京都を拠点にin the blue shirtの名で活動する音楽家、有村崚。これまでに3枚のアルバムをリリースしているほか、ドラマの劇伴音楽やゲームのキャラクターソングも手掛ける。ライブやDJなどでの出演も精力的に行うなど、幅広い活動を展開しているミュージシャンだ。
そんな氏の活動の中にユニークなものがある。2019年から、ストーンズ太郎氏と共同で運営しているイベント「Potluck lab.」だ。DTM(Desk Top Music:PC上で楽曲を制作・編集することや)初学者や、曲を作りたいと思う人々を対象としたイベントで、DTMによって楽曲を制作する人々のプレゼンテーションと、参加者が持ち寄った自作曲を聞き合う交流会が行われる。氏はプレイヤーでありつつも、音楽のリスナーやプレイヤーを増やすことに対して意識的であり、こうした活動を経た現在は京都精華大学で講師も務めている。
そんな有村氏に、創ること・続けること・学ぶこと・教えることについて伺うインタビューを行った。趣味や仕事の場面でなにかを「作る」のヒントになるような、幅広いお話を伺うことができた。
友人の影響で始めた作曲、電子音楽ライブカルチャーとの邂逅
―― まずは、有村さんの音楽家としての活動の始まりについて教えて下さい。楽曲を制作して、それをWEBにアップロードしたり、ライブで発表するような活動を始めたきっかけはありますか。
有村:元々音楽を聴くのは好きで、趣味程度にギターを触ったりもしていたんですが、大学時代に知り合った友達が音楽を作っていたんです。ドラムマシンみたいな機材で4つ打ちのいわゆるクラブミュージックを作っていて。別にそんなに難しいことをやっているようにも見えなくて、「そんなに簡単そうなら、俺もやるか」みたいなテンションで作り始めました。私は音楽専用の機材じゃなくパソコンを買って、DAW(Digital Audio Workstation:コンピュータ上で作曲を行うのに必要な、総合的な機能が揃っているソフトウェア)で作曲を始めたんですけど、「友達がやっていたから」というのすごいシンプルな動機というか、きっかけでした。
その後、特に対外的に何かを成し遂げてやろうという気持ちもなくただ何となく曲を作って遊んでいたんですけど、当時住んでいた大阪には電子音楽を作ってライブをやるような、僕よりも5個ぐらい年上の人たちのコミュニティがあって、盛んに集まって活動していたんです。定期的にイベントを開催してみんなで音楽を披露し合っていて、そこで「実は私も曲を作っておりまして……」と言ったら「お前は早くやれ!」とか言われて(笑)。
そもそも、「電子音楽のライブ」って意味不明じゃないですか。私はギターを弾くところから音楽を始めているので、当時は「ライブ」っていうといわゆるバンドの演奏みたいなものを想像しちゃったんですが打ち込みで曲を作って音源を流す、そのパフォーマンスを「ライブ」と呼んじゃう電子音楽の不思議なカルチャーがあって。
それが一般的なものだとは今でも思っていないんですが、当時そのイベントではそういう「ライブ」を当たり前のようにみんながやっていたんです。でも私は当時デスクトップパソコンしか持っていなかったので、人前でプレイする手段を持ち合わせていなかったんですね。そしたら「今すぐソフマップ行って、中古のパソコン買ってこい」って言われて、すごい安いノートパソコンを焚きつけられるように買ってきて。そのパソコンで人前で自分の曲を流して、その行為をライブと言い張り始めたのが、曲を作り始めた2、3年後ぐらいのことです。
―― そこで出会った年上の皆さんは、思い思いの「ライブ」をやっていたわけですか。
有村:そうですね。フォーマットが決まっていないので、本当にみんなやることがバラバラで、私みたいにDJプレイの延長で、自作の曲の素材を出し入れしながら再生していくようなスタイルの人もいれば、それこそキーボードを弾きまくる人もいましたし、リアルタイムでパッドを叩いて音を出すようなパフォーマンスをする人も。本当に「お作法不在」のバラバラで、それも含めて面白かった。
―― ギターから音楽を始めた人からすると、そのパフォーマンスを「ライブ」と呼ぶのは結構衝撃的な光景ですよね。
有村:「ライブってなんやねん」という、「何をもってライブと呼称するか問題」は未だにあって、言葉としてライブという言葉が適切なのか、それがベストなのかはよくわかってないんですが、たとえばそのイベントには、ノイズを垂れ流しながら絶叫するような人が居ても、別にそれをヘンテコなものとはみなさないようなノリがあったんです。「そうやるんやな」ぐらいの空気感でみんなが接している。自分の中ではその姿に衝撃を受けたというよりは、むしろ「そうだよね」みたいな気持ちの方が大きくて、こっちの方が居心地がいいぞ、自然な感じがするぞって思いました。そんな感じで、そういう活動を続けて今に至ります。以降特に大きな転換点があったこともなくて、「それを続けて今に至る」って感じですね。
―― 楽曲の制作を続けていくうえで、なにかを積極的に学び取ろうとするタイミングはありましたか?
有村:そういう意味では、あまり音楽において意識的に鍛錬をしたことって無いんです。もちろん「いい曲を作りたい」という気持ちがあるので、いわゆる一般的な音楽理論や機材の知識、音作りの方法について何らかの情報を取得するために能動的なアクションを起こすことはずっと続けてきましたから、それをもって勉強とするのであれば勉強なんですが、「テキストを買ってきて予備校で勉強する」みたいな勉強は基本的には全くしておらず、興味の赴くままにやってきたら、今に至ったというのが、私の中の感覚です。
創作を続けるコツは、「それいいね」と言ってくれる人の存在
―― 有村さんは大学卒業後、一般企業に就職しつつも音楽活動を継続していますね。学生時代と就職後で、音楽活動に変化はありましたか?
有村:それが全く変わらなくって、元々私の周りに居た音楽をやっている人たちにも、「訳のわからん打ち込みの音楽で飯を食う」っていう発想がそもそもなかったんです。自分より若い子もいればおじさんもいましたけど、皆さん仕事もしていたし、学生の人も居ましたし、そういう境遇の中で「普通にできる範囲で」音楽をやっていました。私も学生から就職して会社員になりましたけど、「給料もらえるようになって嬉しいな」ぐらいの変化でしたね。
―― とはいえ、就職などをきっかけとして創作活動をやめてしまう人もたくさんいるもので、その中で有村さんが音楽を続けられた理由というのは何だったんでしょうか。
有村:私も今は人に教える立場で、それについてよく考えています。あの……続けて欲しいと思っているんですよ。やっぱりみんな大学を卒業したり、結婚したり、辞めちゃいやすいタイミングがいっぱいあるんです。本来は別にゼロイチで辞める必要なんてないし、できる範囲で続けてほしい。でもなかなかモチベーションって続かないんですよね。私個人の考えとしては、よほど強靭な精神を持っているやつ以外は完全に1人でずっと続けるのは難しくて、何かを発表したときに何らかのレスポンスをくれる友達が1人でも居れば続けられるんだと思います。あんまり「人脈」みたいなことをいうのは嫌ですが、私が今まで見てきたなかで再現性を持っている事例があるとすれば、音楽を続けていくためには一緒に聴いて、「それ良いね」「そんなん作ったんや」とか言ってくれるような距離感の友達が、いればいるほど良いんだと思います。
―― とはいえ不思議なのは、たとえばガーデニングや編み物などは、いずれも創作的側面を持ちつつも、一人で楽しむ趣味として認知されていますよね。同じように、「自分が最高に盛り上がる曲」を作り、それを聴いてモチベーションを持続するのは難しいんでしょうか。
有村:ガーデニングもですが、その状態にまで持って行ければいいんですけど、そこに至るまでのプロセスでつまずく瞬間が来るんですよ。本当に些細なことでもたとえば家族がいて、ガーデニングが趣味の夫が妻に庭を見せて、「いいやん」と一言言われるぐらいの、極端な話これだけでいけると思うんです、人間って。私の感覚としてはこういうフィードバックが完全にゼロで、本当に己の満足だけで続けて行くのは難しい。
創作物を作ったときに、その善し悪しを判断する基準には自己なのか他者なのか、つまり「俺がいいと思ってるからええねん」と思うことと、外的な評価、たとえば「何万再生されました」とか「賞を獲りました」というような評価を重視すること、二つの視点がある。このどちらを重視するかの割合は人によって違っていて、元々私は前者の、自分の判断基準というものを大事にしたかったタイプで、そうあるべきだと思っていたんです。ただ、他人を見たり自分の活動を振り返ったりしてみると、自分は意外とSNSとかでささやかながら人に聴いてもらったり感想をもらったりすることにありがたさを感じていたというか、実はそれがすごいモチベーションになっていると気づいたんです。完全に100%自分の評価のみで続けられるのはほんまに意思が強靭なヤツだけで、再現性がない。
それこそ学生時代に先輩たちと出会ったタイミングでも、「お前の曲面白いね」と言ってもらえたことがモチベーションになったし、そういう集団が存在しているだけでモチベーションになる。極端な話、集まりに1回行ったらもはやその後は行かなくてもいいんですよ。そこにそういうヤツらがいて、何か作ったら感想をくれる、その事実があるだけでもう結構いける。
よくあるのは「音楽をやるぞ」って意気込んで作り始めて、ネットにアップして2、3回しか再生されない……みたいなパターン。めげずに何曲も出しても大して変化が見られなくて、「こんなことしてて、どうする?」という気持ちになってやめちゃうというのは"あるある"ですよね。若い子を見ていてもこういうパターンでやめている人が非常に多くて、やめないにしても過剰に広告的なものを作ることに走る人もいる。バズらせる、じゃないですけど、無理やり数字を稼ぐようなスタイルに転向したり。でもそれって個人的にはあんまりよくないことだとも思っていて。だからやっぱり、曲を作ったらそれを聴いてくれる人、聴いて「面白いね」ぐらいのことを言ってくれる関係性の人を作ることが結構重要だと思っています。
―― 振り返ると、ご自身はそういうフィールドを割と早い段階で獲得できていたということですよね。
有村:そこが私の「運が良かったポイント」だったというか、巡り合わせでたまたまそういう場所が手に入った。そのおかげで今に至るまで特に挫折や辞める気配もなく、本当にずっと続けられたんですけど、自分の場合は運が良かっただけなので、どうにかしてみんなにもこういう感覚を持ってほしいという気持ちがある。大学とかで教えながら、その方法について試行錯誤しているところです。
―― イベント「Potluck Lab.」の趣旨や内容などにもその精神を強く感じました。現在は京都精華大学で講師を務めていらっしゃいますが、メンターのような立場で人々に音楽を作ってもらう、続けてもらうという活動をしている理由や、きっかけはありますか。
有村:いろんなところでよく話していることですが、先程話した電子音楽のコミュニティなどに行くと、何となく曲を作っていたり、日常的に大量の音楽を聴いていたりする人がたくさんいて、制作物にも聴いている音楽にも、その人の趣味が結構はっきり出てくるんですよね。たとえばある人の作っている曲を毎回ずっと聴いていたら、「この人はこういう曲を作るんだ」っていうことが当然わかる。そして「作っている人」と、「その人が作っているもの」の一対一の関係を何個も見ることになる。
そういうものをずっと見続けていると、「こんな人からこんな曲が生まれるなんて信じられない!」みたいな、作り手と創作物が完全に乖離しているパターンは基本的にないんです。「この人だったらこういう曲を作るよな」と納得することばかりで、何なら本名も知らない、年に数回会うだけの人がほとんどなのに、すごく親しみやすくなるというか、その人のことを理解できたような気持ちになる。
音楽を作る行為は自己セラピー的でもあり、プレゼン的でもある。「お前らに俺のことを知らしめたるんじゃい」みたいなマインドではなく、「何かを作ってどこかに置いておく、それを見れば少しだけその人のことがわかる」っていう行為が自分の人生を豊かにした感覚が強くあって、だから単純な好奇心として、「みんなに何かを作ってほしい、それを聴きたい」という気持ちがあるんですよ。
よく言うのは、「本当に、みんな音楽を作ってください」って(笑)。音楽に限らず、会社員の仕事でも成果物からその人の人格が透けて見えることがあるし、そういう体験を少しでもたくさんカジュアルにやる世の中になったらいいなと、そういうことを徐々に思い始めて、行動に移している感じですね。
―― お話を聞いて思ったのは、人は意外と自分で自分を説明できていないというか、言葉で自分のことを説明できていると思い込みすぎている気がしていて。ものを作ると自分の姿を自分で見ることにもなり、自分の気づいていなかった自己の側面に気付かされることもありますよね。あとは、「自分って、人からこう見られたいんだな」と思ったり。
有村:そうですね、それを人から「取り出したい」んです。他人のそれを見てみたいし、自分のも見たい。とにかく取り出さないことには始まらなくて、曲を作ったりするのは取り出す作業だと思っています。それを自分で知るもよし、人に見せるもよし、でっかくするもよし。
ランキングシステムや市場の大きさなど、モチベーションを支える要因は様々
―― 有村さんが講師を務める京都精華大学では具体的にはどのような授業をなさっているのでしょうか。
有村:授業は2つ持っていて、一つは少人数のゼミで楽曲制作をする実習の授業、もう一つはDAWソフトウェアの操作を教えていく座学の授業です。「こういう作業をするとこういう音が鳴ります」みたいな。授業は自分の思想を開帳する場でもないので、「音楽というのは心の内を取り上げて……」みたいな話をすることはありません。
―― 学生のなかには、今まで楽曲制作の経験がない人もいますか。
有村:そうですね。音楽だけを扱うわけではない学部なので、「絶対に音楽をやりたい」と思っている学生ばかりではなく、音楽が占める重要さの解像度に結構幅があるのが特徴だと思います。中には「俺は絶対ゲーム会社に就職するんじゃい」みたいな目標を持っている人もいますが、それもまちまち。ただ、「創作表現」自体には興味を持つ学生が集まっているので、「映像や音楽で表現するのが楽しそう」ぐらいのことはみんな思っていると思います。
―― 音楽に限らず、創作すること、作品として何かを表出する際にはなんらかの「テーマ」が現れるかと思います。まったく音楽を作ったことのない学生が音楽を作ることになると、こういうことも課題になるのでしょうか。
有村:必然的に作品と、あるいはテーマと向き合うことになると思います。何度も言いますが、「取り出す」作業になるので。何となく「よし、音楽を作るぞ」と思い始めた人のそれぞれの頭に浮かんでいる音楽像みたいなものは全員バラバラなんですけど、それを本人は全然認識できていない。だから取り出させて並べることによって、「俺が思ってる音楽って何だろう?」とか、「俺はJ-POP作りたいけど別にみんなはそうじゃないんだ」とか、それぞれの角度で相対的に見るっていう作業が面白くて、テーマを見据えることというよりは自分の興味のレンジを相対的に知るっていう作業がすごい大事だと思ってます。
テレビをつけて流れてくるCMや歌番組だけで音楽を聞いていると、そういうメディアでさらされるものの範囲って結構限定されていて、多くの人が狭いレンジの中で音楽を聞いている。そういうものに触れていた人が音楽を作るコミュニティに行くと、ちょっとレンジが広がりますよね。「こんな人がいるんだ」「こんな音楽があるんだ」と知ることになる。で、そういったなかには興味のないモノもある。私は電子音楽のコミュニティに行って面白いと思ったんですけど、逆に何も興味を持てない人もいる。普段バンドをやっていて、そういうイベントに来た人が「何だこいつら、機械いじってヘラヘラして」みたいな(笑)。
で、こういう機械いじってヘラヘラしている人間がいる、ということを知ったうえでバンド活動に戻ったりすることが、個人的には結構大事だと思っていて。この人は、電子音楽を好む人たちと出会うことで、相対的な視点を持ってバンドをやることになる。「機械をいじって、打ち込みで音楽やって、それをライブと言い張る謎の集団」を認識して、そのうえでバンドをするってのがまたすごい意義のあることやなと思っているので、そういう意味でも、いろんな活動を表に陳列させることが大事やと思ってます。
―― 所属コミュニティを持たない、これから音楽を始めたいと思っている人が、具体的にそういう場を得ようとすると、やはりインターネットにアップロードするのがよいのでしょうか。
有村:そうだと思います。もっとも簡単で、いろんな条件を満たしているのがインターネットへのアップロードなんですけど、ただアップロードするだけで状況がドライブするケースは非常に稀なので、そこに対して何か動機づけというか、「上げてよかったな」と思えるような仕組みを考えることが自身の課題というか、テーマだと思ってます。
たとえば、今そういうコミュニティでもっとも参入障壁が低くてかつ、盛り上がっているシーンはボーカロイドのシーンだと思うんです。その盛り上がりを支えているのはランキングシステムなんですが、そのランキングに入ることができれば多くの人に聴いてもらえる。ここまでたどり着ければ、「頑張り」が報われやすいというか。ボーカロイドファンの人がリスナーになってくれるし、明確な数値目標も生まれて頑張りやすいという好循環もあり、一番うまくいっているケースかと個人的に思います。地方と都会の差も埋まるし、平等に参加できる。曲を作って、それを受け取る側の聴衆がスタンバイしている。コミュニティとしては一番発達しているんじゃないでしょうか。
ただ、それでもやっぱり功罪あるというか、ボーカロイドという括りになると「お作法」みたいなものがどうしてもあるので、無限にある音楽の世界のなかで、ボーカロイドのシーンだけを見て音楽をするのが唯一の選択肢だと思ってほしくないとも考えています。若い子が「こうあるべきだ」みたいな像を過剰に持ってしまったりするのはよくないなと。あとはどこまでいってもランキングなので、数字で争う側面がどうしてもある。数字を気にするのは悪いことではないけれど本懐ではないし、しかもみんながボーカロイドで曲を作りたいわけでもないはずで。
難しいのは、「市場がデカい」というのはモチベーションを維持するためには重要な要素で、たとえば歌を作りたいから、ボーカロイドの曲を頑張りたいっていう人は、一生懸命頑張れば多分聴いてくれる人がついてくるので安心して教えられるんです。逆にたとえばすごくアンビエント的な音楽とか、抽象度の高い音楽に興味を持って始めようとしたときに、「これ、誰が聴くねん」みたいな状況に陥りやすい。私はみんながまっすぐ自分の趣味趣向に沿って進んで欲しいんですけど、これは優劣ではなく市場の大きさの違いで、デカい市場であればあるほど、頑張りやすいというジレンマがある。
この「聴いてもらいやすさ・もらいにくさ」の問題があるのに加えて、自分の手法が「アイコニックになりやすい人・なりにくい人」、という差異もある。誰でも特徴や個性を持っていて、それは音楽を作ると絶対に現れるんですけど、「プレゼンしやすい特徴」を持っている人の音楽は、人に聴かれやすい。たとえば私の音楽の特徴を人に説明するとき、「ボーカルを切り刻んで意味のわからない言葉にしてるんだけど、歌っているように聞こえる」って言ったら、よくわかんないけどなんだか面白そうと思ってもらえるし、自分でも説明しやすい。これはたまたま私がそうやっただけで、それと同じぐらい「平均から外れていてかつレベルの高い創作をやっている、けれどわかりづらい人」は絶対いる。そこに優劣はないはずなのに、私の方が相対的にプレゼンしやすい音楽だったから評価もされやすい。だから「プレゼンしにくい音楽」に対する施策を考えなければいけないと思います。そういう意味ではアイコニックなもの、自分のシグネチャーになるようなものを獲得するための方法を考えることよりも、そういうものって本質的に全員持っているはずなので、あるものとした上で、それの社会的な立ち位置を相対的に認識するほうが大事だと思います。
―― 有村さんご自身は曲を作っていく課程で、自分の作る音楽の「プレゼンしやすさ」に気づくタイミングがありましたか?
有村:技巧以前の話として、私の曲って明るい曲が多いので、比較的プレゼンしやすいと考えられます。リフやメロディを使うこと、その作り方も含めて、相当自分の趣味・趣向はキャッチーなものに寄っているんだと気づきました。それに気づいたのはさっき言った相対化によるもので、いろんな人とその人の作る音楽に出会う中で、自分が普通だと思っていたものが、実はかなり特殊なんだと徐々に認識していきました。自分の趣味趣向っていうのが、いわゆるオリコンチャートに載るようなものではないけれど、社会的な使い道はあるんだなと。逆に表現としてはすごいストイックでかなりの水準まで達しているけれども、商業的な場では使いにくい、みたいな場合も、それをしっかり認識して、もうそういうもんだと割り切ってしまう方がいいかなと思っているんです。それは本質じゃないので。
「世の中には音楽やったら楽しいヤツがもっといる」という確信
―― 創作物には商業的な価値の付けやすさや、使われている技術の優劣がさまざまにありますが、それらは有村さんの目指す状況、つまり「何かを作ってどこかに置いておく」という行為をする人を増やすためには、注視しなければいけないファクターではあるものの本質ではない。お話を聞いていて、多くの人は「音楽は能力のある人が作るものだ」と思い込んでいる気がしました。
有村:その状況を生んでいる理由の一つに初等教育があると思っています。「絶対音感は小学生のうちじゃないと身につかない」とか「楽器は10年は弾かないと身につかない」とかよく言われますけど、これはいわゆる生楽器をベースに作曲をするときに必要な技術の話ですよね。つまり楽器を弾かないと作れない音楽をやっている人の話なので、広大な音楽の世界の中で、ほんの少しの特定のジャンルのことでしかないんです。でもこういう固定観念を幼い頃から聞かされているせいでみんな結構勘違いしていて。
たとえば幼い頃から訓練した、絶対音感や楽器演奏の技術を用いて音楽を作る人と、ノイズを鳴らしながら絶叫する人が居たときに、この二人は「取り出す」という行為をしている点では一緒ですよね。なんでか世の中には音楽に対する技術信仰があって、いたずらに高尚なものであるとしがちですが、それはちょっと違うんじゃないかと思っていて。別にやりたいことをやったらいい。
かつ、音楽教育って基本的にクラシック音楽をベースに作られていますよね。音楽理論もそうですし、音大でピアノとかバイオリンを学ぶ際には、技術も歴史も、それを伝える教育の体系がきちんと出来上がっている。こういうものには明確な優劣が付いてしかるべきだと思いますが、そうではない、既存の体系からこぼれている「体系化されていない領域の音楽」に、みんなが思っているよりも豊かさが潜んでいると思うんです。
ヒットチャートって実は、扱っている音楽性のレンジがめっちゃ狭いのに、その中の音楽しか聴かないっていうのは、もったいないと思うんですよ。優れているからヒットチャートに載るんですけど、それってあくまでその狭義の中で優れているだけで、音楽のパイのうちの1%ぐらいの話をしていて、残りの99%によって救われる人もいる。というより私は、残りの99%に影響を受ける人間の方が多いと思っているんですよ。なので既存の体系からこぼれた趣味嗜好を持っている人たちに対して、それは当たり前のことであって、ものを作るにしたって「私はマイナーな音楽が好きで……」みたいな変な自意識を持たずに、素直にやってほしい。
―― 「いわゆるチャート的ではないけれどレベルの高いアーティスト」と言われてパッとイメージがわかない読者にむけて、一組紹介するとしたらどんな方を思い浮かべますか?
有村:食品まつりa.k.a foodmanなんかが真っ先に思い浮かびました。活動のスタイルも自由で、まったくチャート的なアーティストではありませんが、世界的にも高い評価を受けていますね。
―― 一般的なメディアやヒットチャートを見ているだけでは、「既存の既存の体系からこぼれている音楽」というのは基本的に聴けないですし、それこそ食品まつりa.k.a foodmanにたどり着くことはかなり難しいですよね。この状況は極端だとも感じます。
有村:たとえば日本にはクラブミュージックが好きな人はもっといるべきなんですよ。自分はクラブミュージックをやっていてそこに対する解像度が高いところもあるんですが、世界的に見てもハウスみたいな4つ打ちの音楽は「音楽のことはようわからんけど、ドンドン鳴っててデカい音で聞くと楽しいね」っていう極めてプリミティブな音楽のはずなのに、なんでか日本ではポップスと比べて相対的にわかりづらいものとして扱われている。「ずっとイントロかよ」みたいな定番の揶揄もあります。複雑なコード進行と展開のあるJ-POPよりも「等間隔でキックが鳴って、踊れて楽しい」の方が絶対簡単なはずなのに、それが「ちょっとわかりづらくてリテラシーが必要なもの」とみなされていること自体すでにちょっとおかしいというか、歪んだ状況じゃないかと思っています。
4つ打ちが好きなヤツってもっといるはずで、単純に出会えていなかったり、あとはそういう音楽を好きって言いづらい状況があったりする。「みんなとちゃうし、なんかこんな音楽好きな人って世の中にそんな見たことないし、俺変なんちゃうかな」っていう不安もあると思う。自分の趣味嗜好に自信があって、「俺はもうこれ好きやからこれを聴く」と突っ張れる人ばかりじゃないから、こういう技術信仰や不安を両方取り除いて、人の好きなものはバラバラでそれぞれ違うということ、それは変なことじゃないし、それを健やかに楽しんだり、作ったりできる場があればいい、この間口をなるべく広くしたいというモチベーションで活動をしています。
―― 最後になりますが、音楽を作ることへ興味と不安を持つ読者に伝えられることがあったらぜひ。
有村:たとえばバンドで音楽をやっていてうまくいかなかった人でも、バンド音楽の体系でうまくいかなかっただけで、他の手段を使うと実は別の場所に秀でている部分があったとか、そういう例はいくらでもあると思います。うまくいかないと思っていることは既存のフォーマットや体系が原因で、でもその体験だけで、あるいは体験する前から音楽が苦手だったり興味がないと思い込んでる人がいる。
けれど実際にはやったらすごく楽しめるヤツがたくさんいるはずなんですよ。これはもう、確信していて、世の中には「音楽やったら楽しいヤツ」がもっとたくさんいるんです。そしてその音楽はいわゆる世間でイメージされている音楽とはちょっと違う、変な音楽の可能性が高い。そういうヤツのまだめくられていないカードがめくられてほしいし、めくってやりたい。皆が思っているよりも、音楽を作るっていう手段は狭くないから。