CULTURE | 2021/01/08

「トランプの陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く

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寛容は不寛容に対して不寛容になるべきか

ーー そのように理解を示そうとすると、リベラル側から「あいつらが言い放つ差別を容認するのか!」というような批判を受けてしまうことがあります。これについてはどう考えれば良いでしょうか?

渡辺:この問題は永遠の問いです。大江健三郎が師事した文学者・渡辺一夫も「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という有名な言葉を残しています。当時の日本の対外関係など特殊な政治状況もありましたが、渡辺一夫は不寛容に対しても寛容であることを選びました。不寛容に対して不寛容で対応してしまうと、相手と同じ土俵に乗ってしまうし、不寛容のスパイラルを増すだけだと。

「差別を絶対に許さない!」という気持ちはもちろん分かりますし、正しいけれども、では相手と全面戦争するのか、こちらも銃を持って爆弾を投げるのか。その先に建設的な未来はあるのか。

アメリカはこれまで、妥協することなく相手を否定し続け、2016年の大統領選で民主党候補のヒラリー・クリントンはトランプ支持者を「嘆かわしい人々」と斬り捨てました。リベラル派は「その通り!」と溜飲を下げましたが、トランプ支持者はこの上ない侮辱と感じました。「自分たちがエリートに見下されている」という世界観を強化してしまった。両者の感情的な断絶は、その後広がる一方です。それを繰り返したいのか、ということです。

ーー 身近にいる人がいつの間にか陰謀論や差別主義を志向するようになった時、どのように向き合うべきでしょうか?

渡辺:どのような思想であれ、いきなり相手のコアな部分をわかり合うというのは、なかなか難しいことです。そこだけに着目すると、理解不可能な、全く違う「他者」に記号化してしまいます。

しかし、その手前に「あの映画面白かったよね」「ここの道混んでるね」というような、似たような感覚を持ち得る接点はあると思います。差異だけではなく共通点に注目して、まずは同じ人間、ないし同じ国民なのだという前提を共有することが重要なのではないでしょうか。外交でもいきなり政策の相違点だけを議論していったら瞬時に決裂してしまいます。コミュニケーションにおいても同様です。

寛容とは、相手の主張を何もかも認めるということでありません。自分の譲れない一線を守りつつ、それでも相手との対話を切らずに繋ぎ止めるという姿勢なのだと思います。

ーー 自分が100%正しいという偏狭な考え方に陥らず、他者には共感と寛容をもって接する、とうことですね。

渡辺:言葉にすると月並みですが、そういった度量の広い、本来的な意味でのリベラルでありたいなと思います。


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