ヴェネチア国際映画祭の公式サイトより
イタリアで開催される第77回ヴェネチア国際映画祭の最高賞を競うコンペ作品として、日本から黒沢清監督の『スパイの妻』(20)が選出された。蒼井優と高橋一生が共演するこの作品は、太平洋戦争開戦前の1940年が舞台。国家機密を偶然知ったことに葛藤する男性と、その妻の姿が描かれてゆくという内容だ。そもそも『スパイの妻』は、高精細の8Kスーパーハイビジョンで撮影されることを前提としたNHK制作のドラマで、6月にNHK-BS8Kにて先行放送されている。その点で、映画館での興行を主軸においた<映画>ではなく、テレビ作品として制作された作品がコンペ作品に選出された点は特筆に値する。
本連載で度々指摘してきたように、映画館での鑑賞ではなく、インターネット上のストリーミング配信での視聴を目的として製作されたNetflix作品『ROMA/ローマ』(18)が、前例のない最高賞に輝いたのは、2年前の第75回ヴェネチア国際映画祭でのことだった。映画館での興行を意図しない配信作品を<映画>と認めず、映画祭のラインナップから排除してきたフランスのカンヌ国際映画祭とは対照的に、配信作品も<映画>であると積極的に評価してきたヴェネチア国際映画祭。世界で最も権威があるとされるカンヌと、現存する最古の映画祭であるヴェネチアとの確執は、単なる映画史観ではなく、国家間におけるイデオロギーの対立でもあることも本連載では指摘してきた。
しかし、世界的なコロナ禍によって、<映画>のあり方は劇的な変化を遂げようとしている。映画の歴史は今年で125年を迎えるが、2020年はその歴史の中でも「分岐点、あるいは、端境期だった」と後の研究者・評者たちが指摘する年となるであろうことに疑いはない。そのくらい、<映画>の大きな変化の渦中に我々はいるのだ。その大きな変化のひとつが、<映画祭>のあり方だ。5月12日から開催予定だった第73回カンヌ国際映画祭は、コロナ禍において「従来の形式では開催が困難」だとして単独開催が断念された。人が集う場である<映画祭>は、感染拡大を招く恐れがあるからだ。連載第22回目では、「なぜ「映画祭はオンラインで完結すればいい」では困るのか」と題して、<映画祭>の現状と今後の展望を考えてゆく。
松崎健夫
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映画評論家 東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『japanぐる〜ヴ』(BS朝日)、『ぷらすと』(アクトビラ)、『ZIP!』(日本テレビ)、『松崎健夫の映画耳』(JFN PARK)、『高橋みなみの「これから、何する?」』『佐藤二朗のいい部屋ジロー』(TOKYO FM)などのテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演。『キネマ旬報』、『ELLE』、『SFマガジン』『DVD&動画配信でーた』『PlusParavi』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。キネマ旬報ベスト・テン選考委員、ELLEシネマアワード審査員、田辺弁慶映画祭審査員、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門審査員などを務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。日本映画ペンクラブ会員。
カンヌを中止に追い込んだ五月革命
カンヌ国際映画祭公式サイトより
カンヌ国際映画祭が中止になったのは、今回が初めてではない。1968年に起こった五月革命の余波を受け、運動に賛同した映画人たちの要請で中止に追い込まれたという前例があるからだ。だが、これはフランスだけで起こった“映画祭の中止”という事件であり、コロナ禍によって世界中の映画祭が影響を受けている現状とは状況が異なる。当初は映画祭側から「6月末からの開催延期」というアナウンスがあったのだが、マクロン大統領が新型コロナウィルス対策として7月半ばまでの大きなイベントの禁止を発表したため、カンヌは正式に中止することに至ったという経緯がある。
その代替として、カンヌ国際映画祭は「Official Selection 2020」として、カンヌの“お墨付き”という称号を56本の作品に与えることとなった。その中には河瀬直美監督の『朝が来る』(20)や宮崎吾朗監督の『アーヤと魔女』(20)、深田晃司監督の『本気のしるし』(19)など、日本の作品も選ばれている。物理的な映画祭は開催しない代わりに、約2000本の応募作の中からカンヌが選んだ作品を発表し、“お墨付き”を映画興行・宣伝などプロモーションに役立てて欲しいというわけだ。
興味深いのは、『本気のしるし』が名古屋テレビで放送されたテレビドラマを再編集した作品であり、『アーヤと魔女』がNHKで放送予定のアニメーションであるという点。インターネット上でのストリーミング配信を意図した作品ではないとはいえ、映画館での興行を意図しない作品ながら「優れた作品」という視点で選んでいるのだ。勿論、コロナ禍の影響も関係した特例なのであろうが、これまでのカンヌの頑なな姿勢を考慮すれば、これは変化の一歩であるようにも感じさせる。ただ、カンヌ国際映画祭のプログラミングディレクターであるティエリー・フレモーが「カンヌのためではなく、業界を支えるための策」と発言していることから、これが今後の主流になるのではなく暫定的なものであることも窺わせる。
一方で、物理的な映画祭の開催は行わないものの、オンラインで開催するという映画祭もある。5月末には、カンヌ、ヴェネチア、ベルリン、東京など世界21の映画祭が参加したデジタル映画祭「WE ARE ONE:A GLOBAL FILM FESTIVAL」が10日間開催され、各映画祭の選んだ作品をYouTubeで公開。35カ国以上の映画がオンラインで鑑賞できるだけでなく、映画人たちのトークも配信されるなど、“インターネット上の映画祭”という試みが行われた。また、トロント国際映画祭や北京国際映画祭など、オンラインと映画館での同時開催を決めた映画祭もある。
さらに、冬季に開催されていた、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は、今年で30回を迎えることを機に夏季開催となるはずだった。こちらも感染拡大の影響で一時開催が危ぶまれていたのだが、9月18日よりHuluでの無料配信が決定。期間中はコンペ作品のほか、様々な企画が配信されるという。このような経緯から、「映画祭はストリーミングでいいのではないか?」という意見も散見される。とても残念に思うのは「そもそも映画祭なんて映画利権にたかる人たちの集会でしかない」あるいは「映画祭の必要性がないことが証明された」という類の乱暴な意見まで噴出していることだ。