員の方々は1、2時間するとみんな帰るので、その後はオフィスに一人残って作業するみたいな。
―― アルバイトがたった一人残っているというのも珍しい状況ですよね(笑)。チームラボではどんなお仕事をされていたんですか?
岡田:セキュリティに関するプロジェクトや、ARに関するサービス開発に関わっていました。
―― 学生生活との両立も大変だったと思いますが、大学ではどんなことを勉強していたのでしょう?
岡田:そうですね、本当に中、高、大学といつもなんとか乗り切っていた、という感じでした(笑)。大学は理工学部の生命情報学科にいました。例えばゲノム解析といった、医療×ITみたいなことをやっている学科です。情報工学科に行くという選択肢もあったのですが、そうなると自分の起床時間が全部それだなと思って、広がりもないじゃないですか。大学で習わなくても自分で勉強できる分野だな、とも思っていたので。
―― 余談ですが、今はビジネスパーソンもIT業界でのし上がるために、コンピュータサイエンスの修士、博士号の一つも取っておくべきだと言われる時代ですよね。
岡田:そうですね。ただ自分は必須だとも思わないです。やりたい人はやればいいと思いますが、そこで想定されているのは、例えば専門職としてのソフトエンジニアがいて、その人たちと円滑にコミュニケーションを取るために、というような発想ですよね。
でもプロダクトマネージャー、プログラムマネージャーといわれるような、ビジネスとテクノロジーを取り持つ専門職の人もすでいるわけじゃないですか。僕はどちらかというとそれを専門としてやってて、双方の都合もある程度分かって、知識もある程度持っていることでコミュニケーションを円滑にする。あるいは要件をちゃんと整理するところが自分の役割だと思っているので、そこはプロフェッショナルとしてやっていますし、もっと任せてくれていいよ、という気持ちもあります。
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