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『サルゲッチュ』『ICO』『SIREN』…SIE JAPANスタジオ再編の衝撃とSIE「グローバル化」の背景とは?【連載】ゲームジャーナル・クロッシング(5)
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  • 2021.04.20
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『サルゲッチュ』『ICO』『SIREN』…SIE JAPANスタジオ再編の衝撃とSIE「グローバル化」の背景とは?【連載】ゲームジャーナル・クロッシング(5)

「サグゲッチュ」「ICO」公式サイトより

Jini

ゲームジャーナリスト

はてなブログ「ゲーマー日日新聞」やnote「ゲームゼミ」を中心に、カルチャー視点からビデオゲームを読み解く批評を展開。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」準レギュラー、今年5月に著書『好きなものを「推す」だけ。』(KADOKAWA)を上梓。

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SIE JAPANスタジオ「再編」の衝撃 

4月1日、残念なニュースが流れた。数々の名作ゲームを送り出してきた、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)社内のJAPANスタジオが事実上解散し、Team ASOBI!に「再編成」されるというものだ。しかし、「JAPANスタジオ」という名前は業界人以外にはあまり響かなかったのか、SNS等で特別「バズる」こともなかった。

だが、『サルゲッチュ』や『SIREN』『ICO』というタイトルなら知っている人も多いのではないだろうか? これらの名作を、1999年から20年以上に渡りプレイステーションハードに供給してきたのが、知る人ぞ知るSIE JAPANスタジオであり、日本のゲーム業界の中でカプコンやスクウェア・エニックスに匹敵する「ゲーム職人集団」だった。

言い換えれば、筆者を含む多くのゲーマーが楽しんだこれらのシリーズは、当事者たちによる続編はおろかリメイクさえ怪しい状況になってしまったといえる。冷静に考えれば、「JAPANスタジオの消失」は、特にゲームファンにとっては極めて大きな喪失となったはずだ。だが実際にはトップにあるソニー、SIEという企業に起きた変化の、ほんのごく一部に過ぎない。

どうしてJAPANスタジオは解散しなければいけなかったのか。そもそもJAPANスタジオにはどのような実績があり、親会社であるSIEはどこへ向かおうとしているのか。任天堂、Microsoftを含む、他のリーディングカンパニーはどうなっているのか。展望していきたい。

SIE JAPANスタジオ、その歴史と功績

JAPANスタジオの歴史は長く、設立は27年前の1993年に遡る。当初は『アークザラッド』や『ポポロクロイス物語』などのプレイステーション向けゲームタイトルの販売等を手掛けていたが、PS2発売前後から本格的にゲーム開発をスタート。『サルゲッチュ』(1999年)、『ICO』(2001年)、『SIREN』(2003年)など後世に語り継がれるゲームを次々と世に送り出していく。

こうした背景には、当時ソニーに先んじて業界で地位を築いていた任天堂やセガが、『マリオ』や『ソニック』のような魅力的なゲームタイトルで自社ハードの売上を伸ばしていたことに対抗する目的があったと考えられる。

実際、ソニーは2001年には後に『アンチャーテッド』シリーズを手掛けるNaughty Dogsを、2005年には『KILL ZONE』を手掛けるGuerrila Games等を次々に買収し、JAPANスタジオを含むスタジオ群を「ワールドワイド・スタジオ」として統合。ソニーハードの圧倒的なマシンスペックを活かして、年代を問わないユーザー層にアプローチするような魅力的なゲームを作り出していくことになる。

JAPANスタジオは、こうしたワールドワイド・スタジオのフラッグシップとなる存在だった。中でもJAPANスタジオ作品の特徴は、その「統一性の欠如」にある。これは誉め言葉で、彼らの作品は万人の望む大作となれずとも、少数にとっては深く突き刺さる作品が多い。この点は、マリオ、リンク、インクリングなど万人に愛されるキャラクター(IP)と、ゲーム自体の面白さの両輪でブランディングを行った任天堂のアプローチと対照的だ。

例えば、当時『コロコロコミック』でのメディアミックス含め小~中学生が熱狂した『サルゲッチュ』が作られたと思ったら、複雑なフローチャートと迫真の演出で心身ともに追い詰める『SIREN』のような本格的なホラーゲームも手掛け、『ICO』のような先鋭的なゲーム、『GRAVITY DAZE』のようにハードの特性を活かしたゲーム、あるいは他社との共同開発で『Demon's Souls』のような名作も生み出した。いずれも記録的ヒットとまでいかずとも、その時代、国に応じて評価は高い。

これはJAPANスタジオが当初として珍しいほど、ディレクターを含むクリエイターの個性や表現を尊重していた点が理由だろう。JAPANスタジオという名前は知らずとも、『ICO』を手掛けた上田文人という人間はゲーム業界外にもよく知られていることも一つの証左だ。

統一性こそないが、だからこそソニーハードのマルチメディア機としての多様性が一層引き立ち、実際JAPANスタジオが最も多くタイトルを開発したPS2は、1億5000万台以上売れ、現状世界で最も売れたハードとして記録されている。

任天堂が「マリオ」というソフト、「Switch」というハードをあわせ、一体的に「遊び」のブランドを作り上げていったのに対し、ソニーのJAPANスタジオはソフトそのものは黒子に徹し、国内外のさまざまなゲームを遊べる上、さらにCDプレイヤー、DVDプレイヤーとしても使えるマルチメディア機の性質を持つPS2の、多様な可能性を底上げする役割を十全に担っていた。

次ページ:なぜ解散したか

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