CULTURE | 2020/03/10

一歩踏み出すことによって変化を起こす。NPO主導し、たった6000万円の事業費で開催した国際芸術祭『混浴温泉世界 2009』 【連載】「ビジネス」としての地域×アート。BEPPU PROJECT解体新書(6)

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開幕当日に開催したダンス公演『No Matter』の様子
構成:田島怜子(BEPPU PROJE...

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開幕当日に開催したダンス公演『No Matter』の様子

構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)

山出淳也

NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト

国内外でのアーティストとしての活動を経て、2005年に地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指しBEPPU PROJECTを立ち上げる。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー(2009、2012、2015年)、「国東半島芸術祭」総合ディレクター(2014年)、「in BEPPU」総合プロデューサー(2016年~)、文化庁 第14期~16期文化政策部会 文化審議会委員、グッドデザイン賞審査委員・フォーカス・イシューディレクター (2019年~)。
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)。

芸術祭黎明期に市民主導で開催した『混浴温泉世界』

前回前々回とご紹介してきた「platform」は、別府市中心市街地の活性化を目的に、これまでとは異なる客層の来街と回遊を促すための拠点でした。「公民館のように開かれた場」であることをコンセプトに、さまざまな活動が生まれやすい環境づくりを心がけ、実験的な取組も気軽にできるようレンタルスペースとしても運営してきました。

このスペースのより活発で多様な活用を促していくには、求心力のあるイベントを開催し、県内外に発信することで、その用途や可能性を広く周知していくことが効果的です。こうして、当時のBEPPU PROJECTの最大の目標だった「芸術祭の開催」が、中心市街地活性化や拠点施設の活用促進など、地域の課題を解決するためのアクションとしてつながっていったのです。

国際芸術祭、別府現代芸術フェスティバル『混浴温泉世界』の第1回目は、platformの点在する別府市中心市街地をメインエリアに、別府の玄関口となる港湾エリア、人気観光地の鉄輪エリアを会場として、2009年4月から6月までの2カ月間開催しました。

今でこそ、全国各地で芸術祭が開催されていますが、当時はまだ黎明期。一般的にアートは美術館やギャラリーで鑑賞するものでした。2000年に『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』が、2001年に『横浜トリエンナーレ』が始まり、2010年『瀬戸内国際芸術祭』が大きな成功を収めたことで、ようやく屋外で展開される芸術祭が全国的に知られるところとなりました。

このような状況の中で、2009年に開催した『混浴温泉世界』の最大の特徴は、行政や企業が主導するのではなく、その中心にいたのが市民だったということでした。

別府現代芸術フェスティバル2009『混浴温泉世界』のポスター

そもそもBEPPU PROJECTには芸術祭を開催した経験がなく、主催や事務局運営の経験を持つスタッフもいませんでした。立ちあげから手探りで準備事業を展開してはきましたが、『混浴温泉世界』はそれらの規模をはるかに上回る大事業です。やらなければならないことは山積みでしたが、まずなによりも重要だったのは主催者としての意思です。

『混浴温泉世界』を主催した別府現代芸術フェスティバル2009実行委員会(のちに混浴温泉世界実行委員会に改名)は、2008年12月に発足しました。開催趣旨の軸に中心市街地の活性化を置き、それに寄与する団体の代表者や、大学関係者、企業、行政などが実行委員会に参画し、事務局はBEPPU PROJECTが担い、総合プロデューサーを僕が務めることになりました。そして総合ディレクターにP3 art and environmentの芹沢高志さんを迎えることが決定します。

改めて中心市街地の活性化について考えてみると、商業の活性化は必須です。別府の場合は観光業が基礎中の基礎。さらに、地域が魅力的であり続けるためには、ユニークな活動を展開する人材が不可欠です。また、従来型の観光や消費だけではなく、新たな別府の魅力を発信するために文化やアートは有効です。こうして、『混浴温泉世界』は中心市街地の活性化を軸に、商業活性化、観光振興、人材育成、文化振興の4つを目的に開催するという方向性が定まりました。

組織ができ、必要な人材も配置され、目的も定まりましたが、我々に決定的に欠けているのは経験と資金です。目的に向かってどのように進むべきか、資金はどのように調達するのかなど、一般的には前提としてあるべき事柄が、最後まで課題として残ったまま、2009年の『混浴温泉世界』は開幕しました。

行政が主催者であれば、それはなによりです。しかしそうではない場合、物事を動かすには誰かが一歩を踏み出さなければなりません。そしてそれに共感し、必要だと思った人々が資金を提供したり、スタッフや協力者として尽力したり、観客として参加したりするのではないでしょうか。無謀に思われるかもしれませんが、僕はそう信じて開催に踏み切ったのです。

資金も経験もないけれど、未来を信じて一歩踏み出す

サルキス『水のなかの色彩』(2009/波止場神社)

一般的に、大規模イベントを開催し、成功を収めるためには経験と資金が最も必要であると考えられていますが、本当に重要なのは意志の力だと僕は信じています。

以前ご紹介した別府の竹瓦温泉は、老朽化のため建て替えを検討されていましたが、現在は耐震補強が施されたうえで、連日多くの人たちが利用しています。この建物が残されることになった最大の要因はわからないけれど、少なくともそこで活動を開始した人たちの意思が大きく関わっているはずです。地域のことを自ら学び、まち歩きガイドを実施し続けた彼らの活動は、継続によって仲間を増やし、その想いの強さが旅行者にも伝わり、その共感がうねりとなって世論や行政を動かしていったのです。その原動力になったのは、未来を信じる力にほかなりません。

ダーウィンの進化論をはじめ、種に変化が起きるのは何らかの外的な要因に対処するためだという仮説が立てられてきました。四つ足の動物が二足歩行になったのは、食物が高いところにあってそれを取ろうとしたからだとか、追っ手から逃げるためにより早く走るためだったとか、進化の起因についてはさまざまな説が唱えられています。しかし、霊長類学の礎を築いた生態学者・文化人類学者の今西錦司先生は、ある国際的な学会でこう言ったそうです。

「人間は立つべくして立った」

その理由が何だったのかはわからないけれど、猿はある意思を持って立ち、人間へと変異を遂げたというのです。立つことによって変化が起きる。その言葉は僕の活動の原点とも言えます。それ以来、全ての準備が整ってから行動するのではなく、あらゆる事柄を同時に動かしながら、その状況の中で1つひとつと向き合っていくということが僕の哲学になっていきました。

いままで見たことのない景色や体験したことのない場を自ら作り、経験することによって、気づきを得ていく。BEPPU PROJECTはこのようなR&D(研究開発)を繰り返してきました。世の中がそれを必要としているという確証がなくても、たとえ過程であったとしても、まず実践し、それを多くの人たちと経験することによってフィードバックを得て、再びクリエイションしていく。誰かが一歩踏み出さなければなにも始まりません。もちろんそれは批判されることもあるでしょうし、ときに失敗することもあるでしょう。でも、そのたびに向き合い直し、適切だと思う方向に向かって歩み直せるような、柔軟な意思決定のあり方こそが大切なのです。

よく「行政がしないからダメなんだ」という意見を耳にしますが、僕はそうは思いません。誰かがしてくれるのを待ち、してくれないことを批判することは簡単です。しかし、そうではなく、自分の足で一歩踏み出せばいいのです。R&Dを実践し、そこで必要性が認められたならば、その活動は政策に加わります。政策に入っていないのならば、入れてもらうために働きかければいいのです。資金がないならないなりに、自分なりの方法を見つけていけばいい。僕の活動のロールモデルには、常に別府のまち歩きガイドがあります。竹瓦温泉の取り壊しに際して立ちあがった彼らのように、気づいた人が一歩踏み出したならば、この社会はもっと良くなっていくのではないでしょうか。

すべては7時間にも及ぶトークイベントから始まった

『混浴温泉世界』ではまち歩きを含む作品ガイドツアーも開催

『混浴温泉世界』の総合ディレクターとなった、P3 art and environmentの芹沢高志さんにはじめて出会ったのは2005年のことでした。僕は20代の頃から芹沢さんが運営していた新宿のアートスペースのファンだったのです。なかでも印象深かったのは、中国の現代アーティスト、蔡國強(さい・こっきょう)の「万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト」です。これは万里の長城の最西端から花火を繋げ、一瞬だけ1万メートルの炎で延長させるというプロジェクトです。その記録映像を見たり、関わった人から話を聞いたりするたびに、このプロジェクトに参加した人は、一生その光景を忘れることはないだろうと思いました。

また、僕は芹沢さんの奥さん、真理子さんのファンでもありました。彼女が翻訳したブルース・チャトウィンの『ソングライン』は僕の愛読書の1つです。オーストラリアのアボリジニが大陸を横断するルートを後世に伝えるために受け継がれている歌があります。風景や神話や個人の思い出を織り交ぜたその歌は、さながら歌による地図です。歌に沿って旅をして、ミクロからマクロまで視点が移行していく描写に、僕は自分が今見ている世界の狭さを実感するとともに、その翻訳者に憧れずにはいられませんでした。

芹沢高志さんをお招きして開催した7時間に及ぶトークイベントの様子

その芹沢さんに、2005年の秋に開催された芸術祭『横浜トリエンナーレ』の会場で「ぜひ別府に来てください」とお願いしたのです。そのとき僕のイメージにあったのは、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの『ミュンスター・ウォーク』という作品でした。空襲の被害を免れ、古い路地構造が残る別府の街を芹沢さんに見ていただき、『ミュンスター・ウォーク』についてトークしてほしいとお伝えすると、芹沢さんは快諾してくれました。

翌年実現したそのトークイベントは街を歩きながら進行し、なんと7時間にも及ぶものになりました。その翌日、別府をご案内させていただき、海辺で話していたときに、芹沢さんは芸術祭のディレクターを引き受けると言ってくださったのです。そこから『混浴温泉世界』は始まりました。

総事業費約6千万円の国際芸術祭。資金面では苦戦しながらも、開催を通じてビジョンがより明確に

2009年の『混浴温泉世界』は旅をテーマに、地図を片手に町の至るところに点在するアートを巡る芸術祭でとして組み立てました。8組の国際的なアーティストが参加した展覧会「アートゲート・クルーズ」、ダンスプログラム「ベップダンス」、音楽イベント「ベップオンガク」の3つを柱に、若手アーティストによる展覧会などのフリンジ企画も多数開催しました。

その総事業費は約6000万円。芸術祭の予算としては非常にコンパクトです。その内訳は、3/4は助成金・協賛金で、1/4が入場料やグッズなどによる販売収入でした。チケットが思うように売れるわけでもなく、助成金や協賛金の多くは決定するのが開幕の1カ月前。財政の面では会期終了まで大変苦しい状況が続きました。

銀行から融資を受けたり、できる限り経費を節減したり、どうにか工面しながらの開催ではありましたが、こうして2005年に立ち上げたBEPPU PROJECTが目指した芸術祭は現実のものとなったのです。

2009年の『混浴温泉世界』で最も印象深かったのは、ある老婦人との出会いです。

2カ月間の会期も終盤に差し掛かったころのことでした。僕は会期中毎日、会場を巡回していたのですが、フランス在住のアーティスト・サルキスの展示会場で、足の不自由な老婦人が石段を上ろうとしているところに出会いました。「テレビで見た作品をどうしても見てみたかったの」という彼女に僕は手を貸し、作家自身のことや作品に込められた意味を説明しました。

夢の世界の航海士とも言われるサルキスは、2009年の『混浴温泉世界』のコンセプトにおける中心的存在のアーティストでした。彼が展示会場に選んだのは、複数の路地が交差する場所に建つ小さな神社です。その神楽殿に、温泉水に黄色い顔料を溶き入れた、宝石のように美しい白い器をたくさん並べました。2カ月の会期の中で、温泉水は蒸発し、器の底には埃や虫の死骸とともに顔料と温泉成分の結晶が残ります。黄色は彼にとって希望を表す色。たとえ埃に覆われていても、その下には本質的なもの、大切なものだけが残っているのです。

サルキス『水のなかの色彩』(2009/波止場神社)

僕が一通り話し終えると、彼女は「また来年も開催するの?」と尋ねました。僕には継続というイメージがまったくなかったので、思いがけない質問に口ごもっていると、彼女はその返事を待たずに「楽しみにしているわね」と言って去っていきました。

僕はそのとき初めて「継続する」ということの大切さを感じました。

自分が見たいと思った風景が、多くの人にとって見てみたい風景になっていく。そうしていろんな人たちとともに未来を作っていくことで、おぼろげだった未来が繋がり、ビジョンが立ちあがっていくのを実感したのです。この経験が、『混浴温泉世界』を2012年、2015年と続く、連続性を持ったプロジェクトへと変えていきました。

次回は具体的な芸術祭の姿と、計画の背景やその成果についてご紹介します。


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