LIFE STYLE | 2021/09/27

「中国は何でも監視で息苦しい」は本当か?深センと北京の往復で考えた都市と規制の関係【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(16)

北京のバーで行われている、お酒を飲みながらテーマに沿った絵を次々に書く「Drink & Draw」イベント。こう...

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規制緩和で成功した中国。社会をコントロールするのは難しい

今も昔も、「他人を完璧に管理した方が自由にさせるより幸せな生活ができる」と考えて何でも規制しろと口走る人は多い。大規模な社会実験といえる社会主義国家のソビエト連邦が崩壊して30年あまりが経過し、中国やベトナムといった今の社会主義国は市場経済や規制緩和を大胆に導入したことが生き残りにつながったことが明確になっていても、「他人をコントロールして理想の生活を!」と口走る自称識者は後をたたない。

以前取りあげた行動経済学も、真意は「他人はそうそう思い通りに動いてくれない」というものなのに、正反対の「社会を操るうまいやりかた」と勘違いして広める声のほうが多い始末だ。日本でも価格を操作する転売屋(マトモな小売業はそうした行為が禁止されている)やインターネット上の詐欺行為に対して、法律はあっても取り締りが追いついていない。

もちろん、社会が自由であり続けるためにも規制は必要だ。完全計画経済から転換し資本主義を導入した中国は、餓死が出るような状態から急速に抜け出して経済発展したが、貧富の差も一気に広がった。現在の中国での最貧困層でも計画経済時期の一般庶民よりはるかに豊かな生活が送れている(少なくとも餓死や、医療が受けられない心配はない)ことで社会は安定しているが、この傾向が永遠に続くとは限らない。

アメリカはしばしば独占禁止法を適用して、大企業が中小企業やスタートアップを圧迫するような活動を規制し市場の活性化を図った。自由経済でも、支配的な企業が誕生するとむしろ市場経済が損なわれ、ダイナミズムが失われる。だが一方で、大企業が持つ資本・実行力が効率化を促し他国企業に対する競争力の源泉となることも確かだ。僕らに馴染みのあるインターネットでも、アレキサンダー・グラハム・ベルが電話を発明したことに端をなすAT&Tが政府の介入で分割され、地域ごとに分割されすぎたことで携帯インターネット網の構築が他国より遅れ、その間に日本ではiモードが躍進した(その後3社の大型企業に再編された)。今もGoogleなどのテックジャイアントに対して独占禁止法の適用が賛否両論を呼んでいる。

中国ではアリババ、テンセントなどの大企業が、「自分のショッピングモールに出す時は他への出店を辞めなければならない」「ライバルの商品は、自社のSNSで宣伝できない」などの強欲なビジネスを行っている。これらはアメリカや日本であれば不正競争防止法や独占禁止法など、健全な市場経済を守るための規制対象だ。

市場経済が未発達でその手の規制が不十分だった(そもそも、民間からそこまで大きくなる企業がなかった)中国でも、遅ればせながら政府が規制を始めることそのものは理解できる。

ただ、最近ではゲーム規制など民間企業のビジネスを制限する多くの規制を並行させたことで、中国テックジャイアントの株価は一気に落ち込んでいる。ことほど規制は難しく、かといって社会を完全にノー・コントロールにすることはありえない。

自由と規制の綱引き。「幸福な監視国家」は実現するか?

中国については、「何でもかんでも規制しつつ一部の企業を優遇し国家助成することで産業を伸ばしている」という、中国経済の専門家はしていないが、一般の人はそう思っている誤解がある。たとえば『アント・フィナンシャル 1匹のアリがつくる新金融エコシステム』(廉薇, 辺慧, 蘇向輝, 曹鵬程 著, 永井麻生子 翻訳)では、アリババグループがむしろ金融システムが未成熟で融資や銀行決済が難しかった小規模事業者にツールを提供し、自由を与えたことが中国経済を活性化させた様子がレポートされている。

こうした規制と自由の綱引きを考える上で是非オススメの書籍が、監視社会=ディストピアのイメージが強い中で、自由の制限が人々の生活利便性を向上させている面もあると指摘した『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐・高口康太)と、同書でも度々引用されているローレンス・レッシグの『CODE VERSION 2.0』だ。

ローレンス・レッシグは、「規制はルールを決めるだけでなく、それを実際にどう適用させるか、適用させることが可能かまで踏み込んで考え、かつコンピュータソフトウェアでは完全に規制に適応させることが可能なので、イノベーションのために規制破りや曖昧な部分を最初からプログラムに組み込まなければならない」という考え方を提唱し、社会に大きく影響を与えた。

たとえば「高速道路では100km、それ以外の道路でも道路ごとに法定速度以上は絶対に出ない車」は、現在の技術なら設計可能だし、自動運転車ならもっと容易だ。でも、そういう車は渋滞を悪化させるだろう。日本の道路はそうしたルール適用の曖昧さで回っている部分がある。では、自動運転車はどう設計すべきだろう。レッシグの問題提起はそういうことだ。

インターネットに代表される技術の進化は自由市場の自由さを倍増させた一方で、規制の効果も倍増させた。今回の新型コロナ禍で、中国の対策がうまくいっている要因の一つはほぼ全員がスマホを持っていて、行動履歴やIDがきちんと共有されることだ。それがなければ荒っぽくてスキマも多い(ワイロでぬけられるような)規制が実施され、経済にはより大きなダメージを与えた上で、防疫効果も落ちただろう。

実際の社会はソフトウェアほど一様に適用されない。規制をどうデザインするか、自由の生み出すダイナミズムをどう拡張していくか、変化する社会の中で、我々の考えも進化させていく必要がある。


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