映画『ジョーカー』(19)が話題を呼んでいる。10月4日に世界12カ国で同時公開され、現在66カ国で週間興行収入ランキング初登場1位となる大ヒットを記録中。北米では4374館で上映されるという超拡大公開となり、3日間で約103億円もの興行収入を稼ぎ出しただけでなく、10月に封切りされた作品として歴代興行記録を塗り替えてもいる。日本でも10月8日までに約68万2000人を動員し、興行収入も10億円を突破。今や世界的な社会現象となっている。
この映画は、『バットマン』に登場する敵役・ジョーカーを主人公にした作品だが、この映画にアメコミの人気スーパーヒーローであるバットマンは登場しない。描かれるのは、ジョーカーと称する悪党になる以前の青年、そして、将来バットマンとなるであろう少年の姿。少年に至っては、単なる脇役に過ぎない。つまり『ジョーカー』は、近い未来、とんでもない悪党になる人物を主人公にした映画なのだ。
昨今、映画に対して“感動”や“共感”が求められがちだというきらいがある。主人公の境遇や内面に共感し、涙する。例えばこのことは、テレビのCMで、映画を観た観客が「泣けた」あるいは「涙が出た」などのコメントをする姿を採用していることにも象徴されている。そのコメントに“共感”する人々がいる一方で、辟易とする人たちもいる。“感動”や“共感”を押し付けるような宣伝の効果はいかがなものか?と疑問を抱いているのだ。その点で、『ジョーカー』は、本来であれば、“感動”や“共感”とは無縁のはず。何故ならば、彼は犯罪者となるような人間だからだ。
であるにも関わらず、『ジョーカー』は人々を魅了し、熱狂させている。そして同時に、「悪意を誘導させるような映画だ」と、大きな批判にも晒されている。特にアメリカ本国では、「近年の銃乱射事件に同調するような暴力を描いている」と、作品に対する否定的な論調も支持されている。実際、ロサンゼルスの映画館では、マスクの着用が禁止され、公開初日には「陸軍とロス市警が警備体制を強化する」とまで報道された。観客の感想をネットで検索すると、賛否があるものの、どちらかというと「賛」とする声の方が大きい印象を持つが、それでも多くの議論が飛び交っている。連載第16回目では、「『ジョーカー』が描く3つのキーワード」と題して、この映画に用いられているモチーフから見えてくるいくつかのテーマについて映画史的な視点から解説する。
松崎健夫
映画評論家
東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『japanぐる〜ヴ』(BS朝日)、『シネマのミカタ』(ニコ生)などのテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演中。『キネマ旬報』誌ではREVIEWを担当し、『ELLE』、『SFマガジン』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。キネマ旬報ベスト・テン選考委員、田辺弁慶映画祭審査員、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門審査員などを現在務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。日本映画ペンクラブ会員。
その1:時代を表現するロゴ・デザイン
『ジョーカー』を配給しているのは、アメリカのメジャー映画会社であるワーナー・ブラザース(以下、ワーナー)。映画の冒頭では、他の映画と同じように配給元であるワーナーのロゴが表示される。ところがこのロゴは、同じワーナーが配給してきた、これまでの『バットマン』シリーズや、『ハリー・ポッター』シリーズで使用されていたデザインとは少し異っているのである。それもそのはず、『ジョーカー』の冒頭に表示されるのは、現在のロゴではなく、1972年から1984年の間に使用されていたロゴなのだ。
このロゴをデザインしたのは、映画のタイトルデザインという分野を開拓した第一人者であるソール・バス。アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(58)や『北北西に進路を取れ』(59)で、CGの原型となるような映像を実践したり、キネティック・タイポグラフィを先んじて取り入れたり、斬新なタイトル・デザインを制作したことで著名な人物なのだ。それゆえ、ソール・バスが手がけたワーナーのロゴは、アブストラクトで斬新なデザインになっている。つまり、この時代に使用されていたロゴを(許諾を得て)わざわざ引用しているのには理由があるのだ。
『ジョーカー』は『バットマン』の世界観を踏襲しているため、架空の街・ゴッサムシティが舞台となっている。そのため、描写の節々から時代性を推し量ることができるものの、あえて明確な時代は提示されていない。その時代を特定する一つの手がかりが、ワーナーのロゴなのだ。実は、ソール・バスが手がけたロゴは、第85回アカデミー賞で作品賞に輝いた『アルゴ』(12)でも使用されている。『アルゴ』は、イランのアメリカ大使館人質事件という史実を基に描いた作品。この事件が起こったのは、1979年11月、ソール・バスが手がけたロゴが使われていた時代と映画の舞台となった時代が重なるのだ。つまり、『ジョーカー』で描かれている時代も1972年から1984年あたりのどこかなのだと、映画会社のある特定のロゴを表示することで表現してみせているのである。
その2:行政サービスが行き届かなくなること
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー・フレックが後に悪のカリスマ・ジョーカーへと変貌する
映画の冒頭、ゴッサムシティの街角はゴミで溢れかえっている。劇中のテレビニュースでは、行政サービスに対する予算の削減が行われていると報道されていることも判る。つまり、行政サービスが行き届いているからこそ、街の景観や防犯も保たれるのだ。将来、ジョーカーとなる青年アーサー(ホアキン・フェニックス)にとっても、福祉サービスの削減によって薬の支給を受けられなくなるという場面がある。日本でもさまざまな行政サービスに対する予算削減が行われているという現状は、『ジョーカー』というフィクションの中で描かれている現実と無縁ではない。そのことを我が事のように“共感”する観客がいることは、この映画が支持されている理由の一つだと言えるだろう。
『ジョーカー』の舞台は、架空の街・ゴッサムシティだが、明らかに1970年代後半から1980年代初めニューヨークのように描かれている(劇中の映画館で上映されている映画のタイトルも、それを示唆している)。映画のロケが主にニューヨーク市内で行われたのだから、当然といえば当然だ。この時代のニューヨークを舞台にした映画、例えば『タクシードライバー』(76)や『ジャグラー/ニューヨーク25時』(80)に映し出される街並みは、落書きやゴミで汚れ、犯罪が多発する危険な街だと描かれていた。実際この当時のニューヨークは、貧富の格差が拡大し、税金の減収で多くの行政サービスが打ち切られていたという背景がある。筆者にとっても、当時のニューヨークは“アメリカで一番危険な街”という印象を抱いていた。
『ジョーカー』には、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』で主人公・トラヴィスを演じたロバート・デ・ニーロが出演しているが、このキャスティングにも意図を感じさせる。当時、混沌としたニューヨークを生きる青年・トラヴィスを演じていたデ・ニーロが、混沌としたゴッサムシティに生きる青年・アーサーと邂逅する人気コメディアンを『ジョーカー』で演じているからだ。アーサーはコメディアンを目指し、憧れの人気コメディ番組の司会者との対話を妄執する。この司会者・フランクリンを演じているのがロバート・デ・ニーロ。そしてデ・ニーロもまた、憧れの人気コメディ番組の司会者との対話を妄執する青年を、マーティン・スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』(82)で演じていたのだ。アーサーが隣人であるアフリカ系アメリカ人の女性に恋慕するのは、『キング・オブ・コメディ』の設定を踏襲させたものでもある。
ロバート・デ・ニーロはアーサーの憧れのコメディアン、マレー・フランクリンを演じる
一方、アーサーを演じたホアキン・フェニックスは、2008年に俳優引退を宣言。ヒップホップの世界で活動する時期があった。彼は、人気トーク番組「Late Show with David Letterman」に出演し、支離滅裂な発言や奇行で話題となったこともあったが、実は俳優引退宣言に関するすべてが、長い時間をかけたフェイクだったと後年判明する。『容疑者、ホアキン・フェニックス』(10)は、その一部始終を撮影したモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)なのだが、この映画におけるホアキン・フェニックスの姿は、まるでフランクリンの番組に出演しているアーサーと相似形を成しているのだ。つまり、ロバート・デ・ニーロやホアキン・フェニックスに対するキャスティングは、過去作に対する引用という意図を窺わせるのだ。
『ジョーカー』や『キング・オブ・コメディ』、あるいは『タクシードライバー』が共通して描いているのは、主人公は心を病んでいるが、社会もまた病んでいるということ。今年の第91回アカデミー賞では、作品賞に輝いた『グリーンブック』(18)をはじめ、『ブラック・クランズマン』(18)や『バイス』(18)など、過去を描くことで現代の社会問題を炙り出そうとする作品が候補となっていたのが特徴だった。現代の問題を直接描くのではなく、過去の同じような事象を描くことで、いま再び、同じ過ちを繰り返そうとしていることをに対する警鐘を鳴らそうとしているのだ。そういう意味で『ジョーカー』もまた、過去のニューヨークを想起させることで、現代の社会問題をフィクションの形を借りて描こうとしているのである。
その3:1930年代にチャップリンが警鐘していたこと
1972年から1984年のワーナーは、映画業界斜陽化の影響を受け、企業買収の餌食となっていた。1984年にはルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションに買収されているが、奇しくも『ジョーカー』で描かれている「企業理念が優先される社会」のあり方とも合致するのである。経営者の利益ばかりが優先され、労働者の権利や尊厳を軽視。実際のアメリカ社会でも、富める者とそうでない者との格差が広がったことは、先述の通り。チャールズ・チャプリンは、その危険性を『モダン・タイムス』(36)のテーマとして、1930年代に先んじて指摘していた。そして、この『モダン・タイムス』は、『ジョーカー』の重要なモチーフとして劇中に引用されているのだ。例えば、『ジョーカー』で流れる名曲「スマイル」は、チャップリンが作曲した『モダン・タイムス』の主題歌だった。
ゴッサムシティの名士であるトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)は、後にバットマンとなるブルース・ウェインの父親だ。彼が建設したであろう“ウェイン・ホール”で上映されている映画、それがチャップリンの『モダン・タイムス』なのである。映画の中で、工場の労働者を演じるチャップリンの姿を笑う観客たち。そこに座っているのは、経営者側の人間ばかりだ。この映画で資本主義社会への疑問を投げかけたチャップリンは、その思想が共産主義的だと1950年代の“赤狩り”で糾弾され、アメリカを(実質)追放されている。現代的な視点からすると、チャップリンの指摘は正しいはずなのだが、時代がそれを許さなかったのだ。つまり『モダン・タイムス』を引用することで、我々が暮らすこの世界も「そうなりつつある」と、『ジョーカー』は現代社会の傾向に対して警鐘を鳴らしているのである。
『ジョーカー』に対する熱狂の発端は、第76回ヴェネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞を受賞したことにある。現存する国際映画祭の中では最古の映画祭であるヴェネチア国際映画祭が生まれた経緯については、連載第3回「アカデミー賞は国際映画祭ではない」で解説したが、ジョーカーというアメコミのキャラクターを主人公にした映画が最高賞を受賞するのは極めて稀なこと。どちらかというと映画の商業性よりも芸術性を重視する傾向にあるヴェネチア国際映画祭での受賞は、『ジョーカー』が単なるエンタメ映画でないことのお墨付きとなった感がある。
ヴェネチア国際映画祭に出席するトッド・フィリップス監督(写真左)とアーサーを演じたホアキン・フェニックス(写真右)
先述した第91回アカデミー賞の受賞作品や候補作品、例えば『グリーンブック』のピーター・ファレリー監督、『バイス』のアダム・マッケイ監督には共通点がある。ピーター・ファレリーは弟のボビー・ファレリーとともに“ファレリー兄弟”として『ジム・キャリーはMr.ダマー』(94)や『メリーに首ったけ』(98)といったコメディ映画を監督してきた人物。一方のアダム・マッケイも、人気コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の作家を経て、『俺たちニュースキャスター』(04)などのコメディ映画を監督した人物。つまり、コメディ映画を作ってきた人物たちが、社会問題を描く作品を監督するようになったという共通点があるのだ。喜劇王と称されたチャップリンも、ナチス台頭の時代に『独裁者』(40)を製作した社会派の人間だ。
実は、『ジョーカー』のトッド・フィリップス監督も『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(09)をはじめとする、コメディ映画を手がけてきたという共通点がある。そして、『ハングオーバー』シリーズの2作目と3作目の脚本を手がけたクレイグ・メイジンは、チェルノブイリ原子力発電所事故の顛末を描いたドラマ「チェルノブイリ」(19)の製作・脚本で、先日発表された第71回エミー賞のリミテッドシリーズ部門で作品賞を含む10部門を独占したばかり。大ヒットしたコメディ映画『ハングオーバー』シリーズを手がけた二人が、10年後に社会問題を指摘した作品で高い評価を受けていることは、単なる偶然ではない。『ハングオーバー』もまた、ワーナーの配給作品なのだ。
1923年に設立されたワーナー・ブラザース・ピクチャーズは、“ハリウッドメジャー”と呼ばれる、映画黎明期から続くアメリカの映画会社だが、1930年代に経営難に見舞われた時期があった。その窮地を救ったのが、エドワード・G・ロビンソン主演の『犯罪者リコ』(30)やジェームズ・キャグニー主演の『民衆の敵』(31)といった“ギャング映画”群。禁酒法の時代に、悪党を主人公にした映画は観客の支持を得て、ワーナーは年間50本もの“ギャング映画”を製作していたという歴史がある。つまり、『ジョーカー』で悪党になってゆく主人公を描くことは、ワーナーという映画会社の歴史に適っているのである。
そもそも“ジョーカー”=“道化師”は、王政の時代に王様をからかっても唯一罰せられないという存在だった。“コメディ”=“お笑い”が社会的な批評性を帯びているという由縁でもある。とどのつまり、ジョーカーの姿に“共感”する観客がいることは、誰もが考えているけれど口に出しにくいことを、ジョーカーが道化師のごとく代弁しているからにほかならない。
【参考文献】
Bloomberg「Warner’s Controversial ‘Joker’ Sets Mark for October Debut」
「Heightened Security Around Joker Movie」
「‘Joker’ Opens at $39.9 Million Friday, Eyes October Record」
MOVIE TITLE STILLS COLLECTION「Warner Bros. logo design evolution」
IMDb 「JOKER」
興行通信「『ジョーカー』が1位を獲得!『HiGH&LOW 〜』が3位、『蜜蜂と遠雷』が4位、『ジョン・ウィック〜』が5位に初登場(10月5日-10月6日)」
『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)
『ジョーカー』
10月4日(金) 全国ロードショー
ワーナー・ブラザース映画
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