CULTURE | 2021/06/07

大学を中退しアスキーに入社。そして、やってきた日本のインターネットの夜明け【連載】サム古川のインターネットの歴史教科書(2)

聞き手:米田智彦 構成:友清晢

古川享
1954年東京生まれ。麻布高校卒業後、和光大学人間関係学科中退。1979...

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1979年に見通した、パソコンとインターネットの未来

僕は『月刊アスキー』で副編集長のポストを拝命した。1979年11月号の誌面では、およそ次のような内容のコラムを寄稿している。

パソコンは今後、どんどん小型化していくことになる。そしてそこにインタラクティブなメディアが生まれ、新たなデバイスが次々に登場するだろう。それは物に対する人類の考え方を根本から変えるものであり、人間関係や働き方は大きく変化するはずだ。

――こうして40年以上経ってから振り返ってみても、決して間違ったことは言っていないことがおわかりいただけるだろう。もっとも、よせばいいのに上記の内容に加え、「そしてパソコンは情報を蓄積、共有するための道具となり、いずれその存在すら見えなくなるだろう。重要なことは、コンピュータの機能強化や小型化ではなく、コンピュータ・ネットワークにより人と人が有機的につながることだ。」などと書いたものだから、あちこちから「せっかく日本でパソコンがデビューした年なのに、余計なことを言うな」とお叱りを受けたものである。そのためか、この号はまったくと言っていいほど売れなかったのを覚えている。

ちなみにこの当時、アスキーでも300メートル間隔ほどで点在する3つのビルを、データ専用線で結ぶ試みを行なっていた。512kbpsというデータ転送レートで、毎月300万円ものコストを要したのだから隔世の感がある。

おまけに「あのね、サムさん。これはデータ専用線だから、音声を通すと法律違反になるから」などと言う。せっかくPBXという構内交換機をアメリカから取り寄せ、データ回線を通してオフィス間を内線番号による呼出/会話でつなげられるようにしていたのに、まったく意味をなさなかったわけだ。

ではどうすればいいのかと訊くと、「ちゃんと電話局の交換台を通して音声通話をしてほしい」と大真面目に言われる始末。これもいまとなっては笑い話である。

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