今年のアカデミー賞でもノミネートが有力視されている作品の1つ『パラサイト 半地下の家族』。監督は『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』などで知られるポン・ジュノ。日本ではTOHOシネマズ日比谷・梅田で12月27日~1月9日まで先行公開を行い、1月10日から全国ロードショーとなる。 © 2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
2019年も終わりに差し掛かり、アメリカでは2020年2月9日(現地時間)に開催される第92回アカデミー賞のノミネートに対する予想がヒートアップしている。ノミネーションの規定を満たすためには、原則として前年(つまり2019年)にロサンゼルス地区の映画館で連続7日間以上の有料公開された実績が必要となる。逆算すると、12月25日までに上映したならば規定を満たすということでもある。それゆえ、ギリギリのタイミングに劇場公開することによって、作品の印象を強く残そうとハリウッドの映画会社は考えている。彼らがこの時期に公開する映画の多くは、作品の質だけでなく、芸術性にも富んだ“アカデミー賞狙い”と呼ばれる自社の自信作だからだ。
第92回アカデミー賞は、例年よりも2〜3週間早く開催される。そのためノミネート作品も2020年1月13日と早めの時期に発表。ハリウッドの映画会社にとっては、作品の宣伝やアカデミー賞の投票権を持っている会員たちに対するロビー活動の期間が短くなることになる。例年以上に映画業界内でヒートアップしているのはそのためだ。また、生中継の視聴率が回復したことから今年の授賞式に引き続いて司会者が不在になる可能性、外国語映画賞の名称が国際映画賞に変更され日本代表作品だった『天気の子』(19)が候補から外れたこと、さらに、名誉賞を『エレファントマン』(80)以降アカデミー賞に縁のなかったデヴィッド・リンチ監督が受賞すると発表されるなど話題性も高い。連載第18回目では、「「最近の傾向」からノミネート作がわかる?第92回アカデミー賞の行方を予想してみた」と題して、ノミネート作品を予想しながら、3つのポイントを解説する。
松崎健夫
映画評論家
東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『japanぐる〜ヴ』(BS朝日)、『シネマのミカタ』(ニコ生)などのテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演中。『キネマ旬報』誌ではREVIEWを担当し、『ELLE』、『SFマガジン』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。キネマ旬報ベスト・テン選考委員、田辺弁慶映画祭審査員、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門審査員などを現在務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。日本映画ペンクラブ会員。
その1:アカデミー賞前哨戦の現状
アカデミー賞の前哨戦と呼ばれる映画賞にゴールデン・グローブ賞がある。アカデミー賞の投票権は、映画芸術科学アカデミーの会員であるハリウッドの映画産業で働く約8000人(2017年現在)の映画人が持っている。一方で、ゴールデン・グローブ賞はハリウッド外国人映画記者協会に所属する55カ国の映画ジャーナリスト87人の投票によって決まる。よって、投票する人たちの背景も人数も異なるため“前哨戦”とは言えないのではないか?との議論もある。しかし、アカデミー賞に投票するハリウッドの映画人たちは、熱心な映画ファンや映画評論家のような専門家ではないので、観ている作品の本数は限られている。それゆえ、毎年アメリカで公開されている800本もの作品リスト(映画芸術科学アカデミーから送られてくる)を詳細に分析し、リストとにらめっこしながら投票している人は稀だと考えられる。
その点で“前哨戦”と呼ばれる映画賞は、投票権を持っているアカデミー会員たちにとって参考の対象となり得るのだ。例えば、ゴールデン・グローブ賞のほかにも、L.A.映画批評家協会賞やNY映画批評家協会賞など、アメリカの映画評論家・批評家たちが決める“前哨戦”がある。これらの映画賞で選ばれた作品は、その年に公開された作品の中から“映画の目利き”たちによる選りすぐりの作品。だとすれば、アカデミー賞の投票に対する目安になり、“前哨戦”として受賞を左右させる影響を与えていると考えられているのだ。とはいえ、受賞結果が同じになるとは限らないという現実もある。
12月9日に発表されたゴールデン・グローブ賞のノミネート作品は以下の通り。
作品賞(ドラマ部門)
『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督(Universal)
『2人のローマ教皇』フェルナンド・メイレレス監督(Netflix)
『アイリッシュマン』マーティン・スコセッシ監督(Netflix)
『ジョーカー』トッド・フィリップス監督(Warner Brothers)
『マリッジ・ストーリー』ノア・バームバック監督(Netflix)
作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
『ジョジョ・ラビット』タイカ・ワイティティ監督(FOX Searchlight)
『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』ライアン・ジョンソン監督(Lions Gate)
『ルディ・レイ・ムーア』クレイグ・ブリュワー監督(Netflix)
『ロケットマン』デクスター・フレッチャー監督 (Paramount)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』クエンティン・タランティーノ監督(Sony Pictures)
ゴールデン・グローブ賞は、基本的に作品賞や俳優賞がドラマ部門とミュージカル・コメディ部門に分けられているという特徴がある。それぞれ5本ずつで計10本。アカデミー賞は5本だった候補作品が2009年の第82回から、会員が投票した作品の中から「全体の5%を獲得した5本以上10本以下の作品」というルールに変更されている。つまり、本数の上でも“前哨戦”たる由縁があるのだ。
その2:「貧困と格差」というテーマへの注目
日本でも50億円の興行収入を記録(2019年現在)している『ジョーカー』(19)が候補になっているのは注目ポイントのひとつ。第91回では『ブラックパンサー』(18)がアメコミ作品としては初めて作品賞候補となったことが話題になった。そもそも、ノミネート作品が5本から「5本以上10本以下」に変更されたのは、ヒース・レジャーがジョーカー役を演じた『ダークナイト』(08)が候補から外れたことが理由のひとつだと噂されてきた。それだけに、もし『ジョーカー』がアカデミー賞の候補となれば、そこには意義深さもある。本連載16回で、『ジョーカー』には我々の暮らす現代社会の問題が内包されていることを指摘したが、貧困と格差、それに伴う差別をテーマにした映画は、ゴールデン・グローブ賞の作品賞候補となっていないものの、有力作品と噂される作品にも散見されるのだ。
例えば、ストリッパーを演じたジェニファー・ロペスが助演女優賞の最有力と言われている『ハスラーズ』(19)や、町の自動車工場を経営する男がル・マン24時間耐久レースに挑戦する『フォードVSフェラーリ』(19)など。そんな作品群の中でも大注目を浴びているのが、カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを受賞したポン・ジュノ監督の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(19)。低所得の下層家庭の長男が、身分を偽って令嬢の家庭教師として上流階級の家庭に影響を与えてゆくというストーリーの『パラサイト』=「寄生」は、格差社会の問題がアメリカや日本だけのものではないことを知らしめる。つまり、『ジョーカー』がヴェネチア国際映画祭の最高賞にあたる金獅子を受賞しているように、不平等な状況を生んでいる社会を描くことは国際的な潮流なのだ。
現代の格差社会が生まれた源流には、IT技術の進歩が関係しているのではないかと論じられている。文明の利器は人間の生活を豊かにしたが、IT技術の進歩が産んだのは、物事に対する表層的な利便性なのではないかという疑問があるからだ。このことについて、現在公開中の映画『家族を想うとき』(19)のケン・ローチ監督はTBSの取材で最低労働時間が保証されない「ゼロアワー契約」と、労働者を厳しく監視するIT管理システムの問題点を挙げ「多くの人たちが何とかして生活を耐えうるものにしようと頑張っている一方で、ごく一握りの人間が莫大なお金を持っている。先端技術は我々の生活を良くするためではなく、数少ない人たちの利益のために開発されてきた。労働者にとっては最悪だが、雇用者にとっては素晴らしい条件」と指摘している。『パラサイト 半地下の家族』で描かれている格差社会の過酷な現実は、単なる絵空事ではない。『ジョーカー』で描かれているように、ここでも妬みや恨みが導く反動は、大衆の暴力へと繋がってゆくからだ。ケン・ローチ監督は「我々には二つの選択があります。人々が“協力”すれば平和が訪れ調和の中で生活できる、逆に人々が“競争”を続けるなら互いを滅ぼすでしょう」とも語っている。
全員が失業中で、日の光も電波も弱い“半地下住宅”で暮らす貧しいキム一家を描いた『パラサイト 半地下の家族』。物語は大学受験に失敗し続けている長男ギウが、ある理由からエリート大学生の友達に家庭教師の仕事を紹介されて…というところから始まる。 © 2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED
また、アカデミー賞が“ハリウッド映画人による、ハリウッド映画人のための賞”という性格がある点において、韓国映画である『パラサイト 半地下の家族』がもし候補となれば、それは快挙となる。過去にも『愛、アムール』(12)や『テス』(79)、『叫びとささやき』(73)や『Z』(69)など、アメリカの資本が入っていない外国語の映画が候補になった事例はある。重要なのは、第92回から外国語映画賞が国際映画賞と名称を変更することになったように、グローバル化の中にある映画製作の現状を、映画芸術科学アカデミーが反映させようとしている点にある。映画芸術科学アカデミーの会員は「白人で50歳以上の男性」が中心である点が問題視されてきた。その傾向を是正するため、女性やマイノリティに属する映画人だけでなく、近年は海外の映画産業で活躍する映画人を会員に招待している。今年は59カ国・842名が会員の招待を受け、日本からは大友克洋や押井守の名前も確認できる。そのような潮流があるからこそ、『パラサイト 半地下の家族』がアジア映画として初の作品賞候補となれば、それはそれで大きな意義があるのだ。また有力作品のひとつとして、アジア系家族の再会を描いた『フェアウェル』(19)が挙がっているように、“ダイバーシティ”=“多様性”は、第92回においてもキーワードとなる予感がある。
その3:ハリウッドを揺るがすNetflix問題の行方
前出のゴールデン・グローブ賞ノミネート作品を注視すると、ある共通点を指摘できる。それは、作品名の後ろに(Netflix)と記された映画が多いという点だ。例えば、ある夫婦の別れを描いたノア・バームバック監督の『マリッジ・ストーリー』(19)が作品賞をはじめとする最多6部門、アメリカの裏面史を描いたマーティン・スコセッシ監督の『アイリッシュマン』(19)が5部門で候補になっているほか、『2人のローマ教皇』(19)、『ルディ・レイ・ムーア』(19)など、映画部門(ゴールデン・グローブ賞にはテレビ部門もある故)では17の部門でNetflixが製作した作品が候補となっている。そしてドラマ部門作品賞に至っては、5本中3本がNetflixの作品で占められていることも分かる。
アメリカは映画を発明した発明王・エジソンの国、フランスは映画の誕生を担ったリュミエール兄弟の国であることも本連載11回の中で解説したが、この二つの国の間には、映画が「スクリーンに投影されたものであるか否か?」ということに対する解釈の違いがある。つまり、映画史で「映画の誕生」とされるリュミエール兄弟の<シネマトグラフ>が、“スクリーンに投影された映像を不特定多数の観客が同時に観るもの”であったことと、フランスで開催されているカンヌ国際映画祭で、パソコンやスマホを通じて個人の都合で観る形式が主体のNetflix作品を映画と認めないこととは無縁ではないのだ。一方で『ジョーカー』を最高賞に選んだヴェネチア国際映画祭は、カンヌとは対照的にNetflix作品に寛容。2018年にはNetflix作品である『ROMA/ローマ』(18)を最高賞に選んでいる。そもそもカンヌ国際映画祭は、1938年の最高賞にナチスのプロパガンダ映画だと評された『オリンピア』(38)を選んだヴェネチア国際映画祭に対する政治的アンチとして企画されたものだったという経緯がある。つまり、イタリアはアメリカの映画思想に近く、アメリカとフランスの映画思想は異なり、フランスとイタリアの映画思想は対立しているという歴史的な構図があるのだ。
それでも、Netflixをはじめとする映像配信会社による作品の勢いは止められない。個人的にはアカデミー賞にインターネット映画部門を設けることで、この問題を解決できるだけでなく、受賞者も増えるというメリットがあると思うのだが、それもそう簡単には事が運びそうにない。ちなみに、現時点で既に発表されている主要な映画賞では、
ナショナル・ボード・オブ・レビュー:『アイリッシュマン』
ニューヨーク映画批評家協会賞:『アイリッシュマン』
ロサンゼルス映画批評家協会賞:『パラサイト 半地下の家族』
シカゴ映画批評家協会賞:『パラサイト 半地下の家族』
トロント国際映画祭:『ジョジョ・ラビット』
がそれぞれ作品賞に輝いている。個人的に注目するのは、トロント国際映画祭の『ジョジョ・ラビット』(19)。実はトロント国際映画祭で最高賞(People ‘s Choice Award)に輝いた作品は、2011年以外の過去12年で全ての作品がアカデミー作品賞の候補となっているのだ。この映画祭の特徴は、観客が選んだ作品が最高賞を受賞するという点。
『ジョジョ・ラビット』の主人公は、第二次世界大戦中のドイツでヒトラーユーゲント(青少年団)に入ることを夢見る少年。ファシズムに洗脳された彼が、屋根裏部屋に匿われていた少女と出会い、やがて恋をすることで妄信していたファシズムに対しても疑問を抱き始めるという物語。過去の事例を描きながら、国籍や人種、信仰する宗教などを理由に排斥する傾向にある不寛容な社会をも断罪してみせているのが見事な作品だ。ちなみに昨年のトロント国際映画祭で最高賞に選ばれた『グリーンブック』(18)は、1960年代の人種問題を描きながら、現代の社会問題にも警鐘を鳴らした作品だった。思い起こせば『グリーンブック』は、今年の第91回アカデミー賞で作品賞に輝いている。
『ジョジョ・ラビット』(日本公開は2020年1月17日)の主人公ジョジョは“空想上の友達”であるアドルフ・ヒトラーの助けを借りながらヒトラーユーゲントの合宿に参加するが、訓練でウザギを殺すことができず「ジョジョ・ラビット」というあだ名をつけられてしまう。 (C) 2019 Twentieth Century Fox Film Corporation &TSG Entertainment Finance LLC
また、アカデミー賞は“ハリウッド映画人による、ハリウッド映画人のための賞”であることから、映画人たちの視点で評価された作品が作品賞を受賞してきたという歴史もある。例えば近年では、サイレント映画として製作された『アーティスト』(11)や全編ワンシーンワンカットの切れ目がない(かのような)映像を実践した『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14)などが挙げられる。その点では、『アメリカン・ビューティ』(99)で作品賞・監督賞を受賞しているサム・メンデス監督の新作『1917 命をかけた伝令』(19)にも注目したい。第一次世界大戦の戦場を描いたこの映画もまた、1時間50分の映像がワンショットのように撮影されているという技術的な評価軸を持っている。このように、2020年1月13日のノミネーション発表、2月10日の授賞式(ともに日本時間)の結果は、社会に対する姿勢、そして映画業界のあり方に対するハリウッド映画人の意思表示なのである。
参考文献
GOLDEN GLOBE AWARDS
THE OSCARS
TBS NEWS「世界の映画に何が?ケン・ローチ監督が語る“貧困と格差”」(2019年12月19日)
『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)