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Twitterはいかにして日本のインフラとなりえたのか? 普及のターニングポイントを振り返る【連載】中川淳一郎の令和ネット漂流記(18)
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  • 2020.12.08
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Twitterはいかにして日本のインフラとなりえたのか? 普及のターニングポイントを振り返る【連載】中川淳一郎の令和ネット漂流記(18)

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中川淳一郎

ウェブ編集者、PRプランナー

1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てウェブ編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。

ITリテラシーの高い男性が中心だった黎明期

今や当たり前のツールとなったツイッターだが、初期の頃の雰囲気は随分と違っていた。ツイッターそのものは2006年に誕生し、日本でユーザー層がかなり増えたのは2009年、そして翌2010年に大ブレイクした。ここではそんな当時の空気感を振り返ってみる。

初期の頃はITリテラシーの高い男性が日本では使っており、その界隈ではちょっとした話題となっていた。ブログ「百式」で知られる田口元氏は2006年12月、「ネタフル」のコグレマサト氏は2007年3月、「みたいもん」(現・シン・みたいもん)のいしたにまさき氏も2007年3月、後に『ツイッター社会論』(洋泉社)を執筆する津田大介氏が2007年4月で、ブロガーイベントを運営するアジャイル・メディア・ネットワーク社長(当時)の徳力基彦氏は2007年4月だ。どの本かは覚えていないのだが、ここに登場するどなたかの著書に「ツイッター合宿」をやったことが記されていた。また、これもどの本か覚えておらず恐縮だが「これって時間を奪うツールじゃないか!」と仰天した、との記述もあった。

彼らのツイッターIDは@taguchi、@kogure、@masakiishitani、@tsuda、@tokurikiとなっており、「田口・小暮(木暮)・津田・徳力界の開始最速ID」であることが分かる。@ishitaniは2008年6月に取られているため、2007年3月に取得したいしたにまさき氏は敢えて「@苗字だけ」を選ばなかったのだろう。

ちなみに@tanakaは2007年4月の段階で取れていたが、ユーザーは「ああああ」という人物だ。こんなメジャーな苗字でもその段階で取れていたということは、どれだけ当時の日本人ツイッターユーザーが少なかったか、ということが想像できる。あと@shibuyaは2007年4月にIDを取得しており、このユーザーのプロフィールには「アカウント売ります。希望者はmensionで/ for Sale! please mension.」とあり、一部のメジャーな名前・地名・言葉は転売目的で買われているのだろう。

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