「専門家の課題解決案」を広げるための「バケツリレー」の重要性
橋本:そうした中で倉本さんの著書『日本人のための議論と対話の教科書』において、分断が進む今の社会では、それぞれ対立する陣営において「自陣営の中だけではキャッチーで広く称賛されるけれど、他の全員からすると荒唐無稽にしか思えない意見」ばかり目立ってしまっているものの、本来は「双方の極端な意見は問題発生を伝えるカナリアのようなものとして活用しつつ、現実的な課題解決を目指す意見がちゃんと称賛される社会を作っていく必要がある」と書かれていますよね。これは本当におっしゃる通りだなと思いました。
倉本:今は「改革派」の過激な意見と「保守派」の過激な意見がそれぞれの党派内だけで盛り上がって分断し、中間的、あるいは現実的とも言える意見がこのM字のように全く注目されない現状を…
以下のように「一つの山」と「シグナルとしての異端者」からなる「凸字」型に変化させていくべきで、実際こういう変化は日本社会の中で既に進行中である…というビジョンは、個人的にはメチャクチャ本質的に大事なことを書いたと思ってるんですがなかなか評価されない感じがしてるので、さすが橋本さんはお目が高いと思いました(笑)。
橋本:また、この「理想像」の方の凸型のグラフの中で、「シグナルとしての異端者」という存在がちゃんと描かれていることにすごく意味があると思うんですね。
これは本文で、「とにかく妥協せず反対だけを言う人」みたいな人たちにも存在意義があるから感謝することは大事で、彼らには「常に社会を多面的に検証したり極論の存在を思い出させる」役割を果たしてもらいつつ、その両極端な勢力だけに社会が引っ張られすぎることは抑制し、実際の社会の運営は妥協の積み重ねで安定的に行えるようになるのだ、と書かれている役割分担の話も非常に納得感がありました。
倉本:さすが、メチャクチャ深く僕の本を読み込んでいただいて感謝しきりです。そこは本当に大事な部分だと思ってるんですがなかなか注目してもらえないので。でも、やっぱり紛争地とかのリアルな場面で「あと10人救うには」レベルの話を切り抜けてきた方には、当然のように伝わるビジョンなんだなという感じがしました。
なんとか、今「M字」に分断されている社会を「凸」に持っていきたいですね。
橋本:学生達にも、世の中の圧倒的大多数のことは「勧善懲悪・白黒はっきり」ではなく、「ダークグレーからライトグレーのグラデーションである」と口を酸っぱくして言っています。
倉本:関連して思い出したんですが、橋本さんと以前、オバマ元大統領がキャンセルカルチャーを批判した発言の話をしたことがありましたよね。「SNSでちょっと他人を批判して世の中が変わると思ってるなら大間違いだ」という。
橋本さんのForbesの記事の「現実に膝をつきあわせて対立者と交渉し、法案の細部でいかに変化を勝ち取るかが大事なのだ」っていう話にも通じるところがありますよね。
僕はあの発言をウェブ記事で文字で読んで、本にも紹介したんですが、今回橋本さんに元の動画を発掘していただいて実際に見てみると、オバマ氏は「たったあれだけのこと」を言うのも結構言いにくそうというか、ちょっとコワゴワ言ってる感じなのが印象的でしたね。
必死にジョークにくるみながら言ってるけど、ほんのちょっと発言の仕方を間違えると徹底的に攻撃されてしまいかねない空気感の中で、かなり勇気を奮ってあれを言ったんだなあ、ということが動画からは伝わってきました。
ただ、「そういう倫理観」というか、「ただエエカッコして美辞麗句を弄しているだけなのはしょうもない」「実際に人々の合意を取り付けて一人でも多くの人を救うことがエライのだ」みたいな発想って、本来結構「日本的」というか、我々の社会と相性がいい発想ではあると思うんですね。
今は非常に混乱していますが、僕や橋本さんや、同じ問題意識を抱えている多くの人が協力して、そういう「新しい現実主義的なリベラル」的なムーブメントを作っていければ、「そうそう、それが大事だって自分も思ってたんだよ」という人は、日本中、あるいは世界中にいるんじゃないかと思います。
オバマ氏の発言だって、世界中の「サイレントマジョリティ的良識派」からは「そうそう!」って思われていたと思いますしね。
橋本:はい、あのオバマの2〜3分の発言は、欧米ではものすごい回数リツイートされたんですが、なぜか日本ではあまり紹介されてませんね。伝統的には「日本的感覚だな」と私も思いましたが。
倉本:ただそういう「良識」は、徹底的に「あいつらが敵で全部悪い!」という言論よりも地味になりがちだから、なかなか大きなムーブメントにできないだけなので、その「初動」をいかに乗り越えていくか?こそが大問題で。
「日本というヨリシロ」を利用して、世界中の「サイレントマジョリティ的良識派」が賛同してくれるような新しい倫理観を、次の時代のスタンダードとして旗を掲げていけるはずだし、やっていきたいなと私は思っているんですけど。
ただ、そのためにはどうしていけばいいんでしょうね?
橋本:その問いに対する答えになっているかわかりませんが、解決の糸口になるかもしれない話として、あのForbesの記事は23万ページビューを超えるほど読んでいただいたそうなんです。執筆時は「どうせ読むのは数少ない関係者や、記者、国会議員ぐらいだろう」と思って、いわゆる「一般向けにわかりやすく書く」ということを意識せず、かなり細かいディティールまで載せました。史実として正確で詳細な経緯を書き残したい、という気持ちもありましたし。
結果、倉本さんも含めて多くの著名な方々がSNSでシェアしてくださって、これだけ読まれ、かつ理解もしてくださる、ひょっとして思いがけずサイレントマジョリティに語り掛けられたのではないか、ということが純粋に嬉しかったです。
倉本:あの記事の広がり方は、今後の希望にとって大きなヒントになりそうですね。
今の世の中のありとあらゆる問題が、いわゆる「右派VS左派」的な文脈でオモチャにされがちですもんね。どんな身近で具体的な問題も、大して専門家とも言えないような人が、両極端な意見に引き寄せてしまって、「俺たちの仲間ならコレには賛成すべき」「この意見は敵側のものだから自分たちは反対すべき」みたいな単純化されたSNSの大喜利合戦に回収されてしまう。
そこで橋本さんのような「その分野の本当の専門家」が、党派性を離れて細部を解きほぐして、今どこをどうしていけばいいのか?を紐解いてくれたあの記事は、非常に新鮮に受け止められたんだと思います。
「政府批判」と「左翼叩き」のどっちにも吸収されてしまわない形の、「本当の専門家」が「今の日本の政策のどこがズレていて、軌道修正するための課題はどこにあるのか」を中立的に掘り下げてくれるような、そういう知見が、もっと引き上げられるようにならなきゃいけないと思うんです。
専門家の皆さんも「詳しく書いたってどうせ読まれないだろう」と絶望してしまう気持ちもわかりますが、ああやって強いメッセージ性も含めて出してくれたら、僕みたいなある種のゼネラリスト的な人間が「こういう風に紹介すればもっと多くの人に読んでもらえるかも」と受け取ってバトンを渡したい気持ちにもなるんですね。
僕以外では、例えば思想家の東浩紀さんとかも橋本さんの記事をX(twitter)でシェアされてましたよね。そういった幅広い分野にアンテナを張る層が「バケツリレーの二番目」みたいな役割を安定して、かつ意識的に果たせるようになっていけば、SNSの空気全体が変わっていくかもしれませんね。
橋本:私には、難民・移民政策ばかりを見てきていて「専門バカ」みたいなところがあるので、倉本さんみたいな方につなぎ目になっていただけるのは有難いです。
時には「怒ってみせる」ことの重要性
倉本:もう一つ、橋本さんのあの記事に関しては、「感情」をちゃんと乘せていたことも良かったのかもしれないと思いました。
それについてちょっと聞いてほしい話があるんです。
最近、明治神宮外苑の再開発問題に関して、TBSの『報道1930』に出演したんですね。共演したのは、「ガチガチの開発反対派の女性学者」と、「どちらかといえば反対寄りの中立派の自民党議員の男性」の方でした。
私自身は、その「反対派」の方が出している代案の良い部分も結構評価している立場で、ただその実行面において資金的な難しさがあるから、事業者側の事情を迎えに行ってすり合わせを行うべきだ、みたいなことを番組内では話していたんですね。
そうすると、その「バリバリの反対派の女性学者」さんは、「そんな“稚拙な議論”に終始していることが私は遺憾だ」と言って、本来公費で負担できる前例があるのにできていないのはおかしい、という主張をされたんですよ。
ただ、(細かい話はこのnote記事でまとめておいたので読んでいただくとして)単純に言うとその主張では全体のうちほんの一部分の資金問題しか解決できないというズレがあったんですね。
ともあれ、ここからが大事なところなんですが、番組が終わってから、その共演した自民党議員の方とメールのやりとりをしたところ、「稚拙な議論」という発言に対してすごく怒ってたんですよね。
僕は、そういう「反対派タイプ」の人がああいう言葉遣いをするのに慣れっこになってしまっていて(笑)、その議員さんの「怒り」に最初はピンとこなくてなだめるような返信を送ってしまったんですが、いや、でもここで「怒る」のって大事かもな?というように後から思ったんですよ。
「あんたらのビジョンに結構いい部分が含まれてると思ってるから、その実現方法を一緒に考えようとしてるのに、そんな態度だったら協力しようがないじゃないか!それで自分たちの内輪だけで延々と“本当はこうするべきなのに世の中おかしい”って言ってるだけじゃダメだろ?」
…というようなことをあえて怖い顔で言ったり「してみせる」ことも必要なのかも?とかちょっと思うようになりまして。
橋本さんのあの記事も、「感情」が乗っていたことこそが大事だったと思いますし、そういう「本来こうあるべきだろ?という怒り」みたいなものを、あえて見せていくことが必要になってくるんじゃないかと思います。
橋本:例のForbes記事を書いた時は、やっぱり入管法がそのまま通ってしまったことで救えたはずの命を救えなくなってしまったので、私は本当に怒り心頭でした。
ただそれから3カ月以上経つその間に、法案審議中は私とは明らかに立場が違った人権派弁護士の方々からも、「あの資料を見せてほしい」みたいなアプローチがあったりします。この業界はまだ日本ではすそ野も狭いですし、根本的に同じ方向性を向いている人達とは協力しなきゃな、とは思っています。
倉本:なるほど、「マス」向けの発信的には、役割として「怒ってみせる」的なコミュニケーションも必要ですが、それはそれとして、具体的な人間関係においては、立場や感情で歪められずに、誰に対しても根気よく働きかけを行っていく事が大事ということなのかな。
それに、僕も橋本さんも人間のタイプとして、その時はムカッとしても、そのうち「まあこういう人たちにも事情が…」とか思い始めて3日もすれば怒りを忘れちゃうところがありそうですね(笑)。
橋本:そうですよね。しかも意見や戦略が違う人達に対していつまでも怒っていても生産的でないので、私はすでに次の一手、二手を具体的に打ち始めています。
例えばですけど、9月上旬に与野党の国会議員がイギリス視察に行かれるというので、チョコチョコっと私が持つ小さなネットワークとつながせて頂いて、イギリスの(入管)上級審判所でもブリーフィングを受けていただきました。そのイギリスの審判所は、正に人権派が長年日本にも設置すべきと言っている「政府から独立した第三者機関」で、入管法の修正案にも「設置を検討する」って入ってたんです。ところが、廃案一択派は「検討なんて不十分。設置を確約しないなら修正案なんて意味がない」と言って、結局「第三者機関の設置検討」も含んだ修正案が丸ごと消滅しました。
現時点で日本には影も形もない機関を設置することを直ちに法律ベースで確約せよ、というのは非現実的で、諸外国が実際にどういう制度になっているのか視察したり勉強したりすることを通じて本気の検討を始めることこそ、ゴールに一歩一歩近づく近道です。しかも、議員が海外視察するなら、関係省庁は絶対に勉強しなければいけなくなりますしね。実際、視察後のバスの中では、視察に参加した与野党議員と法務省幹部の間で「あの仕組みを日本で導入するならどんな課題があるか」などの議論が始まったと伺っています。
ただ単に「今すぐ、こうすべきだ!」とデモ行進するだけでなく、実際に日本の政策決定者に学んで頂けるような仕掛けづくりを、チャンスがある度に地道に続けることも大事だと思います。
倉本:それはいいですね。特に「現時点で日本には影も形もない機関を設置することを直ちに法律ベースで確約せよ、というのは非現実的」という言葉がすごく刺さりました。しかも、そこを「設置の検討」という形にとりあえずぼやかして入れることですら「許されざる妥協」ということで拒否してしまい、結局最も保守的な案が通ってしまったのでは本末転倒ですよね。
何かを提案するにしても、現状の日本の制度とか、法律の仕組みから「どれほどのジャンプが必要なのか」を理解して、適切に細かく「登っていきやすい階段」を作ってあげるというのは大事なコミュニケーションの形だと思います。
これはこの連載でも取材して書いた内容なんですが、例えば日本の再エネにしても、「再エネに不利に見えるような制度は一切受け入れないし、それらはすべて東電などの古い電力会社の横暴だ」みたいな風潮が吹き荒れていた時は押し合いへし合いになってなかなか進みませんでしたし、供給の安定性も大分崩れてきてしまった。
しかし最近は、「安定性にも責任を持つプロ」の間でも再エネの導入は当然必要だというコンセンサスが出来上がり、一歩ずつ着実に実現していこうという機運になりつつあります。
「マス向けのコミュニケーション」において時々「怒ってみせる」みたいなことは大事ですが、一方でそういう地道な人間関係の中で変えていくためには、個人の小さな立場やメンツ、感情問題を抜きにして、安定して一枚一枚ドアをあけていくことが大事だということかもしれませんね。