EVENT | 2018/07/06

給与は一律、賞与は山分け、評価がないのに働く会社 【連載】「遊ぶように働く〜管理職のいない組織の作りかた」(5)

(写真)合宿でのワークショップの様子

倉貫義人
株式会社ソニックガーデン代表取締役
大手SIerにてプログラマ...

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(写真)合宿でのワークショップの様子

倉貫義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役

大手SIerにてプログラマやマネージャとして経験を積んだのち、2011年に自ら立ち上げた社内ベンチャーのMBOを行い、株式会社ソニックガーデンを設立。ソフトウェア受託開発で、月額定額&成果契約の顧問サービス提供する新しいビジネスモデル「納品のない受託開発」を展開。会社経営においても、全社員リモートワーク、本社オフィスの撤廃、管理のない会社経営など様々な先進的な取り組みを実践。著書に『「納品」をなくせばうまくいく』『リモートチームでうまくいく』など。「心はプログラマ、仕事は経営者」がモットー。ブログ http://kuranuki.sonicgarden.jp/

管理職のいない会社で評価はどうしているのか

前回は、セルフマネジメントができる人材でも得意を活かすためにチームで働くこと、フリーランスになるよりも自由な会社があるという話をしました。

管理職や上司のいないフラットな組織で気になるのが、評価や報酬について一体どうなっているのか? ということでしょう。今回と次回に分けて、その仕組みについて紹介します。

通常であれば、管理職がいて1年や半年といった単位で評価を行なって、その結果に応じて賞与に差が出たり、昇給や昇格させたりします。そうして働く人のモチベーションを保つのです。人参で馬を走らせるのと同じです。

しかし、旧来からある評価制度には、いくつか問題があります。個人の成果主義がいきすぎるとチームワークは乱れるし、成果として見えづらい仕事は誰もやりたがらなくなります。また、今の時代に半期や1年の期間での目標設定は難しくKPIも設定しにくい。

なにより、新しい企画や新しい事業といった自分の努力だけで成功するかどうかわからないような仕事に対して固定的な目標設定をすることは、柔軟な対応を妨げてしまいます。それに、たとえ失敗しても挑戦したことを評価するのは困難です。

私たちソニックガーデンは、セルフマネジメントができる人たちで構成されたチームで、管理職のいないフラットな組織です。そのため社長の私も含めて、誰かが誰かを評価することがありません。

これは米国を中心に広がりつつある「ノーレイティング」という、ランクづけによる評価をやめて、リアルタイムなフィードバック主体な評価に変えていくという方法に近いのかもしれません。そこから私たちはさらに進んで、評価すること自体をやめてしまったのです。

評価をしないで報酬や昇格はどう決めているのか

では、人事評価をせずに、どうやって賞与の額面や昇格を決めるのでしょうか。私たちはシンプルな解決策として、入社期間などで多少の差異はありますが、基本的に給与はほぼ一律、賞与は山分けする考え方をベースにした報酬制度にしています。

そのため、転職してくる人との前職の給与をもとにした報酬額の交渉をすることもなく、年功序列によって差がつくこともありません。

また、基本的には評価による昇格や昇給という概念もありません。そもそも、キャリアパスや肩書きがないため、グレードに応じた給与という設計にはなっていません。

ただし、中途採用で入社した人と何年も在籍している人をまったく同じにするのもフェアではないと考えて、入社直後から1年ごとに評価なく定額で昇給していきます。必要なのは在籍期間だけです。そして、一人前のラインに並ぶとそこでストップとなります。

他には新卒採用や若手枠を、弟子として採用するケースがあります。弟子のうちも一律ではなく、毎年決まった額の昇給制度があります。

私たちの顧問ビジネスの場合、直接的に労働時間を売ることのない知識集約ビジネスですが、働いた成果はしっかり稼ぎになるという特徴もあります。人数と売上は連動して、稼いだ分を分配すると考えれば、個人ごとに大きく差をつける意味はありません。

一人ずつの顧問が受け持てる顧客数をもとにして計算をすれば、会社として適切な給与水準の額面をはじき出すことができます。そして担当する顧客数をだいたい同じにすれば、一人当たりの稼ぐ金額も同じになるのです。

評価することが難しい単純労働ではない現代の仕事

以前は、半期毎の評価に近いこともしていました。社員と経営陣で面談を行って、それまでの成果を共有したり、次の目標となる数字を確認するような、普通の評価面談です。

しかし、単純労働ではない仕事の目標設定も評価も非常に難しいのが事実です。特に、顧問ビジネスなので、新規の顧客を見つけて売上をあげる仕事でなく、自分が担当している顧客にサービスを提供することで毎月の売上になります。

案件が安定して継続すれば新規顧客獲得にかかる営業コストが下がるため、利益に繋げることはできます。そのため、せめて評価できるとしたら継続率です。しかし、それさえもお客様の都合であったり、自分の力だけではなんともならないことが多いのも事実です。

プログラマという仕事が、さらに短期的な評価を難しくしています。沢山のプログラムを書けば優秀で評価されるか、といえばそんなことはありません。プログラムの成果は単純な量ではありません。

コピーアンドペーストで作ったような雑なプログラムは、将来の機能追加や不具合の修正など保守するときに困ることになります。優れたプログラマは保守性の高いプログラムを書きますが、保守性の高さが本当に評価されるのは先のことです。

おそらく似たような話は、プログラマ以外にもあると思います。決まったルーチンワークを繰り返して、量をひたすらこなすような単純労働でない限り、そう簡単に定量的な目標は設定できないし、評価もできないのではないでしょうか。

評価をなくしたことで得られた効果

よくある個人毎に目標管理する仕組みですが、目標となる数字を高過ぎず低過ぎず丁度よく、いかに評価が高くなりそうに設定するということに、前職時代に管理職をしていて不毛な気持ちになっていました。

短期的な数字の評価で人をコントロールしようとすると、どうしても数字だけが独り歩きするし、数字だけを追いかけてしまうことになりがちです。また評価する人がいれば、どうしても評価する人を向いて仕事をしてしまうことにもなりがちです。

評価がなければ、目の前のお客様への仕事に集中するしかありません。お客様のことだけを考えて、好きな技術のことだけに邁進できるのです。社内政治や立場を高めるためのマウンティング、ポジション争いなど仕事以外のことに気をもむ必要がなくなるのです。

チームで助け合って働くためにも、個人評価をしないことが良い影響を与えます。個人評価ばかりを重視すると、チーム全体で得られる成果を奪い合ってしまうことになって、助け合いが自然と起きなくなってしまいかねません。

評価され続けると、評価される側は評価する側に依存するようになります。会社からはどう評価されるのかと考えるようになるし、評価されなくなったときにすべてを失ったように感じてしまいます。評価が過ぎれば心理的依存を生み、自律心を失わせるのです。

評価とは、実は上司や管理職にとっても負担が大きいものでした。ヒエラルキー型の組織であれば、複数の部下をみる上司は評価のための面談などで相当な時間が奪われます。評価が好きな人もいるかもしれませんが、人を評価するという行為はストレスが溜まるものです。

評価をなくした今となっては、誰も何も恐れることがなくなりました。いわゆる心理的安全が保たれる関係を作ることができたのです。評価するという立場と権力で人をコントロールしようとするのは、自然なことではなかったように思います。


ソニックガーデン

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