CULTURE | 2019/03/11

アカデミー賞の司会者不在や放送時間短縮とも闘うハリウッド映画人 【連載】松崎健夫の映画ビジネス考(9)

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第91回アカデミー賞授賞式が2月25日に開催され、日...

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第91回アカデミー賞授賞式が2月25日に開催され、日本でも現在公開中の『グリーンブック』(18)が作品賞など3部門に輝いた。前回の連載で指摘したように今回のアカデミー賞は、過去の差別発言によって司会者が降板したため30年ぶりに司会者不在となった問題、映画館での上映を意図しないインターネットでの配信を基本とした映画に対する評価、生放送時間の短縮によって技術部門の受賞発表をCM中に実施しようとした問題、<人気映画部門>の設立が頓挫した問題など、さまざまな問題を抱えていた。これらのいくつかについては、授賞式を経てある種の回答が示された感がある。

連載第9回目では「アカデミー賞の司会者不在や放送時間短縮とも闘うハリウッド映画人」と題して、第91回アカデミー賞授賞式から見えるハリウッド映画人たちの姿勢について解説してゆく。

松崎健夫

映画評論家

東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『japanぐる〜ヴ』(BS朝日)、『シネマのミカタ』(ニコ生)などのテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演中。『キネマ旬報』誌ではREVIEWを担当し、『ELLE』、『SFマガジン』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。キネマ旬報ベスト・テン選考委員、田辺弁慶映画祭審査員、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門審査員などを現在務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。日本映画ペンクラブ会員。

映画人たちの反発が授賞式の放送を変えた

“映画芸術科学アカデミー”主催のアカデミー賞は「映画界の発展を目的とし、監督・俳優・スタッフを表彰することで、その成果を称える」ことを掲げているが、アカデミー賞授賞式は晩餐会として始まったという歴史がある(※ 連載第3回を参照。<授賞晩餐会>と呼ばれた形式は、第16回に現在の<授賞式>に近い形式のものとなったが、そこには世界的な歴史の流れが関係している。授賞式が開催された1944年3月2日は第二次世界大戦の真っ只中。投票権を持つアカデミー会員のうち約200人が戦地に徴集されていた時勢、「戦時中に晩餐会とは何ごとか」という世論もあり、現在のような<授賞式>に変更されたという経緯があるのだ。

翌年の第17回からは、全国ネットによるラジオの“完全実況中継”が始まったのだが、この時、今年と同じような一悶着があった。ラジオでの放送は1930年の第2回アカデミー賞授賞式からすでに行われていたのだが、これはロサンゼルスにある地元局のみでの実況放送だったのだ。まだ映画スターの生の声を聞くことが難しかった時代、この実況放送では受賞した人気スターの生の声を伝えることでも大衆の人気を集めていた。そのため、放送は彼らの登場する後半を中心に行われていたのだ。これに反発したのが全米監督組合のメンバーたち。当時、監督賞の発表は授賞式の最初の方で行われていたため、放送で紹介されないことは“映画芸術科学アカデミー”が映画監督を大切に考えていないからだと、アカデミーからの脱会を示唆。この結果、ラジオの“完全実況中継”が実現したというわけなのだ。

今回のアカデミー賞授賞式では生中継に対する視聴率の伸び悩みから、放送時間が4時間から3時間に短縮されることが事前にアナウンスされていた。1時間も放送時間が短くなることによって、撮影賞、編集賞、短編実写映画賞、メイク・スタイリング賞をCM中に発表すると“映画芸術家科学アカデミー”は授賞式直前に決定。同時にCM中での発表は「毎年持ち回りでやる」とアナウンスしたものの、映画人たちはこれに猛反発。「持ち回りにする」と言っても、作品賞や主演男優賞、主演女優賞などの主要部門がCM中の発表になるとは考えられず、技術部門や短編映画、ドキュメンタリー部門など「日頃は光の当たらない映画人たちを讃える場が失われる可能性がある」と、ジョージ・クルーニーやブラッド・ピットといった俳優たちや、クリストファー・ノーラン監督やギレルモ・デル・トロ監督をはじめとする50人以上の映画人が公開書簡に署名。決定からわずか4日で撤回される騒ぎとなった。

結果的に今回の授賞式では全ての部門が生中継され、3時間の放送予定だった番組は3時間20分にまで延長。撤回の発表からわずか1週間で仕切り直したことに対する対応の早さはもちろんだが、ここで重要なのはハリウッドの映画人たちが「自らの権利は自分たちで守る」という姿勢を貫いている点にある。1940年代後半から50年代にかけてアメリカ国内の共産主義者を排除しようとした<赤狩り>の時代に、ハリウッドは肯定者と犠牲者に二分され、職を失った映画人がいただけでなく、政治によって表現の自由をも失ったという苦い経験がある。その反省から、ハリウッドには政治的な立場を表明したり、政治的な発言を行う映画人が多いのだ(この件に関しても本連載にて、いずれ詳しく取り上げる)。今回は不在となった授賞式の司会者(ホスト)の役割も、実はこの点と深く関わっている。

アカデミー賞授賞式における歴代の名司会者(ホスト)は、ボブ・ホープやビリー・クリスタルといったコメディアであることが多い。今回、過去の差別発言を指摘され降板したケヴィン・ハートも、スタンダップコメディアンから俳優に転身した経歴を持つ人気コメディ俳優。彼らは授賞式の進行にユーモアを交えた時事ネタを挟むことで、“世相を斬る”という役目も担っていた。つまり、単に授賞式を円滑に進めるだけでなく、その年のアカデミー賞がどのような社会的意見を示そうと考えているのかを代弁する立場にもあるのだ。それゆえ、共和党政権下と民主党政権下では風刺のあり方も異なり、時には会場からブーイングが起こることさえある。ハリウッド映画人の多くは、芸術と政治は切っても切れない関係にあると考えている。そのため、自分たちの政治的立場を受賞スピーチなどで表明することに意義を感じているのである。全世界に中継されているアカデミー賞授賞式の場は、高い評価を得た作品を知るための場だけでなく、“いま”ハリウッドがどのような社会的問題に関心を持っているかを知る場にもなり、そのことを世界中に伝える場になっているのだ。

今回の授賞式は『ボヘミアン・ラプソディ』(18)からクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」の演奏で幕が開けた。司会者が不在だったことで、プレゼンターの数珠つなぎのような構成で進行。最初に登場したティナ・フェイ、マーヤ・ルドルフ、エイミー・ポーラーの3人は「私たちは司会者ではありません」と笑いを誘いながら「同じように、メキシコは国境の壁建設にお金を出しません」と、アカデミー賞授賞式前の騒動とトランプ大統領への皮肉を同時に斬ってみせた。彼女たちもまた、主戦場をコメディとする女優たちであることは言うまでもない。

ハリウッドの黒人系監督・俳優・スタッフによる快挙

アカデミー賞において、ハリウッドで働く黒人系監督・俳優・スタッフたちが厳しい歴史を歩んできたことは前回指摘した通りだが、その点で今回の授賞式は“ゆるやかに革新した年”だったと評価できるだろう。作品賞・脚本賞・助演男優賞の主要3部門で受賞を果たした『グリーンブック』だけでなく、脚色賞を受賞したスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』(18)や、作曲賞・衣装デザイン賞・美術賞に輝いた『ブラックパンサー』(18)が受賞を果たしたことは、“いま”のハリウッドが表明する立場を如実に示している要因だともいえる。『ブラックパンサー』で衣装デザイン賞を受賞したルース・E・カーターと『ブラック・クランズマン』のスパイク・リー監督は、『スクール・デイズ』(88)で組んで以来という仲。会場で彼女の受賞に歓喜するスパイク・リーの姿があったのは、そのような経緯があってのことなのだが、同時にアフリカ系アメリカ人としては彼女がアカデミー賞の長い歴史の中で初めての受賞だったという快挙でもあったからだ。ルース・E・カーターは受賞スピーチで「私たちのルーツを作品に盛り込むことができた、ついに扉が開かれたのよ!」と喜びを語ったが、そもそも女性が技術部門で受賞する例でさえも少ないという実情があるのだ。

第87回と第88回のアカデミー賞では、主演男優・女優と助演男優・女優の4部門にノミネートされた俳優がすべて白人であったことから、<Oscars So White>=<白すぎるアカデミー賞>と厳しい批判を受けたという過去がある。その結果、翌2017年に開催された第89回では『ムーンライト』(16)の作品賞、マハーシャラ・アリの助演男優賞、ヴィオラ・デイヴィスの助演女優賞、バリー・ジェンキンスの脚色賞で、ハリウッドの黒人系映画人たちが続々と受賞を果たししたという変化が生まれたとも言われている。今回、受賞者が技術部門にまで広がったことは、多様性を重視しようとするアメリカ社会の流れとも合致する。例えば、外国語映画賞・監督賞・撮影賞を受賞した『ROMA/ローマ』(18)のアルフォンソ・キュアロン監督はメキシコ人であるし、短編アニメーション賞を受賞した『Bao』(18)のドミー・シー監督はアジア系、『ボヘミアン・ラプソディ』で主演男優賞を受賞したラミ・マレックはエジプト系。今回の作品賞候補はマイノリティの立場にある人物を主人公にした作品ばかりだったが、このことは各賞の受賞結果とも合致しているのだ。

第91回アカデミー賞授賞式のプロデューサーは、NASAの宇宙開発計画を陰で支えた黒人女性数学者たちの姿を描いた『ドリーム』(16)の製作を務めたドナ・ジグリオッティ。今回の授賞式に対する彼女の意図は明確で、それはプレゼンターの顔ぶれに表れていたと言えるだろう。例えばそれは、黒人系俳優で占められた『ブラックパンサー』のキャストたちだけでなく、女子プロテニス選手のセリーナ・ウィリアムズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリストであるトム・モレロ、「ザ・デイリーショー」の司会者トレヴァー・ノア、ミュージシャンのファレル・ウィリアムスといった、映画人ではないアフリカ系アメリカ人の著名人がプレゼンターとして登場したことに表れている。その極めつけが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師と共に公民権運動で闘ったジョン・ルイス下院議員だった。アカデミー賞が“ハリウッドの映画産業に関わる人たちが内輪で仲間の功績を祝福する賞”であるという特徴を考慮すれば、これらの人選が特異であったことを窺わせるだろう。

映画館での上映を意図しないインターネットでの配信を基本とした映画『ROMA/ローマ』を、シネコンなどの映画館チェーンと結びつきの強いハリウッド映画産業に関わる人たちがどのような評価を下すのか?という点はNHKニュースのレベルでも話題になっていたが、今回の受賞結果はハリウッドがインターネット配信による映画を映画と認めるべきか否か、ということよりも、根強く残る人種問題という国内の社会問題に重きを置き、“いま”ハリウッドの関心が何にあるのかを感じさせる結果となった。アメリカの世相が反映された国内外の社会問題に対するハリウッドの意思表示。司会者の不在や放送時間の短縮だけでなく、ハリウッドにとって“正しくない”と思えることに対して常にメッセージを発信し、闘っているのである。


出典:

『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)

『アカデミー賞 記録事典』(キネマ旬報社)

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