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 2008年、シャッター街の再生を目指した『platform』構想【連載】「ビジネス」としての地域×アート。BEPPU PROJECT解体新書(4)
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  • 2019.12.26
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2008年、シャッター街の再生を目指した『platform』構想【連載】「ビジネス」としての地域×アート。BEPPU PROJECT解体新書(4)

元は光風苑という土産物店だった「platform01」。アートスペースとしてコンテンポラリーダンスや演劇の練習・公演、作品の展示・上映、集会の場として活用し、JCDデザインアワード2009の銀賞も受賞した。2014年3月末で閉場

構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)

山出淳也

NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト

国内外でのアーティストとしての活動を経て、2005年に地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指しBEPPU PROJECTを立ち上げる。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー(2009、2012、2015年)、「国東半島芸術祭」総合ディレクター(2014年)、「in BEPPU」総合プロデューサー(2016年~)、文化庁 第14期~16期文化政策部会 文化審議会委員、グッドデザイン賞審査委員・フォーカス・イシューディレクター (2019年~)。
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)。

インキュベーションの街・別府

別府は全国随一の温泉地として多くの旅人を受け入れてきた、歴史ある温泉観光地です。1871年に別府港が開港し、1873年に大阪航路が開設されたことを発端に観光地として急激に発展しました。その時代の立役者ともいうべき人物が、別府温泉の名を全国に知らしめた油屋熊八です。

1863年に愛媛県宇和島で生まれた油屋熊八は、30歳で大阪に渡ると米相場で成功をおさめ、「油屋将軍」とまで称された勃興期を迎えます。しかし34歳で失敗し、全財産を失い単身でアメリカに渡ります。そこで彼はキリスト教に出会い、聖書の中にその後の人生を変える一節を見つけるのです。「旅人を懇ろにせよ」この言葉を胸に帰国し、1911年『亀の井旅館』を別府にて創業しました。

彼は実業家であるとともに、大変なアイデアマンでもありました。別府温泉を紹介するために、富士山の山頂に「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」というキャッチフレーズを書いた大きな標柱を打ち立てました。また、日本初の女性バスガイドが案内する観光バスを走らせたり、客人をもてなすための別荘『亀の井別荘』を設けたりと、湯布院の観光の礎を築いたのも熊八さんです。

彼の豊かな発想力から生まれた功績の数々に、僕は地域で活動するためのヒントをたくさんいただきました。なかでも大きな学びとなったのは、「感性に訴えかける」という手法です。

熊八さんは観光ポスターやパンフレットに、彼の盟友でもあり「大正広重」とも称された絵師の吉田初三郎を起用しました。鳥の視点のように俯瞰した構図の中に、特定の場や施設をデフォルメ化して描く独特の画法は、後に「初三郎式鳥瞰図」と名付けられ、一世を風靡します。湯けむりや魚や船などの図案も描きこまれ、別府の魅力を詰め込んだ遊び心のあるビジュアルイメージは、見る人をわくわくさせたことでしょう。このように、観光プロモーションにアートを取り入れた事例は、当時としては斬新だったのではないでしょうか。

空襲を免れた別府には、戦後たくさんの引揚者がやってきました。そこから一念発起して起業する人も多く、旅館や料亭、酒場も増え、街は賑やかになっていきました。1949年、2人の若者が起業した出版社が、観光誌の巻末付録として別府の詳細な地図をつけました。この地図には、店や住宅が1軒1軒つぶさに記載されていたので、細い路地に旅館や料亭が密集する別府では、観光にはもちろん、酒屋や醤油屋の配達にも大変重宝されたそうです。この地図を制作した会社が、現在の株式会社ゼンリンです。

このように、別府は街そのものがインキュベーションの場として機能してきました。港町の特性から多くの人々を迎え入れてきたことで、地域や社会にとって必要となる仕事やサービスを生み出し、起業家のチャレンジの場であり続けてきたのです。

別府ならではの創造都市のあり方を考える

ところが、1976年をピークに観光客は減少していきます。街全体が集客力を失っていったことによって、暖簾を下ろす店が増え、僕が帰国した2005年には商店街は空き店舗だらけになっていました。このような状況を受けて、2006年に「別府市中心市街地活性化協議会」が発足。中心市街地の活性化に関する話し合いや社会実験、アンケート調査などが実施されました。その活動の一環として僕らは2007年に、文化によって都市再生を果たした国内外の都市の事例を学ぶシンポジウムを開催しました。

このシンポジウムには、「創造都市」という概念を提唱したチャールズ・ランドリーさん、創造都市の成功例であるフランス・ナント市の文化政策を担当したジャン・ルイ=ボナンさん、国内外の創造都市を研究する吉本光宏さんをお招きし、各地の事例を発表していただくとともに、別府で創造都市を実現するための提言もいただきました。

ボナンさんは、場所の固有性について話してくれました。

「アーティストがどんな場所で展示や公演をしたいと思っているか聞いてごらんなさい。彼らはきっと、その土地固有の会場や風景の中で作品を発表したいと言うでしょう。アーティストが創造性を発揮しやすい環境を作るには、どこにでもあるような場所を用意するのではなく、ここにしかない風景や資源を大切にしながら計画を立ててください」

そしてチャールズ・ランドリーさんはこう言いました。

「創造都市とは、社会に関わること、環境に関わること、行政に関わること、そして政府に関わること、全ての分野においてみなさんが創造性を発揮できる都市のことです」

美術館やホールのような施設がなければ、すばらしい作品が生まれないというわけではありません。街にほんの少しの関わりしろがあれば、誰もが創造性を発揮して活動することができる。それは1人ひとりの心の持ちようであって、都会であっても地方であっても変わりはありません。そこに大事なのは、成功するという確証がなくても、挑戦することを許してくれる街の寛容度の高さなのではないでしょうか。

その言葉を聞いたとき、僕は目の前にある街が熊八さんの活躍した時代の風景と重なって見えてきました。そうして僕らは街を見つめ直すことで、そこに資源があるということに気づいていったのです。

このシンポジウムの壇上で、僕は『星座型 面的アートコンプレックス構想』を発表しました。この構想は、商店街に多数点在する空き物件をリノベーションし、さまざまな市民活動の拠点にするというものです。それらの施設が、星座のように有機的につながれば、街を訪れる目的は観光だけではなくなります。このような仕掛けによって、街の歩き方をデザインすることができるのではないかと考えたのです。

後日、このシンポジウムに参加していた市の職員が、この構想を実現したいと申し出てくれて、翌年から『platform制作事業』として事業化されました。

まちなかに点在する広場のような場所『platform』を制作する

しかし、実際に着手するとなると、そのプロセスは簡単ではありません。一般的に、中心市街地活性化事業に補助金を多用することで事業評価に対する甘えが生まれ、自立が難しくなってしまうというケースもよく耳にします。そこで『platform』は、資金の使い方を注意深く検討しました。

まず、リノベーション費用はイニシャルで300万円以内に設定しました。空間に付帯した価値を5年間で減価償却すると想定し、賃貸物件であることも加味すると、頭割りにした金額として月々5万円が最大だと試算したのです。

そして公金を使用するからには、その空間を安全に活用するために資金を運用しなければならないと思い、耐震や防火など、災害の対策を第一に考えました。

また、家賃は坪単価3300円を目安に交渉しました。この金額は物件所有者の希望価格よりもずいぶん安価です。公金を活用した事業では、家賃は高く設定されがちですが、さまざまな活動が生まれやすい環境を作るには、この金額は絶対にクリアしなければならない条件でした。

『platform』を作るにあたり、特にこの家賃の目安について地域の皆さんにご理解いただくためにも、第1号物件の選定は非常に重要でした。そこでまずお願いにあがったのは、商店街の中心に位置する、元土産物店でした。18年間シャッターを閉ざしていたそのスペースの所有者は、地域や商工会の中でも知られた人物です。彼の協力が得られれば、より多くの方々に周知し、賛同を得ることができるのではないかと考えたのです。

とはいえそんな条件では、僕らがいくら頭を下げても門前払いでした。それでも絶対に諦めず、何度も何度もお願いにあがり続けると、ついにはこの事業にかける思いをご理解いただき、協力していただけることになったのです。

『platform』の第1号は、全面を銀色に塗装した多目的スペースとなりました。エアコンを設置すると残りのリノベーション費用がごくわずかになってしまったこともあり、内装への投資は最小限にし、床面にリノリウムを張りました。こうして元土産物店の空き店舗は、子どもが走って転んでしまっても安全で、各種ワークショップやダンス、ヨガなどのお稽古ごとに使用できる空間へと生まれ変わりました。

これを皮切りに、8つの『platform』が街に誕生し、さまざまな活動の拠点となっていきます。

築100年の長屋の1室をアーティストのマイケル・リンと地元の建築家(建築工房チーム21)とのコラボで再生した「platform04」。現在も「SELECT BEPPU」として、別府のアート作品を取り扱うショップとして営業中

『platform制作事業』は、初期のBEPPU PROJECTにとって極めて重要な事業でした。

それまでのBEPPU PROJECTは、固定の活動場所を持たず、別府のさまざまな場所を会場にイベントを繰り返していました。それは、プロジェクトごとに別府の魅力的な場所を紹介できるという利点の反面、どこに行けばBEPPU PROJECTの活動が見られるのかわからないと言われることも多くありました。『platform』という日常的な活動の場所が誕生すると、僕らのプロジェクトのあり方は大きく変わりました。また、地域の方々とともに、より近い視点でこの街の活性化に向けて必要となる取り組みについて考えるきっかけにもなりました。それまではアートを紹介することが最も大きな意義でしたが、『platform制作事業』を境に、地域にとってあるべきアートの形を考えるようになったのです。

次回は、『platform』をはじめ、地域に活動の場が生まれたことによっていかに街が変容していったかをお伝えしたいと思います。


【BEPPU PROJECTからのおしらせ】

『platform』を活用したセレクトショップ『SELECT BEPPU』

『platform』の1つを活用した『SELECT BEPPU』は、アートや工芸を中心に、別府のいいものをあつめたセレクトショップです。築100年を超える長屋の一角をリノベーションした建物の2階では、アート作品の鑑賞もできます。

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