CULTURE | 2020/08/27

新宿駅前を一変させた現代アートのビジョナリー 松山智一(現代アーティスト)【連載】テック×カルチャー 異能なる星々(15)

(撮影:松島徹)
加速する技術革新を背景に、テクノロジー/カルチャー/ビジネスの垣根を越え、イノベーションへの道を模索...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

情報過多の時代、コロナパニック……今、アーティストにできること

――日本ではアーティストに対して「不可解なものを出現させる直感の人」というイメージが根強いように思います。例えば岡本太郎は1970年の大阪万博に際して、巨匠建築家の丹下健三が設計した「お祭り広場」をブチ抜いて『太陽の塔』を建ててしまった。結果的にそれが、最先端科学の粋を尽くした万博会場がすべて夢の跡になった後、そのままのスケールで残されている……。ご自身でも、そうしたものを打ち立てたいという野望はありますか。

松山:アーティストである以上、経験や前例のないもの、もっと人の目を釘付けにするようなすごいものを作りたいという欲求はもちろんあります。ただ重要なのは、岡本太郎はあくまで高度成長期の日本という社会を彫刻することに専念した人だった。その頃と比べると、今は芸術というものがより体系化・複雑化して社会の中に位置付けられている。ニューヨークでも村上隆や草間彌生、杉本博司、奈良美智といった名前が聞こえてきますが、彼らがまだ行っていない領域へ行きたいという想いはありますね。だから、常に前例のないことに取り組んでいく。それは、僕にとってアーティストであるということが職業だけでなく、生き方でもあるから。お金を稼ぐだけならもっと楽な方法があるはずなのに……と、つくづく思いますよ。

香港のハーバーシティで開催された個展にて、会場エントランス前に設置されたパブリックアート作品『Sky is The Limit』(2014年)© Tomokazu Matsuyama

――特にニューヨークは世界中のアーティストが集まる街だからこそ、批評家たちや市民たちの眼も鋭く、その厳しさは生半可ではないと思います。その中でモチベーションを失うことなく、やり続けられる理由は何でしょうか。

松山:それは、文化を創り出すことこそが、アーティストの仕事だと信じているからです。その上で、僕自身は人を巻き込むのが好きで、大きいものが好き。だからパブリックアートという形で社会との接点を開拓していくことに面白みを感じている。しかも、これだけの情報が飛び交う時代だからこそ、「Instagramを見ました。ぜひ彫刻を作ってほしい」というオファーが世界各地から飛び込んでくる。今日はロサンゼルス、明日は東京、その次は中国、香港、そしてメキシコといった感じで、世界中を飛び回る日々を過ごしてきましたし、遠からずまたそういう生活が始まるでしょう。そうやって文化を越境しながら、現地で感じたものをどう切り取り、新たな視点を提示するか。それを、今後もずっと続けていくんじゃないかと思います。

明治神宮 野外彫刻展「天空海闊」の展示作品『Wheels of Fortune』 撮影:木奥惠三 © Tomokazu Matsuyama

――その中で、このコロナ禍にあって「アーティストだからこそ、できること」があるとすれば、それは何だと思いますか。

松山:僕自身、3月に明治神宮での展示のために来日した時はニューヨークに帰国できなくなり、2カ月間、日本で足留め状態になりました。今回も日本へ入国してから2週間の隔離生活を経て、作品の設置に取りかかっています。そうやって、フィジカル(物理的)な行動に制約がかかっているのは確かです。でもメンタル面では、アーティストが自ら問題を提起しなくてもいい状況が続いている。“100年に一度の出来事”と言われる現実が、実際に目の前にあるわけですから。それをどう描写するのか、その点でアーティストの力が問われるのは確かでしょうね。答えがない以上、とにかく真摯に、ひたむきにやるしかない。

今回の作品にしても、「アートはこうあるべき」という意見を押し付けるのではなく、通りすがりの人にいかに意識してもらうか、そこが始まりだと思っています。これだけ情報が溢れる時代に、人の意識を引くことがいかに難しいか。だからこそ、ありきたりのものを置くだけでは埋没してしまう場所でやることに意味がある。この作品や場所、人々の意識が時間をかけてどんな場所に育っていくのか。長い時間をかけて、見つめていきたいと思います。

8月上旬には、広場を見下ろすルミネエストの壁面にも作品2点が掲出された。


prev