ゼロ高等学院長、SNS education CEOの内藤賢司氏。
昨年10月、ホリエモンが主宰するオンライン高校として開校し、大きな話題となった「ゼロ高等学院」、通称「ゼロ高」。あらゆる業界の中でも特に進化が遅れていると言われる教育分野において、ゼロ高は21世紀の教育改革の起爆剤となるのか?
校長に就任した内藤賢司氏とネパールの教育イノベーター、シャラド・ライ氏が登壇したセミナーから抜粋して紹介したい。
取材・文・構成:庄司真美 取材協力:Study Night Fever
内藤賢司
ゼロ高等学院長、SNS education CEO
面白法人カヤックに入社し、エンジニアとしてキャリアをスタート。教育とITの懸け橋を生業とし、ウェブサービスの企画立案、大規模プロジェクトの統括から実装までを手がける。2018年堀江貴文氏が主宰した、座学ではなく、行動を目的とした新しい教育機関「ゼロ高等学院」、通称「ゼロ高」の責任者に就任。1児の父であり、“育メン”としても知られている。共著に『Webエンジニアの教科書』(シーアンドアール研究所)がある。
多様な価値観を伸ばす「ゼロ高」の進むべきゴールとは?
ゼロ高の特色として、約1500人を有するさまざまな有識者、実業家のネットワークを活かしたHIU(堀江貴文イノベーション大学校)へのフルアクセス権、そして、社会参画への多様な機会が得られる点であることについては、昨年7月に掲載した開校に際する記者会見の記事でも紹介した通りだ。
冒頭で、ホリエモンが創立した話題の高校「ゼロ高」が求めることについて、校長の内藤氏は次のように説明する。
「たとえば、『料理家になりたい』『マジシャンになりたい』と子どもが望んでも、結局は親も先生も自分のフィールド以外の道を知りません。教師は料理家のようなクリエイターやマジシャンとツテがあるわけではないし、どんな職業かを具体的に説明できないから、とりあえず大学に進学させることに終始してしまうのです。実際に目指す職業に就いて活躍している人とつなげられれば理想的ですが、一般的な学校でそれはできません。それならば、ゼロ高がそのギャップを埋めたいと考えています」
2018年10月に行われたゼロ高入学式のワンシーンより。
ゼロ高は、神奈川にある通信制高校の鹿島山北高校と連携。学生たちの日常的なカリキュラムとしては課題のレポートをこなしながら、3年間で74単位以上取るのは一般的な高校と同じである。ゼロ高に入学する生徒の9割は、高校生と同じ年代の10代が在籍。親や教師に言われた通りに一般の高校に進学したものの、その環境に合わずにくすぶっていた人が転入するケースが多いとのこと。そんなゼロ高に集まる生徒の特徴を次のように語る内藤氏。
「生徒とは主にメッセンジャーアプリなどでやりとりしていますが、子どもながら文章レベルが高いと感じています。ある生徒は『東京ドームに1,000人集めてイベントを開催したい』と言い出し、いきなり東京ドームに電話でかけ合ったり、『制服がないから作ろう』と提案したりするなど、行動力がある学生が多くて、こちらが驚くほどです。それから彼らと対話する中で、今の10代は地方創生や社会貢献に興味あるということが、新たな発見でした」
内藤氏は、「くすぶっている中で、その殻を破ったときに何ができるのか?が重要」とした上で、ゼロ高としてのゴールを説明する。
「堀江さんの著書『すべての教育は“洗脳”である~21世紀の脱・学校論~』(光文社)にも書かれていますが、ゼロ高では労働者を養成するための教育はしません。だから、卒業後にビジネスパーソンとして出世し、高い年収を稼げるようになるといったことがゴールではありません。主体性なく納得感のない仕事をするのではなく、やりたいことをゼロ高で見つけて、その先に踏み出して行くことを一旦のゴールとしています。くすぶっている子どもの“破壊力”を“創造”に変えていきたいと思っています」
日本の教育は労働者を養成するためのもの
当日は、過去記事でも紹介した、ネパールの教育イノベーターとして知られる、ソフトバンクに勤務しながらNPO法人 YouMe Nepal代表理事を務めるシャラド・ライ氏も登壇し、内藤氏とトークセッションが行われた。
ソフトバンクに勤務するNPO法人 YouMe Nepal代表理事のシャラド・ライ氏。
内藤:日本の教育は、基本的に労働者の養成が前提になっています。地方の高校を出て、大学に進学しない人は大体地元まわりで労働者になるんですよ。ネパールでも、学校教育を満足に受けられないことから、海外に肉体労働の出稼ぎに行く人が圧倒的に多いわけですよね。日本でもそれほど構造としては変わらないと思っています。ゼロ高の場合は、教育で平均化することなく、特に勉強ができなくても、自分のやりたいことを見つけて、得意分野を伸ばしていくことを目指しています。ネパールでは、海外に出稼ぎに行くルートはどのように用意されているんですか?
ライ:大半が、海外に出稼ぎに行く時に初めて飛行機に乗ることになります。しかも、エージェントに騙されて労働条件もよくわからないまま行く人も多いのです。教育は自分で考える力を身につけるためのきっかけであり、教養によって自信がつきます。言われるままに出稼ぎに行く人は、それができてないから人から引っ張り回されることになるのです。
内藤:教育を受けていれば、悪いコーディネーターから逃れられるのですか?
ライ:多くの人はPCも使えないし英語も話せないけれど、できることといえば、お父さんやおじいさんのように出稼ぎで働くことなのです。だから、みんな自分で都市に出向いて稼ぎ口の相談に行きます。なぜならほかに選択肢がないからです。本来であれば、幸せになるために自分がやりたいこと、自分の能力に気づくことが大事だと思うんです。
主体性を持って自分のやりたいことを見つける大切さ
内藤:日本でも、多くの人が自分の学力に近い偏差値の大学に入学して、限られた期間の中で就活して、やりたいかどうかもわからない仕事に就いて、不満ばかり言っているサラリーマンになる。そして夜は嫌いな上司の悪口を言いながら酒を飲み、また翌日会社に行くという(笑)。社畜とも言われますが、これも奴隷と言えば奴隷ですよね。もちろん、死ぬわけではないし、生活はできるけど、主体的に生きていないという点ではネパールと構図は一緒だと思います。
ライ:ネパールからしてみれば、日本やアメリカは幸せな国だと思います。普通に働いてお金を稼いで、海外旅行に行こうと思えば年に1回くらいは行けますから。でも、僕の故郷の村の人たちには到底、無理な話なのです。
内藤:ライさんは、日本の学校で教えた経験もあるんですよね。日本の学校の悪い点として気づいたことはありますか?
ライ:田舎のある高校を訪れた時、いじめの問題があって、そこは学校としても改善点は多いと思いました。それから日本の学校は、決められた枠組みの中にポンと子どもたちが置かれているイメージ。何か新しいことをやろうとしても、できる空気ではありません(笑)。すべて守られ、決められたシステムの中では、子どもたちの斬新な発想もそのパッケージの中に押し込められてしまうと感じました。
内藤:本当におっしゃるとおりで、実務者を作るならこれほど優れた学校システムはないんですよ。でも、日本の学校はイノベーターを作るには適していないのです。
ライ:決められたことを時間どおりにきちんとやることに関しては、日本人以外でできるのは神様しかいないと思います(笑)。でも、限界はありますよね。
内藤:日本人は勉強するのは学生までという概念があって、みんな大人になるとなぜか勉強しなくなります。もちろん、一流の人は人一倍勉強していますよ。先人が作ったモノを均質に作ること、さらにその質を高めていくことに関しては、日本人は天才的な能力を発揮してきました。そこで大勢が目指す方向性とは逆をついて活躍する人は、近年になるまで圧倒的に少なかったと思います。
でも、終身雇用が主流ではなくなりつつある今、20代、30代を中心に、これまで多くの人が持っていた「家を建てる」「車を買う」という価値観よりも、「どれだけ人に貢献したか?」ということに価値を見出していると感じます。
ライ:最近の大学生は、就職先が大企業志向ではなくなってきていて、自分の好きなことができる仕事、自分しか歩けない道を築きたいという志を持つ人が増えていますよね。ネパールの学校でも、学力をつけさせるだけでなく、自分のやりたいことや進みたい道、面白いことを見出せるようなオープンな環境を作りたいのですが、当面は学力の底上げで精一杯で、まだまだその領域には達していないのが現状です。
内藤:そういうことも視野に入れているのは、大事なことですね。
ライ:これまで学校を2校立ち上げましたが、ビジネス的なプランニングをちゃんとしていなかったのが現状です。先に公言して攻めるタイプなので、後はもうやるしかないんですよ(笑)。僕は、中学1年の時から何のために生きるのか?ということを考え続けてきました。お金持ちになろうとか、いい家を建てようと思ったことはありません。ネパールの恵まれていない人たちが少しでも希望を見出せるようにするのが、僕のやりたいこと。だから苦しいけど、どうにかなると思ってがんばっています。
内藤:逆に日本の学校に残した方がいいことはありますか?
ライ:規律を持って生徒が学校の掃除をすることもすごいと思いましたが、日本のように何もかも時間通りに動くことは、奇跡だと思っています。ネパールではバスが時間通りに来ることはあり得ません。ネパールの学校では、教科書に書かれていることを子どもに教え、宿題をやらせて、ちゃんとやらなかったら叱る。それが教育です。日本の場合は、勉強だけでなく、育成することも含まれていて、そこがすばらしいなと思いました。僕がある日本の田舎の学校で英語を教えていた時、1人の子どもが行方不明になりました。その時、先生は夜通し山中を探し回っていました。朝、子どもが登校してちゃんと下校して家にたどり着くまでは、学校や先生も親とともに責任を持つのです。これはすごいことだなと感心しました。
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古い体質を引きずり、なかなか変革が起きない、イノベーションが起きないといった閉塞感のある社会を根本から変えるために、教育改革の新星として創立された「ゼロ高」。
進学率を高めることがネパールでの課題ではあるが、日本と共通するのは、自分のやりたいことを見つけて、主体的に生きること。最もイノベーションが遅れているとも言われる教育分野でのチャレンジはまだ始まったばかりだが、数年後の波及に期待したい。