CULTURE | 2018/04/23

アートへの想像力と行動力で別府という街を変えた男|山出淳也(BEPPU PROJECT)【前編】

日本有数の温泉地として知られる別府。その湯の街を活動拠点とするアートNPO、BEPPU PROJECTの代表である山出淳...

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日本有数の温泉地として知られる別府。その湯の街を活動拠点とするアートNPO、BEPPU PROJECTの代表である山出淳也氏は、国際的なアーティストとして活動してきた経験を活かし、別府現代芸術フェスティバル『混浴温泉世界』(2009年、2012年、2015年)や『国東半島芸術祭』(2014年)など、さまざまなプロジェクトを世に送り続け、オノ・ヨーコをはじめとする世界的なアーティストたちの作品を展示してきた。また、BEPPU PROJECTは芸術祭を開催するだけでなく、「別府市中心市街地活性化協議会」の一員として別府の市街地の店舗や家屋を「platform」と呼ばれるスペースにリノベーションして運営したり、ストリップ劇場を「永久別府劇場」という市民劇場に変えるなど、別府という街にアートを根付かせ、活性化させてきた。

しかし、別府にアートの素地があったわけではない。昭和の香りが漂う、訪れる者を湯で癒してくれる観光地だが、活動当初、街はシャッター商店が建ち並ぶ、ある意味、「寂れた街」になっていた。そこに山出氏は単身乗り込み、NPOをつくり、芸術祭など、アートプロジェクトをゼロから次々と立ち上げていった。山出氏と長年親交のあるFINDERS編集長の米田が、山出氏のアーティストとしての原点から今までを振り返ってもらいながら、アートNPOのマネジメント論、アートと経済活動の両立などについて語ってもらった。


聞き手・文・構成:米田智彦 写真:神保勇揮

山出淳也 Jun'ya  Yamaide

NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事/アーティスト

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社会に還元できる組織としてアートNPOをやろうと思った

『混浴温泉世界 場所とアートの魔術性』(河出書房新社、2010年刊)。帯の推薦文では姜尚中氏とインリン・オブ・ジョイトイ氏という日本以外にルーツを持つ男女が”混浴”してコメントを寄せている。米田も編集統括として参加。

2015年に開催されたアートフェスティバル「混浴温泉世界」のフィナーレのワンシーン。
(C)別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」実行委員会
(C)Beppu Contemporary Art Festival "Mixed Bathing World" Committee
撮影:安藤幸代/Sachiyo Ando

ーー 山出さんはこれまで現代アーティストとしてエッジの効いたことをやって、パリやニューヨークで活動していたわけですが、大分の別府という街でNPOをやることの幅の広さ、ギャップはどうやって埋めたんですか? 海外でNPOなんかやったことはあったんですか?

山出:ないです。もともとアーティストとして活動はしていたけれど、例えば絵を描きたいとか彫刻を作りたいとか、止むに止まれず表現しなきゃ生きていけないというような人間ではなかったんですよ。

ーー それにいつ気づいたんですか?

山出:それはもう高校生のときからです。絵を描くことも嫌いだし、美術鑑賞するような趣味もなかったし。だけど、高校生のときにテレビや雑誌や人に出会う中で、この世の中で唯一と言っていいのかはわからないけど、「アートって、自由に答えを委ねられているものなんだな、考えることにリミットはないんだな」ってことに気づいたんです。

ーー 具体的に挙げるとするとどういうアーティストの影響ですか?

山出:一番最初のきっかけは、高2の冬にあるテレビ番組で彫刻家のドキュメンタリーを観たことですね。

友達にアートが好きな人がいたのでファッションのデザインとかそういうイメージはあったけど、それまで彫刻という概念が自分の中にはなかったんだよね。テレビを観てたらおじさんが坐禅を組んだり、目を見開いて滝に打たれたりして、身を清めて一心不乱に彫り始めるみたいなところが映っていた。

それでできたのが真四角なもので、僕はそれをテーブルだと思った。波打った表面に照明が当たってキラキラ海の波のように見えて滅茶苦茶キレイだなと。

それを観たときに「すごくカッコいい!」と思って、先生に「家具を作りたいから信州に行って山にこもらなきゃいけないみたいなので学校を中退します」って言ったんです。慌てた先生から「それはどういうことだ?」と聞かれて、説明したら「それはデザインだ」と言われたんですね。

加えて「デザインは国家資格がある。医者と同じように免許がないとできないんです。そのためには大学もしくは専門学校に行かなきゃいけないから高校を卒業しなきゃいけない。辞めたらその道がなくなる」と説得されました。もう滅茶苦茶(苦笑)。何が何でも説得したかったんでしょうね。

−−(笑)。

とにかく人に会いに行って話を聞き、必要なものは自分で習得してきた

ーー でも、デザインの国家資格なんてありましたっけ?

山出:ないですよ(笑)。僕は田舎の無知な青年だったから、それを聞いて「そうなんや」と納得しちゃったんです。仲のいい友達と話したら「デザインやったら美大に行かんとダメぞ」という話になった。美大に行くために、具体的に何をどうすればいいのかわからなかったから、デッサンの塾に行きました。

その塾を主宰していた二宮先生から言われたのは「山出君、お前が今やることは絵を描くことじゃないんだ」「え!? 絵を描かないと上手くならないじゃないですか。試験も通らないじゃないですか?」「描くことじゃない、見ることが仕事なんだ」ということ。デッサンは見たままを写し取っていくわけだから、見ないとわからないと言われたんですね。

それは今でも自分の中ですごく大切にしている言葉。米田君と作った本『混浴温泉世界 場所とアートの魔術性』の冒頭のセリフにも出てきた人だけど、物事の本質をちゃんと見ることを大切にする。そしてそれは自由にいろんな視点で物事を捉えていくこととイコールだと思うんです。

今までは大学の門を潜ることが重要だと思っていたけど、「そもそも先生って誰だっけ?」ということに気がつきました。どの先生に教えてもらいたいのかを考えたときに、重要なのは大学の門じゃなくてその先だったんだ、と。

それで、教えてもらいたい先生に直接会いに行ったほうがいいなと思って、大学に行かないと親に言ったらびっくりされました。「入学金100万円を僕にくれ、旅行に行く」という話をしたけれど、もちろんそんなことは許されなくて。そんな時にたまたま縁があって、画廊で個展をさせていただくことになって、4~5日で作品が全部売れたんです。その翌年にも個展をやったら結構利益が出て、それでヨーロッパに行くことになるわけです。

−− そこが山出さんの人生のミラクルですよね。

山出:うん。それで、ヨーロッパに行ったときも行った後も、「とにかくこの人に会いたい」と思えば、アポも何もなく押し掛けて行ったり、文化人類学が好きだったので、その権威の先生の授業に何度か潜り込んで行ったり。とにかく自分で学ぶということを10代の頃からずっとやってきたんです。

なので、別府でも会いたいと思った人に会いに行きました。もともと別府の出身でもないし、知り合いもほとんどいなかったから、そうやって街のことを知っていったんです。そのなかで、芸術祭をやるという大きな目標のためには組織を作って継続的に活動して、賛同者を増やす必要があると感じました。さらに、その活動を通じてマネタイズをして、アーティストと地域の信頼を得て向かわないと実現できない。だから、組織を作りました。

アートで地域起こしのブームの中で特異な存在のBEPPU PROJECT

「国東半島芸術祭」に出展された「花と人、コントロールできないけれども、共に生きる – Kunisaki Peninsula」/チームラボ(2014)
撮影:久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会
Photo: Takashi Kubo(C)KUNISAKI ART FESTIVAL Committee

ーー いまや「地方でアート」は流行りですよね、はっきり言って。

山出:うん、流行り。瀬戸内国際芸術祭が開催されて一気に広がった感じですね。

ーー 僕が以前、山出さんから聞いた話で覚えているのは、「アートはお金がかからないから地域でやりやすい」っていう話でした。でも、山出さんはそういう流行りや時流に乗って別府に戻ってアートNPOまちおこし、芸術祭を開催してきたわけではない。当時、戦略はあったんですか?

山出:ないですよ(笑)。そもそも帰ってくるときに誰からも頼まれてないし、望まれずに来ているんですから。

ーー 山出さんが稀有な人だなと思うのは、何でもブルドーザーみたいにやっていくところだと思っています。僕がだいぶ前に「チームラボがヤバイ」って山出さんに言ったら、いつの間にか、チームラボ代表の猪子寿之さんにも会いに行って、国東半島芸術祭にも参加してもらっていましたよね。

山出:それはアーティストとしても今も立ち位置が変わってなくて、「自分が作品を見たいから」に尽きるんですよ。

ーー 彫刻家という言葉もありましたが、アートには現代美術家のヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」という概念もあるわけじゃないですか。別府の街自体を彫刻して、アートの舞台にする、作品にする。そこは変わってないわけですよね?

山出:変わってないです。だからそのアプローチの仕方は違えど、ただのプロセスというのはそんなに変わらないですよね。僕はアーティストとしてニューヨークに行ったときに「P.S.1(P.S.1コンテンポラリー・アート・センター。アートにおける「オルタナティヴ・スペース」の先駆けとして現代美術の紹介・助成に積極的に取り組んでいる)」というところに入ったんです。

ここは世界中の50くらいまでのアーティスト、今から世界を相手にしようと考えている人たちが絶対に通過したい入り口。村上隆さんとか、錚々たる人がそこを出ているわけですよ。

ラッキーなことに、たまたまそこに僕も入ることができたんだけど、自分の作品を良いと思ってオファーしてくれたわけではなく、「ネットワークの中のピース」として自分がいるんだということに気づき、挫折感を味わいました。

たとえば、ある展覧会にお誘いいただいたことがあったのですが、結局、僕が日本人だということが理由でその話自体が立ち消えになってしまったことがありました。

その時、一人の作家として、なぜ国籍まで問われなければならないのかという強い違和感を覚えたんです。

それからもヨーロッパ、ベルリン、パリに移っていろんな展覧会にも呼んでいただくんだけど、特にフランスにいるときには意識的にあまり外に出ないようにしていました。

それで「僕は何をやっているんだろうな…」と一人で悶々と考えているときにネットで「今、別府が面白い」という記事を見ました。

それは何気ないまちづくりの記事で、確か初代観光庁長官の本保芳明さんが書いた文章で、地域の人が路地裏散策のガイドツアーを行い、観光客にも街の魅力を伝えたり、勉強会をして仲間を増やしているという話でした。「こんなことを別府でやっているんだ!」と思って日本に帰ってくることになったんですね。

ーー 山出さんはそれまで世界中でノマディックに戦っていましたよね。どうして別府という街で、地に根を張って活動しようと思ったのですか?

山出:どこかのピースに当てはめられていく中で延命していくよりは、地に足をつけて自分で責任を持ってできることをやりたいと思ったんです。あと、もうひとつは欧米中心のアートの価値観でずっと育ってきているから、その中で自分がどう戦うかということもひとつ重要な点でした。

欧米型のアートの価値観とは違う戦い方や、目指すところに辿り着くための異なるプロセスがあるんじゃないかと考えたんです。

別府は大分市出身の僕にとって、子どもの頃、両親に連れて来てもらった思い出のあるところ。ただ、直接的に縁があったわけではなく、帰ってきたときは戦略も何もなかったんです。

ーー 帰国後のことについて教えてもらえますか?

山出:最初にいろんな美術関係者に「別府で芸術祭をやりたい」と話をして、アーティスト仲間からも「お前は何やってるんだ?」と言われたりしました。ある関係者からは「別府より湯布院でやれば?」って話もあったんですよ。

でも、そのときに逆に「これは上手くいくかもしれない」と感じて。たとえば、東京や京都にはすでに多くのアートプロジェクトがあって、それらがある種のムーブメントになっています。その中で新規にアートを展開するとしたら、きっと受け入れられやすいとは思いますが、そこでどう戦うべきかをしっかり考えなくてはならない。同じように湯布院というのは観光地としての価値を認められているところであって、当時の別府はそうでないと思われていたというわけです。

つまるところ、別府の我々には資金力がないけど、まったくライバルがいない。加えて僕は元々サイトスペシフィック(場所に帰属する作品や置かれる場所の特性を活かした作品、あるいはその性質や方法)な土地特有の作品を作る作家なので、その場所が抽象的だけどセクシーかどうかってことは重要だったんですよね。

ーー 別府という街がセンシュアス(官能的)だったということですよね。古びている街だけど、温泉・銭湯がそこら中にあって、趣深い建物や商店が並んでいます。魅力的な人も多いですし。

山出:うん。そう考えたときに僕の出身地は大分市だけど、土地柄も文化も別府とは全然違うし、大都市ではなく、やっぱり人の顔が見えるところや体温が感じられるところでやりたいと思ったんだよね。

「別府という場所らしいプロジェクトの在り方があるな」と考え、なおかつ、「自分たちは(世界的なアートの)ネットワークがあります」と言っていたけど、そんなにたくさんあるわけではなくて(笑)。知っているアーティストやキュレーターは何人かいたけど、当時からオノ・ヨーコ(国東半島芸術祭に参加)さんとかと友達というわけではなかった。

だけど、ここには温泉があってご飯も安くて美味しいところがいっぱいあって、そんなことを伝えていきながらいろんな人に来てもらうということを徐々に始めていきました。

後編につづく)


BEPPU PROJECT