EVENT | 2020/11/24

「あいトリ」で右翼団体や抗議者と直接対話し気づかされたこと。津田大介と「ウェブと政治」の10年【前編】

今では誰もそんなことを言わなくなったが、かつて「インターネットでより多くの人が直接議論しあって知恵が共有されるようになれ...

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「外部の人」から「中の人」になってわかったこと

2009年に津田氏が共同代表の一人として立ち上げたMIAU(一般社団法人インターネットユーザー協会)のサイトより。MIAUではこれまで違法サイトからのコンテンツダウンロード違法化への反対意見表明や、著作権の保護期間延長に対する反対意見表明などを行い、この分野での政府審議会などにも度々出席している

―― 津田さんは今までジャーナリストとして「ウェブと政治」をテーマに書いてきただけでなく、ダウンロード違法化法案の政府の審議会に参加してロビイングするなど、既存の組織、体制に対して向かっていく立場でもあったのが、「あいトリ」の総合プロデューサーである芸術監督に就任し、初めて愛知県の職員を守る“中の人”になりました。

津田:そうですね。だから「あいトリ」の時は大変でしたよ。僕は出版業界が長かったし、ここ10年も既存メディアの仕事が多かった。行政とは全然違うフィールドでやってきたし、美術業界と一緒にプロジェクトを行うのも初めてでした。公務員とアートという2つの「異世界」と同時に付き合わなきゃいけなかったから大変でしたね。それまでの仕事の常識がまったく通用しませんでした。

―― 外部の革新派みたいな人が「今のやり方は非効率だから、こうしたらいいのに!」と意見することに対して、既存組織の中の人としては「そうは言っても簡単には変えられないんだよ…」という切なる事情があり、ノンポリのサラリーマンは組織人に共感して「あいつらはいつも安全地帯から好き勝手言いやがって」と反感を募らせるケースが年々増えているようにも感じます。中の人たちを慮りつつも物事を変えることに対して、何を理解したらいいのかとか、どう振る舞えばベターなのかというところは何かあったりするものなのでしょうか?

津田:「あいトリ」を通して感じたことですが、愛知県はすごくちゃんとした組織ですよ。検証委員会の報告書には「炎上したのは津田が独断専行したからだ」ということを書かれましたが、自分の認識は異なります。そもそも自分一人で暴走するみたいなことは、組織の機構上できないし問題になった展示もほとんどが全部相談しながらやったんですよね。相談した上で、「これは難しいんじゃないですか」と事務局や県の上層部から懸念が出てきて、それに対して「その懸念はこうすれば対処できるんじゃないですか」と僕が提案する。この打ち返しを相当な数やってきました。

常識が違うというのもそうでしたが、IT系ツールを使うのは苦労しましたね。「Slackを使わせてくれ」と言っても導入するのに3カ月ぐらい待たされたり、芸術監督室のWi-Fiルータが貧弱で人数増えると全然ネットにつながらないとか(苦笑)。民間だったら翌日にできるよね、みたいなことに対して2週間待たされるということが結構あったので大変でした。もどかしい部分はもちろんたくさんあったけれども、「パブリックセクターを動かす、公金を使うというのはこういうことなのかな」と思いながらやっていた部分はあります。

本音を言うと、「表現の不自由展・その後」って、僕はもちろんやりたかったし、やることに対して強い思い入れはあったんですけど、企画を進めながらどこかでストップがかかるだろうなと思っていた部分もあるんです。冷静に考えて普通の行政や自治体の文化事業でこういう尖った企画は忌避されるだろうなということは僕にも想像できた。それくらいの常識は僕にもありますよ(笑)。

あいちトリエンナーレの公式サイトより「表現の不自由展・その後」の紹介ページ。このコーナーでは過去の美術展示において展示不許可になった作品のみを集めた

だから、愛知県の職員には本当に感謝してるんです。彼らが素晴らしかったのは企画を実現していく過程で一切サボタージュしなかったこと。変な話、もし僕が嫌がっている公務員の立場だったら、厄介ごとを避けるために、どこかで適当な理由付けて仕事をサボタージュしたと思うんですよね。それは僕が不真面目な人間だからそう思うのかもしれないけど、実際そんなことにはならず最後まで彼らは真摯に僕のわがままに付き合ってくれた。それは大村知事も同様で、文化芸術基本法や憲法のことをよく分かっていた。彼は口癖のように「政治家が金は出しても口は出してはいかん」と言ってたんですが、最後までそれを貫いてくれたと思います。もちろん、不自由展の企画が上に上がっていく過程で大村さんから「このまま展示したら大変なことになるだろうから、ここは変更できないか?」という懸念は何度も伝えられました。しかし、自分の権限を使って企画に介入することには、最後まで抑制的だったんです。

つまり憲法が読めて気骨のある知事と真面目な職員たちがいて、空気を読まずこのような企画を実現しようとする僕が合わさった結果、「不自由展」が開催できてしまったということです。それゆえの「不幸」だったという言い方もできますね。あいちトリエンナーレ2019の後継となる「あいち2022」では、その反省も踏まえて、次のからは芸術監督と同等の権限をチーフキュレーターにも与える形になっています。それは今回の経験を受けてのものでしょう。

過激なツイートしかしていない人が、リアルに会うとすごくいい人だったりする

「Jアート・コールセンター」はあいトリ事務局への電凸激化を緩和すべく、出展アーティストの一部が自ら電話を受けるコールセンターを立ち上げた、というプロジェクト

―― 最近は毎日のように「分断はダメだ。対話をしよう」というメッセージが目に入ってきますよね。それはそうだと思う一方、今まで無かったかといえばあったでしょうし、ある種の騒動の最前線にいる人は往々にして何らかのかたちで対話をしている気がします。「あいトリ」では津田さんも右翼団体の人と会って対話していましたし、一部の出展アーティストも「Jアート・コールセンター」で反対派からの電話に出ていました。ただTwitterを見ていると、左右問わず相手の話をまったく聞かない、事実認識が明確に間違っていてもそれを認めない人を毎日大量に見かけます。この差をどういうふうに捉えるべきなのかわからず、モヤモヤしてしまっているところがあります。

津田:やっぱり、Twitterというツールの特徴が大きいですね。140字単位でその人をスライスするので、「この人のこういう政治的な主張はすごく素晴らしいけれども、人格的にはちょっとマズいところもあるよね」とか「ジェンダー観には問題があるよね」とか、いくらでも見えてきちゃう。

でも、それは逆に見ると、「どう見てもこれは関わっちゃいけない危ない人だな」みたいな人でも、140字でスライスして一言を切り取ると、ときに素晴らしく正しいことを言っているようにも見えるわけです。Twitter上の人格とリアルの人格との乖離が、大きくなっている時代ということですね。実際に会ったことない人は、僕のことをめちゃくちゃ恐い人だと思ってる人も多いみたいですし。

―― 津田さんですらそう言われるということですか?

津田:僕が金髪だからっていうのもあるでしょうけど、右派の人からもそうだし、そうじゃない普通の人からも「もっとヤバい人だと思っていました」と言われますねぇ……。現実の僕は調整型の人間ですし、調整型の人間じゃなきゃ、「あいトリ」運営に最後まで関われていなかったとは思いますけどね。

Twitterだけを見ていても人の本質は見えてこないでしょうが、逆にTwitterだからこそ本質が表れているとも言えるとも思うんです。Twitterでは過激なツイートしかしていない人が、リアルで会うとすごくいい人だったりするというのはよく聞く話ですよね。でもそれはあくまで「外面」がいいだけ、「人がいい」のではなく、「人当たりがいい」んです。

逆に昔はTwitterがなかったから、外面がいい人はずっといい人のままで終わっちゃったんですよ。でも、今はその人の本質みたいなものを知ることもできるようになったので、ある意味ではいい時代になったとも言えるのかもしれない。ただ、一部だけを見ているとその人を見誤ってしまう。やっぱり我々みたいな仕事は、興味を持った対象については全部見ること、対話することでその人と全人格的に付き合うことの重要性が上がっているように思いますね。

―― 2000年代ぐらいまでのネットカルチャーにどっぷり浸かってきた人だと、ネットで互いに「死ね!」みたいな言い争いをしている相手でも、会ったら意外と仲良くなっちゃったみたいなエピソードをいくらでも見てきた気がするんですけれども、もしかするとスマホ普及以降にネットを使うようになった人は「意外とそういうこともある」ということを知らない人も多いのかもしれないな、という気もします。

津田:若い人は今はまず、炎上しないようにすることが「知恵」になってますよね。今のクレバーな20代を見ているとすごく賢いなと感じます。以前、起業家のハヤカワ五味さんが自分のラジオ番組のゲストに来た時に、「主語の大きさに気を付けている」という話を聞いて感心しました。何か意見を言う時は「女は~」みたいに主語を大きくすることはできるだけしないと。そりゃ炎上しないわ、と。

そう思う一方で、主語を小さくして誰かを傷付けないようにする、あるいは多方面に配慮した表現というのはその分だけ表現が弱くなってしまうこともありますよね。結局一長一短かなとも思います。

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