「せっかくですから、なりたい自分に なっちゃう感じで」に震えた
『あつまれ どうぶつの森』より
本作のプレイヤーキャラクターの外見を決める一番最初の段階で「まめきち&つぶきち」というキャラクターにこう言われた時、私はこのゲームはなんてプレイヤーの性を尊重しているのだろうか、と震えました。
自分が操作するキャラクターの性を選べること自体、ゲームでは珍しくありません。多くのゲームで自分の分身となるキャラクターを作るというイニシエーションが挿入されます。その時、大抵のプレイヤーは何を考えてキャラクターを作るのでしょうか。おそらくは自然と、自分と同じような外見、皮膚、性で作るはずです。
ところが、中には男性プレイヤーであっても女性のキャラクターを作る人もいます。逆に、女性プレイヤーが男性キャラクターを作ることも。理由はさまざまだと思いますが、せっかくゲームなのだから普段と違った自分になりきりたいとか、本当はこういう身体でありたいといった願望があるのではないでしょうか。それでも特に男性が女性キャラクターを作ると「ネカマ」などと誹謗中傷されることもあり、果たして現実の自分と違う姿で作ってもいいのか、そういった疑問が少なからずあったはずです。
それに対して、任天堂は「せっかくですから、なりたい自分に なっちゃう感じで」と答えたのです。別に自分と同じ姿でなくてもいいし、無理に違う姿になる必要もまたない。ただ「なりたい自分」になればいいと。この上なく的確なガイドだと私は思います。
髪型などの容姿だけでなく、性別も後から変更可能
実は昨今のゲームでは、特に欧米を中心に多様性に対する見直しが始まっています。中にはハリウッド映画のように、男性・白人以外の人間が活躍すべく、そういった主張を表立って表現する作品も目立つようになりました。もちろんこういった表現は大切ですし、私も評価する一方、あくまで現実逃避として緩やかなスローライフを送りたいと考える人は、そういった強い主張に少し圧倒されてしまうかもしれません。
だからこそ、任天堂はあえて特定の性や人種に対する主張をしないながらも、多様性の推進を後押しする「なりたい自分」という言葉を用いました。ゲームはまだエンタメとしての期待が強く、ゲーマーの中にはまだ政治的な表現に耐性がない人も多いからこそこの表現は絶妙であり、また何より頑なな主張よりも説得力があるように感じられます。
『あつまれ どうぶつの森』における多様性への尊重はここのみではありません。例えば着替えられる服装は全てユニセックスで、男性キャラクターでもドレスを着たり、女性キャラクターでもタキシードを着ることができます。ここもすごいのが、わざわざ「自分の性と違う服装をしよう」なんて無粋なガイダンスはなく、本当にただ当たり前のように売っているし、着れるのです。
前作までのシリーズでも、同様に「女装」「男装」をすること自体は可能でした。ただし「女装」「男装」をしようとすると仕立て屋のキャラクターに驚かれたり、困惑されるリアクションがあったのですが、今作からそういった演出はすべて削除されたのです。そもそも、女装や男装という言葉自体がとても曖昧。元々セーラー服は文字通りSailor、つまり海軍兵士の服装だったものです。それが、時代の経過と共に今のような女学生の制服として取り入れられていきました。セーラー服は女装どころか、歴史的にはむしろ男装なのです。
このように、他者の容姿や振る舞いに対する要求は、ごく短い歴史のうちに積み上げられてきたものであり、冒頭にもあるような「なりたい自分」になれない世界の方が、よほど違和感があるようにさえ思います。『あつまれ どうぶつの森』の素晴らしい点は、単に多様性をゲームシステムの中に取り入れるのではなくて、それを世界観のなかでごく当たり前の、普遍的なものとして受け入れているということなのです。