文:神保勇揮
日々進化する技術、「どうやって構築・運用・保守されているのか」の網羅的な把握が非常に困難
村井純氏(慶應義塾大学 教授)
一般社団法人高度ITアーキテクト育成協議会(AITAC)は、7月20日に「AITAC 高度ITデジタル アーキテクト育成サミット2021」を開催した。
ITシステムやサービス、通信技術が日進月歩の進化を遂げ、低コストでやれることがどんどんと増えてくる一方、システムの複雑化や数そのものの増加に伴い「それがどうやって構築・運用・保守されているのか」という裏側も含めて網羅的に理解することは非常に難しくなってきている。
そうした中、日本のIT人材を取り巻く状況は非常に厳しい。
スイスの国際経営開発研究所(IMD)による 「世界デジタル競争力ランキング2020」 の『IT人材需給に関する調査』では日本は63カ国中62位と、デジタル・技術スキルに対する評価は低迷している。また、デジタル庁の創設など政府主導によるDXが進められる一方、IT人材の不足は深刻化しており、2030年までに45万人が不足するという試算も存在する。
こうした状況下で日本のDXを進めるためには、データサインティストやサイバーセキュリティスペシャリスト、エンジニアといった高度IT人材の教育環境の整備が急務だ。その目標を達成すべく企業の枠を超え、大学や研究機関とも連携し2017年に誕生したのがAITACだ。
今回のイベントでは、
・「日本のインターネットの父」こと村井純氏(慶應義塾大学 教授)による基調講演「高度ITアーキテクト人材がつくる日本のDXの未来」
・村井氏および同氏から新理事長のバトンを受け取った中村修氏(慶應義塾大学 教授)、山下達也氏(NTTコミュニケーションズ)、高澤信宏氏(ヤフー)、河野美也氏(シスコシステムズ)らによるパネルディスカッション「企業が本当に欲しい高度ITアーキテクト人材とその価値とは?」
・AITACカリキュラム委員長を務める関谷勇司氏(東京大学大学院 教授)と演習のTA(ティーチング・アシスタント)を担当する大学院生2名が視聴者からの質問にも答えながら講座の魅力を解説する「AITAC が提供する“最強のe-Learning”の全貌」
の3プログラムおよび、協賛企業によるプレゼンテーションが行われた。
大手企業の「欲しい人材像」はどこも同じ。ではどうやって育てる?
パネルディスカッションの模様
村井純氏の基調講演「高度ITアーキテクト人材がつくる日本のDXの未来」では、今年9月1日のデジタル庁が発足やデジタル社会形成基本法が施行されることで日本のIT行政はどう変わるのか(この点は同氏が東洋経済オンラインに寄稿した「デジタル庁が担う「デジタル敗戦」からの抜本脱却」によりわかりやすく書かれている)、そして5G技術やそれ以降のNTN(非地上系ネットワーク)の整備によって今までインターネットがつながりにくかった海・空・宇宙でも自由な利用が可能になり、ますます「人類(日本人)がITでできること」が増える中で、より多くの高度かつ広範なITスキルを持つエンジニアの育成が急務であると訴えた。
またパネルディスカッション「企業が本当に欲しい高度ITアーキテクト人材とその価値とは?」の前半では、山下達也氏(NTTコミュニケーションズ)、高澤信宏氏(ヤフー)、河野美也氏(シスコシステムズ)がそれぞれ「企業が欲しいインフラ人材像」というテーマの発表を行った。
各社が考える「いま欲しい人材」は業務内容によって細かい差はあるが、理想を言えば概ね「End-to-Endのネットワークを全て把握する人(NTTコミュニケーションズ 山下氏)」という表現に集約される。一方、課題に感じていることとしては「自動化が進んでいるので中身を詳しく知らない人も増えており、問題が起こった後に対応できるかという不安」(ヤフー 高澤氏)、「最近の困りごとは『複雑化』と『クラウドと内部構造のブラックボックス化』」(シスコ 河野氏)といったように各社とも似通っているようだ。
写真左上が中村修氏(慶應義塾大学 教授)、右上が山下達也氏(NTTコミュニケーションズ)、左下が高澤信宏氏(ヤフー)、右下が河野美也氏(シスコシステムズ)
三者の発表を受けた村井氏が「今までエンジニアはひとつひとつの技術習得を積み上げてきたけれど、振り返ると『全部わかる人がいないよね』ということに気づいた」と発言したように、この場にいる全員の課題意識は共通している。プロの技術を活かせる大企業は存在するし、トップ人材が一同に介して知見を交換し議論を交わすInteropのようなカンファレンスも存在する。その上で各社のエンジニア教育と外部交流、多様な人材が業界内を渡り歩き全体のレベルアップを図るための転職事情などに話題は移っていった。
まずエンジニア教育について、NTTコミュニケーションズ 山下氏が「Interopで毎年開催しているShowNetは良い取り組み。参加するのはもちろん、2000年ごろからテストベッド(実際の使用環境に近い状態で実証実験を行うプラットフォーム)を社内で保有してきました。ただ維持には結構な費用がかかるため、意義を理解してもらうために会社と戦うことも結構多かったです」と語る。
また、ヤフー 高澤氏も「会社からラボ環境は提供してもらっていますが、山下さんがおっしゃるように維持はなかなか大変です。ただこれに加え、今日のお話をうかがっていて『実際のサービス環境に極めて近い、これがユーザーに提供されるんだぞという緊張感』を何らかのかたちで醸成しないと成長につながらないのではないかということも強く感じました」と同意する。
ShowNetとは1994年にInteropが日本で初めて開催された年から行われている取り組みで、毎年出展社から提供された1500台以上の製品・サービスと、約400名ものトップエンジニアたちが幕張メッセに集結し、ネットワークの設計、構築、運用を行い最新のライブインターネット環境を作り上げるほかに例を見ない巨大プロジェクトだ。今回のパネルディスカッションではこの取り組みの重要性を再確認し、かつ同時に産学連携も進めていくことの重要さも話題に上った。
また転職事情に関する議論では、IT業界に留まらない「優秀人材と給与の関係」の話題が中心となった。以下、その内容を少しお伝えする。
NTTコミュニケーションズ 山下氏「確かに転職者は非常に多いと感じますが、『会社が嫌になった』という理由ではなく、『ネットワークは十分学んだから違うステージに行きたい』『新サービスを作る側に回りたい』という理由であることも多いです。あとはより高い給与を求める若手も増えていますね。実際に日本企業でもメガベンチャーに行けば実現するので」
村井氏「給料の高さだけで良いエンジニアを本当に採用できるのかというと、やはり疑問があります。以前、IT立国で有名な台湾のオードリー・タンさんやイスラエルの方に聞いたのですが、やはり公務員のIT人材の給料は民間企業より低い。そこで別のインセンティブとして徴兵制のある国では免除制度があったりするそうです。日本の場合、これからデジタル庁という予算もユーザー数も桁違いの一大プロジェクトが始まるわけで、これに参加し大きく成長できる、キャリアの一つにできるというのは大きなインセンティブになるのではないかとも思います」
ヤフー 高澤氏「当社ではすでに巨大なサービスが動いており、失敗できない環境での仕事が多いです。試行錯誤できて面白いと思ってもらえる場はやはり用意しなければならないですね」
慶應大 中村氏「誰かがシステムを作り上げた後だと保守・改修が中心になるでしょうし、『緊張感を持ってエキサイティングな仕事に取り組む』という意味では、今のデジタル庁に参画するという選択は良さそうですね」
この議論に関しては、視聴者からも質問が寄せられた。「(日本人・日本企業のITエンジニア力を底上げするにしても)例えば会議システムならZoomやCisco Webexのように海外製品も多い。日本人としてどういうスタンスで開発に携わればいいのでしょうか?」という内容だ。
この質問に関しては、外資企業に勤めるシスコ 河野氏は「システムに国境はないし、あまり意識したこともありません。今なら地球のどこに居ても同じことができます。ただ一方でローカライゼーションは非常に重要です。日本ならではのシステム作りや地産地消の考え方は重視していきたいですね」と返答。
また村井氏も「同じ質問が私にもよく寄せられますが、河野さんの言う通りだと思います。テックジャイアントたちは本社こそアメリカや中国などにあっても実態はグローバル企業です。Googleなどでも結構面白いことやっているのは日本人だったりもする。なのでそこまで国単位で物事を考える必要は無いと思いますが、一方でヤフーやNTTはこれだけの規模がある会社なんですから、今後も世界に通用する面白いことをぜひやってほしいとも思っています」と語った。
すぐには消化しきれない大ボリュームと手厚いサポート。AITACが提供する「最強のe-Learning」
写真上がAITAC カリキュラム委員長を務める関谷勇司氏(東京大学大学院 教授)氏、中段が演習のTAを担当する椎葉瑠星氏(総合研究大学院大学 複合科学研究科 情報学専攻)、写真下が宮大地氏(東京工業大学 工学院情報通信系)
最後のプログラム「AITACが提供する“最強のe-Learning”の全貌」では関谷勇司氏(東京大学大学院 教授)と演習のTAを担当する椎葉瑠星氏(総合研究大学院大学 複合科学研究科 情報学専攻)と宮大地氏(東京工業大学 工学院情報通信系)が登壇。視聴者からの質問にも答えながら講座の魅力を解説した。
AITACは2020年夏、新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、一部のハードウェア演習も含めてオンラインで完結できるeラーニングプログラムを急ピッチで企画し提供を開始している。そのカリキュラム内容や特徴はAITAC公式サイトやFINDERSで去年掲載した関谷氏インタビューをぜひご覧いただきたいが、参加を検討する立場からすれば「実際どうなの?」というのは気になるところだろう。
まず、AITACの講座は主にどんな人が受講しているのか。これに関して関谷氏は「社会人2〜3年目ぐらいで、会社の雰囲気や自分の担当業務での技術は多少わかってきたけれど、技術全般でみるとわからないことも多かったりする。自分の担当外の技術はどうなっているかを俯瞰して勉強したい人にはかなり向いているはず」とする。
eラーニングプログラム「Step1」でのカリキュラムの一部
また「受講するにあたってどの程度の事前知識が必要か」という質問に対しては「1回聞いただけでは消化しきれない部分もたくさんあると思うので、時間をかけて勉強し経験を積んだ後にもう1回聞いてみると、初めて理解できることも多いはず。まずは気張らずに受講してもらい、どの部分がわからないのか、どこが面白いと感じるかを掴み取ってもらえればと思います」(関谷氏)と答えた。
AITACは九州大学にて試験的に講義も受け持っており、学生の教育にも力を入れていきたいとしている。そうしたつながりもある中で「知識ゼロで情報系の学部に入学したこともあり、ネットワーク技術の全容をある程度網羅的に知ることが、今後自分がどの分野を深堀りしていくかを決める際に役立つと思いました」(椎葉氏)、「基礎的な知識はある程度持っているつもりでしたが、研究室に新しく入ってくるD3・D4のメンバーにネットワーク技術をどう教えるのがベターかということを知りたくて受講しました」など、大学生・院生の受講者もいるという。またIT企業の人事部社員が「今の技術動向がどうなっており、どのような観点で技術者を評価すべきか知りたい」という目的で参加したケースもあるそうだ。
また、他のIT系セミナーと比べた際の魅力に関しては「講師の先生は企業や大学の最前線で活躍している方々。どんな質問にも答えてくれますし、TAも簡単なコマンド入力の方法からデバッグまでしっかり寄り添います。普通のセミナーよりもサポートは手厚いと感じました」(椎葉氏)、「受講者側がそれなりに詳しい分野であっても、講師の皆さんはスペシャリストなので自分が当該分野で悩んでいること、ベストプラクティスをどうすれば良いかということなども気軽に質問できます。ぜひ活用すべきです」(宮氏)というところがポイントだそうだ。
ハードウェア演習ではネットワークソフトウェアエミュレーターのGNS3とチャットツールのDiscordを併用し、自宅にいながらハードウェアの仕組みを理解しつつリアルタイムでTAに疑問点を質問できる環境を構築した
AITACのeラーニングは、動画による講義とオンラインによる演習のセットが5万5000円(税込・1年間利用可能)で受講でき、50本近くに上る動画が公開されている。また「DNSの基礎」、「ITインフラの構築と運用の自動化」など、無料視聴できる動画も何本かあるため、雰囲気を掴むためにまず観てみるのも良いだろう。
IT業界に限ったことではないが、自分の担当する業務外の知識を体系的に学ぶことは意外と難しい。まだ情報が揃いきっていない先端分野ならなおさらだ。「もう一度基礎から学びなおしたい」「さらなるスキルアップ、キャリアアップを目指すべく力をつけたい」という人は受講してみてはどうだろうか。