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LIFE STYLE | 2020/05/06

日本発、京都・丹後が誇る国内ナンバーワン絹織物「丹後ちりめん」が、「TANGO OPEN」として始動!世界に発信するために今できること

「丹後ちりめん」と呼ばれ愛されてきた京都・丹後地方における絹織物。
国内有数の絹織物の産地として知られ、300年以上の...

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「丹後ちりめん」と呼ばれ愛されてきた京都・丹後地方における絹織物。

国内有数の絹織物の産地として知られ、300年以上の歴史があり、着物の高級生地として重用されてきた。この織物技術を世界に発信するプロジェクト「TANGO OPEN」が始動し、業界でも話題になっている。

前編に引き続き、同プロジェクトのキーマン3名を直撃。日本発の京都・丹後の絹織物は今後、どのように世界に発信されるのか? その詳細を紹介したい。

取材・文:庄司真美 写真:織田桂子

「TANGO OPEN」のオフィシャルサイトより。

玉田泉

丸の内ハウス事務局 統括マネージャー/オフィス泉 代表取締役

1982年三菱地所入社。退職後の2005年に環境をテーマにした「大手町カフェ」立ち上げのために三菱地所(株)都市計画事業室に復帰し、2006年に「グッドデザイン金賞」「環境大臣賞」を受賞。2006年より「丸の内ハウス」統括マネージャーとして立ち上げから担当。「街のゲストハウス」をテーマに東京のもっとも感度の高いフロアを目指し、イベントや情報発信・コニュニティ作りを仕掛け、脚光を浴びる。独立後は丸の内ハウスの統括マネージャーを務めるとともに、日本各地の地域ブランディングに携わる。

佐藤としひろ

株式会社 テーブルビート代表取締役

新宿「ツバキハウス」を筆頭に、六本木「玉椿」「THE BEE」などを手掛け、ディスコブームを牽引。独立後、ファッションビル「VIVRE」のプランニング、原宿「クラブD」、赤坂アークヒルズ「ADコロシアム」、六本木「トゥーリア」、芝浦の伝説のクラブ「GOLD」を開業。2007年には新丸ビルで「生産者と消費者をつなぐ役割」をテーマにした「MUS MUS」とオフィスワーカーの交流の場所として「来夢来人」をオープン。

北川一成

GRAPH代表取締役/ヘッドデザイナー

1987年筑波大学卒業後、GRAPH(旧:北川紙器印刷株式会社)入社。“捨てられない印刷物”を目指す技術の追求と、経営者とデザイナー双方の視点に立った“経営資源としてのデザインの在り方”の提案により、地域の中小企業から海外の著名高級ブランドまで多くのクライアントから支持を得る。JAGDA、ADC、TDC会員、京都府立大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師、桑沢デザイン研究所講師。

伝統的な丹後の絹織物を基軸に、エリア全体のブランディング

―― 「TANGO OPEN」プロジェクト大枠の狙いやミッションは?

玉田:今は絹織物の技術についてのブランディングに特化していますが、今後はその範囲を拡げ、このエリアのブランド認知につなげたいと考えています。現在は丹後の上質な織物に対して「TANGO OPEN」のブランド認証制度をする委員会も組織しています。

丸の内ハウス事務局 統括マネージャーでオフィス泉 代表取締役の玉田泉氏(左)と株式会社 テーブルビート代表取締役の佐藤としひろ氏(右)。

佐藤:行く行くは丹後のレストランや食材、ホテルといった、いろいろなものに「TANGO OPEN」のマークが付くことで、ほかとは差別化して行く計画も見据えています。

 ―― 丹後の織物を基軸にエリア全体のブランディングも視野に入れているわけですね。北川さんもこの程初めて丹後のものづくりの現場を訪れたとのことですが、感想はいかがでしたか?

北川:ちりめんだけでなく、リボン状の素敵な生地などもあって、そのバリエーションに驚きました。

しかも次世代の技術の担い手たちは、そもそもアパレルのトップクラスのところで修業されている人ばかりなので、無理がない。着物に使う生地を洋服に使っているのですが、光るセンスを感じました。

GRAPH代表取締役、ヘッドデザイナーの北川一成氏。

佐藤:実は僕も最初は、よくある伝統工芸の産地として、地味で古ぼけた現場を想像していました。ところが、生産現場を拝見したらものすごくおしゃれで、これは伝え方が間違っているだけだと感じました。

玉田:これまでは、「丹後ちりめん」と日本語で書かれたロゴしかなかったから、みんな仕方なくそれを使っていたところもあったようです。ロゴができてからは他ブランドとのコラボレーション企画も増えてきました。

意外と知られていない絹織物の名産地、京都・丹後

―― そのコラボ企画がユナイテッド・アローズ(以下、UA)や、MYLANというわけですね(※別記事にて紹介予定)。ところで、1700年代から300年に渡って受け継がれて、今も国内トップシェアの丹後の絹織物ですが、多くの伝統工芸のように、これまで衰退の危機はなかったのですか?

佐藤:日本人がだんだん着物を着なくなったこともあって、生産量は緩やかに下降していて、全盛期の3%程といわれています。

生産量が落ちた分、付加価値を作り、自ら商品開発していかないとお金は入ってきません。オーダー側の京都との関係性は大事にしながらも、この機会にこれまで京都頼りだった商品開発に注力し、ブランドを発信していくのが、「TANGO OPEN」の趣旨でもあります。

商品開発を助成するために、パリコレにも展開する国内のトップデザイナーたちを丹後に連れて行って生地を見てもらったり、さまざまなコラボを企画したりしています。

玉田:これまでは産地として京都などからの注文に応じて作っていましたが、これからは自ら発信していくフェイズになりました。

おかげさまでロゴマークができたことによって、今までの「丹後ちりめん」のイメージからずいぶん変わりました。「このロゴマークのタグなら商品化してもいい」という話も他社ブランドから多く上がっていて、新しい取り組みのきっかけにもなっています。

国内トップデザイナーの作品を通じて、丹後の絹織物を世界へ発信

―― ファッションデザイナーの丸山敬太さんやドレスキャンプの岩谷俊和さん、アンリアレイジの森永邦彦さんらとの企画も同時に進行していますが、現状の動きについて教えてください。

佐藤:メイドインジャパンを重視した上で、大量生産ではないオートクチュールのような商品と連動しないとやはりいいものはできません。そういう領域では、桂由美さんと次世代のウェディングドレスを手がけている岩谷さんやメディアでも活躍している丸山さん、パリコレなどのショーも展開している森永さんたちが得意とするところです。

実は今回のパリコレでも、アンダーカバーのショーなどで丹後の織物を使っていただいています。今はあらゆる可能性を見出すことが重要で、そこから世界に向けて少しずつ浸透していけたらと考えています。

時代に合った感覚的なものを上手に織り交ぜながら、丹後の織物の技術や取り組みをより高めて発信していくことが大事です。とはいえ、あまり高価すぎても一般の需要が広がらないので、今後もいろんなクリエイターに委ねたり、コラボレーションしたりといったチャレンジを続けていきます。

丹後の絹織物を使った作品が、海外でも大絶賛

―― クリエイターとの企画で、新しい発見はありましたか?

佐藤:たとえば、アンリアレイジの森永さんは、LVMHグループが選ぶ若手デザイナーのファイナリストとして、世界の8人のうちの1人に選ばれました。森永さんが最終選考でショーに出した作品は、“サスティナブル”をテーマに丹後織物の白生地の端切れを2000ピース合わせた実に素晴らしいものでした。海外でも、「なんだこの布は?クレージー!」と絶賛されるくらい評価が高かったようです。

しかも森永さんが発表した丹後の織物を用いたコレクションが受けて、今年はFENDIがそれを採用し、森永さんと一緒にコレクションを作る動きもありました。そういう広がりが大事だと思っています。

それから丹後の手織りネクタイメーカー「クスカ」では、丹後の手織りの生地を使ったネクタイはもとより、ストールなどが高く評価され、イタリアやイギリス王室御用達のショップともコラボレーションしています。

丹後の絹織物技術「からみ織り」を踏襲したクスカのネクタイ。

―― 海外やインバウンド向けの展開についてはどのようなビジョンがありますか?

佐藤:少し前に、フランスのクリエイターが丹後の絹織物を衣装に起用してくれたことがあります。でも、ファッションショーの写真はあっても、それだけでは世界にはなかなか広まりません。30年近く前からファッション業界のトップにいて、日夜さまざまな生地を追求するUA名誉会長の重松理さんでさえ、京都には何度も来たことはあっても丹後に来たのは初めてだったそうです。

玉田:生地を探している人も、なかなか丹後までは訪れず、京都市止まりの人も多いんです。それだけ京都ブランドの力は強くて、京都があって丹後が栄えてきた経緯も当然あります。でも、需要が下がってきている中で、逆に産地が力を付けて、もっと自ら世界に羽ばたくベースを今築いておけば、この先いろんな可能性が見えてきて、何百年も続くものになっていくと考えています。

佐藤:今後、商品開発が進んだ先に仮説ができて、その商品はどんな人たちのためなのか?という問いが出てきて初めて商品化が進む流れですが、今はまだその前段階。そのためにも、ロゴデザインのクリエイティブの強さが重要でした。今後、丹後の絹織物が世界に発信されて多様なプロダクトが生まれた先の進化した状態も見込んで、北川さんはデザインしてくださいました。

玉田:最終的にはそのロゴを見ただけで、丹後の上質な絹織物なのだということが認知されるようになればいいなと考えています。歴史ある「丹後ちりめん」で有名な丹後をリブランディングする中で、まずはそのロゴができたことで、物事が動き出してきたと感じています。

これまでのイメージとはずいぶん変わって、「何か新しいことができるかも」という話になりやすい。反対に、そのロゴを使う上で認証制度も作っているので、消費者を裏切らないようにしなければという戒めの意味もありますね。

「TANGO OPEN」のロゴに隠された、目にも気持ちいい「白銀比」と「黄金比」

―― 改めて「TANGO OPEN」のロゴの話に戻りますが、左にある図形は絹織物や生地を表すものという話がありました。これについて詳しく教えてください。

北川:実はこの四角の内側が黄金比率になっています。この銀の箔の外側をなぞっていくと、日本人が好んでよく使う、1対1.414(√2)の白銀比という比率なんです。

―― 白銀比とはどういうものなのですか?

北川:たとえば法隆寺などの建造物が白銀比でできています。日本人はムダが嫌いだから、A4やB5は半分を半分にすればずっと比率が一緒でしょう。そんな日本でよく使われているのが、この外側の比率なんです。内側の四角は1対1.618で、こちらはピラミッドやパルテノン神殿と同様、黄金比。欧米で好まれる比率ですね。その2つが重なって、この輪郭ができているんです。

―― 実は視覚的にも気持ちいいと感じるバランスで作られているわけですね。北川さんは、ほかにも京都の平等院などのグッズデザインも手掛けていますが、歴史あるモチーフをデザインするときのポイントはありますか?

佐藤:パンドラの扉を開けちゃいましたね(笑)。

北川:説明するのに最低5〜6時間はかかりますよ(笑)。ところで、京都らしさって何だと思いますか?

―― 開けてしまいました(笑)。着物や舞子、桜や祇園祭などでしょうか。

北川:そんなイメージですよね。でも、祇園祭はそもそも外国から入ってきたもので、ペルシャ、今でいう中近東のイスラエルあたりの厄除けから伝わってきているし、そもそも京都の前の都は奈良でした。奈良より前の文明で言えば、縄文時代にまで遡り、青森の三内丸山遺跡が残されているように、1万5000年続く文明があったとも言われていて、それと比べたら京都はたった1200年の歴史です。

ましてや「伝統」と呼ばれるものはもっと短いものです。本で読んだことですが、たとえばトマトとトウガラシの原産は南米です。それを15世紀にスペイン人が入植して植民地化したから、以降世界に広まったんですよ。

だから、カレーといえばインドと言われますが、インドと言えばブッダです。ブッダは15世紀よりも昔に生きているから、ブッダはトウガラシの入ったカレーは食べたことがないわけですよ(笑)。カレーといえばインドのイメージで、ブッダといえばインドですから、何をもってオリジナルかということは、その人の記憶の中の幻想でしかないわけです。極端な話、オリジナルと言われれば、日本人である前にホモサピエンスにまで遡ります。

以前別のインタビューで、「東京といえば江戸ですが」と言われたので、「江戸の前なら京都、京都の前は奈良で、さらに弥生時代や縄文時代、グレートジャーニーまで遡って話しますか?」と確認したら、とりあえず縄文時代からとオーダーがあったので、3時間がかりでやっと弥生時代に行き着きました(笑)。

―― ここまで深堀りする引き出しをお持ちで、ひとつのテーマに沿ってロゴに集約する作業は膨大ですね。

玉田:いろいろなものをそぎ落として、最終的に行き着きました。おかげさまで丹後の膨大な文脈を込めて作られたロゴは迫力があって、Appleなど世界のいろいろなグローバル企業のブランドロゴと並べてみても、すごく目立ちます。

日本の源流は、絹織物を世界に発信していた京都・丹後にあり?

―― 深い意味で、丹後の歴史やスピリット、命がロゴに込められているということですね。それでは最後に、「TANGO OPEN」の可能性やビジョン、メッセージについてそれぞれお願いします。

北川:日本の長い歴史の中で考えたら、京都自体はほんの短い歴史にすぎません。それよりも、京都の朝廷文化が作られる前の歴史が興味深いと思っています。まだ諸国に豪族がいて、その中から天皇家ができるわけですが、古墳時代や弥生時代、あるいは縄文時代あたりに海外の文化が入ってくるひとつの拠点として、丹後はおそらく重要な拠点だったはずです。

日本という国名を名乗り出したのは7世紀頃ですから、その頃はまだ日本を名乗っていませんでした。もしかしたら当時は、後に鉄道を敷いた近代よりもずっと潤って栄えていたかもしれません。

世界の文化が集積される港のある丹後は、未完成だった日本の言わば、源流だと思うんです。だから、日本ができて、引いては丹後が興盛する前のところにフォーカスを当てないと、できあがった歴史だけを見ても本質は分かりません。そういう意味で日本を世界に発信するときに、日本とは何かいうのをもっと掘り下げるべきだと考えて、「TANNGO OPEN」のロゴに込めました。

歴史の裏側にこそきっと大事なものがあって、ロゴに込めたものをそぎ落とす時に、一番大事なものを残しておかない意味がありません。もちろん、何となく京都っぽくしたら受けるのは分かっているんですけどね(笑)。このロゴをきっかけに、ここからガラっと変わって何かが生まれれば嬉しいです。

玉田:今後のビジョンとしては、丹後に作り手とも触れ合えて製造過程が見られる「丹後オープンセンター(仮称)」を造る計画があります。と言うのも、実際に丹後に行った時に、反物の産地だからこれを機に着物を作ろうかなと思ったのですが、買えるところがないんですよ。

この場所を通じて、「TANNGO OPEN」とさまざまなクリエイターを掛け算しながら、可能性を見出し、そこからまた新しい丹後の魅力が増えたらいいなと思っています。

佐藤:丹後の絹織物の世界発信が浸透したら、次は丹後エリアの食や文化を伝えながら、あくまでもそのコンテンツのひとつという位置づけになるかもしれません。今は丹後の絹織物を前面に出して、引いてはエリア全体のブランディングにも貢献できたらと考えています。

TANGO OPEN