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LIFE STYLE | 2020/05/05

京都・丹後が誇る国内ナンバーワン絹織物「丹後ちりめん」が、「TANGO OPEN」として世界に船出! プロジェクトの全容とは?

1720年に誕生し、約300年もの歴史を持つ京都・丹後の絹織物「丹後ちりめん」。
一般的には着物の高級生地として広く知...

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丹後織物が持つ深い歴史

―― プロジェクト始動にあたって、丹後の織物のシンボルとしてまずはブランドロゴを作る流れがあり、玉田さん、佐藤さんの幅広い人脈の中で北川さんを起用した経緯は?

玉田:100年経っても残るようなストーリー性のあるデザインを北川さんは得意としています。丹後は歴史のある場所だけに、丹後の伝統や歴史を深掘りできる方として、歴史に造形が深い北川さんが適任だと考えました。

佐藤:北川さんのデザインに対する考え方は普通のグラフィックデザインとは異なり、歴史や背景をじっくり掘り下げてデザインが意味するものを表現するスタイルで、ほかとは一線を画すと感じました。

たとえば北川さんが手がけた400年の歴史がある酒蔵の日本酒のデザインにしても、その背景やストーリーをしっかり学んでいるからこそできたすばらしいものです。一成さんの本棚には、江戸時代などの歴史的な文献がたくさんあって、そういうところにもデザインの引き出しがたくさん詰まっているのだと感じました。

「TANGO OPEN」プロジェクトのブランディングを手がける、株式会社 テーブルビート代表取締役の佐藤としひろ氏。

―― 北川さんは、このプロジェクトの話を受けてまず感じたことは?

北川:言葉は意味を表すものですが、丹後の織物の中でも、表面がでこぼこしている生地を「ちりめん」と言うわけです。でも、玉田さんが仰るように丹後の織物は実に多様で、ちりめんではないものも「丹後ちりめん」と呼ばれてひと括りにされていると感じました。

デザインはある種、整理整頓しながら意味をつなげていく仕事です。「丹後ちりめん」は現在、いろんな織り方をはじめ、革や螺鈿といった素材が加わり、さまざまなバリエーションがあって、まずはそれらをひとつに括るための整理が必要でした。それからもうひとつ、「ちりめん」ではないものも含めた総称を表す言語も必要だと考えました。

日本海側に面する丹後半島は、古くから絹織物の産地として、国内でもトップ3の貿易拠点でした。個人的にはナンバー1だったのではないかと思うほど、栄えた場所だったはずです。

北川:朝鮮半島やユーラシア大陸から日本に向かって来た時に、海の向こう側に太陽が昇るところが、ちょうど日本なんです。日が出ずる場所ということで、丹後の地名にある「丹」が付けられたのではないかとも言われていますよね。

絹織物で栄えた歴史を持つ、丹後地方の魅力

―― 丹後地方は京都から特急で2時間程のエリアです。丹後織物の産地を主軸として観光客を誘致するビジョンもあるのですか?

玉田:日本三景の天橋立が有名で、食べ物もおいしく、もともと丹後は風光明媚なリゾート地として京都の洛中の人たちの憧れの場所でした。そこに元伊勢と言われている籠神社や、聖徳太子のお母さんが戦乱から逃れたと言われる「間人(たいざ)」のほか、伊根の舟屋も観光スポットとして注目されています。

全盛期の丹後は、自力で鉄道や水道を引けるほど潤っていて、花街もにぎやかだったそうです。今は織物だけですが、今後は旅館や観光地などの丹後の上質なものにも、このロゴが紐付いて丹後全体のブランディングに繋がればいいなと思っています。

「TANGO OPEN」プロジェクトのロゴデザインを手がけた、GRAPH代表取締役、ヘッドデザイナーの北川一成氏。

北川:「丹後」の「丹」はそもそも元旦の「旦」でした。漢字は中国で発明されて日本に入ってきたものですが、当て字が使われることが多かった。たとえば「丹頂鶴」の「丹」は赤い色のことを指しますが、昔の古文書を見ると元旦の「旦」になっています。字の形として見ても、「日」の下に横線を引いて水平線で太陽が昇ることを「旦」で表していますよね。

かつて奈良から京都に都が移って、シルクロードを通じて絹織物の技術が丹後に伝わるわけですが、興盛を迎えて潤っていた当時の源流が感じられます。

今でこそ日本人はあまり着物を着なくなってしまったけど、僕としては「丹後ちりめん」のルーツやルートを遡り、今だけを表すシンボルマークではなく、源流をたどったルーツと、どんな工程を経て今に至ったかを表したいと考えました。そして今が完成形ではなく、ここからまた変化していくことを想定しています。

丹後の絹織物をグローバルに発信するための「TANGO OPEN」のシンボルマーク

―― 「TANGO OPEN」のシンボルマークに歴史や文脈といったすべてが込められているわけですね。そのほか、ロゴについてのテクニカルな工夫についても教えてください。

北川:シンボルマークは場合によっては100年単位の長い間使われるものだからこそ、1年後には別物に見えるものであってはいけません。

ロゴをよく見ていただくとわかりますが、「TANGO OPEN」のロゴは、「TAN」「GO」「OPEN」というふうに微妙に間を空けています。

「TANGO」と読ませながらも、よく見ると「GO OPEN」にも見えますよね。「GO」は「行く」という意味だから、広がっていく印象です。でも、このロゴには双方向に広がる意味が隠されているんです。ただし間を空けすぎて「TAN」が単独で目立っても、「ひっぱたく」といったあまりいい意味ではなくなるので、あえて空けすぎず詰めすぎず調整しました。

―― 確かによく見ると「TAN」と「GO」の間が気持ち空いていますね。これから先の100年を見据えた、グローバルでも通じるロゴデザインだと感じました。

北川:僕はグローバルコミュニケーションに興味があって、日本人にしか伝わるものではなく、英語圏や違う文化圏の人にも洒落や意味が伝わったら面白いなと考えました。

みんな丹後の地域にめちゃくちゃ愛着があって当然ながら、誇りもある。それでもあえて英語表記にしたのは、日本人でも丹後がどこにあるか、一般的にはあまり知られていないと思ったからです。

ましてや世界に広げるべきクオリティのものだから、下に「TANGO KYOTO JAPAN」と記すことで、自分たちが誇りに思う丹後が海外の人により認知されやすくなると考えました。

玉田:「TANGO OPEN」の左側の図形にもちゃんと意味があるんですよね。

北川:四角の右の横線をあえて斜めにし、日の出をはじめ、「元旦」のように一旦ゼロからリセットする時のhtmlのコードでいうスラッシュを表しました。改めてゼロから1にしていこうという意味が込められています。

アート思考はゼロから1を創る仕事です。丹後の織物は唯一無二でアーティスティック。つまり、ゼロを1にする世界なので、意味づけされると認知されやすいと思いました。

玉田:一番左のロゴの形は生地にも見えますよね。将来的には文字を入れずにマークだけで「TANGO OPEN」が認知されるといいなと思っています。

―― 北川さんはロゴ以外のブランディングやデザイン領域については今後どのように関わるのでしょうか?

佐藤:デザインを要するものはいろいろあって、世界に発信するにあたり、まずはブランド全般の象徴が必要でした。今はまだ「TANGO OPEN」を世に広めている段階なので、プレゼン的なものが先行していますが、今後の商品開発や戦略についてもお力添えいただきたいと考えています。

玉田:具体的には、ブランドの冊子や名刺、それから海外でプレゼンするためのパンフレット、商品に付けるタグや織りネームなどを北川さんに監修していただいています。

佐藤:北川さんは知的財産や商標についても明るく、助言をいただき海外数十カ国で商標を取っています。今後、世界に向けて丹後の織物を広めていくために、海外でも使えるよう準備しているところです。

後半に続く。後半では丹後の織物の魅力や「TANGO OPEN」プロジェクトに込められた思いやビジョンについて詳しくお話を伺います。

TANGO OPEN


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