前編では、大分県別府市でアートNPOをはじめたきっかけや、アートに目覚め、世界を舞台に転戦するアーティスト時代のことを語ったBEPPU PROJECT代表の山出淳也氏。後編では、ソーシャルベンチャーとしてのアートNPOの取り組みや、アートを起点とする多角的な経営手法、マネタイズなどについて語ってもらった。
聞き手・文・米田智彦 構成・写真:神保勇揮
山出淳也 Jun'ya Yamaide
NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事/アーティスト
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ソーシャルベンチャーとしてのアートNPO
「別府タワー地蔵」西野達 in 別府
(C)混浴温泉世界実行委員会
(C)Mixed Bathing World Committee
ーー 山出さんたちが放つ磁力に引き寄せられて、僕も「混浴温泉世界」という芸術祭を体験しました。アートを見ては温泉に入り、またアートを見に行く、というのを繰り返す日々は刺激的でした。
山出:米田君みたいに、芸術祭をきっかけにいろんな人が別府に来てくれました。そこで、僕らはイベント単体だけじゃなくて街も含めた現象の面白さを体験してもらえるよう、いろんな仕掛けを考えました。
僕はその中で番頭さんのような役割を担っていて、おこがましいけど、かつての油屋熊八(泉都・別府の観光開発に尽力した実業家)さんとか、観光やまちづくりの先人たちがやってきたことから学ぶことはすごく多かったですね。
だから僕はBEPPU PROJECTのことをアートNPOだとはあまり言わないんですよ。ほとんどソーシャルベンチャーだと思っています。
「バラ色の人生」 大友良英 / (2015)
(C)別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」実行委員会
(C)Beppu Contemporary Art Festival "Mixed Bathing World" Committee
撮影:久保貴史/Takashi Kubo
そういう中で美術史や専門書の中からヒントを見つけるのではなくて、現実の場所や、それまでまったく自分と縁遠かった経済界とか行政とかの中で学ぶということを大切するようになっていきました。
街の人々とのネットワークや、そこから学んだことを以って企画を作っていくのですが、ある意味、我々はよそ者として存在しています。
実際に僕は別府に住んでいないし、アーティストというエイリアンのような存在でもある。そういう視点をなくさないようにしようとしているので、自分の肩書きに「アーティスト」と戒めのように入れています。だからこそ、既成の概念に囚われずに自由に物事を捉え続けることができるんだと思っています。
例えば、中心市街地の再生を図るには、第一に商店が儲かることが必要です。そこで、商店が儲かるためには有名なお店が入ってきて人の賑わいを作ることが必要だと短略的に考え、大手チェーン店を誘致しようという話になってしまうことは少なくありません。
それはそれで別に悪い話ではないんだけど、他の街と同じようにしたところで果たしてそれで差別化できるのか? と思うとなかなか難しい。じゃあ、たとえお金がそこで回らなくても、まずは人が動く仕組み作りをしたほうがいいんじゃないかと考えるようになりました。
例えば「そもそもうちの事務所が街の中にあるだけでも毎日県内外のお客さんが来るわけだから、そういう感じで人の動きをデザインできるかも」というふうに発想するわけです。
そういう形でやっていくと、「なるほど、活性化にはこんな手がありましたか」と行政はもの珍しく感じる。一方、アートの方面からは「そんな切り口で街にアートの場所を作ることができるのか」と面白がってもらえるんですね。
大分県内で暮す人々が丁寧に仕上げた商品を紹介する 『Oita Made』
ーー 行政に対するアートの見せ方、アート業界に対する地域活性化の見せ方、その2軸があるってことですね。
山出:そうそう。僕の役割は両方の橋渡しをしていくことだから、セクションの中にいないことが重要なんです。
うちがやっている仕事は、展覧会や移住定住プロジェクト、福祉の現場でのワークショップ実施もあるし、「旅手帖beppu」みたいなサイトで情報発信もやっている。一方で「Oita Made」(※)みたいなブランディングもやるし、企業とクリエイターとのマッチングプロジェクトもやっている。
(※) 現在運営は『Oita Made 株式会社』
これを国の管轄に当てはめて考えると、学校にアーティストを派遣する企画は文科省の事業。移住定住は総務省、旅手帖beppuは観光庁、福祉の現場でのワークショップは厚労省、地域のブランディングは農水省と言えなくもない。企業に関連することは経産省に該当します。
ひとつの芸術祭をやるときに、イベントの企画を作る、情報発信をする、お土産を買って帰ってほしいから商品を開発するというように、お客さんが来たときの楽しみを作り、さらには来てくれた人たちが街のことを好きになって住んでくれたらいいな、という一連の流れをひとつのパッケージとして考えています。
つまり、芸術祭の企画と同時に他の事業も走らせていくことになります。頭の中でどのタイミングで横軸が並列に並んでいくかを考えながらスタートラインを設定して動かしていくので、結果的には行政や政府の各省庁が連携するために横串を刺す役割をうちが担っているわけです。
わかりやすい例で言うと、この取材日の前日は大分県庁の文化セクションの人と1日ずっと一緒でしたが、その前に打ち合わせしていたのは商工労政という、国で言うところの経産省にあたる部署でした。今は農水産物のブランディングやディレクションもしているので、農水関係の人とも協働している。
それから、今年は国民文化祭があるからそっちの局員とも話をしている…みたいにいろんな事業を並行して走らせていく中で「大分県は今どういうことを進めているのか?」という全体像が見えてくることがあります。
行政にはそれぞれに担当や責任範囲があるから、縦割りの構造になっていくのは当然です。だけどそれをつなげたり編集していく力があれば、もっといろんな可能性が見えてきますよね。それは意識的にやっています。
「羊飼いであれ」というマネジメント
ーー BEPPU PROJECTはソーシャルベンチャーだっていう話がありましたけど、組織にはスタッフを抱えるじゃないですか。山出さんの考えるマネジメント論とか人の育て方についてはどう考えていますか?
山出:難しいよね。うちは今スタッフを15人くらい抱えてます。
ーー その人件費はどこから?
山出:いろんな売上ですね。会計の決算書ベースの話で言うと、アートNPOの予算のうち、行政の補助金や民間の助成金の割合はだいたい8割くらいだと言いますが、うちはこの5~6年で10%もありません。
売上はアートイベントの収入以外にも、ブランディングや企業のコンサル的なことなど、多岐に渡ります。
ーー マネタイズの面ではどう考えていますか?
山出:そこは戦略的に考えるよね。うちの事業ベースで決算書を見るとよくわかるんですが、利益率がそれなりのものもあったりする一方で、完全に赤字のものがあったりする。
例えば、清島アパート(戦後すぐに建てられた3棟22 室からなる元下宿アパート。BEPPU PROJECTがアーティストの活動支援の一環として運営し、全国各地から集まるさまざまなアーティスト/クリエーターの居住・制作環境として活用されている)とか。ここの住人からは月1万円しかもらっていません。古い建物だから修繕も必要だし、年間でみると赤字です。それでもなぜやっているのかというと、亡くなった大家さんが「アーティストの活動の場として維持してくれ」と遺言を残されていたこともあるし、BEPPU PROJECTとしても収益性ではなく「アーティストが成長するための場所を提供したい」という強い意思がある。それに、地域の人たちにとってアートが身近な存在になるように「あのアパートにアーティストが住んでいるよ」という状況をつくりたい。
それによってアートの街・別府ということが見える化されていくと思うんです。金銭面的には利益を生んでいないプロジェクトでも、今後の種まきにつながるからやっているわけです。つまりプロフィットではなくてベネフィットを大切にしたプロジェクトということ。
清島アパートは2009年以降、毎年8人が入居していますが、その収入は微々たるものです。でも2017年に地元の大分合同新聞さんが、3年以上別府に住んでいるクリエイターの人数を調べたところ、120人定着していることがわかった。これは結構な数字です。別府市は人口12万人の街なんですよ。
でもこれが今後増え続けて1200人になったら大変なこと。行政も無視できない。今、別府市は長期計画の中で「アートが香る街・別府の実現」ということを謳っています。第2、第3の清島アパートとして、いろんなところをアーティストのためのアパートや居住エリアを作っていくことが検討されつつあります。実際に事業化されるときのことを考えて調査事業を進めたり、人員配置をしたりして準備しておく。うちがやっているのは全部そういう形ですね。
ーー マネタイズについては理解できました。ただ、おっしゃる通りスタッフの皆さんも多岐にわたる分野の仕事ができる必要があると思うのですが、どのようにマネジメントをされていますか?
山出:いつも「どうやったら社会が面白くなるか?」を考えています。ただ僕みたいにマクロとミクロと両方の視点でやるのが好きなタイプと、そうじゃない人がいる。
働き方って人それぞれです。「何が自分にとっては望ましいか?」ということを考えていく力は、仕事の面でも生活の面でもとても大切ですよね。これは教えられてわかることではありません。マネジメントの基本は人の健康面に関係します。やっぱり大前提として心身とも健康でないとできませんよね。
この10何年かでいろんなスタッフと出会って、各々のライフスタイルにとって、働きやすい環境とはどういうことなのかをすごく考えてきました。
マネジメントって水が高いところから低いところに流れていくように、自然の摂理をちゃんと理解しないと上手くいかないんですよね。ちょっと抽象的な言い方ですが、絵を描くときに先生から「羊飼いでありなさい」と戒めのように言われました。
羊を放牧してA地点からB地点まで連れて行こうとした時に「あっち行け、こっち行け」と命令しても言うことを聞いてくれなかったりする。でも1匹向こうにヒューっと行くと他の羊もそっちを追いかけちゃう。だから、あくまでも自分の意思でAからBに行っているというふうに促していくことをすごく大切に考えているんです。
あと、AからBに行くための環境づくりは、フィジカルな話ではなくて、人間の関係性の作り方みたいなところもありますよね。
ーー というのは?
山出:例えば、僕はやっぱりものづくりの現場にいた人間だから、企画書を書くときもかなり作り込もうとします。「この案件を取ろう!」と思うときには、採用されるかどうかは別にして絶対に採用したくなる企画になるよう心がけています。そうすると、何年かに1回だけど契約につながったりするんです。僕には「完璧に作る」という美学があるから、いざ実行することになると、全員にハードワークを強いることになりやすいわけですよ。
そうやっていくと多分みんなパンクしちゃう。「そこをなるべく抑えて」とは言ってもみんなには完璧を目指してもらいたい。だから、僕から指示を与えるのではなく、結果的に自分がそういうことをやっていると思えるようなアプローチを考えています。
ーースタッフやチームに120%の実力を出してほしいというタイミングがあり、それをいかにやってもらうかみたいな話ですか?
山出:そうです。人間はずっと同じモチベーションや目の輝きを持ち続けることはできないじゃないですか。僕なんかは借金も抱えながらやっているから、「やらなきゃ!」ってがんばれる理由があるけど、みんなはそうじゃない。それで「転職すればいいや」とか「そんなにあくせくしなくてもいいじゃん」って意識になってしまうと、我々の仕事は上手くいかないんです。だって、いいものを作ることを最優先にしているわけだから、それには終わりがないんですよ。
ーー最近、孫泰蔵さんなんかも「マネジメントしないマネジメント」ってよく言っていて、管理しない方が人は育つみたいな。
山出:そうですね。僕もみんなもそれぞれ文句を言うけど、それって結局みんなそれぞれいいものを作りたいって気持ちがあるからだと思っています。ただあんまりいきすぎちゃうとバランスを崩してしまう。
そういうことにならないように上手く水が流れるように、だけど急に流れすぎちゃわないように、上手く、ゆっくり、気持ちよく流すということにすごく気をつけています。
それから、うちの組織の中だけのガバナンスではなくて、行政やパートナー、クライアントも含めて、やっぱりいいチームでありたいんです。トップダウンではなく、現場で一緒にやってきた人たちが、「あれを実現したのは僕の誇りだ」って言ってくれていることを想像しながらチームを作っています。
清島アパート外観
別府発のアートやクリエイティブの力で全国の地域や組織の課題と向き合う
ーー では2020年以降の中期的ビジョンについて教えていただけますか?
山出: これまでも大切にして来たように、これからますます「インカムの多様化」が大切になるよね。国や行政の予算がなくなったら潰れてしまうというような状態は避けなくちゃいけない。
ーー 事業ポートフォリオを組むってことですね。
山出:うん。今は大きくプロジェクト班とクリエイティブ班に分けています。今後は大分県内だけでなく、全国・海外に仕事の幅を広げるタイミングだなと考えているのだけど、声をかけていただければ、まずは西日本を大切に考えたいと思っています。
ーー 九州ではなく西日本ですか?
山出:今後大分県外に仕事の幅を広げることも考えられるけど、ちょっと広い観点で言うと今は西日本を視野に入れています。
大分県は九州の一部だけど、そもそも瀬戸内海を通じて西日本とつながっています。かつて瀬戸内海が交易の大動脈だった時代に大分県は九州の玄関でした。また、四国も広島、岡山、大阪や京都もそうなんだけど、文化的な意味で面白い活動を展開している人や仕組みが生まれ始めています。これらがもう少し横につながる仕組みができると、うねりが生まれたり、景気に左右されずにできるんじゃないかと思っています。
そういう中でひとつのロールモデルを作りながら、九州も含めて広い視野でやっていきたいですね。
やっぱり何かをプロデュースをしていくことや、全体を統括していくようなこと、新しいものを生み出していくことやイノベーションを起こしていくことには、今までの視点とは全然違う観点で物事を見られる人材を育てる教育が重要だと思っています。