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映画史からNetflix問題を考える:その2 スクリーンの投影を意図しない映画は“映画”と呼べない【連載】松崎健夫の映画ビジネス考(11)
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  • 2019.05.13
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映画史からNetflix問題を考える:その2 スクリーンの投影を意図しない映画は“映画”と呼べない【連載】松崎健夫の映画ビジネス考(11)

トーマス・エジソン
Photo by Shutterstock

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来年開催の第92回アカデミー賞授賞式は、2020年2月9日(現地時間)に行われることが既に発表されている。注目ポイントは、今年『ROMA/ローマ』(18)で論議を呼んだ「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」をどう扱うのか?という点。映画館での上映ではなく、インターネットを通じての配信を目的とした『ROMA/ローマ』を製作したNetflixの作品を、今後“映画”として認めるか否かについては、世界中の映画人の間で意見が真っ二つ分かれている。そして先月23日、アカデミー賞を主催する映画芸術アカデミーの役員会がハリウッドで開かれ、ある決定がなされたのだ。

連載第11回目では、前回に引き続いて「映画史からNetflix問題を考える」その2と題して、ネット配信を中心とした映画をハリウッドの映画人の多くが、なぜ“映画”とは呼ばないのか?について、今回は「“映画”という言葉の持つ意味」という視点によって解説してゆく。

松崎健夫

映画評論家

東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『japanぐる〜ヴ』(BS朝日)、『シネマのミカタ』(ニコ生)などのテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演中。『キネマ旬報』誌ではREVIEWを担当し、『ELLE』、『SFマガジン』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。キネマ旬報ベスト・テン選考委員、田辺弁慶映画祭審査員、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門審査員などを現在務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。日本映画ペンクラブ会員。

来年のアカデミー賞もNetflix作品がノミネート対象になる

4月23日に行われた映画芸術科学アカデミーの役員会で決定したことを要約すると、「Netflixの作品は、引き続き賞レースの対象となる」とのこと。つまり、「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」として優れた作品があった場合、来年のアカデミー賞でも作品賞の候補となる資格があるということなのだ。スティーヴン・スピルバーグ監督は「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」が、アカデミー賞の候補となることに異議を唱えているハリウッドの大物のひとり。この件に関してスピルバーグは、以前から「アカデミー賞ではなく、エミー賞(テレビ番組の業績を称える賞)の対象ではないか?」とノミネート条件の変更を提案していた。

アカデミー賞では「授賞式の前年度にロサンゼルス地区の劇場で連続7日間以上の有料公開した40分以上の作品」を作品賞候補の条件に挙げている。ハリウッドの映画会社では、アカデミー賞レース向けに製作した自社の自信作を年末に公開する傾向が増加している。例えば、或る映画を12月24日に公開して、12月31日まで上映すれば、合計7日間となり最短でアカデミー賞のノミネート条件をクリアできる。なぜ、そのような日程で上映するのかと言うと、直近に観た映画の方が印象に残るからである。「昨年の映画で良かった作品は?」と問われた場合、前年の1月〜3月頃に上映された作品に対する記憶は誰もが曖昧なはず。当然「公開されたのは昨年だったのか、それとも一昨年だったのか?」ということになる。それは映画ファンのみならず、ハリウッドの映画人であっても同じことなのである。

実は「直近に観た作品に投票する」という傾向が、アカデミー賞の投票権を持つ映画芸術科学アカデミー会員にあるのだ。ハリウッドの各映画会社はその傾向を戦略の一部に取り入れ、ロサンゼルスやニューヨークといった大都市の限られた映画館で“限定公開”させ、規定ギリギリの年末というタイミングに公開することで、ノミネートの条件をクリアさせている。その後、アメリカ国内の各映画賞の受賞結果を参考にしながら、アメリカ全土で“拡大公開”を展開。ノミネーションの発表によって作品への興味を一気に引っぱり、興行的にも成功させようとしているのである。『ROMA/ローマ』の場合は、規定を満たすための劇場公開を3週間だけ行っている。しかし、劇場公開後すぐにストリーミング配信を始めたため「フェアではない」と映画業界からの反発を受けたのだ。それは、別項にある「劇場公開から90日は映画館でしか上映しない」という規定を満たしていなかったからだ。

今回の決定に関して、映画芸術科学アカデミーのジョン・ベイリー会長は「我々は“映画”という芸術にとって、劇場での体験は不可欠だと考えています。今回の話し合いの中でも、このことは大きな比重を占めていました。現在の規定では、劇場公開が条件となっていますが、業界に起こっている大きな変化へ対して、これからも研究し、会員との議論を続けてゆきます」と語っている。

「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」の是非に関しては先送りになった形だが、“変化”という点では、今回<外国語映画賞>を<国際長編映画賞>という名称へ変更することが決定された点も忘れてはならない。これまで、英語以外の言語で製作された作品を<外国語映画賞>=<Foreign language film>の対象としてきたが、この名称を<国際長編映画賞>=<International feature film>と変更。「外国語」という言葉が、国際的な映画製作が増えている中で、感覚的に時代遅れなのではないか?という懸念に対するハリウッドの答えだと解釈できる。ハリウッドの映画産業は“保守的”と揶揄されがちだが、いきなり大きな変化をもたらすのではなく、少しずつ時代の変化を受け入れてゆこうという姿勢を感じさせる決定だ。

“映画の誕生”はエジソンではないのがポイント

映画史において<映画の誕生>は、1895年12月28日だとされている。この日、パリのグラン・カフェでリュミエール兄弟が映写機を使って、35ミリのフィルムに記録された映像をスクリーンに投写。初めて一般の観客に対して有料で公開上映を開催したことから、一般的にはこの出来事を<映画の誕生>と呼んでいるのだ。一方でその前年、発明王のトーマス・エジソンは、箱の中でフィルムに光を当て、覗き穴からフィルムに記録された動画を観る機械をアメリカで開発。リュミエール兄弟が開発した撮影機材・映写機を<シネマトグラフ>と呼んだのに対して、エジソンが開発した装置のことを<キネトスコープ>と呼んでいる。<キネトスコープ>は、フィルムがループ状になって箱の中に納められており、コインを入れることでフィルムが走行するという装置。それを覗き込んで観るため、不特定多数の人間がスクリーンに投影された映像を観る<シネマトグラフ>とは異なり、“ひとりで観る”ことが特徴だった。

ここには「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」を“映画”として受け入れるか否か?に通じる三つのポイントがある。まずひとつめは、映画を発明したと言っても過言ではないエジソンが、<映画の誕生>を代表する人物ではなく、それはリュミエール兄弟の方であるという点。筆者の共著『現代映画用語事典』の中でも、「<映画の誕生>には諸説ある」と前置きしたうえで「アメリカのトーマス・エジソンが発明したキネトスコープではなく、フランスのリュミエール兄弟によるシネマトグラフが<映画の誕生>に対する公認の事実である」と記している。つまり映画とは「映写機によってスクリーンに投影され、劇場で多数の観客に有料公開するもの」なのだ。同様に『広辞苑』にも「映写機で投影するもの」との記述がある。“映画”という言葉は、箱の中に映し出された映像を観るものではなく、投影された映像を観るものを指すことから、<映画の誕生>はエジソンではなく、リュミエール兄弟だとされているのである。

2つ目は、エジソンの<キネトスコープ>が“ひとりで観る”ものであったことに対して、リュミエール兄弟の<シネマトグラフ>が“不特定多数の人間と観る”という違いがある点。<キネトスコープ>は“ひとりで動画を観る”という点において、パソコンやスマートフォンなどで映画を観る行為に近いと考えられる。つまり、当初から劇場のスクリーンで上映される事を意図しないで製作された作品は、そもそも“映画”とは呼べないのではないか?という視点が、映画史的な観点から生まれるのだ。「映写された映像を不特定多数の人間が同時に観る」ことを映画とするならば、当然エジソン的な「ひとりで観る動画」が、厳密には“映画”と呼べなくなる。それゆえ、<映画の誕生>という映画史的な規定が「リュミエール兄弟ではなくエジソンによるものだ」と覆されない限り、「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」を“映画”と呼ぶには検証が足りないのだ。そして、映画史を専門とする筆者としても「映画と呼ぶには時期尚早」と判断せざるを得ない立場になってしまうのである。

3つ目は、エジソンがアメリカの人物で、リュミエール兄弟がフランスの人物であるという点。<キネトスコープ>を開発した国であるアメリカからすれば、映画史云々といった御託は関係なく「“ひとりで動画を観る”ことも映画でいいじゃないか」と、寛容になれる理由を持っている。しかし、スクリーンに投影されたものを不特定多数で観ることを<映画の誕生>と規定されたフランスからしてみれば、「映画館での上映を意図しないインターネットでのストリーミング配信を基本とした映画」を“映画”と認めてしまえば、映画史における<映画の誕生>という指標をアメリカに渡してしまうことになるのである。

フランスは“映画を守る国”として、1980年代にMedia Chronology(メディアの時系列)というルールを作ることによって、映画の製作や興行に関わる利益を守ってきたという経緯がある。ビデオの普及で家庭でも映画の鑑賞が自由となった時代に、劇場公開された映画のビデオ販売に対して或る一定の期間を国が設けることで、映画館へ足を運ぶ観客の減少を食い止めようとしたのだ。フランスで開催されるカンヌ国際映画祭で、インターネット上でのストリーミング配信を優先するNetflixの作品を締め出し、“映画”として認めない背景には、“映画を守る国”としての制度の違いという要因がある。例えばフランスでは、DVDやネットレンタルを劇場公開の4カ月後、ペイチャンネルでの放送を劇場公開の10〜12カ月後、その他のテレビ放送では劇場公開の22〜30カ月後と定めている。

ちなみに、Netflixなどのようなネット配信は劇場公開の36カ月後となっているが、前述通り『ROMA/ローマ』は劇場公開後すぐに配信が始まった。「コンペ作品に対しては劇場公開を義務づける」とカンヌが強硬な姿勢を見せたのは、国の定めたルールを守らない配信会社の存在を、フランスという国家自体が問題視しているからなのだ。もちろんそこには、<映画の誕生>の国であるという威信もある。そもそも、劇場公開を意図した作品とインターネットでのストリーミング配信を優先させた作品とでは、収益構造が異なる。ネット配信を優先させた映画の殆どは(視聴料などを基にした)自社の予算の中から製作費を捻出しているので、配信された時点で既に採算が取れている。一方、劇場公開によって興行収入を得る作品は、観客の目に触れた時点からが勝負。収益構造の異なる“映画”を同列に評価することは興行面においても、やはり難しいといえる。

実は、“映画”という言葉の定義に関しては、『現代映画用語事典』や『広辞苑』で「今日ではデジタル環境により、フィルムの映写に限定されず、映画の概念も問われ続けている」との追記がなされている。つまり、感覚的に「これは映画だ」、「これは映画ではない」と判断するのではなく、映画史的な観点からの<新たな“映画”の定義>が必要とされているのである。次回は、映画の興行面という視点をさらに進めて、この問題を引き続き考えてゆく。


過去の連載はこちら

【参考資料】
「現代映画用語事典」(キネマ旬報社)
「広辞苑 第七版」(岩波書店)
「大辞林 第三版」(三省堂)
OSCARS
Netflix Can Chill: Academy Rules No Change in Streaming Oscar Eligibility(Variety)
Media Chronology in France(Independent Film&Television Alliance)
スピルバーグ監督、アカデミー賞からNetflixの締め出しに失敗(映画.com)

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