坂本龍一コンサートをインターネットで中継
UNIXが日本語化し、こうして日米間がインターネットでつながることで、解消しなければならない課題が次々に生まれることになる。たとえば漢字をどうやって表現するか、という問題だ。
インターネットで端末がつながり合う以上、理想はUnix、WindowsでもMacintoshでも、等しく同じ書体指定で近似のフォントが表示されることだ。ブラウザを開くたびに、いちいちフォントを選ぶ設定を行なわなければならない仕様では話にならない。しかしこれは、若干の書体の違いはあるものの、ほとんどの文字が正しく表現される仕様が実現した。
また、画像データや音声データについても同様だ。これらができるだけ環境を問わずスムーズに共有されるために、適した規格は何か。結果的には音声はM P3など、静止画像はJPEG、動画はMPEGといった圧縮形式がひとまず標準化され、今日に至ることになる。
なお、時代としては少し先の話になるが文脈上ふれておくと、僕はいち早くインターネット中継も手掛けている。1997年に坂本龍一さんが横浜アリーナで行なった「PLAYING THE ORCHESTRA 1997 “f”」というコンサートを、西麻布の「CYBERIA TOKYO」で中継したものだ。
このプロジェクトでは、NTTが持っていた32Mbpsの衛星データ回線をお借りした。衛星で映像とオーケストラの音声を通信し、ヤマハ製のMIDIピアノの信号だけを64KbpsのISDNで通信したのである。MIDIでは鍵盤やフットペダルをどのタイミングで、どのくらいの強さで弾くかという情報がデータ化され、ヤマハから搬入して頂いたMIDIグランド・ピアノを地下ホールに設置し、結果として「CYBERIA TOKYO」にもコンサートの臨場感をフルに伝えることができた。横浜アリーナからのコンサート中継で、西麻布インターネットカフェに「透明人間サカモト」登場と呼ばれた。
要するに、衛星とMIDIで受信したそれぞれのデータを会場で再構成した形だが、これも決して容易なチャレンジではなかった。いざコンサートが始まると、それぞれのデータがうまく同期せず、それぞれの伝送による遅延でばらばらになってしまったのだ。
これはそれぞれの技術のデータエンコード/デコードにかかる時間が違うために起きたトラブルだったが、現場で必死にMIDIの先に届いてしまう信号にディレイ・バッファによる遅延機能を用いてタイミングを調整するという苦労があった。最大8秒もの遅延を手作業で調整してくれたヤマハのエンジニアは、後にヤマハのCTOとなるのであった。
現在のレベルからすれば拙いネット中継であったかもしれないが、それでも革命的な第一歩であったと今では思っている。
(つづく)