3:「メルケルはロシアの戦争を抑止できなかったが、安倍は中国との戦争を防いだ」
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以前、SNSで
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「メルケル(ドイツ元首相)はロシアの戦争を抑止できなかったが、安倍は中国との戦争を防いだ」
…と言っている人がいて、まあちょっと無理やり感がなくはないものの、しかし否定できない要素もあるなと私は思いました。
というのも、今回のロシア・ウクライナ戦争の抑止に失敗してしまった理由の最大のものとして、プーチン大統領が「キエフ(キーウ)など3日で落とせる」というように誤認してしまった部分があることは疑いないからです。
そして、ありとあらゆる「1945年(第二次世界大戦)の戦争の勝敗」で善玉悪玉を決めて延々と判断基準にし続ける風潮が、「戦勝国の栄光」を延々と食い延ばしてきたプーチンの暴走を招いたとも言えるでしょう。
第二次安倍政権の発足当時=米国はオバマ大統領時代の初期においては、明らかに対中国問題に関しても世界は「1945年の勝敗」の延長でありとあらゆることを見るバイアスが蔓延しており、中国が東南アジアにおいて人工島を埋め立てて軍事基地を作るような非常に攻撃的な領土拡張行為を続けていても国際的な非難の輪はなかなか高まっていきませんでした。
その時期から強力に日米関係の強化を主導し、中国の果てしない拡張路線に対して「自由で開かれたインド太平洋」「QUAD(日米豪印戦略対話)」といった同盟関係を作り上げ、国際社会で一致して対抗する陣営を作り上げた安倍氏の功績は、国際関係論的な分野では常識となっています。
今年8月に米国のペロシ下院議長が台湾を訪問した際に米中関係はかなり緊張しましたが、しかしお互いに「実際に火を吹いたら大変なことになる」という印象が安定しているために、「お互い必死に騒いでみせる」だけで終わりました。
もし安倍氏の長年のリードがなく、あらゆることが「1945年の勝敗」で善玉悪玉を決めるバイアスが人類社会に溢れていて、習近平国家主席がプーチン大統領のように「戦勝国のおごり」を持って「台湾など3日で落とせる」と誤認してしまったとしたら?
安倍氏に対して「そんなに戦争がしたいのか」的なことを言っている人が反安倍派に結構いましたが、私はその点は明らかに間違っていると思っています。この勢力均衡関係を作り上げた功績は「戦争を防ぐ」効果が強力にあったと言えるのではないでしょうか。
こういうのは中国の一般市民にとっても助かる話だというか、ちゃんと「対中包囲網」が安定的に作動して「実際に戦争したらひどい目にあいそうだ」というのがお互いに明らかにわかる情勢を維持することは、戦争など望まない多くの中国人にとっても意味があることだったと言えるはずです。
4:「安倍氏の功績」を認めるからこそ「反安倍派」の思いを実現できる道が開ける
もちろん反安倍派から見れば、「その副作用」が気になることでしょう。
安倍氏のプラン実現のために必要な法整備において、民主主義的に多少強引なやり方がなされたと考える人もいるでしょう。
そしてそれ以上に、対中国国家に対する反感を煽るだけでなく、“中国人全体”に対する敵視・蔑視感情を煽るような風潮が高まってしまったことも問題視されるべきだと思います。
しかし一方で私は、当時「反安倍派」の多くが先述のような国際関係に対してあまりにも無理解で、「丁寧な対話」などできる状況ではなかったというように私は感じています。
モタモタしているうちに強烈な中国の拡張路線に一切対応できず、「台湾など3日で落とせる」と誤認して習近平が戦争を始めてしまってもおかしくなかった。
軍事費を毎年爆増させて周辺国を全方位的に圧迫し続ける中国よりも、日本の方が「悪玉」に見える…というような「1945年の勝敗のバイアス」に溢れている状況から、人類社会にキチンと中国の脅威に向き合える国際世論を形成していくには、当初は日本の右派が「中国脅威論」的なものを起爆剤にすることが必要だった側面もあるでしょう。
日本人がなんだかんだ選挙で安倍氏を支持し続けた理由の中には、そういう「必要な課題」に対して本能的な信任が与えられていたと考えてもいいかもしれない。
もちろん「メタ正義的」に考えれば、今のように同盟関係が安定して、「火が吹いたらどちらも無事ではいられない」と明らかにわかる情勢が確定的になった今だからこそ、中国への態度は「攻撃的になりさえすればいい」だけでは済まない別の段階に変わってきているとも言えます。
「対中包囲網」を作り出すまでは安倍派が「押し切る」ことができていたけれども、最近それが難しくなってきているのは「向き合うべき課題の段階」が変わってきていることを示しているのかもしれません。
ここで反安倍派は「安倍氏の功績」を丸ごと否定する必要はないはずなんですね。
反安倍派は「安倍氏の存在意義」を直視して認めれば認めるほど、反安倍派自身の望みを実現する道も開けるというのが「メタ正義感覚」の発想なのです。
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・対中包囲網の安定性を保って軍事的勢力均衡を維持することが必要なのは揺るぎなく同意するし、そこに決して穴は明けさせない
↑ここの部分が揺るぎなく安定して盤石になればなるほど、
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・そうはいっても一般の中国人に対する蔑視・攻撃性は容認できない
・民主主義のプロセスを丁寧に踏むべき
・対米で言いなりになっている面はないかチェックするべき。沖縄の基地負担なども軽減を考えるべき
…といったことも実現する道が見えてくる。
「対中軍事均衡の安定」という部分の盤石さが少しでも揺らいでいると、例えば米軍基地の負担問題といったセンシティブな問題に踏み込んだときに、感情の連鎖反応が起きて本当に戦争になってしまう可能性が生じてくるからです。
今回のひろゆき氏による茶化し事件のようなことがあっても、結局この課題に日本社会が深く入り込んでいけない最大の理由は、結局そこにある問題を丁寧に扱わないと、本当に戦争になりかねないからなんですよ。
反基地に関する話題では“その非常にクリティカルな大問題”をどうするかという話が入っていないことが多いので、対立相手からの「じゃあこの部分はどうするんだ」という反発を止められていない。
私は今回のひろゆき氏の行動はやはり悪趣味だと私は思うタイプの人間ですが、「ここにある問題」について“同じ目線”で考えてくれよ!という気持ちも正直言って強くあります。
この「戦争になりかねなさへの対処」を同じ目線で真剣に考える風潮が左派内でも盤石に形成できれば、その先に「メタ正義的対話」の回路が開き、基地負担軽減の実行案を合意する道も見えてくるはずなんです。
日本のリベラル派は、旧民主党政権が結局「まさにこの問題」で理想と現実を適切にハンドリングできなかったことが崩壊のきっかけになったのだということを直視して、「宿題」に答える必要があるはずです。
憲法9条を改正して自衛隊を増強し米軍なしで国防をまかなうのが嫌なら、米軍との連携で対中国軍事的均衡を保ち、最低限「台湾など3日で落とせる」などという誤解が生まれないようにするのは本当に「戦争をしない」ために喫緊に大事なことですよね?
「安倍側」に立っている人が代表している「ベタな正義」はその一点において揺るぎなく「必要」なことなので、そこを一切否定したままでいるほど、その「必要」を完遂するために「安倍側」もなりふり構わない強硬な態度に出てきてしまいます。
逆に言えばその点が盤石に合意できている情勢になればなるほど、米軍兵士の不品行に対して厳正な対処を求める、抑止力としての必要性を毀損しない範囲で基地負担を減らす方法を米軍も巻き込んで具体的に積み重ねていくといったことも可能になる道が初めて開かれてくる。
一方で先程述べたように、ちゃんと「対中国包囲網」が完成した今となっては、むしろ「とりあえず中国を敵視すればいい」という発想の限界も見えてきているのも確かでしょう。
その点においては「反安倍派」サイドの「ベタな正義」を盛り込んでいくべきポイントは今後増えていくのも間違いない。
問題は、「一般の中国人を敵視してはいけない」という発想を絶対化するあまり、「戦争抑止のための勢力均衡的配慮」的な最低限の現実的対処ごと吹き飛ばしてしまいかねなくなってしまうことなんですね。
ここで「メタ正義的」な発想で“相互補完的”に動いていけないと、私たちは単に「ベタな正義同士の争いで、結局“どっちも負け”ていく」現状を永久に続けることになってしまうのです。
しかしここまで述べたように、「“逆側の党派”の分まですべての論点をごまかさずに並列的にテーブルに上げる」ことができれば、徐々に問題が「Z世代的にプレーンな問題解決」の発想で扱えるものに変わってくるイメージが伝わるでしょうか?
いつも問答無用で否定されがちな「安倍派側のベタな正義」もフェアにテーブルの上に載せることができれば、「反安倍派側」が求める民主主義の公式見解的な「ベタな正義」を守った上で意思決定を行っていくことも可能になるわけです。
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