彼の視線は、いつもすこし、先にある。
小林弘人。みんなは彼を「こばへん」と呼ぶ。その名は、彼の出自が「編集長」であることに由来する。Windows 95よりも先駆けた1994年に雑誌『WIRED』日本版の創刊編集長を務め、Windows 98と同期となる1998年には株式会社インフォバーンを設立。その後、彼はブログ、Podcast、Webメディア、Webソリューション、コンテンツマーケティング、3Dプリントなど、デジタルの世界で起きる森羅万象を先駆けて見つめ、サービスを立ち上げてきた。
監修・解説を務めたNHK出版のベストセラー書籍『フリー』『シェア』『パブリック』の3部作に示唆を受けた人も多いことだろう。可能性だけを目一杯に詰めながら、加速的かつ不安定に成長し続けたWeb空間に、彼はいつもビジネスの種を見出し、育んできた。
今、彼の熱い視線を集める分野がブロックチェーンのその先だ。企業内起業家を支援するビジネス・ハブとして「Unchained」を立ち上げ、主宰する。同プロジェクトでは、企業や自治体に向けてブロックチェーン技術活用を講習し、デザインシンキングによるアイディエーションも行っている。日本では「仮想通貨」の名の下に、世間を賑わせたニュースとイメージが綯い交ぜになりがちだが、小林曰く「ブロックチェーンはデジタル上における新しい価値交換の始まり。それに伴う分散型プロトコルやDAppS(分散型アプリ)、また自己主権型のデジタルIDなど、ブロックチェーンを包含する分散型Webの波は、従来の中央集権的なWebを超えて、2020年代以降の私たちの思考や働き方を大きく変えていく可能性を秘めている」という。
なぜ、彼はブロックチェーンを見つめるのか。時代の先を捉え続けてきた小林弘人が語る思考の片鱗を、今回から前中後編に分けてお届けする。未来は、この言葉の先に接合する。
聞き手:米田智彦・神保勇揮・長谷川賢人 文・構成:長谷川賢人 写真:KOBA
サトシ・ナカモトはDJ。ブロックチェーンが包含する技術・思想はネットのなかった過去に遡る
ブロックチェーン自体に使われてるテクノロジーの源流は第二次世界大戦の暗号機「エニグマ」の解読まで遡り、その後にビットコインでも用いられているSHA256などのハッシュ(NSA=アメリカ国家安全保障局が公開)、ハッカーたちによる暗号技術の民主化に負うところが大きい。そこがブロックチェーンの面白いところです。
特に公開鍵暗号は、僕も1997年にPGPというソフトウェアを使って、夢中になりました。公開鍵暗号を数百年に一度の発明と呼ぶ人もいます。現代においては、個人が昔のスーパーコンピュータ並の計算能力を有するスマホを所有しているわけですから、暗号化したまま複数台で計算できるなど、さらなる進化が期待されています。
また、PoWやマークルツリーなど、ビットコインが内包するアイデアは既出のものです。ビットコインの発案者であるサトシ・ナカモトと名乗る何者かはさまざまなアイデアをミックスして、新しいやり方と価値を提案したことにあります。つまり、技術史を縦横しつつ、サイファー(暗号)パンクといった思想的な流れともシンクロしながら、ビジョンとテクノロジーを接合しました。ある意味DJのようです。企業が発明した技術的ブレイクスルーというわけでもなく、研究所の知財としてでもなく、先人たちの知恵をリミックスした。しかも、オープンに。さらに本人はいまだに匿名であり、それが僕はすごくロマンチックだと思っています。マイニングで一攫千金を目論む人間の欲望を、利他的にも働く仕組みに変換してしまった。マルクスもびっくりでしょうね(笑)。
もうひとつユニークな点は、ブロックチェーンの存立はエンジニアリングだけで完結しない点ですね。ブロックチェーンを勉強すればするほど、実は過去のさまざまな英知に遡っていかなければならない。この業界に身を置く人ほど、積極的にガバナンスや貨幣論やゲーム理論などを掘り下げて学ぶ必要に迫られているのではないでしょうか。構築されたブロックチェーンの合意形成をどうするのか。あるいは、発行するトークンの価値をどうつくるのか、またそれをインセンティブに人はどう動くのか? ボラティリティの高さをどう抑制するのかなど、システムを実装したらお終いではありません。
日本の若い起業家がブロックチェーンを使って、欧州で「腐るお金」を作ろうとしています。その彼がゲゼルというドイツの経済学者の話をしてくれました。ゲゼルはブロックチェーンがない時代に価値が減っていく「腐るお金」を提唱し、実際に採用された事例もあります。今なら発行するトークンそのものに使用用途の限定や期限を設けることが可能ですが、ゲゼルの例以外にもブロックチェーン前史の、正史から退けられたアイデアや思想が再び注目を集めています。
何より、ブロックチェーンは応用範囲が多岐にわたります。たとえば、ソーラーパネルで採光し、生まれた過剰電力の売電の自動化にも活用されています。今後普及が進むであろうスマートメーターとの相性は抜群でしょうね。自律的に稼働するドローンやAIカーの自動給電や保険などとも相性が良いでしょう。たとえば、悪天候が続いたら自動的に保険金が降りるようなインシュアテックなど。無論、社会課題解決での活用やサプライチェーンのロジスティクスなども含めて、事例を列挙すればキリがありません。
個人的には、自己主権型のデジタルIDについて関心があります。これは個人情報をすべてユーザー自身が管理するIDを指します。情報の中身はハッシュ(暗号)化してしまい、どこか一箇所ではなく、ブロックチェーン上に置く。例えば、ゼロ知識証明のような暗号技術を用いることで、中身を抜かれることなく、あなたが誰なのか証明することが可能です。GAFAのようなプラットフォーム資本主義への対抗手段でもあり、毎回、若くない僕がビールを買う都度に「20歳以上ですか?」と聞いてくるような間抜けな仕組みは無くなるべきだと思います。即ち、顧客情報を扱わずに暗号化されたまま自分のIDを立証できる環境が期待できます。
ただ、ここで大事なのは、ブロックチェーンは、あくまでプロトコルの話だということです。今、インターネットにおいてTCP/IPが話題にのぼることはないですよね(笑)。上下水道の発明によって、どのような都市を作り上げるのか、ということです。それは上のレイヤーだったり、フロントエンドでの使い勝手や体験のデザインも大切になってきます。また、今は数多くの規格が異なるプロトコルが存在しているので、その相互運用性も課題になっています。
ところが、一般的なビジネスパーソンの意識としては「仮想通貨」の投機的な一面や、ICOによる資金調達といった面に留まっている。さまざまな領域の専門家によって議論されるべき点は山積しているるわけですが、暗号通貨が切り拓いた地平とその先にある可能性まで思いを馳せる人はまだ大企業や自治体に多くはいません。
「情報は自由になりたがっている」の現代バージョンは、「お金は自由になりたがっている」!?
たしかに投機対象として見れば、ガンダムのモビルスーツみたいに多くの暗号通貨があり、それぞれ特徴も異なるため、オタク的な心をくすぐると思います。しかしながら、多くのオルトコインは余剰なビットコインによって投資されていたり、イーサリアムのERC20を用いて発行されているため、基軸通貨はビットコインかイーサだったりしますよね。また、東証マザーズ創設時もそうでしたが、巨額が動くためテック界隈とは異なる勢力の存在など、リスキーな側面をもちます。日本での資金調達方法が問題視されているものも中にはあります。概要やきらびやかなスペックを鵜呑みにせず、自身や信頼できるコミュニティから情報収集する努力が肝心です。
ブロックチェーンと括られるものは複数の種類があり、最近は量子コンピュータ耐性を持つものも出てきており、中には鎖状に繋がるブロックをもたず、サトシ・ナカモトが提唱したアイデアとは完全に異なる概念のものもあります。それをブロックチェーンと呼ぶかはともかく、ブロックチェーンのバリエーションとして括られることが少なくありません。そして、各種チェーンは、さまざまな合意形成の方法論を提示しています。
また、パブリック型のほかにもコンソーシアム型やプライベート型などがあり、パブリック型以外はブロックチェーンじゃないという意見もあれば、コンソーシアム型しか見ていない人にとっては、同じ「ブロックチェーン」という言葉を使っていても、価値観が異なるなど一筋縄ではいきません。そんなところも理解の障壁になっているのかもしれませんね。しかしながら、あらゆる分野の基盤のひとつとなる可能性と社会実装の必然性は何一つ変わっていません。
また、よくある誤解としては、「頻繁に仮想通貨のハッキング被害が報じられていますが、そもそも大丈夫なのでしょうか?」と心配される方がいらっしゃいます。ただこれまでのケースはビットコインそのものがハックされたわけではなく、取り扱う取引所がハックされたわけですね。いわば、引きおろすためのATMの何台かに脆弱性があり、そもそもの攻撃対象となり得るメインネットのデータベースは分散しているため、襲撃者にとってはATM以外はどこを襲っていいのかわからない。仮にメインネットのノードをハックできたとしても、データベースそのものも改ざんできない設計となっています。ハックされた直後でもメインネットは稼働しているわけです。さらに言えば、XXX銀行といった主体があるわけではなく、組織や個人によって運営・管理されているわけでもありません。地球規模の停電か未曾有の大災害が起こらない限り、理論的には止まらないとされています。
それは、これまでの法定通貨のみが通貨であるといった価値観を揺るがす存在であり、好むと好まざるにかかわらず、今起きていることはデジタルマネーのロングテール化なのです。今後、法定通貨の多くがデジタル化してしまえば、このロングテールは国家が発行するものと、オープンソースのものなどが入り乱れてテールを延ばしていくに違いありません。現在は多くの暗号通貨はボラティリティが高すぎて通貨として捉えるには問題がありますが、通貨発行の民主化は止まらないと思います。
それは貨幣とはなにか? 国家とは何か?といった問いに繋がるでしょう。暗号通貨が国境をまたぎ始めたいま、超国家的な通貨や、はたまたローカルな通貨、あるいは特定コミュニティでしか流通しない通貨も登場するでしょう。それらは、国が発行する通貨以外はすべて怪しいとする価値観を揺るがすでしょう。国によっては、国が発行していても誰からの信用も得られない通貨もありますけど(笑)。
ユーロの場合、その出現の前に準備通貨として存在していたECUがありますが、その実装に携わったベルギーの学者ベルナルド・リエターは、ブロックチェーン以前より、法定通貨ではないコミュニティ通貨の必要性を訴えていました。彼は現在、イスラエルにあるECUのようなバスケット通貨の暗号通貨版とも呼べるバンコールの会長を務めています。彼のような経済学者が超国家的な暗号通貨に可能性を感じていることは明白です。
かつて、インターネットが登場した頃、「情報は自由になりたがっている」という言葉がありました。今では「お金は自由になりたがっている」と言っていいでしょう。すでに、国家とお金を切り離して語ったり、あるいは法人だけじゃなく、個人にも投資が集まる時代が到来しつつあると思います。
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