CULTURE | 2020/08/18

任天堂の「さりげない多様性」の功罪。『あつまれ どうぶつの森』は誰を尊重していたのか

『あつまれ どうぶつの森』より

Jini
ゲームジャーナリスト
はてなブログ「ゲーマー日日新聞」やnote「ゲ...

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優しいが故に、ユーザーには伝わらない

ここまで話してきたとおり、『あつまれ どうぶつの森』はシリーズ最新作として色々なプレイヤーが、不安なく遊べるよう、極めて丁寧に設計されています。そして最新作では「あえて言葉にしない」ことによって、多様なプレイヤーの在り方をごく自然なものとして表現しました。

今、インターネットを中心に「正しさ」に対してバックラッシュが発生し、オルトライトと呼ばれる勢力が伸びていることからも、あえて言葉にしない、何かを押し付けない任天堂の姿勢は、合理的に多様性を含めた正しさの妥当なラインを探る上で適切なものだと思います。一方で、言葉にしなかったり、システムに組み込まなかったことで、その意図がどこまで伝わったか疑わしくもあります。

その最たる問題が、「住人市場」です。

『あつまれ どうぶつの森』には多種多様な住人が存在しますが、当然あるサイトやSNSでは美醜によって「かっこいい」「かわいい」と絶賛される住人もいれば、「ブス」など「ネタ枠」として公然と扱われる住人も存在するわけです。

その上、このゲームではプレイヤーの任意で自分の島に住人を招致できません。これは先述したとおり彼・彼女らが個人として尊重されているからなのですが、そのために「かわいい」住人を他プレイヤーからゲーム内アイテムや、果ては現金と交換する文化(私はこれを「住人市場」として記事に書いたのですが)が存在するわけです。住人によっては現金にして5000円、さらにメルカリで転売されたamiiboカードは数万円にも上ります。もちろん、任天堂は他のオンラインゲームと同様に現実の通貨・ポイントなどを用いてゲーム内アイテムを売買する「RMT」行為を禁止してはいます。

このように、美醜によって住人をランク付けしたり、“高級な”住人を売買することが、元々「コミュニケーションゲーム」として作られた『どうぶつの森』をスポイルしているように私は感じました。もちろん、遊び方は人それぞれであるべきで、そうした自由を尊重したからこその「言葉にしない多様性」もあるでしょう。さりとて、ゲームの外に価値基準が作られ、ゲームが本来描いた理想と乖離し、さらに無法地帯同然の「住人市場」では詐欺等のトラブルが存在し、普段ゲームを遊ばない層がそこに巻き込まれるリスクもあることを考えると、『どうぶつの森』で描かれるユートピアと対象的な現実が浮かび上がってきます。

メルカリ上では、人気キャラクターのamiiboカードが高額で取り引きされている

『あつまれ どうぶつの森』はメッセージやシステムを駆使して、住人を含めたすべてのプレイヤーがコミュニケーションを通してお互いが尊重し、認め合うべきであるというテーマがあります。ただそのテーマが全てのプレイヤーに伝わっているかといえば、そうではありません。むしろ「所詮はゲーム」として、相手が住人でも人間でも都合よく搾取する遊び方が、全員でないにしろ許容されている現状があります。

さらにそうした現状を招いているのは、続編が何作もリリースされるうちに、とても遊びきれない程のボリュームまで膨らんだこともあると思います。すべてのアイテムを集めたり、理想の村を作ろうとすれば、そこらのゲームなど比にならない時間や手間がかかります。加えて今作導入された「タヌキマイレージ」や、「島クリエイター」導入までの実質的なチュートリアルは、ゲームシステムをわかりやすくする一方で画一的な遊び方を押し付ける面もありました。

『あつまれ どうぶつの森』は春、夏の大型アップデートを経て、元々十分満足できる量だったボリュームがさらに増しました。任天堂のあくなきクリエイティブ精神には感服する一方、個人的には、改めて『どうぶつの森』の原点にある「コミュニケーションゲーム」という点に立ち返って、より自由で、かつ緩やかに楽しむための導線も工夫してもらえると、よりゲームとして他の可能性が拓けるのではないかと期待しています。


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